おはようございます。
 07:30です。
 急仮寓居におります。

 !(^^)!

 つながった!
 つながった!!

 ……いえ、まだ、「お試し無料レンタル機」の試運転(?)中で、買ってきた、わけじゃない、んですが……。

 (^^;)”

 と、とにかく!

 たとえ月収の1割近くを投入するハメになろうとも……★
 ★(--;)★

 最終的な人生目標が「物書き業」であるところの畑楽希有(はたら(く)きあり)な「桐木りす」(土岐真扉)にとって、「駄文な雑記を発表するためだけにわざわざ着替えて家から出ないといけない」(=「自分の家」で「家事をしながら」「時間無制限で文章書き」に「集中できない!」)o(><;)oという状況がこれ以上続くのは、時間の無駄と精神的苦痛と拷問以外の何モノでもないので……

 (--;)

 買うぞ~!!!!これ!!!!!!


(と、内心で絶叫しているところでございます……<でも、速度、ちょっと、遅いね……(^^;)……★)<あんど、春以降の「移住先」でもこれ、使えるのか……?? という、多大な疑問が残っておりますが……★★)


 ま、なにはともあれ、これが無事にアップできれば、急仮寓居内の自分のPCで「使える」ということだけは、立証できるわけで……


 えぃっ!!
(ぽちっとな……☆)
 あらためまして、おはようございます。
 07:50です。

 「家から無線?で有料NET」は、つながったみたいですね……☆
 !(^^)!

 外地表温度は順調に? マイナス8℃。
 屋内各所の温度配置もそれに準じます。

 すでにもう、「これに適応する」しかないわけで……

 w(^^;)w

 あまりひどく家の中に結露を起こさない洗濯物の乾かし方のノウハウは確立しました。

 それにつけても、ばかばかしいほどに、断熱性がなくて機密性だけムダに高い、くだらない家ですね……★

 (~~#)

 けっきょく「建築おた」な私が軽井沢の別荘建築にちっとも感銘を受けないのって、「地域の気候風土に根ざした堅牢な家」では、全然ない、見かけ倒しの「非実用的な」「オモチャの家」に過ぎないから、だわ……★

(先日見かけた小海線沿いの旧家(伝統建築)の立ち並ぶ町並みは、ものすごく美しく、見応えがありました……♪ <さっそく、「大地世界」中の某所のモデルに設定……☆)


 あ、そうそう、インフルは3日で治りました。

 (^^)g

 医者に行かないのはもちろん、薬も飲まず。キムチとスパイスティーとタイカレー、「食って寝た」だけで、自力(自己免疫系)のみで、退治いたしましたわよ……♪

 (さすが私♪)

 えぇと……その前に。

 その間に書いてた駄文の転記を、先にやりましょうね……☆
 http://85358.diarynote.jp/201201080804051517/

 (^^;)”””””
 *《中ホグズごーみ》の
 http://85358.diarynote.jp/201201080824208751
 検索して遊んでたら、引っかかった……★

 佐久地域における放射線の測定結果についてお知らせします。 
 http://www.pref.nagano.jp/xtihou/saku/happyou/sokutei.pdf

 ★(--;)★
http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/120107/wec12010719000003-n1.htm
【karoshi 過労死の国・日本 第2部(2)復興の犠牲者たち】
日給2万円…原発労働の対価と代償
2012.1.7 19:00 (1/4ページ)[westピックアップ]

福島第1原子力発電所事故で、1号機の格納容器につながる配管を切断する作業員=2011年10月(東京電力提供)
 「おまえ、裏切ったな!」

 福島第1原発事故の収束作業中に死亡した静岡県御前崎市の配管工、大角信勝=当時(60)=の妻、カニカ(53)は、夫が勤めていた建設業者の社長の言葉が忘れられない。

 社長は50万円と引き換えに、ある書類に判を押すよう迫っていた。タイ国籍で日本語が不自由なカニカには読めなかったが、示談書のたぐいだったことは間違いないだろう。一度断ると、社長は金額を倍の100万円に引き上げ、それでも頑としてうなずかないカニカに、そう怒鳴りつけたという。

 最初から社長はこんな態度をとっていたわけではない。福島市内の斎場で大角が荼毘(だび)に付されるまで、カニカにかかった宿泊費や交通費を負担した。大角が働いた分の給料も払い、生活に困るカニカに米を10キロ差し入れもした。

 だが、カニカは市役所の無料相談を通じて代理人弁護士の大橋昭夫(63)と連絡をとり、労災申請の準備を進めていた。

 「裏切ったな」という社長の言葉は、弁護士に助けを求めたことに対する逆恨みだけではなかったはずだ。背景には、労災が認められれば経営が傾きかねないという抜き差しならない事情があるのだ。大橋は端的に言う。

http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/120107/wec12010712000000-n1.htm
美談で済まされぬ「フクシマの英雄たち」
2012.1.7 12:00 (1/4ページ)[編集長オススメ]

福島第1原発で働く東京電力の社員ら原発労働者は、第2原発の体育館で防護服のまま雑魚寝していた=2011年5月(谷川武愛媛大教授提供)
 

作業開始40分後に倒れ…死亡


 「彼らは極限状態にあるにもかかわらず、さらなる大惨事が起きるのを避けようと闘った。義務感や自己犠牲の精神という、日本社会に根付いた価値を示してくれた」。授賞理由にはそうあった。だが、10月21日の授賞式に原発労働者の姿はひとりもなかった。

 東日本大震災による大津波で炉心溶融(メルトダウン)を起こした原子炉は、冷温停止の達成目標が年内に前倒しされたとはいえ、今も「誰か」が放射線に身をさらさなければ、制御できない。

 厚生労働省によると、福島第1原発では毎日約2千人が働き、フクシマの英雄たちは、東京電力の社員と下請け労働者だけで、10月の段階で累計1万9237人にのぼっているというのだ。

 一方でこんな現実もある。3~6月に作業に当たった下請け労働者のうち、341人が一時、所在不明となった。


2012.1.7 12:00 (2/4ページ)[編集長オススメ]

福島第1原発で働く東京電力の社員ら原発労働者は、第2原発の体育館で防護服のまま雑魚寝していた=2011年5月(谷川武愛媛大教授提供)
 「推測にはなるが、労働者たちが過酷さや恐怖のあまり逃げ出した可能性がある」。原発労働に詳しい関西労働者安全センターの事務局次長、片岡明彦(52)はこう指摘する。「無名の労働者たちによる献身という美談で、済まされる話なのだろうか」

 

自然に息さえも…


 真夏の作業。高線量の放射線から原発労働者の身を守った防護服は、代わりに42人を熱中症にした。

 防護服は、微細なポリエチレン繊維を幾層にも重ねた特殊シートが素材で、空気をほとんど通さない。場合によっては厚手の上着や雨がっぱを上から着込み、酸素ボンベ付きの人工呼吸器を背負うこともある。

 暑さに加えて息苦しさも追い打ちをかける。顔面を覆う防護マスクには、放射性物質を吸着する活性炭入りのフィルターが組み込まれているためだ。福島第1を含む原発3カ所で約30年前、下請け労働を体験したフリーライターの堀江邦夫は、著書「原発ジプシー」(現代書館)の中で、その過酷さをこうつづる。「ごく自然に息をすることさえできない-こんな生理的・精神的な苦痛を伴う労働が他にあるだろうか」


死と隣り合わせの重圧


 静岡県御前崎市の配管工、大角信勝=当時(60)=は5月14日、汚染水処理施設の配管設置工事にあたっていたさなか、心筋梗塞で死亡した。雇い主である建設業者の説明は、こうだ。

 深夜に宿舎を出発し、午前3時半、前線基地である「Jヴィレッジ」で防護服に着替えた。その後、約20キロ離れた福島第1原発で朝礼を受け、6時から作業を開始。重さ約50キロの機械を同僚と2人で運ぶ途中、体調不良を訴え意識を失った。6時40分ごろのことだったという。

 構内には当時、医師は常駐しておらず、東電の業務用車両に乗せられJヴィレッジに引き返し、さらに約45キロ先の福島県いわき市内の病院に搬送されたが、すでに倒れてから約2時間40分も経過していた。

 大角は作業2日目に死亡したが、生活は楽ではなく半年前からは建設現場でガス溶接の仕事に当たっており、狭い所に無理な姿勢で潜り込む厳しい作業が続いたことから、毎日のように「しんどい。大変だよ」と妻に漏らしていたという。


 7月13日、妻は労働基準監督署へ労災を申請している。代理人を務める弁護士の大橋昭夫(63)はこう語る。「直前までの負担に加え、死と隣り合わせの環境で緊張を伴い、さらに防護服による蒸し暑さにも耐えようとした。これは、れっきとした過労死だ」

(敬称略)

めも。w

2012年1月8日 連載
(2012.01.09.転記。)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1870804&media_id=20
 非常時の避難路か、それとも給湯管を通すスペースか――。大分県別府市の中心部で謎の地下トンネルが見つかった。



 終戦後、周辺一帯は進駐軍に接収され、11年にわたって駐屯地になっていた。何に使われたのか不明だが、進駐軍の手で掘られた可能性が高く、市教育委員会は文化的価値などの調査を検討している。



 地下トンネルが見つかったのは、野口原地区の市立別府商業高校と、西に約1キロ離れた鶴見園町の住宅街の2か所。



 市教委によると、別府商高では、敷地内の通路にある鉄製の蓋(縦、横とも約80センチ)を開け、トンネル側面に金属棒を打ち込んだはしご状の足場を伝って地下に下りられる。



 トンネルの断面は高さ約1メートル、幅約2メートルの長方形。天井と床はコンクリートで固められ、両側面は石垣が組まれていた。蓋の位置から南、北、東の3方向にそれぞれ約50メートル延びて行き止まりになっており、道路工事などのためにふさがれたとみられるという。



 鶴見園町の住宅街でも同様な構造で、東西方向に「へ」の字形に延び、枝分かれした部分も含め総延長約400メートル分が確認された。住宅の基礎部分などで寸断されていた。



 終戦翌年の1946年から57年まで進駐軍が周辺の44ヘクタールを駐屯地(通称キャンプ・チッカマウガ)として接収しており、今回見つかったトンネルはいずれも当時点在していた将校宿舎の地下を走っているという。



 トンネルの発見者は、現代美術作家の山田健二さん(28)(東京都杉並区)。東日本大震災後、別府市に一時滞在していた際に「市中心部に地下トンネルが張り巡らされている」とのトンネル伝説を耳にし、住民から聞き取りを続けた結果、昨年5月、鶴見園町の住宅街で入り口を見つけた。



 ほかにもないか捜し、別府商高でも地下に通じる蓋を発見した。

☆《白き河の道》☆
☆《白き河の道》☆
☆《白き河の道》☆
(2012.06.30.転記)

 急仮寓居前の評決化繊……もとい、

 氷結河川。


 ほとんど「歩いて渡れそう」な、凍結っぷり……☆


 w(^□^;)w

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