(2007年10月07日06:08)

(以下転送大歓迎!)
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〜10.7シンポジウム〜 
  対テロ戦争開始から6年―アメリカ追従政策を問う
   そろそろ自衛隊はイラクから撤退しませんか?

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◆日時 10月7日 18時開場 18時30分〜21時30分
◆会場 いきいきプラザ一番町カスケードホール(定員198名)     
・住所:東京都千代田区一番町12
・交通:東京メトロ半蔵門線半蔵門駅5番出口から徒歩5分
    東京メトロ有楽町線麹町駅5番出口から徒歩5分
    JR・東京メトロ有楽町線・南北線・都営新宿線の
       市ヶ谷駅から徒歩13分
・ URL http://www.ikiikiplaza-eiwa.jp/
・ 地図 http://www.ikiikiplaza-eiwa.jp/access.html

◆参加費(資料代) 前売1000円、学生800円
 会場の関係で原則として前売扱いのみとなります。
 電話・FAX・メール等で事前申込みをお願いします。
 事前申込みがあれば、当日清算のブースをご用意しますので、当日清算をすることは可能です。

◆プログラム
18:00 開場
18:30 開会あいさつ
18:35 シンポジウム
21:30 終了

◆パネリスト:
 川田龍平(参議院議員、東京HIV訴訟原告)
 小林正弥(千葉大学・公共哲学センター長)
志葉玲(フリーランスジャーナリスト)

<お詫び>予定したパネリストのお一人である斎藤貴男さんが現在アフリカにて取材中で、今週中に日本に戻る予定だったが戻れなくなったとの連絡が入りました。
そこで緊急にピンチヒッターとして、フリージャーナリストの志葉玲さんに来ていただくことにしました。
予定とは違うパネリストになったことをお詫びします。

◆コーディネーター:
 きくちゆみ(著作・翻訳家、平和省プロジェクト代表)

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 参議院選挙で与党は大敗し、改憲を目指す安倍政権は大きな打撃を受けました。
 ついに安倍総理は辞任を表明しました。しかし私たちが「平和共同候補」への協力を求めた護憲政党(共産党、社民党)も参議院選挙では退潮し、平和共同候補の重要性をあらためて感じています。

 改憲阻止のためには、次期衆議院選挙での政権交代の実現が大切な第一歩です。誰が総理になろうと、政府のアメリカの軍事路線追随政策は変わらないでしょう。そのためにも、次の衆議院選挙では平和のための共同候補を実現させ、平和憲法の理念を実現できる連合政権を目指しませんか?

 「市民の風」は、あの理不尽な対テロ戦争が開始された2001年10月7日から6年目のこの日に、テロ特措法の延長をやめさせ、アメリカ追従の外交軍事政策の見直しを求め実現しようと、平和でより公正な社会を願うあなたに呼びかけます。

 国際貢献は軍隊でなくてはできないのでしょうか?
 私たちの平和憲法に沿った国際貢献がないのでしょうか?

 シンポジウムには、新たに参議院議員となった川田龍平さんもお呼びします。イラク撤兵と総選挙における共同候補の実現について、皆さんと一緒に話し合いたいと思います。アメリカに追随するために、軍事化と改憲を押し進める日本政府の暴走を止め、逆転させましょう。

◆主催 「平和への結集」をめざす市民の風
◆連絡先 同事務局
E−mail: join@kaze.fm
URL: http://kaze.fm/(携帯からも賛同署名できます)
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(以上は転送・転載OKです)

◆コメント◆

歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 01:34  
 
 
(……また例によってこの地点に、
 「ビルボ・バギンズ氏(仮名)」が出現……(^^;)

 だから何が言いたいんだっ?!
 うっとぉしいなぁ……(ーー;)#

 少なくとも、全然「脅し」の役には立っていないぞ?!)

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(2007年10月07日06:19)

明日の地元イベントのご案内でございます。

映画『 戦争をしない国 日本 』
 上映と講演会


 ドキュメンタリー映画
 「シリーズ 憲法と共に歩む」第1編
 『戦争をしない国 日本 』(短縮判)

 講師 伊藤 真 氏 (「伊藤塾」塾長)

◆10月8日(月)午後1:30開場
◆七生(ななお)公会堂
(京王線or多摩都市モノレール高幡不動駅より徒歩7分)
◆参加費500円

◆協力:日野市民九条の会
◆講演に関する連絡先: 日野市民法律事務所

 ぃよろしく!! (^_^)v



◆コメント◆

歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 01:35  
 
(……あ、ここにも「ビルボ・バギンズ氏」が……★)
 
(ーー;)#

.
(2007年10月07日06:31)

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 自衛隊国民監視を提訴

  全国で初 “国家的な不法行為” 仙台地裁

 自衛隊の国民監視活動は憲法違反として監視と情報収集の中止を求めて仙台市内の市民が五日、仙台地裁に提訴しました。
 日本共産党が六月に自衛隊の内部文書を公表して以来、監視活動の違法性を問う裁判は全国で初めてです。
 原告は写真家の後藤東陽、宮城学院大学元学長の山形孝夫、仙台YWCA前会長の戸枝慶、小野寺義象弁護士の四氏です。

 陸上自衛隊東北方面情報保全隊が二〇〇四年一月から二月にかけて、仙台市内で開かれた自衛隊イラク派兵反対の集会やデモを監視したことが明らかになっています。
 集会やデモを主催した団体の代表である後藤氏ら原告の三人は現在、自衛隊イラク派兵差し止めを求める訴訟の原告団です。
 仙台高裁で係争中の裁判で監視活動への異議を述べた際に「裁判の趣旨から外れる」とされ、改めて別の訴訟として提訴しました。

 記者会見で吉岡和弘弁護士は「監視活動はプライバシー権や肖像権、思想・良心の自由に対する国家的不法行為だ」と話しました。
 後藤氏は「監視されていることは不愉快であり不安だ。私は戦時中憲兵に殴られ、腰を悪くした。あの恐ろしい時代を繰り返してはいけない」と提訴に踏み切った思いを語りました。

(『しんぶん赤旗』2007.10.06.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ……これ……
 関東(東京地裁)が主戦場?の訴訟が立ち上がる際には
 私も原告団に加わらないと駄目かなぁ……?

(監視対象に入ってる……>||||||σ(^_^;)"||||| )


◆コメント◆

歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 01:37  
 
(「ビルボ・バギンズ氏」出没地点……(=_=)d )

(いちおうこれでも嫌がらせのつもりなのかね?)

      ?(ーー;)?

.
(2007年10月10日01:58)

(まじめな話なのに、つい、<(_ _;)>
 ふざけた題をつけてしまって申し訳ありません★)(ーー;)

 昨日は長井さんの告別式でした。
 が、実父を亡くして以来どうも葬儀の場というのが苦手なので欠礼。地元の憲法講座の方を優先しました。
(たぶんその方が長井さんも喜んでくれると思うし。)

 で、以下、追悼の読経(?)代わりに、ビルマ(ミャンマー)関連の手元にある切り抜き類を、まとめてアップしてみたいと思います。

(注:長井さんの追悼だけに、長いです☆)d(ーー;)>”

◆コメント◆

歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 02:20

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 反軍政 僧侶デモ拡大
 旧首都 雨の中1500人
 ミャンマー【バンコク=時事】

 ミャンマーで軍事政権に反発する僧侶のデモが広がりを見せています。治安当局は民主化運動活動家らのデモを徹底弾圧しましたが、敬虔(けいけん)な仏教徒が多い同国で僧侶に強硬手段を取り続けた場合、国民の反発を招くのは必至。燃料費の大幅引き上げと物価上昇で国民の不満は高まっており、対応次第では抗議活動に火が付き、体制が揺らぐ事態も想定されます。
 旧首都ヤンゴンでは二十一日、僧侶約千五百人が雨の中、デモ行進し、一般市民約千五百人も合流したといいます。ヤンゴンでのデモ行進は四日連続。燃料費の引き上げなどに抗議する過去一カ月のデモの中では最大規模となりました。
 僧侶のデモが始まったのは八月二十八日。同月十九日にガソリン価格などが大幅に引き上げられたのがきっかけでした。
 今月五日にはマグエ管区パコクで、治安当局がデモに威嚇発砲。「僧侶の負傷者が出た」「僧侶が死亡した」といったうわさが広がり、デモは反軍政の色合いを強めました。
 軍政側は僧侶にけがをさせたことを否定しましたが、僧侶側は翌六日、政府職員をパコクの僧院に数時間閉じ込めるなど反発。宗派を越えた「全国僧侶連盟」も誕生し、各地にデモが拡大しました。
 一部の僧侶グループは軍政当局者に対する托鉢(たくはつ)を拒否するなど対決姿勢を強めています。

(『しんぶん赤旗』2007.09.22.)
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(以下、上記記事の隣に掲載された記事/参考まで)

 米で黒人数千人デモ
 人種差別司法判断に抗議 【ニューヨーク=時事】

 米南部ルイジアナ州の町ジーナで二十日、地元の高校で起きた暴力事件をめぐり、黒人生徒だけが訴追されたのは人種差別的な司法判断があったためだとして、数千人が参加して抗議デモが行われました。
 現地からの報道によると、参加者は全米各地からバスなどでジーナに集結。黒い服装に身を包み、「公正なくして平和なし」のスローガンを唱えながら、事件の起きた高校に集まりました。
 この高校では昨年九月に黒人差別を思い起こさせる出来事があったのをきっかけに、白人生徒と黒人生徒の間で暴力事件が発生。黒人生徒六人が訴追されたのに対し、白人生徒は誰も罪に問われなかったとされます。
 デモを主導した黒人運動指導者のジェシー・ジャクソン師は「司法省は沈黙している」と批判、この事件について公聴会を開くよう政府に要求しました。

(『しんぶん赤旗』2007.09.22.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 02:32

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 反軍政デモ拡大
 僧侶団体、国民に参加訴え 【バンコク=時事】

 ミャンマーの旧首都ヤンゴンで二十二日、軍事政権による燃料費の大幅引き上げなどに抗議する僧侶のデモが行われ、一部の僧侶らが自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん宅前をデモ行進しました。
 第二の都市マンダレーでは過去二十年で最大となる約一万人規模のデモが発生。僧侶団体は闘争に参加するよう国民に呼び掛けており、軍政は一段と厳しい状況に追い詰められました。
 現地からの情報によると、ヤンゴンでのデモは五日連続で、この日は僧侶約二千人が参加。市内を行進したほか、パゴダ(仏塔)で抗議の祈とうを行いました。スー・チーさん宅前のデモ行進は、八月下旬に反軍政でもが始まって以来初めて。
 一方、マンダレーでは同日、僧侶約一万人がデモ行進し、市民も行進に加わりました。
 反政府デモの規模としてh、民主化要求デモが盛り上がった一九八八年以来最大といいます。
 僧侶グループの一部はこれまで、一般市民が僧侶のデモに加わるのを控えるよう訴えていました。しかし、全国僧侶連盟はこの日、軍事独裁体制を完全に終わらせるため、平和闘争に加わるよう国民に訴えました。

(『しんぶん赤旗』2007.09.23.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 02:41

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 ミャンマー 2万人デモ
 治安当局 スー・チー宅接近阻む

【バンコク=時事】
 ミャンマーの旧首都ヤンゴンで二十三日、軍事政権の燃料費引き上げに抗議する僧侶らのデモが行われ、約二万人が参加しました。ヤンゴンでの僧侶のデモは六日連続で、八月中旬に抗議デモが始まって以来、最大規模。一九八八年の民主化要求デモ以降でも最大となりました。
 一部の僧侶は自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん宅に接近しようとしましたが、治安当局に阻まれました。
 現地からの情報によると、僧侶らは同日午後、シュエダゴン・パゴダから行進を開始。僧侶らは市民に対し行進に加わるよう呼び掛けました。参加者は僧侶、市民各約一万人に膨れ上がり、中心部のスーレー・パゴダを取り囲みました。この日の抗議活動には初めて尼僧も加わりました。
 僧侶約二百人がスー・チーさん宅に向かおうとしましたが、治安当局はスー・チーさん宅前の道路を封鎖し、僧侶らの接近を阻止。僧侶らは治安当局と約三十分間交渉した後、読経をして現場を立ち去りました。
 僧侶の地下組織「全ビルマ僧侶同盟」は全国の僧侶に対し、徹夜の祈とうを要請。同国北部マンダレーなどではこの日、僧侶らの祈とうが行われ、軍政に抗議の意志を示しました。

(『しんぶん赤旗』2007.09.24.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 02:50

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 ヤンゴンで10万人デモ
 ミャンマー軍事政権に抗議 【バンコク=時事】

 ミャンマー国内では二十四日も、各地で軍事政権の燃料費引き上げに抗議する大規模なデモが行われ、一部情報では、旧首都ヤンゴンの僧侶や市民らのデモには十万人以上が参加しました。ヤンゴンでのこの日のデモは、民主化要求デモが盛り上がった一九八八年以降では最大規模です。
 現地からの情報によると、ヤンゴンでのデモは主に二グループが主導し、それぞれ同国を代表する仏塔のシュエダゴン・パゴダを出発。一グループは北部の別のパゴダに、もう一つのグループは市中心部のパゴダまで行進しました。これらのデモには多くの市民や学生が合流しました。
 僧侶らは読経しながら行進する傍ら、軍政に対するスローガンを叫ぶのを控えるよう参加者に求めました。しかし、一部の参加者はプラカードを掲げ、政治囚の即時解放や生活状況の改善などを訴えました。
 道路の両脇では市民らが拍手をして僧侶らを激励。市民らが道路に沿って「人間の鎖」を作り、僧侶の行動を守る動きもみられました。
 僧侶ら約二千人は自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん宅近くの道路を行進しましたが、治安当局との衝突やトラブルはありませんでした。
 シンガポール外務省は同日、「事態が平和的に解決することを期待する」との声明を出しました。

(『しんぶん赤旗』2007.09.25.)
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>シンガポール外務省は同日、「事態が平和的に解決することを期待する」との声明を

 ……そうです……
 この数値のあたりで、
 これまでの「例」を思い浮かべて、
 背筋を冷たいものが走りましたね……★(>_<)★”


歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 03:01

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 ミャンマー 再び10万人デモ
 ヤンゴンで僧侶ら 当局の警告の中

【バンコク=時事】
 ミャンマーの旧首都ヤンゴンでは二十五日も燃料費の大幅引き上げなどに抗議する僧侶らの大規模な反政府デモが行われ、一部情報によると、約十万人が参加しました。
 軍事政権は僧侶らに宗教以外の活動に関与しないよう繰り返し警告しましたが、僧侶らはこれを無視しました。軍政は「違法行為には対応措置を取る」とも宣言していましたが、参加者の拘束や混乱などはありませんでした。
 僧侶ら約三万人と市民ら約七万人は同日午後、同国最大の仏塔、シュエダゴン・パゴダと市中心部のスーレー・パゴダ周辺を往復しました。僧侶らは「民主主義、民主主義」などと唱えながら行進。ヤンゴン市内の国連事務所前では、自宅軟禁が続く民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんの解放を訴えました。
 デモには多くの学生も参加し、同国で民主主義や独立を象徴するクジャクが描かれた旗を振って歩きました。
 ヤンゴンでの僧侶の大規模デモは十八日から始まり、八日連続。前日同様、二十五日は参加者が約十万人に膨れ上がり、ヤンゴンで民主化要求デモが盛り上がった一九八八年以降では最大規模となりました。
 また、この日は同国第二の都市マンダレーや北部カチン州、東部カイン(カレン)州など国内各地で同様のデモが行われました。
 軍政当局者は同日、デモに先立ち複数のトラックに分乗してヤンゴン市内を走り回り、拡声器を使ってデモに参加しないよう僧侶や市民に警告しました。
 消息筋によると、軍政幹部はこの日、同国中部の新首都ネピドーで反政府デモの対応策を協議する緊急会議を開催しました。
 また、少数民族武装組織との闘争が続いているカイン州に展開していた国軍部隊がヤンゴンに移動したといいます。

(『しんぶん赤旗』2007.09.26.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 03:13

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 軍政 デモを弾圧
 ミャンマー 僧侶3人死亡 【バンコク=時事】

 ミャンマー治安当局は二十六日、軍事政権による燃料費の大幅値上げなどに抗議するため、旧首都ヤンゴンの仏塔シュエダゴン・パゴダ周辺部に集まった僧侶や市民を警棒で殴打、七十人以上が負傷しました。AFP通信によると、僧侶三人以上が死亡。治安部隊は約二百人を拘束しました。僧侶らはデモを強行、軍政は威嚇発砲し催涙ガスも使用しました。軍政が実力行使に出たことで、ミャンマー情勢は一気に緊迫しました。

 目撃者によると、治安部隊員は警棒で僧侶や市民約千人を殴打。僧侶らはこの後、現場近くから市中心部までデモ行進し、参加者は10万人近くに膨れ上がりました。
 道路脇では市民が拍手をして僧侶を激励。治安部隊はこれに対し二十発以上威嚇発砲し、催涙ガス約十発を放ちました。
 軍政は二十五日以降、五人以上の集会を行わないよう警告するとともに、大量の治安部隊員をヤンゴン市内に配置。僧侶らは警告を無視して、パゴダ周辺に集まっていました。
 軍政は二十四日、僧侶や市民に抗議活動に加わらないよう命じるとともに、二十五日夜にはヤンゴンど同国第二の都市マンダレーに夜間外出禁止令を発令していました。
 自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんが率いる国民民主連盟(NLD)は二十六日、「軍政は僧侶をたたくという歴史上取り返しのつかない不法行為を行った」との声明を出しました。

(7面に関連情報)

 
 ミャンマー問題 緊急安保理招集
 
【ニューヨーク=AFP時事】
 国連安保理議長国フランスのクシュネル外相は二十六日、ミャンマー情勢について協議するため、安保理の緊急会合を同日開催することを明らかにしました。
 同外相によると、緊急会合を同日午後三時(日本時間二十七日午前四時)から始まる予定です。

(『しんぶん赤旗』2007.09.27.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 03:23

(7面の関連情報・1)
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 ミャンマー 非暴力デモ弾圧
 抑えられない軍政への怒り 【ハノイ=井上歩】

 ミャンマーの僧侶を中心とした反軍事政権デモは日増しに規模が拡大し、二十六日には軍政治安部隊が僧侶や市民、学生などのデモ参加者に対する弾圧に乗り出し、僧侶が死亡という事態になりました。非暴力のデモに武力弾圧を加えた軍政への内外からの批判が強まることは必至です。
 デモの発端は、八月十五日にガソリンなど燃料費が大幅に値上げされ、国民生活を圧迫したこと。燃料費値上げに伴って物価も上昇し、先月十九日から値上げに抗議するデモが頻発。自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんが率いる国民民主連盟(NLD)メンバーの拘束も相次ぎました。
 五日には中部パコックで燃料費値上げに抗議する僧侶のデモに兵士が威嚇発砲し、拘束の際に僧侶に暴行、負傷させる事件が発生。僧侶たちは同事件に憤慨、軍政に謝罪を要求し、謝罪期限が過ぎた十八日から数千人規模のデモを各地で開始しました。
 デモは各都市に広がり、学生や一般市民が支援・合流。二十四日、二十五日には最大都市ヤンゴンで十万人規模にまで膨れ上がりました。
 デモの要求は、当初の謝罪要求、燃料費値下げだけでなく、「スー・チーさん解放」「民主化を」が加わり、軍政打倒の声もあがっているといいます。
 二十二日にはスー・チーさんの自宅前を通過したデモ隊の僧侶とスー・チーさんが体面し、僧侶が言葉をかけました。
 デモは、若手僧侶を中心にした僧侶団体の連合体「全ビルマ僧侶連盟」が主導しているとされます。同連盟は僧侶暴行事件を機に結成されたとされ、国民にデモ参加を呼びかけています。
 ミャンマーのニュース関連サイトには、「邪悪な軍事政権追放」を訴える同連盟のものとされる声明も掲載されています。

(『しんぶん赤旗』2007.09.27.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 03:35

(7面の関連情報・2)
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 民主化の約束をほごに
 
 ミャンマーでは一九八八年に学生デモと民主化運動が高まり、大規模なゼネストが発生。これに対し国軍が同年九月にクーデターで全権を掌握し、抗議デモの学生、市民に発砲して推定千人を射殺しました。
 軍政は総選挙実施・民政移管を公約しましたが、九〇年五月の総選挙でNLDが80%以上の議席を得て圧勝すると、「新憲法制定が政権移譲の前提」として選挙結果の受け入れを拒否しました。
 軍政は選挙前の八九年から断続的にNLD書記長のスー・チーさんを自宅軟禁し、現在も二〇〇三年五月以来の軟禁が続いています。スー・チーさんの軟禁と身柄拘束は通算十一年を超えています。
 批判を強める国際社会に対して軍政は、二〇〇三年八月に民主化ロードマップを発表し、憲法の基本原則をまとめる「国民会議」の開催、新憲法国民投票、総選挙など実施していくとしてきました。
 「国民会議」は長期休会を繰り返し十四年以上を費やして今月三日閉幕しました。しかし合意された憲法基本原則は、軍の指導的役割を保証し、正副大統領三人のうち一人を軍が選出、議会定数の四分の一は軍が任命する、という内容となりました。
 ミャンマーの国民には、そもそも軍政が総選挙結果を拒否し、民政移管の約束をほごにしていることに根本的な不満がある上、経済の遅滞や生活環境の悪化、市民、活動家の相次ぐ逮捕・弾圧などで軍政への不満がさらに高まっているとみられます。
 「民主化プロセス」の一段階である国民会議閉幕と同時期に、八八年の民主化運動以来最大規模の反軍政運動が高まっているのは、国民の強い不満の現れだととれます。
 ミャンマーはおよそ五千万人の人口の約90%が仏教徒で、僧侶は国民の尊敬を受けています。
 軍政が二十四日に対抗措置をとるとの警告を出したにもかかわらずその後も僧侶主導の大規模なデモが行われ、軍政と僧侶、市民の対立構造は深まっています。
(井上歩)

(『しんぶん赤旗』2007.09.27.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 03:48

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 ミャンマーで日本人死亡
 軍政、デモ隊に発砲  【ハノイ=井上歩】

 ミャンマーの治安当局は二十七日未明、最大都市ヤンゴンの二カ所の僧院を急襲し、少なくとも五百人の僧侶を軍のトラックで連行しました。ロイター通信が目撃者の証言として報じました。
 治安部隊はさらに、ヤンゴン中心部にいた千人以上のデモ隊に発砲。日本人を含む五人が殺害されました。国際社会は軍事政権に自制と平和解決を求めています。軍事政権はこれに反し武力弾圧を強めました。
 襲われた僧院は四カ所以上、拘束は六百五十人以上との情報もあります。治安当局はまた、自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんが率いる国民民主連盟(NLD)の広報担当者ら幹部二人も同日までに拘束しました。
 ヤンゴン市内では僧侶を抜きに若者や学生がデモを決行し、一万人規模になっているといいます。デモは十日連続です。軍と警察が市民に自宅内にいるよう呼びかけているともいいます。
 
 
 AFP通信社 長井健司さん

 外務省は二十七日夜、銃撃で死亡した邦人男性は所持していたパスポートから東京都港区のニュースプロダクション「APF通信社」と契約している、記者兼カメラマンの長井健司さん(五〇)であると、確認しました。

(6、7面に関連記事)

(『しんぶん赤旗』2007.09.28.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 03:59

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 [ 潮 流 ] (※)

 「仏教の国で僧侶を弾圧するなど考えられない」。日本に住むミャンマーの人たちが憤ります。
 ミャンマーの軍事政権が、燃料費の値上げなどに抗議する素手の市民のデモ行進を襲い、僧侶を死なせました。いくつかの寺院にも軍が突入し、建物を壊して大勢の僧侶を連れ去った、といいます。市民の尊敬をうける僧侶たちへの、なりふり構わぬ弾圧です。
 竹山道雄の小説『ビルマの竪琴』の主人公が僧になるように、ミャンマーといえば仏僧を思い浮かべます。十九世紀にイギリスの植民地とされたミャンマー。イギリスに対する組織だった民族運動の始まりも、一九〇六年の仏教青年会の結成といわれます。
 青年会は当初、国民の道徳や生活習慣の改善にとりくんでいました。第一次大戦の後、「民族自決」の機運が世界に広がるとともに、青年会の若い世代は「自治」を求めていきました(根本敬『アウン・サン』)。今回も、軍政に反対する若い僧侶たちがたちあがった、と伝えられます。
 弾圧に抗議する在日のミャンマーの人々は、「ビルマ民主化」を掲げています。ミャンマーは、対外向けには「ビルマ」と名乗っていました。一九八八年のクーデターでできた軍事政権が、「ミャンマー」に一本化したのです。
 かつて独立運動を指導した政党などは、「ビルマ」(現地語の発音でバマー)に少数民族をふくめた国としての意味を込めていました。
 その「ビルマ」にこだわる人の姿に、軍政にはくみしない、との強い意志がよみとれます。

(『しんぶん赤旗』2007.09.28.)
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(※[潮流]=赤旗における「天声人語」にあたるやつ)

歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 04:12

(7面の関連記事)
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 ミャンマーの歩み

 ミャンマー(人口五千万人)は、アジアの二つの大国インド、中国と国境を接しています。一九世紀後半に英国領インドに編入され、第二次世界大戦中(一九四二〜四五年)は日本の軍事占領下におかれます。戦後、英国との交渉で四八年に完全独立を達成しました。
 独立運動指導者アウン・サン氏は四七年に暗殺されますが、今も国民から「建国の父」として慕われています。現在の反軍政勢力の中心、国民民主連盟(NLD)書記長アウン・サン・スー・チーさんの父です。
 五六年と六〇年には総選挙が実施されますが、六二年にネ・ウィン将軍が軍事クーデターで実権を掌握して憲法と議会を廃止し、他の政党の活動を禁止する一党支配体制を確立しました。
 しかし、長年にわたる鎖国政策と国家統制で経済が急速に悪化し、国連から最貧国に認定されるなかで八八年には生活改善と民主化を求める国民の運動が高揚。これにたいし、国軍が同年九月にクーデターを決行して流血の弾圧を加えて死者千人以上が出るなか、国家法秩序回復評議会が全権を握りました。
 国際的批判と国民の民主化要求に押されて、同評議会(軍事政権)は九〇年に総選挙を実施しました。しかし、NLDが全四百八十五議席の81%を獲得すると選挙結果の受け入れを拒否しました。
 九七年には同評議会を国家平和発展評議会に名称変更。国名は八九年にビルマ連邦からミャンマー連邦に変わりました。
 国民の約九割は仏教徒。僧侶は歴代の王朝に正統性を与える存在であり、英国の植民地時代には民族の精神的支柱として独立運動の先頭に立った歴史もあります。八八年以降の民主化闘争でも積極的な役割を果たしました。

(※年表省略)

(『しんぶん赤旗』2007.09.28.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 04:18

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 ミャンマーまた武力弾圧

 国境なき記者団が長井さん銃撃批判

 現地からの情報によるとミャンマーの治安部隊は二十八日、最大都市ヤンゴン(旧首都)中心部のスーレー・パゴダ(仏塔)近くに集まった反軍政デモを解散させるために発砲し、参加者を警棒で殴打しました。
 治安部隊による武力弾圧は三日連続。武力弾圧により、既に日本人ジャーナリスト長井健司さん(五〇)を含む一四人以上が死亡しています。
 国際ジャーナリスト団体「国境なき記者団」(RSF、本部パリ)は二十七日、ビルマ報道協会(BMA)と連盟で、長井さん銃撃を厳しく批判する声明を出し、「写真は、彼がジャーナリストであることを持っていたカメラで容易に識別できたにもかかわらず、兵士が銃撃したことを明白に示している」と指摘。軍政が内外メディアに圧力をかけようとしていると批判しました。

(『しんぶん赤旗』2007.09.29.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 04:27

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 [ 潮 流 ]

 人の心を恐怖で凍りつかせる脅しは、武力で支配する者が常に用いる手段です。しかし、そこまであからさまにいうのかと驚かせた政治家が、ミャンマーの元指導者ネ・ウィンです。
 「私は引退するが、今度また国民が騒動を起こしたら、国軍はそうした連中に対して、威嚇射撃ではなく、当たるようにねらいを定めて撃つから、覚悟しておくように」。一九八八年の七月。この演説は、テレビで全国に放映されました。
 昨日付にも紹介した、『アウン・サン』(根本敬著)からの引用です。ネ・ウィンは、学生・市民の民主化闘争の高まりのなかで政権党の議長を退きました。二カ月後、軍がクーデターを起こします。軍政は、さっそく彼の言葉どおり「ねらいを定めて」デモ隊に銃をむけ、一週間のうちに千人を超す死傷者をだしました。
 ミャンマーの最大都市ヤンゴンで、軍政に抗議するデモ行進を取材していた日本人の映像記者が撃たれ死亡しました。長井健司さん。「誰もいかないところに誰かがいかなければならない」を信条とし、パレスチナやイラク、アフガニスタンを巡り、紛争の地を記録してきました。
 兵士が一メートルほどの間近から、長井さんを撃った疑いが濃い。「当たるようにねらいを定めて」です。長井さんは、銃を構える兵士の目の前であおむけに倒れながらも、なお最後までカメラを離さず、撮り続けようとしました。
 事実を知らせる報道陣の恐怖をあおり、あげくに暴力で葬り去る。独裁や武力支配の恥ずべき習性です。

(『しんぶん赤旗』2007.09.29.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 04:48

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 ミャンマー弾圧
 僧侶、抵抗運動の伝統
 英植民地下・軍政下でも

 ミャンマーでこの二十年来最大規模となった抗議デモで、中心的位置を占め、市民を励ましたのは僧侶の隊列でした。
 仏教の聖職者は、公式には政治など俗事から離れ修養する存在とされていますが、ロイター通信によると、ミャンマーでは抑圧に反対する抗議行動の先頭に立ってきた長い歴史があります。それは、十九世紀後半に英国によって植民地にされた時代にまでさかのぼります。
 まず「靴を脱げ、脱がない問題」があげられます。英国の支配者は仏教寺院その他の神聖な地に立ち入る際、履物を脱ぐことを拒否。現地の文化、伝統を踏みにじる重大な侮辱行為とみなされました。
 
 
 国民的殉教者

 一九一九年、仏教修業の中心地である第二の都市マンダレーで、靴を履いたまま僧院に上がった英国人の訪問団を僧侶たちが追い出したため、双方が衝突。指導者とみなされた僧侶は「殺人未遂」で終身刑とされました。
 二九年には投獄されたウィサラ師が、獄中での僧服の着用を要求して百六十六日間の抗議のハンストの後に亡くなり、国民的殉教者として扱われました。
 これらの事件は、ミャンマーの人々の愛国心に火をつけ、仏教が愛国・独立の結節点となりました。
 独立後も、六〇年代前半から四十年以上に及ぶ軍部による政治支配の下で、僧院の政治的役割は続きました。
 八八年に反軍政・民主化の蜂起が発生し、軍の弾圧で千人以上、一説には三千人といわれる人が犠牲になりました。これにも多くの僧侶が加わり、九十人もの僧侶が今なお獄につながれたままだとみられています。
 しかしその後も、僧院は多くの若者にとって避難場所となり、ここで世界を知り、精神を磨き、さらには反群生の地下活動を運営する場となってきました。
 
 
 手ひどい扱い

 今回の反軍政の抗議行動が全国各都市に拡大する契機となったのは、北部の町パゴグで軍政側が威嚇発砲し、手ひどい扱いを加えたことでした。
 タイに亡命した政治家グループのスポークスマンは言います。
 「僧侶をロープで縛り、馬か犬のように街灯にくくりつけた」「僧院側は謝罪を求めたが、軍政側が拒否したため、これが大規模集会の引き金となった」
 仏教僧院、僧侶は国民の道徳的尊敬を集め、かつてゃ王朝に正統性を与える権威を持った存在です。最大都市ヤンゴンで僧侶たちは、シュエダゴン・パゴダに集結しました。ここはかつて国王が敵に対するたたかいに出る前に祈願した所。軍政を「敵」とみなしていることを象徴する動きといえます。
(居波保夫)

(『しんぶん赤旗』2007.09.29.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 04:57

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 軍政の武力弾圧に抗議
 在日ミャンマー人ら訴え 東京

 ミャンマー軍事政権の武力弾圧に抗議する在日ミャンマー(ビルマ)人が三十日、国連関連機関が入る東京都渋谷区の国連大学ビル前で四十八時間のハンストをはじめました。
 女性二人を含む二十人が参加。弾圧や日本人ジャーナリスト長井健司さん殺害で、軍事政権に抗議するとともに、国連安保理が「即時の強力な決議」をあげるよう求めるメッセージボードなどを掲げました。
 ハンストに参加した調理人のテ・キイ・オゥさん(41)は「国民が大勢銃殺され、その家族・友人を含めて、苦しんでいる人が大勢いる。これが国際的な問題であること、私たちがどのくらい民主主義をほしがっているかアピールしたい」と話しました。
 一方、東京都品川区のミャンマー大使館前では同日夕、犠牲者を追悼するキャンドル集会が行われました。
 約三百人の市民や在日ミャンマー人らが次々にキャンドルに灯をともし、黙とうをささげて犠牲者をしのびました。

(『しんぶん赤旗』2007.10.01.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 05:21

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 ミャンマー 消えない軍政への不満
 僧侶の蜂起 市民が応援
 上智大学 根本 敬 さんに聞く

 狂暴な軍事政権に対して民衆がデモに立ち上がったミャンマーの事態をどう見るか、上智大学外国語学部の根本敬教授(東南アジア近現代史、ビルマ研究)に聞きました。(聞き手=菅原厚)

 一九八八年の民主化運動が封じ込められて以来、軍政に対する不満が十九年間堆積(たいせき)し、何かのきっかけで爆発する状況にありました。八月十五日の燃料費大幅引き上げが、まさにそのきっかけとなりました。中でも、天然ガスの五倍引き上げが人々の生活を直撃しました。唯一の公共交通機関のバスが天然ガスで走っている場合が多く、市民の通勤費が大幅に上がって、月収の三分の一から半分が通勤費で消えてしまうといった状況になってしまいます。
 八八年のときは、米の値段が人々の許容限度を超え、主食が買えないという状況に追い込まれた人たちが多くいました。
 このときは、現役の学生が地下で組織をつくり、運動をリードし、その後、市民が運動に合流しました。
 今回は、現役の学生は動いていません。代わって、八八年のときに学生だった三十代後半、四十代の人たちが静かなデモを始めました。プラカードも持たずに黙々と歩くというデモです。それに一部市民が合流しましたが、すぐに軍政はそれを封じ込めました。そして、次に動いたのが、僧侶たちでした。
 
 
 政治に深く関与

 ビルマの上座仏教は、カトリック教会のようにピラミッド組織を持っていません。各僧院ごとの自立性が高く、こういう運動に参加する僧院もあれば、参加しない僧院もあります。僧侶もまた自分の判断で参加、不参加を決められます。そのような構造の中で、今回、自然発生的に何万という僧侶がデモに参加したわけです。
 タイやカンボジア、そしてビルマに広がる上座仏教の僧侶の歴史を見ると、歴史の中の要所要所で政治とかかわっています。特にビルマの場合、植民地時代に反英独立運動に積極的に参加しています。実態としては、僧侶と政治のかかわりが深いのです。
 サンガ法という、仏教の僧侶たちに適用されるルールがあります。そこには僧侶の政治活動の禁止は明記されています。軍政は今回、デモに参加した僧侶がその戒めを破ったとし、彼らは僧侶でなく破戒僧だと定義づけます。そして末端の兵士たちに命令を出すときに、デモをする僧侶たちを僧侶だと思うなという命令を出していると考えられます。

 市民と立場逆転

 今回、僧侶たちがあの規模で立ち上がったということは、市民にとても非常な驚きで、彼らは僧侶たちに感謝の念を抱きました。本来は、雨安居(うあんご)といって、六月から十月にかけては修行だけに専念する時期です。にもかかわらず、民衆のことを思って立ち上がった。その感謝の気持ちがあって、市民はデモの応援に行くわけです。
 普段は逆で、八八年の民主化運動のときも、そのほかの騒動のときも、通常は僧侶のほうが応援団的な役割を担います。今回は、そういう意味では立場が逆転しました。市民が、僧侶たちに危害が加えられないようにデモの両脇に立って守る。大きなデモになってくると、真ん中に僧侶たちが列をつくって行進し、両脇にその二、三倍の幅で市民が合流する…。
 一九八八年以降、軍政に対する今回のような大規模な抗議行動がなかったために、ビルマを観察する研究者やビルマに長期滞在する外国人(特に日本人)のあいっでは、ビルマの人々が軍政をやむを得ない現実として受け入れ、アウン・サン・スー・チーさんや国民民主運動(NLD)、民主化への関心を低下させているのではないかという見方が多数になっていました。しかし、実際は彼らがけっして政治への不満を弱めてはいなかったことが今回証明されたといってよいでしょう。
 これからも私たちはビルマ国民の心の中の思いを見誤ることのないように注意すべきだと思います。

(『しんぶん赤旗』2007.10.02.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 05:37

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 ミャンマー 武力弾圧 世界が批判
  日本人ジャーナリストも犠牲に

 ミャンマーの軍事政権が僧侶や市民の非暴力デモに武力弾圧を加え、流血の事態を招いたことに、国際社会から強い懸念と批判の声があがっています。

 発端は、軍事政権の燃料費引き上げにたいする各地の抗議デモでした。次第に大規模になり、旧首都ヤンゴンの僧侶や市民のデモ(9月24、25両日)には10万人以上が参加しました。1988年以来最大の規模です。
 軍事政権は、平和的なデモに発砲するたどの弾圧に乗り出しました。
 9月27日には治安部隊の発砲で、街頭でカメラを持って取材中の日本人ジャーナリスト長井健司さん(50)が死亡しました。即死状態でした。
 死者数は政権側の発表で僧侶ら10人ですが、ミャンマーの民主化組織によるとその20倍にものぼるといいます。
 国民の非暴力のデモを武力で弾圧するという蛮行は民主主義を踏みにじるもの。国際世論は「自制」を強く求めました。
 国連安保理は9月26日、非公開の緊急会合を開催。ミャンマー当局に「自制」を求めるとともに、現地を訪問する国連事務総長特使として、ガンバリ事務次長を受け入れるよう求めました。
 ガンバリ氏は同29日にミャンマー入りし、民主化運動の指導者、アウン・サン・スー・チーさんや、軍事政権のトップであるタン・シュエ国家平和発展評議会議長らと会談。武力弾圧の停止や緊張緩和に向けた対話促進などを呼びかけました。
 

 ASEANも

 注目されるのは、ミャンマーも加盟する東南アジア諸国連合(ASEAN)の動向です。
 9月27日、ASEANはニューヨークで非公式外相会議を開催。ミャンマー軍事政権の武力弾圧について、議長国シンガポールのヨー外相が「嫌悪」を表明する異例にきびしい声明を発表しました。
 この声明は非公開の協議内容を総括したもの。
 暴力をただちに停止し、すべての当事者を含めた国民和解と民主主義への平和的移行への努力を訴え、「アウン・サン・スー・チー氏を含む、すべての政治的勾留者を解放するよう呼びかけ」ました。
 ミャンマーのニャン・ウィン外相は国連演説で、デモが挑発的となったので治安部隊は行動せざるを得なかったなどと弾圧を正当化し、民主化を理由にした外国からの「介入」に反発しました。他方で「国連との協力はミャンマーの外交政策の要」とのべました。
 ガンバリ特使の訪問の成果や、ミャンマーに政治的影響力を持つ中国、ASEAN、インド、日本などの外交努力の行方が注目されます。

(『しんぶん赤旗(日曜版)』2007.10.07.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 06:18

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 ジャーナリスト 長井さん 最後の別れ

 ミャンマーで反政府デモの取材中に射殺されたジャーナリストの長井健司さん(五〇)の葬儀・告別式が八日、東京都港区の青山葬儀所で営まれ、交流のあった報道関係者や在日ミャンマー人ら約千人が参列、最後の別れを惜しみました。
 午前十一時に始まった告別式では、契約していたAFP通信社(同区)の山路徹社長が「長井さんの遺志を確実に受け継いで、立ち止まることなく歩いていかなければならない」とあいさつ。
 弔辞を読み上げたジャーナリストの鳥越俊太郎さんも「カメラを持った右手を精いっぱい天空に突き上げていた」と壮絶な最期を悼みました。
 会場には民族衣装に身を包んだミャンマー人の姿も。一九八九年に来日した杉並区のウィン・チョさん(四二)は、テレビで長井さんの死を知り、駆け付けました。「長井さんは危ないと分かって来てくれた。ビルマの状況を世界に伝えてくれた」と涙を見せました。
 小雨交じりの中、焼香の長い列ができました。白い花で飾られた祭壇には、取材先のヨルダンで撮影された長井さんの遺影。会場入り口には愛用のビデオカメラが置かれました。
 長井さんが好んだビリー・ジョエルさんの曲が流れる中、午後一時四十五分ごろ出棺しました。

(『しんぶん赤旗』2007.10.09.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 06:25

>立ち止まることなく歩いていかなければならない

えぇ。それだけは、お約束できます、長井さんに。

 のろまな亀でも蝸牛でも、
 三歩歩いて二歩下がっても、
 前を向いて歩き続けること、

 それだけ……なら。一生かけて。

 どうかお元気で。
 千の風
 万の砂
 億の涙
 兆や京の雨滴や霧笛となって……

 どこまでも。

 吹き渡り、見つめ続けて下さいね、

TORATONTON 2007年10月10日 20:12

この日記、コメント、良いご供養になったかと存じます。

歌いながら大地を歩く 2007年10月12日 01:09

遂行、いや推敲……。

> 千の風
> 万の砂
> 億の涙
> 兆や京の雨滴や霧笛となって……

……これ、

 千の風
 万の砂
 億の雨
 兆や京の霧笛や星明かりとなって……

の、ほうが(文章としては)良いな☆ (^^;)”
 

.
(2007年10月10日05:47)

先日ここにも書いた地元の憲法イベント
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=584593804&;;owner_id=3818139
に、行って参りました♪

ぃやぁ〜♪ 予想以上にハンサムだったわ♪ 伊藤真♪

 o(*^−^*)o  <感想ソレかい!

というのは半分だけマジでして……(笑)
もちろん、顔だけじゃなくて声も……

もとい! 「話の内容も」、
ちゃんと素晴らしかったですとも……!!

 d(^◇^;)”

 しかしながら一番印象に残った話は……

 伊藤真氏は「150歳まで長生きする」のが
 目標なんだそうです!! (^◇^;)”

 見るからに、女性に持てそうな容姿の、
 黒髪の、体格のいい美丈夫?だし……

 しぇ、シェーンコップのライバル……????!!

 (^◇^;)""""""

 と、まじめな憲法講座のあいだじゅう、
 あらぬ笑いを堪えて震えていたのは私です……☆

 (^◇^;)>"


◆コメント◆

TORATONTON 2007年10月10日 20:14

声の良い人のお話って、良いなと思います。
内容が良いとなれば、なおさら。


歌いながら大地を歩く 2007年10月12日 01:15

えぇ。顔も声も体格も性格も良くて、
話の内容は深くて潔くて解りやすくて簡潔で、
しかも笑えるんですっ!! !(^^)!

いやぁ〜☆ 良いものを聞かせてもらいました☆
たったの500円だったのに! w)

さらに言うなら、
さすが「150歳」を目指すだけあって、
有言実行!!

整体師の私の眼から見ても非の打ち所のない、
完璧な「健康」管理を誇る、身体状況でした……!!(@_@)!!

あぁ★某所のバカダ志門(仮名)に、
爪の垢を煎じて飲ませたいわ……★(ーー;)d★

. 
(2007年10月10日05:55)

と、いうことで
とてもハンサムな伊藤真氏に
勝手に私淑することにしたので、
にわかに憲法講座もどきを開設(w

(いや、日本国憲法全文を枕読したことなら
 過去に何度かあるのだけれども、
 ちっとも身に付いているとは言い難いので……

 講座の資料でまた1部もらったもんだから、
 この際、
 門前の小僧習わぬ「写経」でもしようかなと……

 (^◇^;)>”


◆コメント◆

歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 05:59

***************************

 日本国民は、
 正当に選挙された国会における
 代表者を通じて行動し、
 われらとわれらの子孫のために、
 諸国民との協和による成果と、
 わが国全土にわたつて
 自由のもたらす恵沢を確保し、
 政府の行為によつて
 再び戦争の惨禍が起ることの
 ないやうにすることを
 決意し、
 ここに主権が国民に存することを宣言し、
 この憲法を確定する。

***************************

歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 06:07

[正直な感想]

 長いです。わかんないです。
 思わず変えたくなります。
 一部軽佻浮薄な改憲論者の皆さんの、
 気持ちは解ります……☆(^_^;)★

 解るけど、ちょっと待ってね☆

[注意点]

>正当に選挙された国会における

 この漢字変換で正しいんである。けして、

 政党に占拠された国会

 のまま放置して良いわけではない★


TORATONTON 2007年10月10日 20:17

憲法前文の、この部分を読んだかぎりでは、戦争はやらないことになっているようです。
第九条をいじるとなると、こちらもいじらないと、整合性にかけます。
第九条を変えることを望んでいる人は、こちらも変えるつもりなのでしょうか。


歌いながら大地を歩く 2007年10月12日 01:19

……実わ頂いた資料はそもそも、

「現行憲法全文と、
 自民党試案の比較」のはずだったのですが……

どうやら資料の準備をしたのが
ド新人さんだったらしく……☆(^^;)★

コピーミスで自民党試案のほうが
読めなくなっちゃってるんですよね……★(^◇^;)★

えぇ。もちろんキャツラは前文まるごと、
変えちまいやがる心積もりで
いやがりますとも……★( ̄^ ̄;)★

(自民党のどっかのHPで
 改憲試案の全文は読めますよ。)(<ムカツク内容!!)

( ̄^ ̄;)( ̄^ ̄;)( ̄^ ̄;)( ̄^ ̄;)( ̄^ ̄;)o”

.
(2007年10月12日00:55)

今夜は新月です。d(・_・)
『ぱど』の占いコーナーによると、
「願いごとをすると叶いやすい夜」
なんだそうな……
「心の中で唱えるだけでなく、
 きちんと書き出しましょう」
だそうなので、ネットに書いてみる。

いつか必ず
良い物語を
(出来ればなるべく沢山)
書ける、(プロの)物書きに、
なれますように……!!

 o(゜-゜+)"o


ってことで……。

『ぱど』さん。
責任とって(w)、ちゃんと叶えて下さいねッ!!

(  ̄ー ̄)ノ


◆コメント◆

歌いながら大地を歩く 2007年10月12日 01:06

蛇足ながら。

「良い物語」のワタクシ的定義(条件)。d(・_・)

1.楽しく読み始めて、
2.読みながら色々な知識(雑学)が頭に入り、
3.途中で悲しさや悔しさのあまり泣き伏すほどで、
4.読み終わった時には人生(または人生観)が
  変わってしまっているほどの、
5.長くて登場人物が多くてややこしい物語。

……で、ございます……。 d(  ̄ー ̄)☆


TORATONTON 2007年10月12日 22:46

プロを目指していらっしゃるのですか。
すごいですね。
がんばってくださいね。
本、だしたら、教えてください。
あんまり高価だと買えないので、
普通の値段でだしてください。

.
(2007年10月12日00:58)

実話である。d(・_・)

近所のくまざわ書店の
文庫本のコーナーの
一角に……

『銀河英雄伝説』と
『指輪物語』と……
『クトゥルー大全集』が……

一カ所にまとめられて、
ごんッ!!とばかりに山積みになっている……(>_<)"

だれですか?!
こんなオソモロシイ棚を作った店員さんはッ?!

 〜〜〜〜|||||(^◇^;)|||||〜〜〜〜
 

◆コメント◆

歌いながら大地を歩く 2007年10月12日 01:01

……ていうか、あの一角って、
山田志門宅の本棚と、
ほぼ同じ組成、

ということなのでわ……? ☆(^◇^;)☆


TORATONTON 2007年10月12日 22:48

指輪とクトゥルーが一緒というのは、理解できるのですが、
どうしてそこに銀英伝がいるのでしょうか。

くまざわ書店さんって、たしか、中くらいの会社だったかと。
ジュンクなどがのしている今、経営のほうは大丈夫なのでしょうか。


歌いながら大地を歩く 2007年10月20日 01:44

>指輪とクトゥルーが一緒というのは、理解できるのですが、

えぇっ!? そうですかっ!??  ??(^◇^;)??

私はむしろ、
指輪と銀英伝が並んでいるのは納得できる……☆

(ていうか、ウチの本棚の「神棚エリア」と一緒♪)

くまざわさん。京王沿線は駅ビルに入っているので
まぁまず安定しているのではないでしょうか。

むしろ隣のビルの「あおい書店」が、
閉店準備に入っているようですが……|||(^◇^;)|||

.
(2007年10月12日01:25)

*************************

 そもそも国政は、
 国民の厳粛な信託によるものであって、
 その権威は国民に由来し、
 その権力は国民の代表者がこれを行使し、
 その福利は国民がこれを享受する。

 これは人類普遍の原理であり、
 この憲法は、
 かかる原理に基づくものである。

 われらは、これに反する一切の
 憲法、法令及び詔勅を排除する。

*************************

◆コメント◆

歌いながら大地を歩く 2007年10月12日 01:33

[素直な感想]

 ビバ! デモクラシィ〜ッ!! (民主主義万歳!!)

 ♪ o(*^−^*)o ♪ 

 みなさん。黒ベレーを天空高く投げ、
 立ち上がって一緒に謳いましょう♪

(もちろん、「立たない自由」の行使も可☆)


[一言]

>国民の厳粛な信託によるものであって、

 ギャンブルまがいの「投資信託」でも、
 顔で選ぶ「人気投票」でも、
 「勝ち馬予想」でも、ナイのだ……。★(=_=)☆

 厳粛なのよ。厳粛!!

 ……だれですか?
 投票に行ったことがないとか言いながら、
 「改憲」を唱えてる、
 「ヒンシュク」な御仁は………………★o( ̄^ ̄;)o"★


TORATONTON 2007年10月12日 22:50

>(もちろん、「立たない自由」の行使も可☆)

これ、気に入りました。
こうあってほしいものです。

歌いながら大地を歩く 2007年10月20日 01:49

>(もちろん、「立たない自由」の行使も可☆)

ていうか、私は「立たない自由」の人でしたから。

もともと『銀英伝』(というかヤン個人?)に
ハマッタ理由というのが……

高校生だった私が校内唯一人の
「国歌(君が代)斉唱時に立たない自由」を主張して、
超タカ派の新任校長とタタカッテいる時に、

「あ! このヒト同じこと考えてる!」って……、

思ったから、でしたもの…… d(・_・)”

. 
(2007年10月12日02:21)

 訃報が続く。

 悲しいかと聞かれると、
 そういう感情とも違うのだが、
 彼らの歴史的な生き様・死に様に、
 粛然とせざるを得ない。

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 双生児の兄 ベトさん死去
 ベトナム戦 枯れ葉剤で被害

 ベトナム戦争中に米軍が散布した枯れ葉剤による結合性双生児として生まれた「ベトちゃん・ドクちゃん」の兄グエン・ベトさんが六日午前一時三十分(日本時間同三時三十分)ごろ、ホーチミン市のツズー病院で死去しました。二十六歳でした。
 ツズー病院によると、死因は肺炎と腎不全とみられ、午後に解剖を行います。ベトさんは五月末に腎不全などで一時重体となりました。
 ベトさんとドクさんは一九八一年二月、同国中部で下半身がつながった状態で生まれました。八六年にベトさんが急性脳症で危険な状態になったため来日し治療を受けました。
 八八年にはツズー病院で分離手術を受けましたが、ベトさんは重い脳障害で寝たきりの状態が続いていました。
 分離手術後、ドクさんは歩けるようにもなり、昨年十二月に結婚。ツズー病院で働いています。
 ツズー病院のグエン・ティ・フオン・タン医師は「二十年以上治療にあたり、実の息子のような感情を持っていたので、大きな喪失感があります。ドクはベトが危篤の時に病院に来て、いま深い悲しみにあります。彼らは一つだったし、ドクの今日があるのはベトの身体の一部を犠牲にしたためでもあるからです。日本のみなさんの支援にとても感謝しています」と話しました。
 日本共産党の志位委員長はことし一月、ベトナム訪問の際、同病院にベトさんを見舞いました。
 【ハノイ=井上歩】

 グエン・ベトさんの訃報に接して

 日本共産党の志位和夫委員長は六日、グエン・ベトさんの訃報にあたり、次の弔電を送りました。
     ◇
 グエン・ベトさんの突然の訃報に接し、深い哀しみに打たれています。弟さんのドクさんをはじめ、ご遺族、関係者のみなさまに、心からのお悔やみを申し上げます。
 今年一月、ホーチミン市のツズー病院にうかがい、ベトさんのお見舞いをしたさいには、寝たきりの状態ながら体は元気だと聞き、少しでも良い方向にと願っていただけに、胸がつまる思いです。
 あらためて、枯れ葉剤という幾世代にもわたって災厄をもたらす非人道兵器を大量にもちいた勢力への強い憤りの気持ちを感じます。こうした兵器を地上から一掃し、二度とふたたび使わせないために、そして平和な世界とアジアをつくるために、力をつくす決意をこめて、哀悼の言葉といたします。
 二〇〇七年十月六日
 日本共産党幹部会委員長 志位和夫

(『しんぶん赤旗』2007.10.07.)
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「ねむいよう、ずっとねむっていたいよう…」。ベトナムのベトちゃんは、そういって眠り込んでしまいました。急性脳症にかかっていたのです。

 一九八六年。ベトちゃんと、体がつながった弟のドクちゃんは、五歳になっていました。二人は、アメリカ軍がベトナム戦争中に枯れ葉剤をばらまいた土地へ移り住んだ両親から生まれました。はじめは、正式な名前もつけられていません。

 のちに、入院していたハノイのベトナム・東ドイツ友好病院(ベトドク病院)にちなみ、いまの名を授かります。一歳前の二人に会った報道写真家、中村悟郎さんが記しています。「ベトは、私がさし出した指をしっかりと握ってふりまわし、うれしそうに笑った」(『母は枯葉剤を浴びた』)

 仲良しの二人、遊びも勉強もいっしょでした。日本の人たちが送った車いすで、とっくみあいもします。「二人はひとり」の奇跡の命。しかし、ベトちゃんの病は二人の命を脅かし、二人とも助かるように分離手術を受けたのでした。

 二十六歳になったベトさんが亡くなりました。元の体に戻らないままでしたが、元気に成長したドクさんが去年結婚したときもなにかを感じ取っていたようだ、といいます。

 ベトさん、平和と命の尊さを教えてくれてありがとう。
 日本の基地を使う米軍は、ベトナム戦争のときみたいに、いまもイラクの子どもたちを殺傷しているけれど。

 ドクさん、「ベトちゃんとサッカーしたい」の夢はかなわなかったね。ベトさんの分も生きてほしい。

([潮流]『しんぶん赤旗』2007.10.07.)
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◆コメント◆

歌いながら大地を歩く 2007年10月12日 02:28

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 若桑 みどりさん
(わかくわ・みどり=美術史家・千葉大学名誉教授)
 3日午前3時ごろ、急性心不全のため東京都世田谷区の自宅で死去。71歳。
 東京都出身。葬儀・告別式は6日午後1時半から世田谷区北沢1の45の12のカトリック世田谷教会で。喪主は長男比織(ひおり)氏。
 西洋美術史におけるイコノロジー(図像解釈学)の第一人者。ジェンダー研究でも知られ、ジェンダー文化研究所所長を務めました。九条の会のアピールに賛同者として名前を連ねました。

(『しんぶん赤旗』2007.10.05.)
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 このかたは、たぶん「アンチ共産党」系のかたで、私自身は多分直接の面識はない(はずだ)と思うのだが、購読している『ふぇみん』というジェンダー系ミニコミ紙の編集氏の紹介でジェンダー関係のシンポジウムのテープ起こしの仕事をした時に、お声を拝聴した……というほどの、赤の他人、もしくは、「知人の知人」状態。
 しかし、親しくしておられた『ふぇみん』の編集部の方々はお力落としだろうなぁ……と思うと、やはり無関心ではいられないのである……。

 合掌。


TORATONTON 2007年10月12日 23:01

お兄さん、
できれば、もう一度、回復してほしかったです。
一本は弟さんにあげたので、残った一本の
ご自分の足で、立ってほしかったです。

若桑さんの本、ちくまプリマーで読みました。
わかりやすかったです。
岩波新書のほうも、今度読んでみようと思っています。
訃報に接して、思い出すというのは不謹慎なのですけど。

.
(2007年10月12日02:45)

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 奇形ハゼ 大量発生
 米軍基地工事のある年に

 医師の野本氏ら19年間実態調査

 八日、横浜市内で開かれた「ストップ!原子力空母 首都圏シンポジウム」で、神奈川県保険医協会の医師、野本哲夫氏は、同協会が米軍横須賀基地近くの港でおこなった魚類の実態調査(ハゼ中心)で、奇形魚が多く発生していることをのべ、原子力空母母港化に伴う浚渫(しゅんせつ)工事で被害が拡大する懸念があると報告しました。

 同協会の公害環境対策部では、一九八六年から東京湾(横浜市の鶴見川など)の汚染実態を調べています。高度成長期には東京湾でハゼなどの奇形魚が多く発生しましたが、八六年から九年間の調査では奇形魚が少なく、採集した八百六十四匹のうちエックス線異常は2.5%、魚の胎内に蓄積された水銀などの重金属も食品衛生法の基準値以下で、汚染の進行はありませんでした。

 同協会は、東京湾での調査経験をもとに、九八年から横須賀基地による環境汚染の実態調査に着手しました。今回紹介されたのは〇五年までの八年間のデータです。
 その結果、基地のバース工事がおおなわれた年には奇形魚が多く発生することがわかりました。

 6割のハゼに

 九九年から二〇〇〇年の工事では岸壁が崩落しています。その後に実施した二〇〇〇年の調査では五十二匹中、60%のハゼにエックス線異常が見られ、25%に外観の異常が確認されました。
 〇三年から〇四年にかけてはバースのくい打ち工事がおこなわれ、〇五年の調査では七十九匹中、エックス線異常が79%、外観異常も75%にのぼっています。
 一方、工事の影響を受けない年は、0%から20%で異常はあまり見られません。

 奇形魚には背骨の湾曲、尾ひれの欠け、腫瘍(しゅよう)、皮膚の病変が見られ、釣り上げてからの生存期間が短くなっています。試食してみると刺激性のある油臭がして、食べられたものではなかったといいます。
 奇形魚の多発は基地前の港だけでなく、基地から四キロメートル離れた釣り場でも確認されました。
 〇五年調査で、基地前と鶴見川とで釣れたハゼを比較して、ヒ素分析をすると、食べられる部分で基地前のほうが二.五倍のヒ素を含んでいることがわかりました。

 野本氏は、地元のハゼ専門家が「汚染された泥の中に生息するえさが、工事などにより海底から巻き上がったときに補食していることにも関係していると考えられる」との見解をのべたことを紹介しました。
 横須賀基地前では、防衛施設庁(当時)の調査でも、重金属や油累によって土壌や地下水が汚染されていることがわかっています。

 浚渫被害拡大

 野本氏の試算では、浚渫工事面積は四十万平方メートルで、バースのくい打ち工事の千七百倍の面積に及びます。浚渫工事で出た土砂は千葉県や三宅島の沖に海洋投棄され、東京湾以外にも汚染が広がるおそれがあります。
 野本氏は、浚渫工事による被害の拡大を指摘し、原子力空母の事故の危険性を資料で示して、「母港化をやめさせ、国民の重荷をなくしましょう」と訴えた。

(『しんぶん赤旗』2007.10.10.)
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◆コメント◆

歌いながら大地を歩く 2007年10月12日 02:52  

 ……私はもともと横浜市民(神奈川県生まれ)で、
 母方の伯母夫妻は現在、横須賀市の湾岸沿い、
 時々日米の潜水艦がぷっかり姿を現すという、
 おもいっきり海を見おろす(オーシャンビューの)
 マンションに住んでいる……。
 しかも私の姉の趣味はヨット(反戦ならぬ帆船)で、
 これはまだ良いのだが、弟の趣味ときた日には、
 なんと「釣り」である……。(>_<)”

 うっかり実家に遊びに行くと、
 運が悪い(or良いのか?(^_^;)?)と、

「弟が横須賀の伯母さんちのそばで釣ってきた魚♪」
(魚種不明)を、
 とくとくとして裁く弟から、「料理して喰え」と、
 仰せつかってしまったり、するわけだ……★

 <(-_-;)>”

 で、そんなコワイ話の続きが、もう1件★(>_<)★


歌いながら大地を歩く 2007年10月12日 03:10

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 米艦の放射能 測定せず
 寄港時50メートル内 日米政府が密約

 米海軍の原子力艦船が日本に寄港した際、軍事機密を理由に大気中の放射能の増加の有無を確認するモニタリング(監視)を五十メートル以内で行わないとの密約を日米両政府が結んでいたことが、国際問題研究者の新原昭治氏が米国で入手した米政府解禁文書(※割愛※)で明らかになりました。
 米政府は昨年四月に公表した「米原子力艦船の安全性に関するファクトシート(データ表)」で、一九六四年以来、千二百回以上寄港した米原子力艦船が一度も「一般的なバックグラウンド放射能(通常の環境に存在する放射能)の増加を引き起こしていない」として、来年八月に原子力空母ジョージ・ワシントンを米海軍横須賀基地(神奈川県)に配備しようとしています。
 しかし、そもそも異常数値を記録させないような合意を交わしていたことが判明したことで、米政府が繰り返し主張する「安全性」が疑われることになります。
 解禁文書のうち、米国務省の東アジア局日本課のドーキンズ氏が作成したメモ(ドーキンズ・メモ=一九七一年十一月五日付)によると、一九六九年十一月に米原子力潜水艦サーゴが横須賀に寄港した際、日本政府の専門家が五メートルまで接近すると放射能の増加が記録されました。
 この問題を重視した米側は、「原子力推進装置の秘密データを知らせることになる」との理由から、今後は五十メートル以内での空中モニタリングは行わないとの合意を取り付け、七一年十一月および十二月に「原子力艦五十メートル以内の空中モニタリングに関する秘密口頭了解」を交わしました。「ドーキンズ・メモ」では外務省の吉野文六北米局長らの名前が出てきます。
 同メモでは、秘密口頭了解が結ばれるまで二年近くかかった理由について、

「住民の福祉を守ることが
 米国の安全保障の利益のために退けられた」

との批判が、将来出ることを日本政府が懸念していることを挙げ、

 日本が米国の軍事機密を守るために主権を放棄した

と受け取られないような表現を求めたためだとしています。
 また、「ドーキンズ・メモ」は日本政府のモニタリングについて、「大衆の恐怖や不安を刺激してそrを持続させる役割を果たしており、米海軍の日本寄港計画に損害を与えている」などと、強い敵意を示しています。

(『しんぶん赤旗』2007.10.09.)
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 ………………えぇ〜………………★(ーー;)★

 つまり、横須賀あたりで採れた魚さんは、
 米軍廃棄物のダイオキシンにまみれてよーが、
 米原子力艦の放射能に汚染されてよーが、

 日本政府公認で!!

 市場に流通してしまう……

 と、いうことですね……★||(>_<)||★


 繰り返して問うぞ!?

 日本政府とか、
 日本国「自衛」隊のみなさんとかは!

 いったい、誰を、何から、「守って」

 いるんでしょうか…………?????

 o( ̄^ ̄;)o


TORATONTON 2007年10月12日 23:04

どうして、日本は、アメリカのいいなりになっているのですか。


歌いながら大地を歩く 2007年10月20日 01:52

お坊ちゃんだからさ★

.
(2007年10月12日03:30)

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 横浜市の寿地区は、3畳一間の「簡易宿泊所」120軒が密集している地域です。宿泊所の住民の高齢化問題が横たわります。約6500人が住み、孤独死は年間150件を超えています。
 番組は医師・山中修さんの医療活動を通して実態を切り取ります。山中さんは2年半前から、孤独死を防ごうと総合病院を辞め、診療所を開業し宿泊所暮らしの人たちを診ています。
 「ホームレスということは、家族もいないということ。孤独死が宿命の人たちがこんなにいることを思い知った」と、つながりをなくした人たちの、深刻な現実を語ります。
 ある日、何日も部屋から出てこない男性がいると、宿泊所から連絡が入ります。80代の男性は衰弱していました。「長男に会いたい」という男性の願いをかなえようと、山中さんは絶縁状態の長男を捜し、説得します。長男と再会した男性は2日後、亡くなります。
 山中さんは「死ぬ瞬間の手前の手前の手前、それが今です。死ぬ瞬間までにどう生きるかが生きがいになる」とお年寄りたちに寄り添います。
 港湾や建設現場で働き、日本経済を支えてきた人たちの最期を目の当たりにし、支え合う人のつながりが、もっとなければと、胸に刻みました。(小川 浩)

([試写室]「人間のつながりの大切さ刻む」
〜ドキュメント にっぽんの現場 3畳一間に向き合う 
 NHKテレビ [今日放送]後11:00

(『しんぶん赤旗』2007.09.27.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 出そうと思っていて出し遅れてしまったネタ。
 タイトルは、某氏をおちょくるためのもの☆)

(  ̄ー ̄)ノ


◆コメント◆

TORATONTON 2007年10月12日 23:10

東京の山谷地区は、今、どうなっているのでしょうか。
また、山谷にもすんでいられない青いテントの皆さんは。

歌いながら大地を歩く 2007年10月20日 02:03

あいかわらず悪化の一途です。

ただ、たいがいが臨時雇いの「警備員」の皆さんたちも
「明日は我が身」と思うような御時世なので……

ほんのすこしだけ、
取り締まり?時の暴力や暴言は、
やわらいでくるのではないかなぁ……と

期待はしているのですが。

それに、
少しずつでも自立に向けた
支援NPOの動きも、あるしね。

(反・貧困!!)

むしろ
青いテントが張れる境遇にある人はマシなほうで、

路上で段ボール一枚ひいて眠る
新参者のホームレスの人達には、

これからは、辛い季節になります……

ネットカフェで寝ている人も、
タクシーの中で寝ている人も、

風邪ひかないでね!
絶望もしないでね!  o(>_<)o"

(以下は、だいぶ前に桐木りすが作った替え歌です。
 Do They Know It’s X’mas time at now...
 のフシで歌ってみてください☆)

*************************

 あかるい
 町なみに
 さざめく人

 あしもと
 うずくまる
 疲れはてて

 あなたに
 あした良いこと
 きっと有りますように……、と

 祈ることしか
 今は
 できないけど。

 なんにもないさ、
 なんて言わないで。
 
 あなたは
 かけがえのない
 あなた。

 世界中 だれが見捨てても
 わたしが 見てる。から

 投げ出さないで
 あなた、を…… ah.

 冷たい雨に濡れて
 こころ沈むときも

 強い風が吹いても、
 石を投げられても。

 あなたに (おれは)
 生きてて (生きて)
 欲しい……(居たい、んだ!) <二重唱。

*************************


 。。。。。。。。。。。。。。。。お粗末☆_(_^_)_☆

.
(2007年10月12日03:43)

 トトロではない。
 ウトロである。

 中トロでも
 レトロでもない、

 ウトロなんである……。

(小さい記事なのだが。)

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 京都・宇治 土地半分を売却
 ウトロ地区 住民側と合意

 京都府宇治市のウトロ地区から戦時中の軍用飛行場建設に従事した在日韓国・朝鮮人らが立ち退きを求められている問題で、土地を所有する不動産会社「西日本殖産」(大阪市)が住民側に土地の半分(約一万五百平方メートル)を売却することで合意していたことが七日、わかりました。住民でつくるウトロ町内会(六十五世帯、二百三人)が記者会見で明らかにしました。

 同町内会によると、売却額は約五億円。合意は九月二十九日付で、住民を支援する韓国の市民団体「ウトロ国際対策会議」(ソウル)と同社間で結ばれました。町内会も同会と合意文書を交わしました。

 同会議が韓国での募金活動で六千万〜七千万円を集めたことや、韓国政府が支援に前向きな姿勢を見せたことなどから、同社が合意に応じたといいます。
 町内会は京都府と宇治市に、公営住宅の建設を求めていきます。

 西日本殖産は一九八九年に住民に土地明け渡しなどを求めて提訴。二〇〇〇年に最高裁で住民側上告が棄却され、明け渡しを命じる判決が確定し、町内会と同社は先月末を期限に交渉を進めていました。

(『しんぶん赤旗』2007.10.08.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 この小さい記事を見落とさなかった自分を
 ちょっと誇りに思う。(^-^)v

>韓国政府が支援に前向きな姿勢を見せた

 なんといっても、ここが嬉しいよね♪ !(^^)!
 
 
 
 ……と、書いても、何がなんだか解らない
(知らない)人のほうが、はるかに多かろう……☆(^^;)☆

 解説員の山田志門さ〜んっ!

(TORATONTONさんとかにも解るように、
 この問題の歴史的概略を説明してくれ!)

 (  ̄ー ̄)ノ


◆コメント◆

山田志門 2007年10月12日 14:53

 この問題、非常に時間も掛かった上に複雑な背景があるのは、記事を読んでも多分想像できることと思う。
 でもこれは決してマイナーな問題ではなく、ウトロ問題は国連(たしか人権委だったかな)の議題として取り上げられたり、NEWS23が特集を組んだりと、関西では結構大きな問題として扱われている。

 さて、そもそもどんな背景があるかってことには、ちょっと注意して事情を知らないとダメ。ということで、朝鮮日報の記事に、韓国側の視点、日本側の視点(当然、我が国の左側の見方)と比べても、かなりドライでかなり客観的な見方で状況を解説している記事があるので是非ご一読を。

 ちなみに俺個人はかつてウトロを演習の一環で訪れ、住民の方や支援組織の方にインタビューをしたことがある。非常に困っているのは分かったが、それ以上にご本人達は非常に冷静に状況を把握していたのが印象的だった。
 赤旗のような新聞などは、どうしてもこの問題を強制徴用とかそういう問題に結び付けたがるが、ことウトロに関しては問題は全く違うところにあるというのが、この問題の非常に複雑な点。もちろん、植民地政策というものは全体の利益を宗主国に集中させるため、植民地を経済的・生産的に徹底的に絞りとるわけである。
 実は戦前戦中の日本の罪とは、まさにそこにあるというのを突っ込むと、右側の人間は沈黙せざるを得なくなる。何故ならば、その植民地主義開放を建前にした戦争だと言うロジックがくずれるから(笑。だから彼らのロジックは法令がどうたらとか、形式主義的なものに拠らざるを得なくなり、それを歴史学の常道だと言うことで、ある意味誤魔化しているわけだ。

 ちょっとだけ歴史を学んだものとして言わせて貰えば、そんな史学の手法なんて30年前の手法なんだけどね。奴らにゃアナール学派あたりの考え方は死んでも理解出来ないんだろうなあ・・・。

 おっと、閑話休題。
 非常に民事的な色彩と、行政による法執行の運用の限界、決して一枚岩ではなかった住民、これがウトロ問題をここまで混沌とさせてきた。朝鮮日報が指摘するように、これは政府レベルでの解決を行うより他無いのは誰の目にも明らかな問題だ。
 なんてったって、今日、この瞬間、あの静かで穏やかなウトロ地区に建つ家並みの合間をぬって、子供達は走り回り、オモニたちはいつもどおり世間話に華を咲かせている。
 ここに日常を、それも何十年もここで過ごしてきた人々がいるという歴史は、それが行政の命令だとか地権の問題だとか、日本人が悪いのか在日が悪いのかとか、そんなのを吹き飛ばしてしまうと思う。

 大事なことは、まさに戦後の日本の影の問題の縮図であるウトロ問題の落としどころをきっちりしないと、我が国と韓国は思わぬところで国際的な非難を浴びかねないという点なんだよね。もちろん、ちゃんと住民達もどうにかできるような落としどころが必要な訳で。


TORATONTON 2007年10月12日 22:45

植民地だった朝鮮から強制的に日本につれてこられた人たちとその子孫のみなさんが、固まって住んでいるところの一つが、ウトロ。
で、そこの土地の権利を持っているのが別にあって、そのみなさんに出て行けと言った。
それはひどいということで、立ち上がった人たちがいて、そして今、韓国政府なども支援するほうに動いて、そこの土地を入手することができるようになった。
ということでしょうか。


山田志門 2007年10月12日 23:28

 朝鮮日報でも指摘しているように、そして俺自身も住人の人たちからも直接聞いた限りでは、強制徴用による労働ではなく、一種の出稼ぎだったそうです。
 そして戦中、軍事空港の作業労働者が寝起きしていた場所がウトロであり、終戦直後の混乱の中でそこに住む形となり、地権者であった日産車体などはこれを「何十年も」放置していたそうです。それ以降の顛末は、朝鮮日報の該当記事が詳しいです。

 まぁ、わかりずらいことこの上ない、非常に複雑な話ですわ。


TORATONTON 2007年10月13日 13:53

朝鮮日報の記事、読みました。
よくわからないところが多いです。
なぜ、民有地のままにしておいたのか、とか。
なぜ、一個人に土地を売ったのか、とか。
その人が、お金を抱えていなくなってからは、
もう、わけがわからないし。
住んでいる人が、ちゃんと暮らしていければ、それが一番だと思います。
そのようになることを祈ります。


歌いながら大地を歩く 2007年10月20日 02:19

>でもこれは決してマイナーな問題ではなく、ウトロ問題は国連(たしか人権委だったかな)の議題として取り上げられたり、NEWS23が特集を組んだりと、関西では結構大きな問題として扱われている。

 ……すまん。たぶん鈴鹿の関より東の人間、とくに
 「首都:東京」在住の人間は、ほとんど知らない★
 問題だろうと思う…… (-_-;)>"
 私だって小松左京と『週刊金曜日』がなければ、
 へたすりゃ一生?知らないままで、
 「無知の罪」……してたさ★

>強制徴用による労働ではなく、一種の出稼ぎだったそうです。

 まぁ問題は、なにゆえ異国へ「出稼ぎ」に行かなければならないほど、彼らが困窮していたのか、だよね。

 日本が侵略しなければ、英国か米国が併呑していたさ、みたいな言い訳で、押し通せる話でもないと思う……。

 ところで朝鮮日報って…… ネットで読めるの?

  (^^;)”

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 ウトロ土地買収
 2億円支援方針 韓国政府 【ソウル=時事】

 戦時中の軍用飛行場建設に従事した在日韓国・朝鮮人らが京都府宇治市のウトロ地区からの立ち退きを求められている問題について、韓国青瓦台(大統領府)スポークスマンは十七日の記者会見で、同国政府が土地購入などのため、来年度予算で十五億ウォン(約一億九千万円)を支援する方針を明らかにしました。
 これまでに住民側と土地を保有する不動産会社の間で、約一万五百平方メートルの土地を約五億円で住民側が買い取ることで基本合意しています。

(『しんぶん赤旗』2007.10.19.)
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 う〜ん……。
 のこりの約三億円は、誰が出すんだろう……。

 で、その後の問題もあるよね。
 その土地を、個人個人の使用権もしくは所有権地に、
 どう分割していくのか……??

 なにはともあれ、韓国政府が、
 自国民を見捨てない方針を採るようになってくれて
 私は嬉しい。

(だって私の遠〜い御先祖様も、
 韓国南部から来てるから、ね☆)


歌いながら大地を歩く 2007年10月22日 01:20  

(……あれ? ここの「ビルボ・バギンズ氏」が
 出現した痕跡が……?? 久し振りだなぁ……?)


.
(2007年10月22日01:24)

なんだかまたマが空いてしまった☆
個人的に書きたいことも、
社会的に転載しておきたいことも、
山ほどあるのだが、
ありすぎてかえって書けない……★(ーー;)★
という状況に★

ふと気が付いたら、この日記の記入欄の左肩の所に、

>日記の使用状況
>0.5MB/1000.0MB

と、表示されていた………………(^^;)”


えっと。
「もっとせっせと書け」という、
イミなんでしょうか、これは……?

 ☆(^◇^;)☆



◆コメント◆

TORATONTON 2007年10月22日 22:06

写真載っけると、使用状況一気に増えますよ。

歌いながら大地を歩く 2007年10月24日 11:53

写真……(^◇^;)”

デジタル写真を撮って載せるためには、
まずカメラ付きケータイを買う、
という所から、
始めないといけないし……

ケータイ電話はどうせ持っても使わないし、

カメラの方は、一旦カメラを持ってしまったら最期、
片時も手元から放さず、
際限なく撮り始めて生活時間さえ削る勢いな
超病気カメラ孺子(?)と化す……のは、
中学〜専門学校時代に、
前科作っちゃってるので……

やっぱり、遠慮しておきます☆(^_^;)★

.
(2007年10月22日03:32)

 標記のタイトルは実は正しくない。クニとかコッカとかいう微小な単位で見るならばどちらも「外」患だし、地球という大きめの枠で見るならばどちらも「内」憂だからだ。
 ミャンマーの過日の事変における逮捕者数も発表されたり否定されたりでまだまだ熾き火がくすぶっているうちに、パキスタンではブット元首相を狙ったテロだし(※)、かと思えば……。

 例によって例のごとく、中国共産党による、
我が(前世の)故郷・チベットへの武力弾圧である……!
 
 (>_<)”

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=24218751&;;comment_count=7&comm_id=7228

 さて、このニュースを明日の『しんぶん赤旗』がどう報じるのか、実は個人的に非常に気になっている。
 
 それと言うのも一応私が所属している「日本」共産党。かつて中国共産党が暴走の一途を辿っていた時期には一旦は断固として袂を分かったものの、(この点は評価できると思うが)、何年前だったか「関係回復」してしまい(この点を否定するつもりは無いのだが)、以来、私個人的には非常に許しがたいことに………………

 チベットが「被・侵略国である」という事実に、
 非常に無神経、あるいは無関心であるからだ……。

 チベット住民が「やめてくれ!」と叫んだ高原鉄道の開通をわざわざ褒め称えた挙げ句に特集して、試乗しに行っちゃったバカ旗記者まで出現した日には、……頭痛をめまいを覚えたもんなぁ………………

 
 一部に誤解はあるし、まぁ敢えて誤解されても仕方がないしいいやと放置してはいるのだが、私は決して日本共産党の現在の「すべて」を無条件で信奉したり礼賛したりしているわけではない。
 ではどこを評価するかと言えば、あの党、または機関紙編集部は、「ここが変だよ共産党!」(あるいは赤旗!)と叫べば、それがまちがいなく確かな「正論」である限り、時間はかかるけれども、党内あるは編集部内で討論を重ねて、少しずつではあるが、確実に、方針を変更していってくれるところだ……。

(その点だけは信頼に値すると見極めがついた時点で、
 私は「入党申込書」を書いたんである。)

 ちなみに私が指摘して改正させた(あるいは私だけが指摘したわけではなくて同時多発ゲリラ的に複数から指摘があったのかもしれないが)は、
 主な点だけでも以下の5つ。(順不同)。

1.『赤旗』を読み始めた当初、非常〜に!!ハラがたった既述があったので速攻FAX攻撃した。主人とか妻とか嫁とか姑とかいう古色蒼然とした表記がなされているのがフェミニズム的視点から言って許せなかったからである。
 「婚姻は両性の合意にのみ基づき、両性は完全に平等であると明記されている日本国憲法を擁護・遵守すると言いながら、婚姻当事者の一方のみを[主人]と表記するとは何事か! じゃー主人以外のもう一方は、「奴隷」とか「下僕」とかなのか?!」みたいな。ついでにアゲアシトリ的蛇足として「嫁・姑」という表記は、そもそも漢字自体からして女性蔑視である! とかも書いた。
 赤旗から返事は(直接は)なんも言って来なかった。
 怒りながら待つこと数ヶ月……。
 ひっそりと小さな説明の記事と同時に、
[主人]は[夫]に、
[奥さん]は[妻]に、
[舅・姑]は[夫の父・母]に、
[嫁]は[息子の妻]に……
表記が改正され、統一された!! !(^^)!

 これは一見ささやかだが、
 実は非常に大きな勝利である。(^_^)v

2.犯罪被害者の葬儀に参列した家族や親族の悲嘆にくれる顔写真を間近から摂った写真。を見て、「これは明らかな人権侵害だ!」と、即刻FAX攻撃。と思ったら、送った次の瞬間に「あの写真は私が撮ったんですが! 大変評判が良い写真なんですが!」という電話が赤旗記者氏から掛かって来て、電話で大喧嘩。怒鳴り会うこと数十分。結果、私の「正論」勝ち。以来、『しんぶん赤旗』に、つい最近まで、被害者家族や親族の顔が(本人の了承無しに)掲載されることはなかった……。
(※先日の少女自宅前殺人事件以来、突如として一般メディアと同じく未成年被害者実名報道の嵐に巻き込まれているように見えるのが、ちょっと不安★(ーー;)★)

3.紙面が無骨で固くて暗くて、説明不足の内部用語だらけで初心者には到底理解不可能、部数を伸ばせと言われた所で、内容がこれじゃ一般に訴求しない! という文句に対して「じゃーどーすればいいんですか?」とぶーたれていた編集氏のお名前は、すっかり失念しているのだが……。
 この「苦情」が真摯に受けとめられ、以来、改善の一途を辿っていることに関しては、ここ10数年の紙面の変化を知っている人なら、みんな「うんうん」と肯いてくれると思う……。

4.数年前の一時期、『赤旗』日曜版において、まるで一般「少年誌」の暴力肯定漫画と同様のノリで、「妖怪漫画」が連載されていた時。連載初回から憤懣やるかたない思いでずーーーーーーーーーっと!イライラしながら耐えていたのだが、ある時、ある登場人物のセリフを読んで、キレた。

「どうしても言うことを聞かないというなら
 簡単だ! 力づくで聞かせるまで!」

 ……みなさん……★ これ、たしか、イラク攻撃反対!つーて、私たちが一生懸命、反戦行動に取り組んでいた時の……『赤旗』の……連載漫画……なんですよ……?? それも、敵方が言ってるんじゃなくて、主人公の、「下僕妖怪」が……、「主人」の命令に従って行動して、こう叫んでるんですよ……?

 もちろん、速攻で新聞切り抜いて文句ガンガン書き込んで、FAXで送信しました。
 例によって何の回答も来ませんでしたが……
 待つこと2ヶ月。
 作者からのメッセージ「何が悪いのかわっかりませ〜ん!」という捨てぜりふと共に、ストーリーの半ばで、(かなり中途半端な形で)、連載、中断となりました……………………。

5.性的マイノリティに対する差別的表現。
 この件に関してはいずれ改めて書く機会もあると思うので割愛しますが……。
 いま現在、MIXI内部に「日本共産党セクシャル・マイノリティ後援会準備会」というコミュが存在しているという事実が、あの党が「自らの誤りを指摘されたら真面目に反省して今までの方針を改める」ことの出来る集団だ、ということを、証明していると思うのです。

 ……てなことで……。

 明日の(じつはもう今日の)『赤旗』の、
 チベット関連の記事のニュアンスに、
 非常に個人的に興味津々の、
 いま現在の、ワタクシです……。

 ★o( ̄^ ̄;)o☆ 

◆コメント◆

歌いながら大地を歩く 2007年10月22日 03:34

>(※パキスタンでブット首相を狙ったテロ)

これに関しては、とても元気の出る記事があったので、
別に転載しておきますね♪

.
(2007年10月22日03:45)

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=599674944&;;owner_id=3818139

 ってことで、卿はその怒りの原因(それに関して怒っているという件に関しては非常に正当だと思う。私は全面的に卿の怒りは義憤であると認定し、その見解は擁護する。)……を、全面的に私個人の責でもあるかのように思い込んでいると思うだが……、誤解だぞ?

 「組織」というものが一枚岩だと思うかい?

 ましてや私は超絶末端些末組織に所属しているだけの、
 しかもそこにさえ年1回くらいしか顔を出していない、
 超おもいっきり、非・主流派なんだが?

 卿の怒りは(その根拠である事件が事実であり真実であるならば、という但し書き付きで)正当なものと思うし、で、あるならば、当然その原因は改善され、謝罪され、保障あるいは修復されるべきだと思う。

 と、いうことで。

 私にその問題について噛みつかれても困るのだ!

 FAXでもメールでも電話でも手紙でも。
 アドレスはHP上で公開されているから。

 自分の怒りが正当なものであるという確かな自信があるなら、

 その犯罪を犯した当事者もしくは統括責任者に、
 堂々と論戦を挑んでくれたまえ!

(私にだって簡単に、出来ることなんだよ……?)



 ……まぁ、メールの返事をココに書いちゃうあたりで、
 個人的には更にまた、怒らせてるんでしょうけどね……★

(でもね、私と「はるあき君」が
 今まで何回「絶好」しているか……
 知ってるかい?)

  (^_^;)
 
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(2007年10月22日05:23)

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 「テロに屈しない」

 パキスタン元首相会見 全政党の共闘訴え
 【ニューデリー=豊田栄光】

 爆弾テロにより命をねらわれたパキスタンのブット元首相は十九日記者会見し、「民主主義とパキスタンの統合に対する攻撃だ。民主主義に敵対する勢力から、国のすべての政党に送られたメッセージだ」と語り、今回の事件を「テロ勢力対政党とのたたかい」と描き、テロ勢力に「屈する用意はない」と強調しました。

 地元英字紙ドーン二十日付(電子版)は社説で「全政党は宗教的過激派を拒否するため、団結しなければならない」と書きました。

 パキスタンでは来年一月までに総選挙が予定されています。ブット氏は野党・パキスタン人民党(PPP)党首で、出馬をめざし八年ぶりに海外亡命先から十八日に帰国しました。ムシャラフ大統領が軍事クーデターで政権を掌握し、陸軍参謀長を兼務しつづけていることなどを批判、与党パキスタン・イスラム教徒連盟(PML)と選挙で対決する姿勢を強めています。

 一方、ムシャラフ氏は五日、ブット氏の汚職での訴追を撤回する「国民和解令」(大統領令)を布告し、同氏の帰国と政治活動の再開を後押ししました。ムシャラフ氏とブット氏は、敵対しながらも、総選挙を実施し、台頭するイスラム過激派を抑え込み、穏健で世俗的な新政府を樹立する点では一致しています。

 今回のテロの実行犯はまだ不明ですが、アフガニスタンで反政府武装勢力タリバンはブット氏の暗殺予告を出していました。ムシャラフ政権は、米軍が進めるアフガンでのテロとのたたかいに協力し、パキスタン国内でのタリバンとその支持勢力の軍事的掃討作戦を行ってきました。

 また、ムシャラフ政権はレイプされた女性が裁判で不利になるイスラム法を廃止するなど、世俗的な政策を実施。ブット氏のPPPは最も世俗的な政党で、イスラム原理主義を排斥し、テロとのたたかいを進めるムシャラフ星圏の姿勢は評価してきました。

 現在、現政権の米軍協力に反発するイスラム過激派が勢力を拡大し、ムシャラフ氏の求心力が低下してきています。国軍内部にも米軍協力に反対し、イスラム過激派と密接なグループが存在しているとみられています。
 国軍中枢部がある都市ラワルピンディで大統領暗殺未遂事件が発生しています。
 
 このような不安定な政治状況を「ムシャラフ大統領 − ブット首相 穏健派二頭体制」で乗り切りたいというのが、両者の思惑です。

(『しんぶん赤旗』2007.10.21.)
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 ……最期の「思惑」って単語のあたりで、「米軍がすすめるテロとのたたかいに協力」している両者に対して、この筆者がイマイチ心理的にヘダタリを持っていることを、暴露してますが……☆

 でもね。「政治」って……まぁ、こんな程度のもので動いても、良いと思うんです。タリバンを「軍事的掃討」することの是非はひとまずおくとして、テロで物事を動かそうとするような連中に自国の支配権を奪われるぐらいなら、多少は意見が違っても、「話し合いと選挙で」物事を決めることができる世の中を、維持しよう、という、

 そこで一致して、妥協していくことさえ出来れば……

 
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(2007年10月22日05:38)

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 日本国民は、
 恒久の平和を念願し、
 人間相互の関係を支配する崇高な理念を
 深く自覚するのであつて、

 平和を愛する諸国民の
 公正と信義に信頼して、
 われらの安全と生存を
 保持しようと決意した。

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【素直な感想】 (^^;)"

>人間相互の関係を支配する崇高な理念を

 人間相互の関係を、
 「下劣な」理念で「支配する」連中が、
 ギカイとか六本木ヒルズとかに、
 のさばってる気がするんだが……★(ーー;)"

>公正と信義に信頼して、

 なんだそりゃ……日本語文法がヘンだぞ? (^^;) 

【コメント】

> 恒久の平和を念願し、
> われらの安全と生存を
> 保持しようと決意した。

 それでもやっぱり、
 ここは変えてはいかん!
 という、
 ツボ押しグッズでアンキモで、
 ヘソ饅頭な……「部分と全体」でしょう?

  (  ̄ー ̄)v
 
 
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(2007年10月22日06:40)

いくつかまとめて転載する。
どちらが明であり暗であり、
望ましく、あるいは、望ましくないのか。

コメントは、あえて書かない。

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 ミャンマー 発砲拒否の軍人拘束
 インドネシア紙報道 兵士ら400人

 インドネシア英字紙ジャカルタ・ポスト十日付は、ミャンマーの軍事政権がこの間の軍政抗議行動に参加した僧侶や活動家にたいする発砲や殴打の命令に従わなかった将官五人と兵士約四百人を拘束したと報じました。ミャンマー政府当局者が東部シャン州で取材する同紙記者に八日、匿名を条件に語ったものです。

 同紙によると当局者は、「五人の将官は僧侶にたいし公然と部隊を展開するのを拒否した。彼らはただちに軍政当局に拘束された」と語りました。

 また、ミャンマー第二の都市で中部にある「マンダレー近郊のシカイ師団の約四百人が僧侶たちの前で銃器を置き、自分たちは最大の罪悪を犯していることはわかっているとして許しを請うた」とのべました。

 当局者は、こうした動きは秘密主義的な国軍内部での不一致が表面化した最初の表れだと語ったといいます。

 また、ほとんどの公務員は軍政当局による僧侶たちへの弾圧に同意していないが、そうした気持ちを表明するのを非常に恐れていると指摘。「僧侶はわれわれの宗教と生命の象徴だ。人々は国軍が彼らへの発砲に踏み切ったことに怒っている。僧侶の殺害は最大の罪悪とみなされている」と述べたとしています。

(『しんぶん赤旗』2007.10.12.)
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 イラク戦争はキリストの教えに反する
 米陸軍大尉 名誉除隊勝ち取る
 
 イラクに従軍中、キリスト教の“なんじの敵を愛せよ”“殺すなかれ”の教えと矛盾すると強く感じ、「良心的兵役忌避者」として除隊を求めた米陸軍大尉が、当初拒否していた陸軍から申請承認をかちとり、「名誉除隊」を認められました。

 同大尉を支援してきたニューヨーク市民的自由連合(NYCLU)が十六日、明らかにしました。

 敬虔(けいけん)なキリスト教徒の家庭に育ったピーター・ブラウン陸軍大尉は、ニューヨーク州ウェストポイントの陸軍士官学校を二〇〇四年に卒業した幹部候補生でした。同校卒業直後までは、信仰と兵役は対立しないと思っていました。
 卒業後約二年間、オランダの市民宗教教育センターに通ったり、聖書を精読するなど、信仰を深めてきました。

 その後、イラクに一年余り派遣され、武装抵抗勢力や拘束者を「処分する手続き」の作業に携わっていましたが、現地での体験から「良心的兵役忌避者」として除隊を認めるよう申請するに至りました。

 ブラウン氏は言います。わたしに向けて撃ってきたとしても、わたしには発砲できなかった。イエス・キリストがそうであったように…」

 同氏は申請書で、その宗教観から、イラク戦争にとどまらず、あらゆる戦争に従事できないと強調しました。

 従軍牧師や調査担当将校が「名誉除隊」を認めるよう勧告したにもかかわらず、陸軍は申請を拒否しました。

 これに対し、ニューヨーク市民的自由連合と全米市民的自由連合(ACLU)が今年七月、ブラウン氏の代理人として首都ワシントンの連邦裁判所に提訴しました。すると陸軍は態度を一変させ、審理が始まる前に「再検討」し、ブラウン氏の申請を認めたのでした。

 「わたしの宗教的信仰が兵役を不可能にしていることを陸軍が認めたことに、今はほっとしています」とブラウン氏は語っています。

 両団体は、連邦法も陸軍の規定も良心的兵役忌避に基づく除隊を認めていることを指摘し、米軍内で信仰の自由が確認された重要な成果だと評価しています。(居波保夫)

(『しんぶん赤旗』2007.10.19.)
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 「即時撤退を」

 米現役兵士が議会直訴 イラク駐留批判
 署名が2000人超す 【ワシントン=山崎伸治】

 イラク米軍の即時撤退を求める米兵の「訴え」への賛同を、現役米兵から募る運動で、賛同署名者が二千人を超えました。十七日、海軍空母セオドア・ルーズベルトの現役乗務員で、運動を呼びかけたジョナサン・ハット三等兵曹らが署名を議会に届けました。

 この運動は、軍の内部告発者を保護する法律が現役兵士に、出身地選出の議員への直訴を保障していることを活用したもの。一年前にハット氏らが始め、今年一月には約千人分の署名を議会に提出しました。今回はその後に寄せられた約千人分を届けました。

 伝達式には進歩議員連盟のリン・ウルジー下院議員、シーラ・ジャクソン・リー下院議員らが出席。ウルジー氏は「ブッシュ大統領の占領政策に対する反対の声は高まっている。われわれ議員が兵士を支援するというのは帰国させることだ」と訴えました。

 ハット氏は「現役の兵士が議会に圧力をかけ続けることで、議会は(イラク撤退という)国民の要求を認めるようになる」と述べました。「訴え」は「軍服を着て国家に奉仕することを誇りに思う愛国的な米国民として、私は議会の政治指導者に対し、イラクからすべての米軍と基地を速やかに撤退させることを支持するよう強く求める。イラク駐留はうまくいかず、その犠牲に値しない。米軍が本国にもどるべき時だ」と述べています。

(『しんぶん赤旗』2007.10.20.)
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 米による軍幹部養成 ボリビアも撤退
  中南米5か国目 【ワシントン=山崎伸治】

 米国がジョージア州の陸軍基地フォート・ベニングで運営する中南米諸国の軍幹部養成機関「西半休安全保障協力研究所」(WHINSEC)に、ボリビアが今後、訓練生を派遣しないことを決めました。同国のモラレス大統領が九日、発表しました。

 WHINSECは二〇〇一年一月に創設され、前身の「スクール・オブ・アメリカズ」(SOA)時代から六万人の軍幹部を訓練。「卒業生」は帰国後、各国軍部内で親米派を組織し、クーデター実行や軍事政権の下支えといった役割を果たしてきました。

 これまでにベネズエラ、アルゼンチン、ウルグアイ、コスタリカが派遣中止を表明。ボリビアが五番目となります。

 モラレス氏は声明で、「われわれは『スクール・オブ・アメリカズ』に通うボリビア軍幹部がいなくなるまで段階的に撤退する」と表明。「(米軍は)高級幹部に自分たち自身の国民と対決し、社会的な運動を自分たちの敵だと見なすよう教育している」と批判しました。

 ボリビアでは一九七一年にクーデターで政権に就いたウゴ・バンセル元大統領がSOA出身でした。

(『しんぶん赤旗』2007.10.14.)
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◆コメント◆

歌いながら大地を歩く 2007年10月22日 07:15

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 「越境攻撃に許可は不要」 トルコ首相

【アンカラ=DPA時事】

 トルコのエルドアン首相は十二日、クルド人武装集団掃討のためイラクに越境攻撃する際、米国の許可を待つつもりはないと警告しました。同首相は

 「米国だって誰の許可も得ずにイラクを攻撃した」

と指摘しました。

 米国は、イラク北部のクルド人地域全体に戦火が拡大する事態を恐れ、エルドアン政権に自制を呼び掛けています。しかし、トルコ議会は来週中にも越境攻撃を承認する見通し。

(『しんぶん赤旗』2007.10.14.)
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 海自補給艦から給油の米艦
 イラク作戦中だった 米海軍資料

 テロ特措法に基づいてインド洋に派兵された海上自衛隊補給艦「ときわ」から二〇〇三年二月に直接給油を受けた米イージス駆逐艦ポール・ハミルトンが、その時点でイラク戦争の事前作戦であるイラク南方監視作戦に参加していました。米海軍資料から判明しました。

 防衛省が十日、衆院予算委員会に提出した「ときわ」の航海日誌には、同年二月二十五日午後、オマーン湾でポール・ハミルトンに直接給油した経過が明記されています。

 ポール・ハミルトンは、米原子力空母エイブラハム・リンカーンを旗艦とする空母攻撃群の構成艦として、〇二年八月から〇三年年四月まで九カ月間、インド洋周辺海域に展開しました。米海軍ホームページによると、同攻撃群の当初の任期は〇三年一月までで、任務は「対テロ」戦争(「不朽の自由作戦」)とイラク南方監視作戦への参加でした。
 
 しかし、「イラク南方監視と『イラクの自由作戦』(イラク戦争)および米軍によるイラク占領へのさらなる支援のため、展開が延長」(リンカーンのホームページ)されました。

 ポール・ハミルトンは〇三年三月二十日に開戦したイラク戦争に参加。米CNN放送の同艦艦長のインタビュー(同年四月二十六日)によると、イラクに対して約六十発の誘導ミサイル・トマホークを発射しました。同艦長は、これがイラク戦争に参加した戦闘艦の中で最多の発射数であると認めています。

 「ときわ」がポール・ハミルトンに給油した同年二月二十五日の午前中には米給油艦ペコスに給油し、ペコスからイラク戦争の主力艦となった米空母キティホークと米イージス巡洋艦カウペンスに給油したことは、すでに判明しています。

(『しんぶん赤旗』2007.10.13.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月22日 07:27

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 軍需業者とゴルフ 守屋前防衛次官、在任中に
 
 防衛省の守屋武昌前事務次官(六三)が在職中、軍事専門会社「山田洋行」(東京都港区、資本金五億円)の元専務(六九)と頻繁にゴルフをしていたことが十九日、関係者の話で分かりました。自衛隊員倫理規定は利害関係者とのゴルフを禁止しています。守屋前次官は元専務と今年春ごろまでゴルフをしており、現職なら処分の対象となる可能性もありました。(中略)
 
 
 倫理規定に違反

 二〇〇〇年に定められた倫理規定は、自衛隊員だけではなく、一般の同省職員も対象。出入り業者など利害関係者からせん別などの金品を受け取ることのほか、ゴルフや旅行は「割り勘」であっても禁じています。

 前次官は一九七一年、当時の防衛庁に入庁し、航空機課長、防衛施設庁施設部長など、装備・施設畑を歩き、官房長、防衛局長などを経て、〇三年八月、事務次官に就任しました。
 
 次官在任期間が四年を超えた「大物」で、

  自 衛 隊 の イ ラ ク 派 遣 や

 省昇格などを推進しました。(後略)

(『しんぶん赤旗』2007.10.20.)
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 市民黙らせたい 立川ビラ弾圧事件

 警察と陸自 思惑が一致 情報保全対が積極関与

 警察の依頼で被害届の提出を調整、ビラ投かん者の面割りに協力−。自衛隊の立川宿舎(東京都立川市)にビラを配った市民団体メンバーが逮捕された立川ビラ弾圧事件の重要な局面には、自衛隊の情報保全体の姿がありました。

 本紙が十二日付で報じた同隊内部文書(陸上自衛隊東部方面情報保全隊作成)からは、弾圧事件における同隊と警察の共謀関係、同隊が市民団体に対して行った執ような監視・情報収集活動の実態が浮かび上がります。
 
 
 立川ビラ弾圧事件

 情報保全隊は、宿舎にビラ配布した市民団体「立川自衛隊監視テント村」を敵視し、二〇〇四年二月の逮捕以前から長期にわたる情報収集を行っていました。
 
 
 顔写真など収集

 文書は逮捕された三人を含め、市民団体のメンバーやその関係者として計六人の顔写真を掲載。

 写真は背景の様子から、デモや宣伝活動の際に撮影されています。いずれも、メンバーの顔に焦点をあわせており、容ぼうを記録する目的で撮影したことがわかります。

 顔写真の隣には氏名、生年月日、住所、本籍、職業などが記されていました。「街頭宣伝および集会・デモにも頻繁に参加」「Aと行動を共にしていることが多い」(Aは氏名)などの記述もあります。

 文書から、情報保全隊が、メンバー逮捕のための具体的作業に携わっていたこともわかりました。(中略)
 
 
 目的は言論弾圧

 逮捕の目的が、言論弾圧にあったことも記されていました。
 文書は警察の「捜査員の談」を、こう紹介しています。「我々としてはテントの構成員に2〜3日くさい飯を食ってもらいたいんですがね。そうすれば、テント村も多少変わってくると思うんです」

 情報保全隊に詳しい自衛隊関係者は「市民団体を黙らせたかったのは自衛隊側も同じだ」と指摘。「当時は自衛隊のイラク派遣に対して、さまざまな団体が反対行動を起こしていた。自衛隊や情報保全隊には、市民団体の宣伝やデモを止めたいという思惑があった」と話しています。
 
(『しんぶん赤旗』2007.10.14.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月22日 07:38


コメントは書かないと言ったが、2点だけ。

1.そういえば、自衛隊のイラク派兵……
  あれだけの人員と物資が動いたんですから、

 「必要なものがあれば何でも
  袖の下アリで相談に乗るぞ」

  というスタンスの偽キャゼルヌ氏にとっては、
  さぞかしリベートの大きい、
  美味しい事業だったんでしょうね……

  (元々は我々の税金なんですが!)
 
 
2.ヴォルデモート卿。
  私はあなたを個人的に責めているわけでは、
  断じてない。

  あなたには良心も恥も社会的判断力も、
  ましてや「フェアプレー」を尊ぶ純粋な心もある。

  そのことを、私はちゃんと知っているから。

  あなたが主張する、
 「大事なものを守るためには、
  武力行使が必要な場合もある」
  そういう主張に反対するつもりは、ない。

  ただたんに、
  問いたいだけだ。

  イラク戦争に手弁当で、
  あるいは自由な人生や、
  時には生命さえかけて、
  反対の声をあげる市民と、

  安全な所から主戦論を唱え、
  兵士たちの意識を洗脳操作して、
  危険な戦場へ、
  税金を湯水のごとく使って送り込み、
  
  そして、自分たちは安全な場所にいて、
  濡れ手に粟で血税を懐に入れる……

  あなたは、どちらの生き方を潔しと思う?


  あなたの今までの生き方と、
  今のありかたを、
  責めるつもりなど
  毛頭ない。

  ただたんに、
  問いたいだけ、

  呼びかけてるだけだ。


  まだ、「こちらがわ」に

  来る(移る)勇気は………………

  持てないんですか? 


  と。

(きみが小心者だとも卑怯だとも愚劣者だとも、
 私には、思えないので。

 時間はかかるだろうけど
 いずれ必ず、
「こちら側」に、一緒に立って貰えると、

 信じている、というよりも、

 「 私 は 知 っ て い る の よ ! 」


 (  ̄ー ̄)ノ

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