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(090816未明入力)
 映画の窓から世界が見える ③
 山田和夫
「建国」と「NAKBA(ナクバ)」の60年
 イスラエル映画に新しい希望

 パレスチナを撮り続けたフォトジャーナリスト広河隆一の長編記録映画「NAKBA」(二〇〇七年)。一九四八年五月、イスラエル建国とともに、七十万人以上のパレスチナ人が故郷を追われた。彼らはそのことをNAKBAと呼ぶ。今年はイスラエル建国六十年であるとともにNAKBA六十年である。
 広河はかつてパレスチナ人の村が廃墟となり、そこがイスラエルの協同組合(キブツ)になっていることを知り、その地を追われたパレスチナ難民の老人をさがし当てる。老人は夢みるような瞳で、かつてオリーヴを穫り、家畜を飼った美しい故郷の光景を語る。彼らにとってのNAKBA六十年がそこに凝縮されていた。


 戦闘の苦しさと
 愚かさとを強調


 一九四八年五月十四日、パレスチナ分割の国連決議とともにイスラエルが建国を宣言。その地に住んでいたパレスチナ人が難民となる。建国に反対するアラブ諸国が翌日から第一次中東戦争をはじめ、今日まで続く中東の抗争へ。大戦中の「ホロコースト」受難もあり、イスラエルはユダヤ人国家の建設に国際世論をひきつけ、英国にかわって中東制覇を狙う米国は、ユダヤ系財閥の力を得てイスラエルへの一方的な支援を強めた。これに反発したパレスチナ=アラブ側は、無差別テロを含む武装闘争に固執する極「左」派のイスラエル抹殺論が根強く、国際世論の支持をせばめる弱点があった。
 しかし歴史は動く。イスラエルの先駆的反体制映画監督アモス・ギタイは「キプールの記憶」(二〇〇〇年)で第四次中東戦争を描きながら、「敵」の存在は見えず、ただ戦闘の苦しさと愚かさを強調、時刻の一方的な「大義」には与(くみ)しなかった。昨年の東京国際映画祭グランプリのイスラエル=仏合作「迷子の警察音楽隊」(二〇〇七年、監督エラン・コリン)は、イスラエルに演奏旅行に来たエジプトの警察音楽隊がバスを乗り間違え、田舎のカフェーで一夜を明かす。女主人の部屋には戦車のそばに立つ軍人の写真。彼女の夫であろうか。かつて激戦を交えた両国の人間たちが、ユーモラスなあたたかい夜をすごす、ほほえましい作品だ。


 自爆攻撃青年の
 苦悩する内面を


 そしてイスラエル在住のパレスチナ人、ハニ・アブ・アサド監督の「パラダイス・ナウ」(二〇〇五年)。パレスチナ人居住区から二人の青年が自爆攻撃を志願して、テルアビブに潜入しようとする。彼らが自爆攻撃をえらばざるを得ない、追いつめられた状況もリアルに描かれているけれど、それ以上にそのような抵抗方法に疑問を抱き、苦悩する内面がしっかりと見すえられている。
 イスラエルとパレスチナの歴史的な懸隔はなお深く広いけれど、これらの映画はいま新しい展望が開かれつつある希望を感じさせる。

(やまだ・かずお 映画評論家)
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/ 機関誌
「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
 2008.06.17.)

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