こんにちはです。
 これ書いているうちに多分12:33になるでしょう。

 昨日は「なぜだか」心身の動きが鈍くてなにもやる気が起こらず、のろのろと屋内を無為に動き回ったあげくに「こりゃだめだ★」と悟り、不要の古漫画の排出(売却)という昨年末に積み残していた雑用を一件片づけただけで、後はなにもせぬまま、これは既定の予定の行動であった「銭湯出撃」時刻に……。
 (--;)
(しかし古漫画と古CDはそれなりに納得のいく買い取り価格で、結局、受け取った金額をその場のブクオフ店内で、ほぼ使い果たして(^^;)帰宅する、という点でも、「いつも通り」に、むしろ順調で、けして、「心身の動きがなぜだか鈍くなる」ような原因は、なかったわけですが……。)

 そしてお風呂で女王様と化してぐったり撃沈。

 ずっとずっと、あまりに固すぎて(=精神的緊張……不安・不快・恐怖・混乱・苦痛・空腹・悲しみ・惨めさ・孤独感・絶望・煩悶・恨みつらみ・妬み・憎悪・自己否定・軽蔑、etc.……が、強く長く重なり、続きすぎて)ジェットバスの水流(お湯)を「当てるだけ」で「ギャーーーーーーッ!!」(><;)★と、叫びたくなるほどの痛い苦しい冷たい固い凝りを長年抱え続けていた(※一見、ぷにょぷにょの中年太り?なキューピー腹に見えるでしょうが……★(--;)☆ 違うんです。アレの本体は、固く硬く緊張しまくりすぎたまま成長期と青春期を過ごして、どうやってもほぐれなくなった、腹部=精神的不幸を原因とする=のコリが岩盤鉄塊状態になったものと、その不幸な心身状態から派生した、子宮筋腫のカタマリなんです……★★) が。

 整体の習練を続けて、「それの存在」をようやく自覚できるようになった数年前から、ずーーーーーーーーーーっっっと、じっっっっっっっっっっっっくり、遠回り~ーーーーーーーーーに……

 「いつかはこれ、ほぐさなくちゃね……☆
 (ほぐしたいよね、ほぐせるもんならね……★)」
  ★(--;)★

と、思い続けて、でもあまりにも「ちょっと押しただけでも痛い」ので、後回しにし続けてきた左右の腹直筋が、なんだか、けっこう、
 ……やわらかく、なってる……?
 ?(@へ@)?

 お湯流の強いやつを当てても、痛みも苦しさも吐き気も感じないし、どちらかというと、圧を受けた部分が、「くにゃっ」と自然に、引っ込むというか、凹んでくれる感じがするし……

 !(@@)!

 ……と、
 しかし、その、ようやく「開いた」状態になってくれた腹筋内のコリだった部分の毛細血管に血液が流れ込んでいくため、脳のほうは貧血気味になるため、思考(分析)能力は低下したまま……

 ホカホカに茹で茹での状態で、ご機嫌すっかり快復モードで、その時点での外気温おそらく零下に近かったでしょうけれども、しっかり厚着準備着用のおかげで、湯冷めもせずに、徒歩片道45分ほどの距離を元気に安気に歩いて帰宅。

 家に着いたのが午前1時半で、室温4℃。
 その室温下でご飯を炊く(炊きあがるのを待つ)根性と時間はなかったので、作り置きの鶏肉カレーをあっためなおして、朝食用のはずのパンと合わせて食べて、午前2時就床、布団が暖まるまで買ってきたばかりの本を読んで、午前3時頃に就眠。

 で……


 夢見は、良かったのです。ひさ~しぶりに☆

 (^^;)

 内容は、憶えて「ないよう」なんですが(^^;)
 どこかの箱(部屋)の中で、やわらかい淡い金色の光に満ちた一時を過ごしていたのは、たしかです。

 で、……


 うっすら目が覚めて、それと同時に、



 「私は成人式が嫌いだ。」という一文(次項で書きます。)の、推敲を……



 無意識裡に、
 まったくの「自動書記」モードで、

 練り練りしはじめて、いたのでした……☆★




(んで、猫に起こされて9時起床、室温2℃☆)
(現在も、ストーブと太陽暖房併用でも、14℃までしか上がっていません……<昨日の同時刻はストーブなしで18℃あった。)

 寒いです。(^^;)いろいろ★


 で……(^^;)……★
 前項の続きで、まったくの自己満足(ていうか「自己解放」)のためだけに書く一文なので、暗くて意味のない「他人の不幸話」が嫌いなかたは、読まないことをおすすめいたします……☆★

(枕の上ではもっと色々推敲してたんですが……☆
 その文章は、もう、前の雑文を書いている間に、ほとんど忘れてしまいました……☆★)

***************


 わたしは成人式が嫌いだ。

 成人式の晴れ着を着ている女どもが大嫌いだ。

 自分でも、もうすっかり忘れたつもりでいたのだが、やはり嫌いだ。

 晴れ着を着た女どもを正月に見るのはいい。
 卒業式も、不快を感じはする、まぁ……
 許そう。

 しかし成人式で晴れ着を飾って、親の心づくしの一式数十万~百万近くはするであろう豪華絢爛恥知らずな猿回しのごときゴテゴテ衣装とか、あるいは、親に財力の余裕はないが娘の世間体を気遣って精一杯の予算は費やしたのであろうレンタルの「標準装」一式でカチコチ歩く、愛らしい清貧な娘さんたちであれ……


 嫌いだ。

 憎い。

 死んでしまえ。

 ……通りすがりに、殴りたくなる。


 なぜって、わたしは、買ってもらえなかったからだ。

 成人式に、着物を………………






 その恨みつらみを、忘れようとしてきた、忘れたいとおもってきた、そして、忘れたつもりで、……


 この世から、記憶のなかから、

 「成人式」というものの存在そのものを、消去しようとしてきた。

 けれど、今年は1月1日に、「正月と成人式をいっしょにやる」という記事を、うっかり、読んでしまった……


 (--;)

 そこから、精神的不調と、「夢見の悪さ」=「心の中のウツやゴミやカビやホコリの大掃除」が……

 始まってしまったらしい★





 わたしは成人式に着物を買ってもらえなかった。
 それどころか、お赤飯のひとつも用意してもらえず、母は、「あんた、出かけないの?」と、まったくのボロボロの「普段着」のまま、わたしを、「うっとおしいからさっさと出ていけ」といわんばかりの口調で、「成人式」に、追い立てようとした……

 わたしは、ぼろぼろの普段着のまま、暖房のきいた本屋の片隅を何軒も転々としながら終日時間をつぶし、しかし不幸にして、うっかり、「いつもの本屋」のある「いつもの駅前」で……


 高校時代の同窓生たちが、当然ながら女子はみなそれぞれ晴れ着満艦飾で、ニコニコしながら、「成人式帰りの公認飲酒パーティー!」に繰り出すべく……


 ぞろぞろ歩いてくるのに、ぶち当たってしまった。

 わたしは、着ていても寒い、薄いぼろいジャケットと、すり切れたとっくりセーターと、穴のあきそうなぼろぼろのジーンズと、穴のすでにあいた、スニーカー。という、「いつもの」姿であったと思う……




 私は、成人式が、嫌いだ。



(だから、読まないほうがいいですよ~……って……★)
***************



 わたしは成人式が嫌いだ。大っ嫌いだ。


 母は、いろいろ疑ってはみたのだけれども、実の、血のつながっている、産みの母であり育ての母でもある、薄情で冷血で自分勝手で自己中心・自己完結・自分が世界の中心で、自分に利害関係のあるものにしか関心の向かない……女は。

 姉の時にはいろいろと準備をしていた。暮れ、どころか、10月の末のころからそわそわして、あれこれチラシを眺め、「予算袋」に貯めた万札を数えてため息をつき、姉と相談しながら「このへんかしらね……」とねらいを定めて年末に買い物にくりだし、安物だけれどふかふかの襟巻き(肩掛け?)つきで、一式ひとそろい、姉に似合う淡いクリーム色の、上品で清楚な組み合わせを、用意して、満足げに帰宅してきて。
 当日には、朝も早くから着付けだ髪のセットだなんだとばたばたして、世間相応の「母親」らしく、貧乏なりにも見栄を体裁を張って、「成人式」を、やらかしていた。(たしか晩御飯もそれなりのごちそうだったと思う。)


 私は、当然、私の時にも、「その程度のこと」は、してもらえるものと……



 思っていた。(思いたいでしょ? ふつう……)



 しかし年末になっても、暮れが押し迫っても、大掃除が終わっても、おせちを食べ終わっても……

 着物の話題のひとつも出ない。


 思いあまってぎりぎり数日前になって、聞いた。

 「ねぇ! わたしの、着物は????」




 「なに言ってるの! お姉ちゃんのがあるでしょう!!」




 ……母は……





 それまでも、さんざん、「要らないコ」だった私を、「あんたなんか生みたくなかった!」と断言しながら事あるごとに「下女」としてコキ使い、差別的待遇におき、当然のごとく「おさがり」「不要品」「もらいもの」「一番安いやつ」で……

 育ててきた人では、あったけれども……。


 それでも。

 私は母の歓心を少しでも買うべく「良い子」にして、「お手伝い」にも熱心に努めてきたつもりだったし、そのころには「家出」も「浪人」も「引きこもり」の問題も一段落して、まじめに専門学校に通い、まともに「うちの子ども」の「フリ」を、していた…… できていた…… と、思いこんでいた。



 しかし。





 よりによって、「成人式の着物」まで、当然のごとく……


「おさがりの借り物」で、済ませようと……



 わたしのような「要らないコ」には、「それで当然」だと……、



 ハハは、考えていた、のである。









(だから……★以下略★)




***************


 私は、成人式が、大ッ嫌い。だ……



 実母が当然のごとく「姉のおさがり」を、「成人式の着物」として私に着せる気でいたと知って、私は愕然とした。

 私は、紅に緑の振り袖が、

 とっても、「欲しかった」(そして当然買ってもらえるものと思っていた)
 のだ…………


「なに言ってるの! お姉ちゃんの着物が、私に合うわけないでしょう!?」

 当時すでに、私の身長は姉より5センチ以上、高かった。いくら和服が「フリーサイズ」に近いとはいえ、柄物の大振り袖では、着付けたときの肩幅や、模様の位置がずれる。
 それになにより、「姉に似合う色」というのは、イコール、「私には似合わない色」だというのは、毎年の「普段着のおさがり」で、「繰り返し実証され済み」だったというのに……




 それでも「姉のおさがりがあるんだからそれを着ろ」と主張し続ける母に抗弁するべく、その姉に聞いた。

「おねえちゃん…… その着物、私に貸してくれる気、ある?」

「やだ。」(即答)。

 それでも大騒ぎする母(なにいってるの! それは最初っから、「二人に」って買ったのよ! と主張。)に負けて、和服一式を押入から出してきた姉。
 私に、
「ほらほら似合うわよ!」と強引になだめすかして、むりやり着せかけてみる、母……。




 結果。

 みごとに、似合わない……。(~~#)



姉「これは私の着物でしょ! これ来て会社の初出勤とかも行くんだし!」

私「これが “ふたり用の” 着物だっていうんだったら、なんで、これ買う時に、私にも着られるような色とサイズにしてくれなかったの……??」

 母、おろおろあらあらと笑ってごまかし、「あんた、お姉ちゃんよりも、大きかったの……??」




 母と姉が姉の着物を買いに行った当時から、すでに、私の身長は、とっくに、母をも姉をも、追い抜いていた。

 毎日一緒に暮らし、肩を並べて皿を洗ったり、一緒に買い物に行っては積極的に「重い荷物持ち」を担当したりして、一生懸命「実の母」にコビを売ろうと、涙ぐましい努力を続けていた、実の次女(私)の……、



 身長を、母は、「知らなかった」のである………………。







(彼女にとって、いかに私が「家事労働力」として以外、「要らないもの」であったのかが、よ~く、わかるエピソードである……★★)






(しつこく続きますが……
 読まなくていいんですってば……★)

***************


 しかし今年はお正月を祝ってしまったばかりで予算がない! と、「からっぽの」「予算袋」をぶんなげて、母は主張した。
 どちらにしても、成人式のほんの2日か3日前の……

 ことである。

 前日だったかその前だかの本当の直前になって、母が、さすがにまったく口をきかなくなった次女の扱いがうっとうしくなったものか、

「……レンタルなら……」とか言い出して、1万円とか2万円とかの、見ただけでも安物すぎる惨めなソレらのチラシを、持ってきたが。


 母に常識がないのは今更のことだが、どこの世界に、成人式の1日前の夜になってから「レンタル着物」のチラシを持ち出す実の母が……

 あるものか。


 私はあまりに惨めで、悔しくて悲しくて口惜しくて憎くて恨めしくて、「もういいわよ!」と、泣いて叫んだ。

 そして、成人式の、当日。

 「あ、そう、いいのね♪」と喜んだ母によって「早く行けばぁ?」と、普段着(というか着替える暇も与えられなかったので、さらに一段落ちるぼろぼろの「室内着」だった……★)のままで、

 外に、追い出された。

 のである……






 私は、成人式が、嫌いだ。


 きっと一生、憎み続け、根に持ち続け、恨み続ける……


 そのことを、自分自身に対してだけは、ごまかすことを、もうやめよう。

 自覚もせずに心身の調子を崩す毎年を繰り返す、くらいなら。


 今度から、新成人の晴れ着をみつけたら、唾はいて、蹴ってやる……





 親から愛され、育まれ、当然のように手間暇と予算をかけられ、大学まで出してもらって、就職の心配、してもらって、いじめにあったら家族に相談できて、失業したらとりあえず親に養ってもらえて、就職してても親の家に住んでいられて、お家賃払えなくてホームレスになるような心配なくて、残業が続けば晩ご飯やお弁当を作ってもらえて、あれこれ、それこれ……

 してもらえる、そして、

 してもらえて当然、と思って、感謝すらせず親に頼り切っている……


 すべてのガキどもが。
(*含む、実の弟である「長男」★)


 大ッ嫌いだ……。



(実は昨年、はるあき君と某を続けて「マイミク切り」したのは、これが一番の(唯一ではないが)「大きな原因」だったのだが……


 まぁ、向こうにしてみれば、「原因不明のやつあたり」だわねぇ……★)





(参考文献> 『はみだしっこ』三原順)

 (--;)h
 ついでだから全部、書いておく★
 (--;)★

***************

 その姉は私より1歳半の年上で、姉にとって妹である私は生まれた瞬間から「赤ちゃん、じゃま!」な存在だった……

 それはさておき。

 キツくて性格が悪いので有名だった「姑」から、「初孫」を「女に産んでしまった」ときには、「まぁ、一姫二太郎というし……」と、かろうじてお目こぼしをもらっていた母は、「二番目は当然、男!」という、信じられないぐらい旧態依然とした「期待」を、どかんとかけられていた……。

 その母が、「このコは元気だから絶対オトコ!」と信じて産んだ私の、性別が判明してしまった途端、「なんだ、女か……」と、吐き捨てた父は、赤ん坊の顔もみないで、産室を出ていってしまったそうである。
 (==#)

 それはさておき。

 父がそうした行為をおこなった、ということを、なにゆえ、母は、ものごころもつかないような幼少児であった私自身に、繰り返し、しつこくうるさく恨めしく、語り聞かせ続ける、必要が、

 あったというのか……



 母は、もう毎日、私が小学校から帰って、一生懸命、小さな手で、精一杯の「お手伝い」に励んでいるのに向かって……

 語り続けた。

「あんたがおなかに入っちゃったおかげで、離婚できなかったのよ……。
 あんたさえいなければ、お姉ちゃん連れて、鎌倉(実家)に帰ろう、って思ってたのに……。」

「あんたが生まれたせいで、熱海の旅館で仲居さんになることもできなくなった。上の子ひとりだけならまだしも、二人もいたら、どこでも雇ってくれない……」

 小学校から帰ってきて、一生懸命、洗濯物たたみとかを手伝っている次女に対して、毎日の話題が、ソレ、だったのである……。

(そして、当時出始めたばかりの「主婦業おたすけ便利グッズ」であった洗濯物のスプレーのりが「臭い!」と叫んで逃げた私の顔面めがけて、その洗濯のりのスプレーを、(からになるまで)シューシュー吹きかけて、意味不明に怒り狂ったあげくに、「あんたのせいでスプレー無くなった! 晩ご飯抜き!」とかしていたり、したのであった……)



 で。

 その、「一姫」と呼ばれて姑のおめこぼしに預かった初孫の長女は、いま考えると実父から性的虐待に遭っていたのではないかという疑いが濃厚なのだが、それはさておき。

 長女は、「できがいい」ので、大学受験は「当然」で、「浪人したら大変!」(恥ずかしい!)と、滑り止めまで含めて数校を受けて、(当然、それなりの受験料もつぎ込んで)、あげくのはてに合格してしまった「第二志望」のばか高い私立校に、「無駄になるかもしれないけど」と数十万円の「入学金」を支払い、結局、合格していた第一志望の国立大学に進んだ。

 1年遅れの受験となった「要らないコだった問題児」の次女である私に対しては、

 父から、「おんなは大学になんか行かなくていい! どうしても行くなら、国公立にしなさい。国立一校分の受験料しか出さない。」と、断言された。しかも、「行くなら教育学部しか認めない」と、北門だ……。

 ……高校3年生の、2学期の、10月も終わったころの、話である……



 私は、中学2年の時から「将来は作家になる!」と周囲にも公言していて、自慢じゃないが、理数系の成績は全滅、私立大学文系専門、合格率はかなり絶望的に低かったけれども、第一志望は「早稲田の文学部♪」という、浪人してでもそこに行って、「作家になるんだ♪」というのが、おおざっぱな野望であった、のんきな娘である……

 そして、(当時の受験制度を父はまったく興味もなく知らなかったので仕方がないといえば仕方がないのだが)

 高校3年のクラス分けの時点で、国公立受験組と私立文系・理系組は、完全に、カリキュラムが分かれていた。というのに……(*今はどうなのか知らないけど、たぶんそのままでしょう?)

 高校3年の2学期の終わりになって、私立文系文学部志望の人間に、「国公立の教育学部しか認めない」って……

 母「なに言ってるの! お姉ちゃんだって塾にも行かずに合格したんだから、あんたも頑張りなさい! 教育学部だって国語の勉強はできるでしょう!」



 ……(--;)……


 姉は、私立・国公立、あわせて数校、受験したし、結局無駄になるだけだった「入学金」まで、数十万円も、払ってもらって、いたのに……

「お姉ちゃんの時でお金を使いすぎて、下には男で跡取りである長男の弟がいて、あれは成績が悪いが「男だから」なんとしてでも、どこかの私立大学にでも無理矢理押し込まなければ格好がつかないから、お金がかかるから」

「女のおまえの大学進学につかう金はない。」



 ……そして、「女のおまえ」にとっては人生一度の晴れ着である、
「成人式の着物」も……


 ないので、ある。

(余談にして当然ながら、「雛人形」も、なかった……(--;)★)



 まぁこのへんにしておくが。

 わたしが、「まともな対人関係」を築けず、「社会人」としてまっとうに振る舞えないのは。




 「ふつうにあたりまえに親から愛されたふつうの人たち」を見ては、


 「憎い! 不幸になってしまえッッッッッ★」という、妬みと嫉みと内心の葛藤を。


 かくしながら、にこにこしているのが、とっても。


 つらい、


(からである……☆★)




(そして、「まともな対人関係」が営めない人間が、まともかつ幸福な職場とか家庭とか人生を、手に入れられる可能性は……

 ゼロに近い。)



(たぶん、1月2日からの心身の調子が狂っていたのは、ずっと目をそらしたいと逃げ続けていた「ソレ」と……


 そろそろ、まともに「向き合わなければならない」時期に、

 きている。


 から、なんだろぉなぁ……




 (~~;)……




(2011.01.15.01:00追加)

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