おはよう。和は1は、06時16分。ワハアハ。朝から笑いか…


天気が変。空気が変。脳が変。体は健康。一番被曝した左足指だけニキビみたいな膿疱?がポチポチ出来てて痒くて被れてるけど今のところ免疫力のカバー範囲内らしい。06時20分。今日も午前バイト。とにかく精神が不安定なのは困る。脳幹の位置が判る。ボーッとして痺れてる。被曝なのか心因性なのか、楽天的になるのは被曝のせいらしいと言われてしまうと現在の状況は絶望的に病的なのか? 気力はゼロじゃない。鬱でないのは確か。支離滅裂。まだ地震は起きてないのかな?満月が過ぎるの待とう。06:24。ではまた。

和まあは。

2013年1月27日 日常
和まあは。
07時16分、遅刻しそう。

南国リゾートカラー。

その隣。

2013年1月27日 日常
その隣。
カメラを持ってる私は動いてませんw

(2013.05.03.入力)
 潮流

 昨年は日中国交回復40周年ながら、関係悪化に暗澹とした年でした。そんな中でも人と人とのつながりに希望を見いだすことができます。

 日中友好協会宮城県連泉支部が最近発行したブックレット『なぜ一六二人全員が助かったか』(藤村三郎著)を知人に勧められました。

 東日本大震災で中国人実習生を津波から守った宮城県女川町の人たちを泉支部の会員が取材してまとめました。

 震災時、海辺の水産会社19社で162人の中国人実習生が働いていました。全員が津波から逃げ、無事帰国しました。

 大地震も津波も経験したことのない外国人です。町民の1割近くが犠牲になった女川でなぜ全員助かったのか。

 実習生を避難させ、自らは津波に飲まれた経営者もいます。
 水産会社の専務、佐藤充さんです。
 中国でも感動を呼んだ行為です。

 ほかにも「実習生から一人の犠牲も出すな」と寮も捜した社員。
 被災直後、帰国を手配した社長たち。

 極限状態でそれが出来たのは、町ぐるみでふだんから実習生を「将来長くおつき合いする人」として尊重していたからでした。

 女性には女性生活指導員を配置。親身になって教える日本語研修。

 ある社長は常々「実習生を単なる労働力と見てはならない」と述べていました。(略)

 宮城県は中国の作家、魯迅が留学した地です。彼が希望を道にたとえています。

「もともと地上には道はない。

 歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」(故郷)


(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
 機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
 2013.01.27.)

 おや、ここでも読めます。
 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-01-27/2013012701_04_0.html

 参考
 http://ishinomaki.kahoku.co.jp/news/2013/03/20130306t13007.htm

 ……「日中友好」改善の糸口にならないでしょうかねぇ……。
 (--;)

 日中友好協会 宮城県連 泉支部
 http://park12.wakwak.com/~jcfa-miyagi/kyokaif/sosiki.html
 
 


 

 はて、
 軽井沢の(たぶんもう無い)フロンティア詐欺ファーム社長・淺井と、

 興部の冨田ファームよ。

 爪の垢を煎じて飲む気は……




 無いんだろぉなぁ……(--#)……。

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