(2007年10月10日01:58)

(まじめな話なのに、つい、<(_ _;)>
 ふざけた題をつけてしまって申し訳ありません★)(ーー;)

 昨日は長井さんの告別式でした。
 が、実父を亡くして以来どうも葬儀の場というのが苦手なので欠礼。地元の憲法講座の方を優先しました。
(たぶんその方が長井さんも喜んでくれると思うし。)

 で、以下、追悼の読経(?)代わりに、ビルマ(ミャンマー)関連の手元にある切り抜き類を、まとめてアップしてみたいと思います。

(注:長井さんの追悼だけに、長いです☆)d(ーー;)>”

◆コメント◆

歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 02:20

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 反軍政 僧侶デモ拡大
 旧首都 雨の中1500人
 ミャンマー【バンコク=時事】

 ミャンマーで軍事政権に反発する僧侶のデモが広がりを見せています。治安当局は民主化運動活動家らのデモを徹底弾圧しましたが、敬虔(けいけん)な仏教徒が多い同国で僧侶に強硬手段を取り続けた場合、国民の反発を招くのは必至。燃料費の大幅引き上げと物価上昇で国民の不満は高まっており、対応次第では抗議活動に火が付き、体制が揺らぐ事態も想定されます。
 旧首都ヤンゴンでは二十一日、僧侶約千五百人が雨の中、デモ行進し、一般市民約千五百人も合流したといいます。ヤンゴンでのデモ行進は四日連続。燃料費の引き上げなどに抗議する過去一カ月のデモの中では最大規模となりました。
 僧侶のデモが始まったのは八月二十八日。同月十九日にガソリン価格などが大幅に引き上げられたのがきっかけでした。
 今月五日にはマグエ管区パコクで、治安当局がデモに威嚇発砲。「僧侶の負傷者が出た」「僧侶が死亡した」といったうわさが広がり、デモは反軍政の色合いを強めました。
 軍政側は僧侶にけがをさせたことを否定しましたが、僧侶側は翌六日、政府職員をパコクの僧院に数時間閉じ込めるなど反発。宗派を越えた「全国僧侶連盟」も誕生し、各地にデモが拡大しました。
 一部の僧侶グループは軍政当局者に対する托鉢(たくはつ)を拒否するなど対決姿勢を強めています。

(『しんぶん赤旗』2007.09.22.)
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(以下、上記記事の隣に掲載された記事/参考まで)

 米で黒人数千人デモ
 人種差別司法判断に抗議 【ニューヨーク=時事】

 米南部ルイジアナ州の町ジーナで二十日、地元の高校で起きた暴力事件をめぐり、黒人生徒だけが訴追されたのは人種差別的な司法判断があったためだとして、数千人が参加して抗議デモが行われました。
 現地からの報道によると、参加者は全米各地からバスなどでジーナに集結。黒い服装に身を包み、「公正なくして平和なし」のスローガンを唱えながら、事件の起きた高校に集まりました。
 この高校では昨年九月に黒人差別を思い起こさせる出来事があったのをきっかけに、白人生徒と黒人生徒の間で暴力事件が発生。黒人生徒六人が訴追されたのに対し、白人生徒は誰も罪に問われなかったとされます。
 デモを主導した黒人運動指導者のジェシー・ジャクソン師は「司法省は沈黙している」と批判、この事件について公聴会を開くよう政府に要求しました。

(『しんぶん赤旗』2007.09.22.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 02:32

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 反軍政デモ拡大
 僧侶団体、国民に参加訴え 【バンコク=時事】

 ミャンマーの旧首都ヤンゴンで二十二日、軍事政権による燃料費の大幅引き上げなどに抗議する僧侶のデモが行われ、一部の僧侶らが自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん宅前をデモ行進しました。
 第二の都市マンダレーでは過去二十年で最大となる約一万人規模のデモが発生。僧侶団体は闘争に参加するよう国民に呼び掛けており、軍政は一段と厳しい状況に追い詰められました。
 現地からの情報によると、ヤンゴンでのデモは五日連続で、この日は僧侶約二千人が参加。市内を行進したほか、パゴダ(仏塔)で抗議の祈とうを行いました。スー・チーさん宅前のデモ行進は、八月下旬に反軍政でもが始まって以来初めて。
 一方、マンダレーでは同日、僧侶約一万人がデモ行進し、市民も行進に加わりました。
 反政府デモの規模としてh、民主化要求デモが盛り上がった一九八八年以来最大といいます。
 僧侶グループの一部はこれまで、一般市民が僧侶のデモに加わるのを控えるよう訴えていました。しかし、全国僧侶連盟はこの日、軍事独裁体制を完全に終わらせるため、平和闘争に加わるよう国民に訴えました。

(『しんぶん赤旗』2007.09.23.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 02:41

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 ミャンマー 2万人デモ
 治安当局 スー・チー宅接近阻む

【バンコク=時事】
 ミャンマーの旧首都ヤンゴンで二十三日、軍事政権の燃料費引き上げに抗議する僧侶らのデモが行われ、約二万人が参加しました。ヤンゴンでの僧侶のデモは六日連続で、八月中旬に抗議デモが始まって以来、最大規模。一九八八年の民主化要求デモ以降でも最大となりました。
 一部の僧侶は自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん宅に接近しようとしましたが、治安当局に阻まれました。
 現地からの情報によると、僧侶らは同日午後、シュエダゴン・パゴダから行進を開始。僧侶らは市民に対し行進に加わるよう呼び掛けました。参加者は僧侶、市民各約一万人に膨れ上がり、中心部のスーレー・パゴダを取り囲みました。この日の抗議活動には初めて尼僧も加わりました。
 僧侶約二百人がスー・チーさん宅に向かおうとしましたが、治安当局はスー・チーさん宅前の道路を封鎖し、僧侶らの接近を阻止。僧侶らは治安当局と約三十分間交渉した後、読経をして現場を立ち去りました。
 僧侶の地下組織「全ビルマ僧侶同盟」は全国の僧侶に対し、徹夜の祈とうを要請。同国北部マンダレーなどではこの日、僧侶らの祈とうが行われ、軍政に抗議の意志を示しました。

(『しんぶん赤旗』2007.09.24.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 02:50

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 ヤンゴンで10万人デモ
 ミャンマー軍事政権に抗議 【バンコク=時事】

 ミャンマー国内では二十四日も、各地で軍事政権の燃料費引き上げに抗議する大規模なデモが行われ、一部情報では、旧首都ヤンゴンの僧侶や市民らのデモには十万人以上が参加しました。ヤンゴンでのこの日のデモは、民主化要求デモが盛り上がった一九八八年以降では最大規模です。
 現地からの情報によると、ヤンゴンでのデモは主に二グループが主導し、それぞれ同国を代表する仏塔のシュエダゴン・パゴダを出発。一グループは北部の別のパゴダに、もう一つのグループは市中心部のパゴダまで行進しました。これらのデモには多くの市民や学生が合流しました。
 僧侶らは読経しながら行進する傍ら、軍政に対するスローガンを叫ぶのを控えるよう参加者に求めました。しかし、一部の参加者はプラカードを掲げ、政治囚の即時解放や生活状況の改善などを訴えました。
 道路の両脇では市民らが拍手をして僧侶らを激励。市民らが道路に沿って「人間の鎖」を作り、僧侶の行動を守る動きもみられました。
 僧侶ら約二千人は自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん宅近くの道路を行進しましたが、治安当局との衝突やトラブルはありませんでした。
 シンガポール外務省は同日、「事態が平和的に解決することを期待する」との声明を出しました。

(『しんぶん赤旗』2007.09.25.)
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>シンガポール外務省は同日、「事態が平和的に解決することを期待する」との声明を

 ……そうです……
 この数値のあたりで、
 これまでの「例」を思い浮かべて、
 背筋を冷たいものが走りましたね……★(>_<)★”


歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 03:01

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 ミャンマー 再び10万人デモ
 ヤンゴンで僧侶ら 当局の警告の中

【バンコク=時事】
 ミャンマーの旧首都ヤンゴンでは二十五日も燃料費の大幅引き上げなどに抗議する僧侶らの大規模な反政府デモが行われ、一部情報によると、約十万人が参加しました。
 軍事政権は僧侶らに宗教以外の活動に関与しないよう繰り返し警告しましたが、僧侶らはこれを無視しました。軍政は「違法行為には対応措置を取る」とも宣言していましたが、参加者の拘束や混乱などはありませんでした。
 僧侶ら約三万人と市民ら約七万人は同日午後、同国最大の仏塔、シュエダゴン・パゴダと市中心部のスーレー・パゴダ周辺を往復しました。僧侶らは「民主主義、民主主義」などと唱えながら行進。ヤンゴン市内の国連事務所前では、自宅軟禁が続く民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんの解放を訴えました。
 デモには多くの学生も参加し、同国で民主主義や独立を象徴するクジャクが描かれた旗を振って歩きました。
 ヤンゴンでの僧侶の大規模デモは十八日から始まり、八日連続。前日同様、二十五日は参加者が約十万人に膨れ上がり、ヤンゴンで民主化要求デモが盛り上がった一九八八年以降では最大規模となりました。
 また、この日は同国第二の都市マンダレーや北部カチン州、東部カイン(カレン)州など国内各地で同様のデモが行われました。
 軍政当局者は同日、デモに先立ち複数のトラックに分乗してヤンゴン市内を走り回り、拡声器を使ってデモに参加しないよう僧侶や市民に警告しました。
 消息筋によると、軍政幹部はこの日、同国中部の新首都ネピドーで反政府デモの対応策を協議する緊急会議を開催しました。
 また、少数民族武装組織との闘争が続いているカイン州に展開していた国軍部隊がヤンゴンに移動したといいます。

(『しんぶん赤旗』2007.09.26.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 03:13

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 軍政 デモを弾圧
 ミャンマー 僧侶3人死亡 【バンコク=時事】

 ミャンマー治安当局は二十六日、軍事政権による燃料費の大幅値上げなどに抗議するため、旧首都ヤンゴンの仏塔シュエダゴン・パゴダ周辺部に集まった僧侶や市民を警棒で殴打、七十人以上が負傷しました。AFP通信によると、僧侶三人以上が死亡。治安部隊は約二百人を拘束しました。僧侶らはデモを強行、軍政は威嚇発砲し催涙ガスも使用しました。軍政が実力行使に出たことで、ミャンマー情勢は一気に緊迫しました。

 目撃者によると、治安部隊員は警棒で僧侶や市民約千人を殴打。僧侶らはこの後、現場近くから市中心部までデモ行進し、参加者は10万人近くに膨れ上がりました。
 道路脇では市民が拍手をして僧侶を激励。治安部隊はこれに対し二十発以上威嚇発砲し、催涙ガス約十発を放ちました。
 軍政は二十五日以降、五人以上の集会を行わないよう警告するとともに、大量の治安部隊員をヤンゴン市内に配置。僧侶らは警告を無視して、パゴダ周辺に集まっていました。
 軍政は二十四日、僧侶や市民に抗議活動に加わらないよう命じるとともに、二十五日夜にはヤンゴンど同国第二の都市マンダレーに夜間外出禁止令を発令していました。
 自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんが率いる国民民主連盟(NLD)は二十六日、「軍政は僧侶をたたくという歴史上取り返しのつかない不法行為を行った」との声明を出しました。

(7面に関連情報)

 
 ミャンマー問題 緊急安保理招集
 
【ニューヨーク=AFP時事】
 国連安保理議長国フランスのクシュネル外相は二十六日、ミャンマー情勢について協議するため、安保理の緊急会合を同日開催することを明らかにしました。
 同外相によると、緊急会合を同日午後三時(日本時間二十七日午前四時)から始まる予定です。

(『しんぶん赤旗』2007.09.27.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 03:23

(7面の関連情報・1)
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 ミャンマー 非暴力デモ弾圧
 抑えられない軍政への怒り 【ハノイ=井上歩】

 ミャンマーの僧侶を中心とした反軍事政権デモは日増しに規模が拡大し、二十六日には軍政治安部隊が僧侶や市民、学生などのデモ参加者に対する弾圧に乗り出し、僧侶が死亡という事態になりました。非暴力のデモに武力弾圧を加えた軍政への内外からの批判が強まることは必至です。
 デモの発端は、八月十五日にガソリンなど燃料費が大幅に値上げされ、国民生活を圧迫したこと。燃料費値上げに伴って物価も上昇し、先月十九日から値上げに抗議するデモが頻発。自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんが率いる国民民主連盟(NLD)メンバーの拘束も相次ぎました。
 五日には中部パコックで燃料費値上げに抗議する僧侶のデモに兵士が威嚇発砲し、拘束の際に僧侶に暴行、負傷させる事件が発生。僧侶たちは同事件に憤慨、軍政に謝罪を要求し、謝罪期限が過ぎた十八日から数千人規模のデモを各地で開始しました。
 デモは各都市に広がり、学生や一般市民が支援・合流。二十四日、二十五日には最大都市ヤンゴンで十万人規模にまで膨れ上がりました。
 デモの要求は、当初の謝罪要求、燃料費値下げだけでなく、「スー・チーさん解放」「民主化を」が加わり、軍政打倒の声もあがっているといいます。
 二十二日にはスー・チーさんの自宅前を通過したデモ隊の僧侶とスー・チーさんが体面し、僧侶が言葉をかけました。
 デモは、若手僧侶を中心にした僧侶団体の連合体「全ビルマ僧侶連盟」が主導しているとされます。同連盟は僧侶暴行事件を機に結成されたとされ、国民にデモ参加を呼びかけています。
 ミャンマーのニュース関連サイトには、「邪悪な軍事政権追放」を訴える同連盟のものとされる声明も掲載されています。

(『しんぶん赤旗』2007.09.27.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 03:35

(7面の関連情報・2)
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 民主化の約束をほごに
 
 ミャンマーでは一九八八年に学生デモと民主化運動が高まり、大規模なゼネストが発生。これに対し国軍が同年九月にクーデターで全権を掌握し、抗議デモの学生、市民に発砲して推定千人を射殺しました。
 軍政は総選挙実施・民政移管を公約しましたが、九〇年五月の総選挙でNLDが80%以上の議席を得て圧勝すると、「新憲法制定が政権移譲の前提」として選挙結果の受け入れを拒否しました。
 軍政は選挙前の八九年から断続的にNLD書記長のスー・チーさんを自宅軟禁し、現在も二〇〇三年五月以来の軟禁が続いています。スー・チーさんの軟禁と身柄拘束は通算十一年を超えています。
 批判を強める国際社会に対して軍政は、二〇〇三年八月に民主化ロードマップを発表し、憲法の基本原則をまとめる「国民会議」の開催、新憲法国民投票、総選挙など実施していくとしてきました。
 「国民会議」は長期休会を繰り返し十四年以上を費やして今月三日閉幕しました。しかし合意された憲法基本原則は、軍の指導的役割を保証し、正副大統領三人のうち一人を軍が選出、議会定数の四分の一は軍が任命する、という内容となりました。
 ミャンマーの国民には、そもそも軍政が総選挙結果を拒否し、民政移管の約束をほごにしていることに根本的な不満がある上、経済の遅滞や生活環境の悪化、市民、活動家の相次ぐ逮捕・弾圧などで軍政への不満がさらに高まっているとみられます。
 「民主化プロセス」の一段階である国民会議閉幕と同時期に、八八年の民主化運動以来最大規模の反軍政運動が高まっているのは、国民の強い不満の現れだととれます。
 ミャンマーはおよそ五千万人の人口の約90%が仏教徒で、僧侶は国民の尊敬を受けています。
 軍政が二十四日に対抗措置をとるとの警告を出したにもかかわらずその後も僧侶主導の大規模なデモが行われ、軍政と僧侶、市民の対立構造は深まっています。
(井上歩)

(『しんぶん赤旗』2007.09.27.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 03:48

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 ミャンマーで日本人死亡
 軍政、デモ隊に発砲  【ハノイ=井上歩】

 ミャンマーの治安当局は二十七日未明、最大都市ヤンゴンの二カ所の僧院を急襲し、少なくとも五百人の僧侶を軍のトラックで連行しました。ロイター通信が目撃者の証言として報じました。
 治安部隊はさらに、ヤンゴン中心部にいた千人以上のデモ隊に発砲。日本人を含む五人が殺害されました。国際社会は軍事政権に自制と平和解決を求めています。軍事政権はこれに反し武力弾圧を強めました。
 襲われた僧院は四カ所以上、拘束は六百五十人以上との情報もあります。治安当局はまた、自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんが率いる国民民主連盟(NLD)の広報担当者ら幹部二人も同日までに拘束しました。
 ヤンゴン市内では僧侶を抜きに若者や学生がデモを決行し、一万人規模になっているといいます。デモは十日連続です。軍と警察が市民に自宅内にいるよう呼びかけているともいいます。
 
 
 AFP通信社 長井健司さん

 外務省は二十七日夜、銃撃で死亡した邦人男性は所持していたパスポートから東京都港区のニュースプロダクション「APF通信社」と契約している、記者兼カメラマンの長井健司さん(五〇)であると、確認しました。

(6、7面に関連記事)

(『しんぶん赤旗』2007.09.28.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 03:59

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 [ 潮 流 ] (※)

 「仏教の国で僧侶を弾圧するなど考えられない」。日本に住むミャンマーの人たちが憤ります。
 ミャンマーの軍事政権が、燃料費の値上げなどに抗議する素手の市民のデモ行進を襲い、僧侶を死なせました。いくつかの寺院にも軍が突入し、建物を壊して大勢の僧侶を連れ去った、といいます。市民の尊敬をうける僧侶たちへの、なりふり構わぬ弾圧です。
 竹山道雄の小説『ビルマの竪琴』の主人公が僧になるように、ミャンマーといえば仏僧を思い浮かべます。十九世紀にイギリスの植民地とされたミャンマー。イギリスに対する組織だった民族運動の始まりも、一九〇六年の仏教青年会の結成といわれます。
 青年会は当初、国民の道徳や生活習慣の改善にとりくんでいました。第一次大戦の後、「民族自決」の機運が世界に広がるとともに、青年会の若い世代は「自治」を求めていきました(根本敬『アウン・サン』)。今回も、軍政に反対する若い僧侶たちがたちあがった、と伝えられます。
 弾圧に抗議する在日のミャンマーの人々は、「ビルマ民主化」を掲げています。ミャンマーは、対外向けには「ビルマ」と名乗っていました。一九八八年のクーデターでできた軍事政権が、「ミャンマー」に一本化したのです。
 かつて独立運動を指導した政党などは、「ビルマ」(現地語の発音でバマー)に少数民族をふくめた国としての意味を込めていました。
 その「ビルマ」にこだわる人の姿に、軍政にはくみしない、との強い意志がよみとれます。

(『しんぶん赤旗』2007.09.28.)
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(※[潮流]=赤旗における「天声人語」にあたるやつ)

歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 04:12

(7面の関連記事)
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 ミャンマーの歩み

 ミャンマー(人口五千万人)は、アジアの二つの大国インド、中国と国境を接しています。一九世紀後半に英国領インドに編入され、第二次世界大戦中(一九四二〜四五年)は日本の軍事占領下におかれます。戦後、英国との交渉で四八年に完全独立を達成しました。
 独立運動指導者アウン・サン氏は四七年に暗殺されますが、今も国民から「建国の父」として慕われています。現在の反軍政勢力の中心、国民民主連盟(NLD)書記長アウン・サン・スー・チーさんの父です。
 五六年と六〇年には総選挙が実施されますが、六二年にネ・ウィン将軍が軍事クーデターで実権を掌握して憲法と議会を廃止し、他の政党の活動を禁止する一党支配体制を確立しました。
 しかし、長年にわたる鎖国政策と国家統制で経済が急速に悪化し、国連から最貧国に認定されるなかで八八年には生活改善と民主化を求める国民の運動が高揚。これにたいし、国軍が同年九月にクーデターを決行して流血の弾圧を加えて死者千人以上が出るなか、国家法秩序回復評議会が全権を握りました。
 国際的批判と国民の民主化要求に押されて、同評議会(軍事政権)は九〇年に総選挙を実施しました。しかし、NLDが全四百八十五議席の81%を獲得すると選挙結果の受け入れを拒否しました。
 九七年には同評議会を国家平和発展評議会に名称変更。国名は八九年にビルマ連邦からミャンマー連邦に変わりました。
 国民の約九割は仏教徒。僧侶は歴代の王朝に正統性を与える存在であり、英国の植民地時代には民族の精神的支柱として独立運動の先頭に立った歴史もあります。八八年以降の民主化闘争でも積極的な役割を果たしました。

(※年表省略)

(『しんぶん赤旗』2007.09.28.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 04:18

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 ミャンマーまた武力弾圧

 国境なき記者団が長井さん銃撃批判

 現地からの情報によるとミャンマーの治安部隊は二十八日、最大都市ヤンゴン(旧首都)中心部のスーレー・パゴダ(仏塔)近くに集まった反軍政デモを解散させるために発砲し、参加者を警棒で殴打しました。
 治安部隊による武力弾圧は三日連続。武力弾圧により、既に日本人ジャーナリスト長井健司さん(五〇)を含む一四人以上が死亡しています。
 国際ジャーナリスト団体「国境なき記者団」(RSF、本部パリ)は二十七日、ビルマ報道協会(BMA)と連盟で、長井さん銃撃を厳しく批判する声明を出し、「写真は、彼がジャーナリストであることを持っていたカメラで容易に識別できたにもかかわらず、兵士が銃撃したことを明白に示している」と指摘。軍政が内外メディアに圧力をかけようとしていると批判しました。

(『しんぶん赤旗』2007.09.29.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 04:27

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 [ 潮 流 ]

 人の心を恐怖で凍りつかせる脅しは、武力で支配する者が常に用いる手段です。しかし、そこまであからさまにいうのかと驚かせた政治家が、ミャンマーの元指導者ネ・ウィンです。
 「私は引退するが、今度また国民が騒動を起こしたら、国軍はそうした連中に対して、威嚇射撃ではなく、当たるようにねらいを定めて撃つから、覚悟しておくように」。一九八八年の七月。この演説は、テレビで全国に放映されました。
 昨日付にも紹介した、『アウン・サン』(根本敬著)からの引用です。ネ・ウィンは、学生・市民の民主化闘争の高まりのなかで政権党の議長を退きました。二カ月後、軍がクーデターを起こします。軍政は、さっそく彼の言葉どおり「ねらいを定めて」デモ隊に銃をむけ、一週間のうちに千人を超す死傷者をだしました。
 ミャンマーの最大都市ヤンゴンで、軍政に抗議するデモ行進を取材していた日本人の映像記者が撃たれ死亡しました。長井健司さん。「誰もいかないところに誰かがいかなければならない」を信条とし、パレスチナやイラク、アフガニスタンを巡り、紛争の地を記録してきました。
 兵士が一メートルほどの間近から、長井さんを撃った疑いが濃い。「当たるようにねらいを定めて」です。長井さんは、銃を構える兵士の目の前であおむけに倒れながらも、なお最後までカメラを離さず、撮り続けようとしました。
 事実を知らせる報道陣の恐怖をあおり、あげくに暴力で葬り去る。独裁や武力支配の恥ずべき習性です。

(『しんぶん赤旗』2007.09.29.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 04:48

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 ミャンマー弾圧
 僧侶、抵抗運動の伝統
 英植民地下・軍政下でも

 ミャンマーでこの二十年来最大規模となった抗議デモで、中心的位置を占め、市民を励ましたのは僧侶の隊列でした。
 仏教の聖職者は、公式には政治など俗事から離れ修養する存在とされていますが、ロイター通信によると、ミャンマーでは抑圧に反対する抗議行動の先頭に立ってきた長い歴史があります。それは、十九世紀後半に英国によって植民地にされた時代にまでさかのぼります。
 まず「靴を脱げ、脱がない問題」があげられます。英国の支配者は仏教寺院その他の神聖な地に立ち入る際、履物を脱ぐことを拒否。現地の文化、伝統を踏みにじる重大な侮辱行為とみなされました。
 
 
 国民的殉教者

 一九一九年、仏教修業の中心地である第二の都市マンダレーで、靴を履いたまま僧院に上がった英国人の訪問団を僧侶たちが追い出したため、双方が衝突。指導者とみなされた僧侶は「殺人未遂」で終身刑とされました。
 二九年には投獄されたウィサラ師が、獄中での僧服の着用を要求して百六十六日間の抗議のハンストの後に亡くなり、国民的殉教者として扱われました。
 これらの事件は、ミャンマーの人々の愛国心に火をつけ、仏教が愛国・独立の結節点となりました。
 独立後も、六〇年代前半から四十年以上に及ぶ軍部による政治支配の下で、僧院の政治的役割は続きました。
 八八年に反軍政・民主化の蜂起が発生し、軍の弾圧で千人以上、一説には三千人といわれる人が犠牲になりました。これにも多くの僧侶が加わり、九十人もの僧侶が今なお獄につながれたままだとみられています。
 しかしその後も、僧院は多くの若者にとって避難場所となり、ここで世界を知り、精神を磨き、さらには反群生の地下活動を運営する場となってきました。
 
 
 手ひどい扱い

 今回の反軍政の抗議行動が全国各都市に拡大する契機となったのは、北部の町パゴグで軍政側が威嚇発砲し、手ひどい扱いを加えたことでした。
 タイに亡命した政治家グループのスポークスマンは言います。
 「僧侶をロープで縛り、馬か犬のように街灯にくくりつけた」「僧院側は謝罪を求めたが、軍政側が拒否したため、これが大規模集会の引き金となった」
 仏教僧院、僧侶は国民の道徳的尊敬を集め、かつてゃ王朝に正統性を与える権威を持った存在です。最大都市ヤンゴンで僧侶たちは、シュエダゴン・パゴダに集結しました。ここはかつて国王が敵に対するたたかいに出る前に祈願した所。軍政を「敵」とみなしていることを象徴する動きといえます。
(居波保夫)

(『しんぶん赤旗』2007.09.29.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 04:57

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 軍政の武力弾圧に抗議
 在日ミャンマー人ら訴え 東京

 ミャンマー軍事政権の武力弾圧に抗議する在日ミャンマー(ビルマ)人が三十日、国連関連機関が入る東京都渋谷区の国連大学ビル前で四十八時間のハンストをはじめました。
 女性二人を含む二十人が参加。弾圧や日本人ジャーナリスト長井健司さん殺害で、軍事政権に抗議するとともに、国連安保理が「即時の強力な決議」をあげるよう求めるメッセージボードなどを掲げました。
 ハンストに参加した調理人のテ・キイ・オゥさん(41)は「国民が大勢銃殺され、その家族・友人を含めて、苦しんでいる人が大勢いる。これが国際的な問題であること、私たちがどのくらい民主主義をほしがっているかアピールしたい」と話しました。
 一方、東京都品川区のミャンマー大使館前では同日夕、犠牲者を追悼するキャンドル集会が行われました。
 約三百人の市民や在日ミャンマー人らが次々にキャンドルに灯をともし、黙とうをささげて犠牲者をしのびました。

(『しんぶん赤旗』2007.10.01.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 05:21

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 ミャンマー 消えない軍政への不満
 僧侶の蜂起 市民が応援
 上智大学 根本 敬 さんに聞く

 狂暴な軍事政権に対して民衆がデモに立ち上がったミャンマーの事態をどう見るか、上智大学外国語学部の根本敬教授(東南アジア近現代史、ビルマ研究)に聞きました。(聞き手=菅原厚)

 一九八八年の民主化運動が封じ込められて以来、軍政に対する不満が十九年間堆積(たいせき)し、何かのきっかけで爆発する状況にありました。八月十五日の燃料費大幅引き上げが、まさにそのきっかけとなりました。中でも、天然ガスの五倍引き上げが人々の生活を直撃しました。唯一の公共交通機関のバスが天然ガスで走っている場合が多く、市民の通勤費が大幅に上がって、月収の三分の一から半分が通勤費で消えてしまうといった状況になってしまいます。
 八八年のときは、米の値段が人々の許容限度を超え、主食が買えないという状況に追い込まれた人たちが多くいました。
 このときは、現役の学生が地下で組織をつくり、運動をリードし、その後、市民が運動に合流しました。
 今回は、現役の学生は動いていません。代わって、八八年のときに学生だった三十代後半、四十代の人たちが静かなデモを始めました。プラカードも持たずに黙々と歩くというデモです。それに一部市民が合流しましたが、すぐに軍政はそれを封じ込めました。そして、次に動いたのが、僧侶たちでした。
 
 
 政治に深く関与

 ビルマの上座仏教は、カトリック教会のようにピラミッド組織を持っていません。各僧院ごとの自立性が高く、こういう運動に参加する僧院もあれば、参加しない僧院もあります。僧侶もまた自分の判断で参加、不参加を決められます。そのような構造の中で、今回、自然発生的に何万という僧侶がデモに参加したわけです。
 タイやカンボジア、そしてビルマに広がる上座仏教の僧侶の歴史を見ると、歴史の中の要所要所で政治とかかわっています。特にビルマの場合、植民地時代に反英独立運動に積極的に参加しています。実態としては、僧侶と政治のかかわりが深いのです。
 サンガ法という、仏教の僧侶たちに適用されるルールがあります。そこには僧侶の政治活動の禁止は明記されています。軍政は今回、デモに参加した僧侶がその戒めを破ったとし、彼らは僧侶でなく破戒僧だと定義づけます。そして末端の兵士たちに命令を出すときに、デモをする僧侶たちを僧侶だと思うなという命令を出していると考えられます。

 市民と立場逆転

 今回、僧侶たちがあの規模で立ち上がったということは、市民にとても非常な驚きで、彼らは僧侶たちに感謝の念を抱きました。本来は、雨安居(うあんご)といって、六月から十月にかけては修行だけに専念する時期です。にもかかわらず、民衆のことを思って立ち上がった。その感謝の気持ちがあって、市民はデモの応援に行くわけです。
 普段は逆で、八八年の民主化運動のときも、そのほかの騒動のときも、通常は僧侶のほうが応援団的な役割を担います。今回は、そういう意味では立場が逆転しました。市民が、僧侶たちに危害が加えられないようにデモの両脇に立って守る。大きなデモになってくると、真ん中に僧侶たちが列をつくって行進し、両脇にその二、三倍の幅で市民が合流する…。
 一九八八年以降、軍政に対する今回のような大規模な抗議行動がなかったために、ビルマを観察する研究者やビルマに長期滞在する外国人(特に日本人)のあいっでは、ビルマの人々が軍政をやむを得ない現実として受け入れ、アウン・サン・スー・チーさんや国民民主運動(NLD)、民主化への関心を低下させているのではないかという見方が多数になっていました。しかし、実際は彼らがけっして政治への不満を弱めてはいなかったことが今回証明されたといってよいでしょう。
 これからも私たちはビルマ国民の心の中の思いを見誤ることのないように注意すべきだと思います。

(『しんぶん赤旗』2007.10.02.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 05:37

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 ミャンマー 武力弾圧 世界が批判
  日本人ジャーナリストも犠牲に

 ミャンマーの軍事政権が僧侶や市民の非暴力デモに武力弾圧を加え、流血の事態を招いたことに、国際社会から強い懸念と批判の声があがっています。

 発端は、軍事政権の燃料費引き上げにたいする各地の抗議デモでした。次第に大規模になり、旧首都ヤンゴンの僧侶や市民のデモ(9月24、25両日)には10万人以上が参加しました。1988年以来最大の規模です。
 軍事政権は、平和的なデモに発砲するたどの弾圧に乗り出しました。
 9月27日には治安部隊の発砲で、街頭でカメラを持って取材中の日本人ジャーナリスト長井健司さん(50)が死亡しました。即死状態でした。
 死者数は政権側の発表で僧侶ら10人ですが、ミャンマーの民主化組織によるとその20倍にものぼるといいます。
 国民の非暴力のデモを武力で弾圧するという蛮行は民主主義を踏みにじるもの。国際世論は「自制」を強く求めました。
 国連安保理は9月26日、非公開の緊急会合を開催。ミャンマー当局に「自制」を求めるとともに、現地を訪問する国連事務総長特使として、ガンバリ事務次長を受け入れるよう求めました。
 ガンバリ氏は同29日にミャンマー入りし、民主化運動の指導者、アウン・サン・スー・チーさんや、軍事政権のトップであるタン・シュエ国家平和発展評議会議長らと会談。武力弾圧の停止や緊張緩和に向けた対話促進などを呼びかけました。
 

 ASEANも

 注目されるのは、ミャンマーも加盟する東南アジア諸国連合(ASEAN)の動向です。
 9月27日、ASEANはニューヨークで非公式外相会議を開催。ミャンマー軍事政権の武力弾圧について、議長国シンガポールのヨー外相が「嫌悪」を表明する異例にきびしい声明を発表しました。
 この声明は非公開の協議内容を総括したもの。
 暴力をただちに停止し、すべての当事者を含めた国民和解と民主主義への平和的移行への努力を訴え、「アウン・サン・スー・チー氏を含む、すべての政治的勾留者を解放するよう呼びかけ」ました。
 ミャンマーのニャン・ウィン外相は国連演説で、デモが挑発的となったので治安部隊は行動せざるを得なかったなどと弾圧を正当化し、民主化を理由にした外国からの「介入」に反発しました。他方で「国連との協力はミャンマーの外交政策の要」とのべました。
 ガンバリ特使の訪問の成果や、ミャンマーに政治的影響力を持つ中国、ASEAN、インド、日本などの外交努力の行方が注目されます。

(『しんぶん赤旗(日曜版)』2007.10.07.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 06:18

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 ジャーナリスト 長井さん 最後の別れ

 ミャンマーで反政府デモの取材中に射殺されたジャーナリストの長井健司さん(五〇)の葬儀・告別式が八日、東京都港区の青山葬儀所で営まれ、交流のあった報道関係者や在日ミャンマー人ら約千人が参列、最後の別れを惜しみました。
 午前十一時に始まった告別式では、契約していたAFP通信社(同区)の山路徹社長が「長井さんの遺志を確実に受け継いで、立ち止まることなく歩いていかなければならない」とあいさつ。
 弔辞を読み上げたジャーナリストの鳥越俊太郎さんも「カメラを持った右手を精いっぱい天空に突き上げていた」と壮絶な最期を悼みました。
 会場には民族衣装に身を包んだミャンマー人の姿も。一九八九年に来日した杉並区のウィン・チョさん(四二)は、テレビで長井さんの死を知り、駆け付けました。「長井さんは危ないと分かって来てくれた。ビルマの状況を世界に伝えてくれた」と涙を見せました。
 小雨交じりの中、焼香の長い列ができました。白い花で飾られた祭壇には、取材先のヨルダンで撮影された長井さんの遺影。会場入り口には愛用のビデオカメラが置かれました。
 長井さんが好んだビリー・ジョエルさんの曲が流れる中、午後一時四十五分ごろ出棺しました。

(『しんぶん赤旗』2007.10.09.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 06:25

>立ち止まることなく歩いていかなければならない

えぇ。それだけは、お約束できます、長井さんに。

 のろまな亀でも蝸牛でも、
 三歩歩いて二歩下がっても、
 前を向いて歩き続けること、

 それだけ……なら。一生かけて。

 どうかお元気で。
 千の風
 万の砂
 億の涙
 兆や京の雨滴や霧笛となって……

 どこまでも。

 吹き渡り、見つめ続けて下さいね、

TORATONTON 2007年10月10日 20:12

この日記、コメント、良いご供養になったかと存じます。

歌いながら大地を歩く 2007年10月12日 01:09

遂行、いや推敲……。

> 千の風
> 万の砂
> 億の涙
> 兆や京の雨滴や霧笛となって……

……これ、

 千の風
 万の砂
 億の雨
 兆や京の霧笛や星明かりとなって……

の、ほうが(文章としては)良いな☆ (^^;)”
 

.
(2007年10月10日05:47)

先日ここにも書いた地元の憲法イベント
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=584593804&;;owner_id=3818139
に、行って参りました♪

ぃやぁ〜♪ 予想以上にハンサムだったわ♪ 伊藤真♪

 o(*^−^*)o  <感想ソレかい!

というのは半分だけマジでして……(笑)
もちろん、顔だけじゃなくて声も……

もとい! 「話の内容も」、
ちゃんと素晴らしかったですとも……!!

 d(^◇^;)”

 しかしながら一番印象に残った話は……

 伊藤真氏は「150歳まで長生きする」のが
 目標なんだそうです!! (^◇^;)”

 見るからに、女性に持てそうな容姿の、
 黒髪の、体格のいい美丈夫?だし……

 しぇ、シェーンコップのライバル……????!!

 (^◇^;)""""""

 と、まじめな憲法講座のあいだじゅう、
 あらぬ笑いを堪えて震えていたのは私です……☆

 (^◇^;)>"


◆コメント◆

TORATONTON 2007年10月10日 20:14

声の良い人のお話って、良いなと思います。
内容が良いとなれば、なおさら。


歌いながら大地を歩く 2007年10月12日 01:15

えぇ。顔も声も体格も性格も良くて、
話の内容は深くて潔くて解りやすくて簡潔で、
しかも笑えるんですっ!! !(^^)!

いやぁ〜☆ 良いものを聞かせてもらいました☆
たったの500円だったのに! w)

さらに言うなら、
さすが「150歳」を目指すだけあって、
有言実行!!

整体師の私の眼から見ても非の打ち所のない、
完璧な「健康」管理を誇る、身体状況でした……!!(@_@)!!

あぁ★某所のバカダ志門(仮名)に、
爪の垢を煎じて飲ませたいわ……★(ーー;)d★

. 
(2007年10月10日05:55)

と、いうことで
とてもハンサムな伊藤真氏に
勝手に私淑することにしたので、
にわかに憲法講座もどきを開設(w

(いや、日本国憲法全文を枕読したことなら
 過去に何度かあるのだけれども、
 ちっとも身に付いているとは言い難いので……

 講座の資料でまた1部もらったもんだから、
 この際、
 門前の小僧習わぬ「写経」でもしようかなと……

 (^◇^;)>”


◆コメント◆

歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 05:59

***************************

 日本国民は、
 正当に選挙された国会における
 代表者を通じて行動し、
 われらとわれらの子孫のために、
 諸国民との協和による成果と、
 わが国全土にわたつて
 自由のもたらす恵沢を確保し、
 政府の行為によつて
 再び戦争の惨禍が起ることの
 ないやうにすることを
 決意し、
 ここに主権が国民に存することを宣言し、
 この憲法を確定する。

***************************

歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 06:07

[正直な感想]

 長いです。わかんないです。
 思わず変えたくなります。
 一部軽佻浮薄な改憲論者の皆さんの、
 気持ちは解ります……☆(^_^;)★

 解るけど、ちょっと待ってね☆

[注意点]

>正当に選挙された国会における

 この漢字変換で正しいんである。けして、

 政党に占拠された国会

 のまま放置して良いわけではない★


TORATONTON 2007年10月10日 20:17

憲法前文の、この部分を読んだかぎりでは、戦争はやらないことになっているようです。
第九条をいじるとなると、こちらもいじらないと、整合性にかけます。
第九条を変えることを望んでいる人は、こちらも変えるつもりなのでしょうか。


歌いながら大地を歩く 2007年10月12日 01:19

……実わ頂いた資料はそもそも、

「現行憲法全文と、
 自民党試案の比較」のはずだったのですが……

どうやら資料の準備をしたのが
ド新人さんだったらしく……☆(^^;)★

コピーミスで自民党試案のほうが
読めなくなっちゃってるんですよね……★(^◇^;)★

えぇ。もちろんキャツラは前文まるごと、
変えちまいやがる心積もりで
いやがりますとも……★( ̄^ ̄;)★

(自民党のどっかのHPで
 改憲試案の全文は読めますよ。)(<ムカツク内容!!)

( ̄^ ̄;)( ̄^ ̄;)( ̄^ ̄;)( ̄^ ̄;)( ̄^ ̄;)o”

.

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