12月11日の日記

2011年12月11日 日常
 おはようございます。
 08:02です。
 洗って干してから遂に「6日目」に突入してしまった洗濯物の半数近くがいまだに乾かず、ほとんど殺意に近いイライラを感じて今朝はおきぬけから濡れたままの洗濯物を相手にキレてしまい、ストーブの上に移動させたり外側に戻したりのひっくり返しの作業をしながら、「死ね!!」だの「おまえなんか、もう生きてなくていいよ!」とか、叫んでしまいました……。
 ★(><;)★

 どう考えても情緒不安定の、「抑鬱傾向」です。

 昨日は、雪はまだ溶けきらない気温の低さとはいうものの、昼間の外は燦々と日が照っていたというのに、なんだってこんな、日照時間が限りなくゼロに近い、洗濯物のひとつも乾かないような、無惨な牢獄に、閉じこめられていなければ、ならないのでしょうか……


 嗚呼、ユイのあの家に、住めていたら……


 泣きながら、洗濯物をストーブの上に干して、しかしそのストーブを点けるのも灯油大節約のため「一日3時間!」と決めているので、(しかし外気温の低さからいうともう無理なので、今日は4時間まで延長せざるをえませんでしたが……★)、現在すでに消火して、徐々に下がりつつある室温のなかで、これを打っています……★
 (--;)

 一刻も、一日も早く、ここから逃げ出したい。

 でも、来春の転出先のメドは、まだ一切まったく、立ってはいません……(--;)……★


(昨日夜9時過ぎの帰宅時、
 外地表温度マイナス2℃。
 無加温の室内プラス1℃。

 今朝4時起床時の
 外地表温度マイナス4℃
 弱加温の室内プラス2℃。

 ストーブ点火、
 1時間後にプラス6℃、
 2時間後にプラス10℃……。(で、固定。<それ以上は上がらず……★)


 第一希望。

 気温はこれより低くてもいい。
 放射能は、ここより高くなければいい。
 無駄で手入れの悪い常緑樹の放置植栽林が汚らしく立ち並んで、立ち枯れた風倒木までそのまま捨て置かれて無惨に日照を遮っている、見苦しい放棄別荘地まみれの軽井沢なんか、大っ嫌いだ……。

 手入れのいい林業+産業林地(里山)と、
 日当たりのいい、そして牛糞臭い(^^;)
 牧草+放牧地と、
 有機農業のふかふか土壌の、畑……。

 観光資源といったら「見晴らしの良さだけ?」みたいな……

 八ヶ岳の東山麓の、「どこかのド田舎」に。

 いつか……、といわず、

 来年の春。

 私は、住みたい……。(--;)☆



(第2希望:伊那谷の西部か、大糸沿線か、
 千曲川下流の新潟県内とか、
 岐阜県のどこか、とかでも可……☆)

(できれば、貧乏人にも住みやすい、「共産党の強い土地」だと、ありがたいね……!!)(<これはかなり「限られる」条件☆)<長野の御代田か南牧村か、木曽町か……????)

(2011.12.12.入力)
 町長 給食食材の放射測定、情報開示で積極姿勢示す
 土屋きよし議員が一般質問
 放射能、住宅リフォーム補助など


 軽井沢町議会12月会議の一般質問(6日)に立った日本共産党の土屋きよし議員は、放射能から子どもを守る問題、町民の被害を救済する問題、住宅リフォーム補助金制度改善などをただしました。

 焦点の一つ、給食食材の測定については、一般質問を待たず1日の開会あいさつで藤巻町長は、「国民生活センターから機器を借りるか独自に購入するかして測定するよう検討する」との見解を表明し、広く報道されました。
 直前の29日、代表8名が1800筆余の署名をそえて陳情した際、町長から肯定的な返答をもらえず落胆していたキッズ・アース(若い保護者グループ)の皆さんは大喜びしました。
 合わせて土屋きよし議員がこれらに先立って22日提出の質問通告書の中で、測定器の購入や国民生活センターの機器貸与制度の活用を提案していたことが町を後押ししたのではないかとみられています。
 大きな前進でした。(S)


 町長 「放射能汚染で軽井沢の観光が岐路に」の認識示す
 不安除去するために情報開示に努力する」

 土屋きよし議員は、町が、学校、保育園で部分的に除染をしているが、一部を除いて住民に公表されていない、随時公表すべきだ、と質問したのに対し、藤巻町長は、「隠すことはよくない。正確な情報を提供してこそ不安や風評をなくすことになる。情報開示に努める」旨、答弁しました。


 農業用腐葉土、民有地の被害対策は
 「町無料法律相談の利用を」(副町長)


 同議員は有機肥料として欠かせない落ち葉、腐葉土が年3ミリシーベルトを超える汚染(同議員が測定)で使えず、その処分、代替肥料の購入と、負担が大きいことをとりあげ、県の支援策の活用を含めた対策を求めました。
 また議員独自の測定にもとづいてホットスポット状に汚染度が高い箇所が民家の庭先、公民館の庭などに見受けられることを指摘。各自測定器を買ったり、除染をしたりしている実情にふれながら、民有地の測定、被害支援策を求めました。

 農家の被害について、藤田副町長はq、「町の無料法律相談を利用して欲しい。必要なら東電も呼ぶ」と応えました。(略)

(『高原新聞』(「しんぶん赤旗」読者の友)53号
 2011年12月11日(日)発行
(*無断転載*)

>土屋きよし議員
 http://blogs.yahoo.co.jp/kiyosi_tutiya2000

 「高原新聞53号」12月議会(特集)をご活用下さい
 「内部被ばく」対策」給食食材測定で町独自に機器購入など検討する

■6日軽井沢町議会できよし議員が質問(傍聴者23人)、藤巻町長は放射能の現状を深刻に受け止めていることを表明しました。
 『放射能対策室』を設置して窓口を一本化し取り組むべき、と求めた場面では、「その場合、担当者が精神的につぶれてしまうことが考えられるので、慎重に考えたい」と述べる一幕もありました。(略)

■ 放射能簡易測定の依頼は土屋きよし議員(45-8646)まで。

(「軽井沢支部ニュース あかつき」no.60.’11年12月12日)
(*「部内資料」*無断転載*)

>担当者が精神的につぶれてしまう

 その発言が出るということは、藤巻町長が汚染の問題の深刻さを正確に理解しており、かつ、職員の負担に対する「思いやりの心」を持っている、優しく・良識的な人だ、ということだ……。

 軽井沢は「創価学会が強い」と言われていて、私のような「なんちゃって共産党員」には、居心地が悪く感じられる土地だが。

 このような町長を選んだ、というからには、一般の軽井沢町民の皆さんの政治意識は、「まっとうで健全」なものなんだろうなぁ……
 と、高く、評価させていただきたい♪

 (^w^)g



 おまけ☆
 未来開く循環型農業
 高校卒業後まで医療費無料、お年寄り交流事業継続

 長野県南牧(みなみまき)村長選(11月13日投開票)では、日本共産党員の菊池幸彦村長(69)が2期目の当選を果たし、福祉充実と農業・観光振興などを掲げた公約「5大プラン」の実現へ踏み出しました。
 村ではいま来年度予算編成に向け検討が続いています。菊池村長は、来年度予算で、高校卒業までの医療費無料化、第3子以降の保育料無料化(同時入所の条件なし)、出産祝い金創設などの子育て支援策を来年度から実施したいと語ります。(略)

 「循環型農業」にも期待が集まります。村人口と同数いる畜産農家の牛のふん尿を優良なたい肥にして、同村の高原野菜の産地づくりに生かすモデル事業に来年度から着手する方針です。
 「たい肥で地力を高めて化学肥料を減らすことで、安全でおいしい高原野菜ができる。苦しみの農業から、夢と希望の農業をめざしたい」と菊池村長は語ります。(略)

(北陸信越記者・大星史路記者)
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
 機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
 2011.12.11.(日曜版)



(2011.12.12.入力)
*参照
 http://85358.diarynote.jp/201111141128174821/
 http://85358.diarynote.jp/201112120952008706/ 

 大地汚した東電許さぬ
 日本人初の宇宙飛行士 秋山豊寛さん(略)

 1990年、日本人初の宇宙飛行士となり、その後、福島県で有機農業を営んでいた秋山豊寛(とよひろ)さん(68)。
 今回の東京電力福島原子力発電所事故で生活を一変させられました。
 大地を汚した東電に怒り、「原発ゼロ」への強い思いを語ります。

-16年前、私は放送局を辞め、阿武隈高地の福島県滝根町(現在は田村市)に移り住みました。福島第1原発から32キロメートルのところです。
 自給自足をめざし、米と野菜を無農薬でつくり、原木栽培のシイタケを売っていました。
 福島での自然の恵みに満ちた私の暮らしは、突然、断ち切られました。
 東日本大震災の翌日、「空中からセシウムを検出」というニュースを知って、自宅から避難しました。このときはまだ、すぐに戻れると楽観していたのです。
 事故から9カ月たった現在、「原発難民」となり、群馬県の知人の家に身を寄せています。

 人と自然を合成化学物質の汚染から守るために有機農業をしてきたのに、もう消費者に「安心して食べてください」とは言えなくなりました。
 キノコ類は放射性物質を吸収しやすく、ときに国が定めた暫定規制値を超えるセシウムが検出されることがあります。
 田畑や家畜を汚染された農民の怒りがどれほどのものか。
 事故後、有機農業者が自殺しました。「原発さえなければ」と書き残して死んだ酪農家もいました。

 東京電力や原発を推進してきた政治家への農民の怒りは、いまや「怨念」と化しています。
 加害企業である東電には、何十年かかっても、汚染された福島と日本の大地をきれいにする責任があります。
 これをあいまいにすることは絶対に許されません。
 ところが、現状は県の指導で住民に除染作業をさせ、東電は知らぬ顔です。


 原発ゼロへ 政治家 見極めよう

 宇宙から見た地球は、青く輝き、ほんとうに美しかった。その地球の汚染が急速に進みました。
 私たちの文明、暮らしのあり方を見直したいと思ったのが、「農のある暮らし」を決意した一つの動機でした。
 貧しさを大量に生み出し続ける経済成長を優先するのではなく、自然や環境など、お金に換算できない豊かさを大切にする社会こそ、子どもたちには必要なのです。

 事故後、政府はできるだけ被害を小さく見せようとしています。それは原発推進政策を続けるためです。
 低線量の放射線は危険ではないと宣伝し、子どもたちを疎開させませんでした。
 国の現在の除染対策はデタラメです。県にまる投げし、県は市町村にまかせています。こんなことで、安心・安全が得られるはずがありません。

 大気中の放射線量は各地で測定されていますが、大地の土壌汚染については、綿密な調査がほとんどやられていません。
 田畑の除染作業はたいへん根気のいる作業です。
 まして、広大な森林については、恐らく不可能です。
 原発はこれどほ自然と人の暮らしを破壊するのです。(略)

 原発はなくさなければなりません。そのために私たちは、一人ひとりの政治家を見極めなければなりません。
 何を言っているかではなく、何をしているのかがポイントです。

 長いたたかいになります。

 私はあと30年は生きたいと思っています。セシウム137が半減するまで生きて、事の経過を見届け、日本の自然を破壊し、福島の農家の暮らしをめちゃめえちゃにした東電に一矢報いたい、と考えています。

(聞き手・那須絹江記者)
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
 機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
 2011.12.11.(日曜版)


 私はあと50年は生きたいと思っています。……上記のような「生き方をした人たち」の「物語」を書き上げるために……

 せいぜい、制ガン能力を高くして、セシウムとストロンチウムとプルトニウムに、対抗し、抵抗し続けたいと思います……

 ★(--;)★

最新のコメント

日記内を検索