今日の今日とて、私に「放射性物質が感知(体感)できる!」という話を、
「かわいそうなノイローゼの人……」という表情ありあり~でスルーしてくださった人がいて★(==#)★

 いや、そう思うのは別にいいんだけどね?
「そう思う人」ってぇのが、イコール私にとっては「敵!」だ、つぅだけの話だし……


 右肩に貼ってある『もやしもん』はご存じのかたも多いと思うが、主人公に「菌が見える」という特異体質というか特殊能力がある、という設定の、しかしそれ以外は非常に科学的な、細菌学と環境学の(?)、いわゆる「ウンチク漫画」である……(?)
 参照> http://19668.diarynote.jp/200607270012590000/

 こういうふうに「目に見えて」て、しかも、菌と会話ができたり遊んでもらえたり、あまつさえ手でつかんでシャーレに載せてみたりとかいう判りやすい「特技」があれば、まだ人からも信じてもらいやすいし、実生活の役にも立つ? と思うのだが……

 あいにく私にとって有毒化学物質というのは「目に見える」わけではないし、相互コミュニケーションも、不可能だ……

 わかるのは、とにかく、
「そこに有害なものが存在している!」ということと、
「それが自分のからだに対してどんな風な被害を及ぼすのか」という、ことだけ。

 アスベストというものの存在も名前も知らないうちから、
「あの天井に張り付いている「変なもの」を吸い込んだら、
「肺に突き刺さって、穴があく!」ということ(だけ)が、

 どんよりした「天井のかたまり」(濁り・曇り)として「目に見え」
 からだに実際に突き刺さる「仮想的な痛み」として、体感された。

 それがどういう科学的根拠であるのか、私は知らない。

 ただ、脳の障害(?)の一種として、境界ナントカ、というものは、他の人にも存在しているらしい。

 色(色覚)が音(聴覚)に聞こえたり、
 味(味覚)が形(視覚)に見えたり、

 そんなふうな、脳内の配線ミス?による、情報知覚の混乱だ。
(ちょっと今、その障害の正式名称をど忘れしていて検索できない☆)

 化学物質を見知する「超過敏な臭覚」(小脳の担当)が、そのまんま、「味覚や痛覚」として、情報置換されて、「大脳に届いている」のかもしれない……☆


 とにかく私にとっては空中に飛散しているダイオキシンやアスベストは、化学合成洗剤の臭いや化学合成殺虫剤の超悪臭といった「有害化学物質」と同じく、「感知できる」シロモノだし。

 そのへんの機械から発する電磁波とか、予報も出ない程度の「光化学スモッグ」とかも…… それが「私のからだに有害な」レベルに達していれば、敏感に察知して、ひどくなる前に「回避行動」に出る。

 それと同じで。

 セシウム(おそらく)は、口に入ればたとえばトウガラシの粉末を直接塗りつけられたような激痛を感じるし、粉塵として喉から吸い込めば固くてタイトな痰になって可及的速やかに排出される。

 同じセシウム(たぶん。または、あるいは「番号違い」なのかもしれないが)でも、水や水蒸気に溶けているものは、臭いが微妙に違うし、うっかり吸い込んだ後も排出されるまでにちょっと時間がかかり、激しい咳をともなう水様痰のかたちで、連続して(回数分けて)断続的に、ゲホゲホと排出される。

 プルトニウム(たぶん)は、表皮に張り付いた時には、もう「激痛!」の一言だったし。空気として取り囲まれた時には、ビリビリジリジリバリガリ……と、強い「電磁波」(たぶんあれが放射線?)に包囲される刺激と、生命に直接関わる! という、激しい「本能的恐怖」を感じた。

 アメリシウム(おそらく)は、プルトニウムに似た感じだが、もうすこしは弱くて、痛さで言うと「黒い粒胡椒をまるごと噛み砕いたような」強い刺激で、とにかくゲロまずい★ 排出する際の唾液の苦さ不味さといったら、もう言語に絶する★(><;)★

 キセノンは、吐き気とめまいがする不愉快なガスで、目も痛くなるけど、命にかかわるという切迫感はない。(むしろアルゴンガスのようなにおいに感じる……??)

 キュリウムというのは、たぶんあまり毒性が高くないのか、「いろいろ不快なものがまじってる」の「いろいろ」に、いまのところ分類されている……★



 これが、ただたんに私の「ノイローゼ」(妄想)なのか、本当に科学的に分析してみても正しい情報に「近い」のか、どうか……


 判断は、みなさんにお任せする。

 ただ、「文部科学省発表の」

「順次順調に毎日数値が下がり続けている」放射能情報を、まるごと信じ込むことだけは……


 やめておいたほうが、生命を守れる、と、思う。




 被曝の話の続き。(別件。)

 右の本のレビューはこっち見てね☆
 http://mixi.jp/view_item.pl?id=1077360&reviewer_id=3818139
 (^^;)>核廃棄物処理の話~★>

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1586738&media_id=4
福島第1被ばくは別枠=最大350ミリシーベルトに―「働けなくなる」東電検討
(時事通信社 - 04月28日 22:03)

 東京電力の松本純一原子力・立地本部長代理は28日の記者会見で、福島第1原発の作業員の被ばく限度について、今回の事故の緊急作業による被ばくと、通常作業での被ばくを別枠として扱うことを検討していると明らかにした。

 緊急作業による被ばく限度は特例で250ミリシーベルトとされているが、通常の限度は1年で50ミリシーベルト、5年で100ミリシーベルト。別枠で扱わないと、緊急作業に従事して通常の限度を超えた人が他の原発で働けなくなるという。

 合計すると5年間で最大350ミリシーベルトとなるが、松本代理は健康上の問題はないとして、厚生労働省や経済産業省原子力安全・保安院と協議する考えを示した。 


 時給1万で、「放射線が高すぎて、実働15分しか働けない」なら、
 手取りというか、日収に換算したら……
 ★(==#)★ 詐欺ぢゃん★
 http://news.livedoor.com/article/detail/5524991/
原発復旧作業をハローワークで紹介 「時給1万円」に応募者続々.
2011年04月28日18時43分
提供:J-CASTニュース

原発作業員の求人がハローワークで紹介されている。時給は1万円。ただ、1日の労働は2時間だ。応募者は続々と現れ、2日で5~60人に達した。


防護服を着た、体力を使う作業

求人は千葉県の人材派遣業者「クロテック」がハローワークに出している。募集要項によれば、時給1万円の仕事の中身は、

「福島原子力発電所復興業務。原子力発電所の外周業務。防護服を着て、規定の時間内での作業となります。体力を使う作業となります」
勤務は交代制で、労働時間は8~17時の間の2時間。そのため、日当は2万円となる。雇用形態は試用期間3か月の正社員で、学歴、経験、資格は不問となっている。仮設住宅に住み込んでの仕事となるが、住宅費や食費は会社が負担するという。

防護服を着るというので、ある程度放射線を浴びる、危険をともなう作業が予想される。一部ネットユーザーからは、

「行きたいわ。これからの娘たちの未来のために」「よし、応募する 大学の時に四年間も原子物理学を勉強したんだ、やっと活かす時がきた もし死んだら靖国に祀ってくれよ」「俺・・・行くことにした。お国のために飛び立つ第二次世界大戦の飛行士の気分だ」
といった声が上がっている。

「職も流れちゃったし行こうかな 2時間とか最高じゃん」など、時給の高さや勤務時間、ハードルの低い条件に魅力を感じる人もいるようだ。

募集をかけているクロテックによると、「27日の昼から求人を出し、すでに50~60件の応募があった」とのことだ。募集要項では「被災地現場作業」10人、「現場作業・作業管理者」2人の募集となっているが、具体的な業務内容、採用人数はゴールデンウィーク開けに決定していく。

「時給1万…安っぽい命だな」
東日本大震災後、原発に派遣される作業員が募集されるのは初めてではない。3月末には、愛知県の人材派遣業者が求人サイトを通じて、「短期でガッチリ稼げる仕事です。東北地方のかたのお手伝いをしに行こう!!」と、原発周辺の清掃作業員の募集をかけていた。

こちらの募集も時給1万円で、作業は防護服を身に着けて1日3時間。年齢、経験などは不問、雇用期間は「3か月の予定」となっており、

「福島の原子力発電所での仕事です。この言葉を聞いてイメージするものはいろいろあると思います。ですので今回は、~のためと割り切れる方の募集をお待ちしております」
という説明があった。締め切りは4月30日とされていたが、すでに採用人数に達したため募集が終了している。

ほかにも月給16万5000円~31万円で「ガレキの撤去作業」や「発電所内の機器メンテナンス」という内容の求人などがあった。

一方で、こうした募集に対し、

「これで行くやつは命を不要と思う奴くらいだろ」「命の価値は時給1万…安っぽい命だな」「ケタが足りない」「1日原発に拘束されて収入たったの2万かよ」
といった否定的な意見も多い。


 参照:
 http://85358.diarynote.jp/201103161113455263/
 http://85358.diarynote.jp/201104051548004579/

 東電女性職員被ばく
 福島第1原発
 限度の3.5倍超


 東京電力は27日、福島第1原発(略)の女性職員が地震発生から10日あまりのうちに、法定限度の3.5倍を超える被ばくをしていたことがわかったと発表しました。

 女性職員は50代で、消防関係の仕事をしていました。(略)
 女性の被ばく限度は法律で3カ月に5ミリシーベルトと定められています。(略)

 今月23日(略)内部被ばくと外部被ばくを合わせた被曝線量は17.55ミリシーベルトになります。(略)他に2人が限度を超えている恐れがあるといいます。

(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
 機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
 2011.04.28.)


 出産年齢を超えているなら、現場にあって、男も女もない。

(ていうか、男性でも「子づくりがまだ済んでないやつ」は、汚染現場に入れるな★)

 この「女性の被ばく限度」をワザワザ別枠で設けているということ自体が、

「働く女性というのは、結婚前の若齢独身女性だけ」時代の

 偏見と性差別の名残に他ならないので、これはそもそも撤廃し、

「性差ではなく、年齢差で」の、

 新しい(安全な!)基準値を設けるべきである……。

 h(--#)★


>内部被ばくと外部被ばくを合わせた被曝線量

 ……やっと! このデータが報告されはじめたねぇ★

(「あまりにも遅すぎる」けど……★)


>他に2人が限度を超えている恐れがあるといいます。

 大丈夫!? 限度の「基準」のほうを、かってに変更したから……!?
 (==#)

(トップに戻る★)
 もう一個「放射能臭くない」やつ(^^;)

 えと、私の母方の祖先が「秀吉の朝鮮【征伐】時に拉致されたまま帰国できなかった両班?(だったらしい)」というのは、この際、まったくの余談なんですが……☆
 応援演説した
 作家 藤沢周平

 (千葉市(略)63歳)

 多くの著名な文化人、作家が陰ながら、そして表立って共産党に信頼を寄せています。17日付の読書欄で、藤沢周平の未刊行エッセー集『帰省』が出版されたとあり、その中の一編「雪のある風景」は、共産党候補の応援演説した時のエッセーです。早速買い求めました。

 権力ではなく、常に庶民の側に立ち、人間を見つめてきた小説家でした。(略)歴史上の権力者を描き続けてきた作家、司馬遼太郎とも比較されています。(略)

 人々の望みをくみあげ政治に生かす政治の原型を「それは政争の権謀術数の中で、多くの政治家が失ってしまった、政治に対する初心のことである」と書いている。

 自分のできるささやかな運動をし当選させることができた今回の選挙でした。
 共産党が藤沢周平からも信頼を受けていたという事実は、私にとってとてもうれしいことであり励みにもなります。

(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
 機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
 2011.04.28.)


>人々の望みをくみあげ政治に生かす政治の原型
>それは政争の権謀術数の中で、多くの政治家が失ってしまった

 参照> http://85358.diarynote.jp/201104271408061961/


>共産党が藤沢周平からも信頼を受けていたという事実

 ていうか、作風(テーマ)、そっくりだし☆

 参照> http://www.j-real.com/ta-san/fjsw/suuhen05.html
 『義民が駆ける』
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E6%B0%91%E3%81%8C%E9%A7%86%E3%81%91%E3%82%8B

 藤沢周平記念館
 http://www.city.tsuruoka.lg.jp/fujisawa_shuhei_memorial_museum/index.html

 (^^)g
 
「そのナはワッカ ペでないじゃ!」

 という謎のセリフは、右の写真の本の中(冒頭部分)に出てくるのだが。

 ネタばらしで申し訳ないが、

 ナ は 「 川 」
 ワッカ は 「飲める水」(美味しい水)
 ペ は 「飲めない水」(汚い・不味い水)

 を意味する、アイヌイタク(人間語)の単語である。


 わたしは自称(客観的歴史的事実?としてもたぶん)、
「遠くはアイヌの血筋をひく末裔の、先祖帰り」なので。

 (^^;)

 なのでというか、関連性は不明なのだが、「飲める水」と「飲めない水」が、
 自分の本能(臭覚・味覚)で、きちんと、判別できる。

 (^w^)g

 若かりし頃、全国を貧乏旅行中、山谷を終日単独で歩き回って、手持ちの水筒の水は飲みきってしまって、行き当たった(というか音を頼りに捜した)沢水や、舗装道路や林道の道ばたの湧き水で「飲料水補給」をしたことは何度もあるが……。

 「これは飲める!」
 「これは飲めない!」(飲んだらハラくだす★)

 の、判別を、誤ったことは……

 一度も、ない。(^^)g

(*口にふくんで、うがいみたいに動かしてみて、その時の下や口内粘膜にあたる触感? で、判別する。)




 水道水、美味しい……!




 と、昨日のジャスト午後5時。

 工事終了間際の「断水直前」状態のブワブワ言いながら頼りなく吹き出してた水道水の、工事終了を待つこと数分間、再び、試しに、ひねってみた、蛇口から……。


 シュワワーーーーーッ という、音からして清冽な、そして、水温が確実にさきほどより5度以上は低い(と思われる)、涼しくて、清涼な、「山泉」に、ちかい、香り!!!!



 酸素をたっぷり含んだ、「健康な自然の水」に、ちかい、香り!!!!

 ?? !(@◇@)! ??


 音と、香りと、水温からして、「おいしい水」の予感たっぷり!

 の、「新しい水道水」を、ためしに口に含んでみると……


 おいしい!
 美味しい!

 美味しいッ!!!!



 ♪(@@)♪


 しかも、全然まったく、「放射能臭がしない」……!!!!



 ????(@@;)????



(続く☆)
 おそおはようございます。11::55です。
 どこからともしれぬ風向きの定まらない風が強く吹き荒れています。

(チェックしてみたところ、現在は、南太平洋からの、放射能の少ない気流のようですが……。)

 空気に、放射性物質ではない、「なにかの石油製品が低温(野焼き?)で燃える有害なにおい」が混ざっています。

 昨深夜、宮城で震度6強があった、というのは、今朝のしんぶんの小見出しで見つけました。(おそらく印刷開始のギリギリの時間で、タイトルだけ突っ込んだのでしょう。)

 被害の程度は、これからネットでチェックします。

 はっきり言って、「そんなもの知りたくない!」と、全身が拒否しています……



 (--;)ので、ヤケノヤンパチの景気づけ(?)に、標記のCDかけてます……。



 今日の予定は、ご近所出張整体が一件と、
 そのあとそのお客さんと一緒に(^^)

 小池さんの駅頭(@高幡不動17:30~)の予定だったのですが、
 お客さんのお孫さんがお熱で保育園お休みとかで、整体キャンセル。

 なので、きっと、

「その時間もPCの前にしがみついていろ」という、神様のオツゲ(?)なんだろうな……





 なにが、できるかな。

 なにか、できるかな……





 おそようございます。11:22も過ぎちゃいまして、11:33にはまだ早い、という時間帯でございます。

 昨夜は脳天気な「政権膏薬」を書いた後、もう2~3個、とっても真面目な記事転載をしようと思っていたのですが、うっかりネットチェックをかけたら深夜0時過ぎに「敷地内でプルトニウム検出」の報を見てしまい……

 精神的に、ショートしてダウン★
(><;)★””””

 夜中に外に出たがる猫を抱きしめて、「だめだよ、死んじゃうよ、プルトニウムだよ……(涙)」という感じだったのですが、少しでも健康で長生きして欲しいという私のワガママより、「閉じこめられたくない!」という本にゃんの「QOL」のほうを優先して、泣く泣く、午前3時ごろに雨戸を開けて外へ出したり、午前5時ごろににゃーにゃー戸外で鳴かれて慌てて起き出して雨戸を開けて屋内へ入れた猫を、風呂場で塗れタオルでせめてもの「除染」したり、しているうちに……

 寝直して、起きたら、9時半すぎてました……(--;)””

 今朝も東からの風なので警戒していたのですが、
 アメダス
 http://tenki.jp/amedas/area-3.html?amedas_type=wind
 で見る限りにおいては、東京湾を吹き上がってくる海風の末流のようで、まぁ、ちょっとは安心して過ごせそうな一日。

 かな……?(^^;)””””

 様子を見て、室内干しで生乾きになってる洗濯物群を外に出すかどうか、決めようと思います。

(天気は快晴! “ねこのひたい”ガーデンは、いつのまにやら百花繚乱!!!!
 そして、東京は、桜の開花の報道!!!!)



 ……これで、プルトニウムさえ、降ってこなければ。ねぇ……★


 ……(==#)……




*タイトルと、画面に出てるのは、爆風スランプ『ハイランダー』。
 3曲目「スパる」が、秀逸なる反核テーマソング★(--;)★


【追記】
 http://www.dwd.de/bvbw/generator/DWDWWW/Content/Oeffentlichkeit/KU/KUPK/Homepage/Aktuelles/Sonderbericht__Bild5,templateId=poster,property=poster.gif
 うわぁ~ん……★(><p)””””””★
 そういえば、今朝の日本【公狂】放送が、とうとう、
「ついウッカリ」くちを、すべらせていましたよ……★

アナ「子どもたちへの影響はどうなんでしょうか」
教授「チェルノブイリでは14歳以上は「大人」に含めちゃったんです。ですから統計があれなんですけれども。
 小さい子どもたち、とくに5歳以下、には、飲ませないほうがいいです」

アナ「お風呂や洗顔や洗濯には使っても大丈夫なんでしょうか」
教授「放射性物質は皮膚からは吸収されません。皮膚からは吸収されないんですが、粘膜からは吸収されちゃいます。ですから、目や口の中、鼻には、入れない……方が…………」
(ここで絶句。アナもしばらく絶句した後、慌てて別の話題へ。)


 きっと後日、「NHKは真実を報道しなかった!」とか追及された時に。

 この部分だけ「延々くり返し放送」して。「いや!われわれちゃんと、有用な情報を発信してました!とか、事故正当化に、はしるに違いない……★

 w(--;)w


 ほぼ「全面敗北」的な「超低額」金銭的補償でしかない、
 BADな先行事例。
 水俣病訴訟が和解

 水俣病の未認定患者で関東地方などに住む194人が、国や熊本県、原因企業のチッソに損害賠償を求めた訴訟は24日、東京地裁(略)で和解が成立しました。熊本県の水俣病をめぐる裁判で、国と和解が成立したのは初めて。(略)
 和解条項は、原告と被告双方が選出した医師らによる「第三者委員会」で認定された177人に対し、チッソが一時金210万円を支給し、国と県が月額最高1万7700円の療養手当を支給することなどが柱。
 原告団の(略)団長代行(64)は会見で、「早期解決を第一目標としていたのでこれで良かったが、自分が水俣病だと知らない多くの人が切り捨てられることのないよう支援していきたい」と話しました。

(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
 機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
 2011.03.25.)


>水俣病
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E4%BF%A3%E7%97%85

 これが、当初まったく「原因不明」の「奇病」の扱いでして……。

「天罰」「たたり」「うつる(伝染する)」と言われて、被害者の人々は、二重・三重・四重の、苦悩と悲嘆の人生を余儀なくされた……。

 (><;)

 フクシマ被曝者のみなさんを。
 二度と!

 こんな辛い目に、遭わせては、いけない……★!!

(ってことで、みなさん、避難所でもし可能であれば、
『エリン・ブロコビッチ』
 http://mixi.jp/view_item.pl?id=13323&reviewer_id=3818139
 を見て、勇気と「今後の行動指針」を、もらいましょう!!♪)

(そう。私はなりたい、エリンのよーな女に……w)

 早期解決ぜひ
 薬害イレッサ原告らが要請

 薬害イレッサ訴訟統一原告団・弁護団は24日、菅直人首相と細川律夫公正労働大臣に対して早期全面解決を求める申し入れ書を提出しました。
 申し入れ書は23日の東京地裁判決にたいして控訴せずに、協議による早期全面解決を図るよう求めています。
 申し入れ書は、原告全員の救済、未提訴者の救済ルール設定、薬害イレッサ事件の教訓を薬害防止やがん医療に生かすこと、抗がん剤副作用死救済制度の創設を求めています。
 また、アストラゼネカ社に対しても同様の申し入れを行いました。

(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
 機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
 2011.03.25.)



 午後15:45。結局、途中から風が弱まってしまって、日差しも雲に隠れてしまったので、洗濯物は予定の半分で終了して室内(おふろば)干し。臭くならないよう、リンス代わりに、いつも京王の園芸コーナーで購入している国産「木酢液」(紀州白炭なんとか)を希釈して使用。……今度、「耐久【放射能がまん大会】レース・なるべく普通?の日常生活マニュアル」でも、書くかなぁ……★

 とか思いながら、家事のBGMが標記CDだったので、そのままPC前に戻る。

「逃げ遅れた」首都圏在住すべての人々のための、すでに今更な感のあるトリガー類をいくつか……。

 チェルノブイリの子どもたち
 http://www.smn.co.jp/cherno/

 チェルノブイリへのかけはし
 http://kitaben.s91.coreserver.jp/www.kakehashi.or.jp/?page_id=77#a003

 チェルノブイリ原発事故による小児甲状腺ガン
 http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/JHT/JHT9602.html

 知ってますか?
 http://www.ekokoro.jp/world/problem/011/index.html

>「1986.4月のチェルノブイリ原発事故で大量の放射性降下物が降ったギリシャでは、母親の胎内で被爆した子供の生後1年未満の白血病発病率が通常の2.6倍になっており、事故の影響と考えられる
 http://www.naoru.com/hakketubyou.htm

 原発震災が起こったら・避難の手引き
 http://www.stop-hamaoka.com/kaisetsu-5.html

 逃げ遅れる人の心理
 http://news.biglobe.ne.jp/trend/0322/gad_110322_5044879999.html
逃げ遅れる心理への対応を考えたい
ガジェット通信3月22日(火)0時45分

今回は新 恭さんのブログ『永田町異聞』からご寄稿いただきました。


阪神大震災でもそうだったが、被災地の日本人は、世界が驚嘆するほど、秩序正しく、我慢強く、感謝の念を忘れない。悲嘆のなか、避難所の人々が、力を合わせて生活再建に向かいつつある姿を見るのは、心強く、誇らしい。

ただ、痛恨の思いがあるのは、津波から逃げ遅れた人が多かったことだ。津波の怖さについて知識がある人、ない人の差が生死を分けたかもしれない。というのは、人はだれも、いずれ死ぬという認識はあっても、心理的には「自分だけは死なない」と思っているからだ。死んだ経験がないのだから、想像力が働かないのも当然といえる。そこで、ともすれば、危機に対して鈍感になりやすい。みんなが大騒ぎするほどになればパニックに陥るが、みんなが鈍感なうちは、安心している。

たまたま先日、『NEWS23』で、記者が記者個人の避難行動を記録した15分ほどの長い映像を見た。レポートではないため迫真性がある。東北放送の武田弘克記者は仙台の海岸近くで産廃関連の取材中、激震に見舞われた。地震発生は11日午後2時46分ごろ。それからしばらくして津波が襲ってきた。大地震後の混乱で、道路は車で渋滞していた。武田記者は海から津波がやってきているのに気づいた。

武田記者は乗っていたタクシーの運転手に「逃げよう」と声をかけ、二人で近くのビルをめざして避難をはじめた。この段階では、波は静かに寄せているように見えていた。のちの猛々しさは想像もできない。しかし、武田記者は過去の取材活動を通じて津波の怖さを知っていた。

数珠つなぎになった車のなかから出ようとしない人々。武田記者はあらん限りの声を出して「津波が来る、逃げよう」と叫びながら、近くを通っていた何人かの人々とともに二階建ての工場の敷地内に入った。工場の入り口にはカギがかかっていたが、武田記者が大声をあげたのに気づき、工場の関係者が開けてくれたらしい。このとき、足元には道路表面をおおう程度のわずかな水量しか到達していなかった。

武田記者らは急いで二階に上がった。そのとき道路を見ると、すでに大きな濁流が流れ込んできていた。武田記者はもっと高いところに行かねばという不安に襲われたという。

このあと、消防団経験者が近くの木にしがみついている人たちを消防ホースで救援し、武田記者のいる工場二階に引き上げる場面まで、武田記者は避難者を励ましながらずっとカメラをまわし続けた。津波は、目の前に危険が現れたときにはもう遅い。この映像からそれを強く感じた。

にもかかわらず、大地震のあとの津波襲来を知りつつ逃げ遅れてしまう行動の鈍さのなかには、やはり誰もが共通して持っている「自分は大丈夫」という心理状況が隠れているのではないだろうか。これを心理学用語で“正常性バイアス”というらしい。“異常事態に対し心を平静に保とうとする働き”のことだ。ストレス軽減のため人間に備わった心的防御作用だろうが、これが働きすぎると、命にかかわる危険に対しても鈍感になってしまう。

また、他の多くの人と同じ行動をしておれば安心だという“集団同調性バイアス”なる心理も、ときに悪い方向に働く。たとえば、先述のような渋滞の列から、一人だけ車を飛び出す行動は、相当な確信を要するだろう。

そこで、津波警報などの災害情報に求められるのは、心理的バイアスがとれて住民がそれを深刻に受けとめることができるような伝えかたである。念のためにという程度でも、これは重大だというケースでも、同じやり方で「避難してください」では、オオカミ少年のようなことになってしまう。

武田記者の映像は、武田記者が大声で危機意識をあおったからこそ何人かの人々の命が救われたことを示している。その大声のおかげで「自分は大丈夫だ」という正常性バイアスがとれた人々が武田記者とともに避難できたといえる。

これを機に、より効果的で適切な災害情報の伝え方を行政なり専門機関に研究してもらいたい。

新 恭(ツイッターアカウント:aratakyo)
http://twitter.com/#!/aratakyo

執筆: この記事は新 恭さんのブログ『永田町異聞』からご寄稿いただきました。

文責: ガジェット通信




 その他、非常に関連するオマケ類。
 http://elitwindmw.diarynote.jp/201103221614035591/
 http://elitwindmw.diarynote.jp/201103231527045712/

 http://32226.diarynote.jp/201103231518236405/

 ではまた☆

 http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110323-OYT1T00569.htm?__from=mixi
 http://32226.diarynote.jp/201103212016444919/
 そんなわけで。
 寝たきりで、一歩も部屋から出ることができず、窓から見える夕焼けと小鳥と猫と、テレビとパソコンだけが暇つぶし……で。
 いつも退屈していたTさんに、私のストックの中から順番に「レンタルCD」していて。

 そのなかで、たいそうTさんが気に入って、録音とって。
 「自分の“お別れ会”の時には、この曲をかけてもらおう!」と、

 いっていた、一枚。

 これを聞きながら、ご飯食べて、昼寝してきました。

 さて……






 今まだ生きてる人間は、
 天とか神とか悪魔とかから「死ぬことを許される」までは、

 生きていかなくてはいけません。




 今、できることを、するかな……(^^;)””””””

 http://ameblo.jp/temameya-seitai/entry-10836771025.html
 いま悲しいかた、不安なかた、移動中のかた。

 可能であれば、
 ナターシャ・グジーを入手して、聴いてみてください……。
 http://www.office-zirka.com/

 チェルノブイリの時と、まったく同じ悲劇がくり返されようとしています!

 でも、人は生きていかなければなりませんし、
 案外、人は生きていけるものなのです!!

 (><;)””




 ……ちょうどいま(ていうかここ数ヶ月前から断続的に)
 読んでいる本……。
 (^^;)”

 まぁ何故ここにこれが載るのかという解釈はひとそれぞれにお任せする。
 私としては、「体調の悪い自分」という免罪キーワードを駆使して、「自分を甘やかしておきたい。」だけである☆

『〈子どもの虐待〉を考える』
 (玉井邦夫/講談社現代新書)

 対応する側のつらさ
 つながらない感情

(略)ある小学校に、虐待を受けていると判断されている女児が入学してきた。教師たちは事前に学習会を開くなどの準備をして、全員がその子の生育歴や家庭事情などについて理解したうえで受け入れた。入学後、いやなことがあるとすぐに学級を飛び出したり、子ども同士の関係の中でことあるごとに「誰々さんが私のことを仲間はずれにした!」と訴えるといった言動がみられはじめた。集団不適応といわざるをえないこうした言動(略)あまりにも自分勝手といわざるをえない言動が続いた(略)
 ここに示したのは、虐待を受けた子どもたちにしばしばみられる、感情の不連続星ともいうべき特徴である。
 虐待を受けるということは、乳幼児期においてもっとも愛着の対象となるべき人間から、極度の脅威を受けるという体験である。そこには愛着と恐怖という両極の感情が絶えず混在し、子どもを心理的に引き裂くような働きをする。
 相反するような感情の狭間に陥って、自分の感情をどちらかに決められなくなるような状態を両価的(アンビバレント)と呼ぶ。虐待を受ける子どもは、極度に両価的な人間関係にずっとさらされることになる。こうした体験は、当然のことながら人間関係の発達に大きな歪みを生じさせることになる。(略)


 「心の一貫性」を見失うとき

 心理的虐待の説明の中ですでに述べたように、しつけには、まず基本的な安定感を感じ取れる人間関係が重要になる。「やさしいお母さん」は自分の行為によってあらわれるのだという確信が、得られなければならないのである。
 ところが、虐待という関係では、子どもはしばしば一方的に養育者の感情の標的とされる。そこには、子どもが自分自身の行為によってはコントロールできないような養育者の心の状態の変化がある。このような環境に置かれた場合、子どもはどのようにして心のバランスをとればいいのだろうか。そこでは、子どもはもはや自分に虐待を加える大人に対して、その「心の一貫性」を理解することをあきらめざるをえない。(略)子どもは虐待行為の引き金をコントロールすることができないのである。(略)
 虐待行為という嵐が通り過ぎた後、「自分のどこがいけなかったのだろう」などという分析的な思考は生じえない。むしろ、気持ちをすっかり切り替えることで、日常を再開するしかないのである。このような体験の積み重ねが、感情の不連続性という特徴をつくりだしていく。「あの子はどうしてついさっきの出来事を、まるで消しゴムで消したみたいに忘れることができるんでしょう」という嘆息は、実は、子どもが虐待という人間関係の中で獲得せざるをえなかった防衛規制のことを述べているのである。


 表面的な愛着関係

(略)感情の不連続性とは別の観点から検討してみたい。
 この女児は、実習にきた学生に対して、きわめて親密な関係を短時間で結んだ。(略)ここで注目すべきことは(略)「これで終わりである」というメッセージを送った時点で、あまりみのあっさりと態度を変えたことである。
 この豹変ぶりは(略)あっれほどまでに親密だったはずの学生に対して、彼女はいともあっさりと見限る言葉をかけているのである。
 ここには、彼女が最初に学生に対して示した愛着が、実はまったく表面的なものであったことが示されている。(略)
 ふつう、はじめて会った人間に対しては、子どもはなんらかのかたちで警戒の姿勢を示す。ところが、虐待を受けた子どもたちの場合、こうした警戒反応が生じないということがしばしばみられる。これは、とりわけ幼児期に多いようである。単に警戒反応が生じないだけではなく、初対面の相手に対して、過剰なまでにベタついた印象を与えるような関わり方をすることが多い。(略)
 つまり、虐待を受けた子どもたちの示す愛着行動は、無差別的であるという重大な特徴を持っているのである。


 クリンチとしての無差別愛着

(略)学生の予想をはるかに超えた女児の「なつきぶり」が虐待を受けた子どもの特徴のひとつであることは、理解できた。では、別れ際に彼女が示した掌を返すような態度は何なのだろうか。一度愛着を示した対象を急激に切り捨てるようなかたちで離れてゆくことを、デタッチメントと呼ぶ。彼女が示した行動は、まさにでタッチメントの好例である。
 ここで、彼女の心理を想像してみよう。(略)彼女にしてみれば、学生が(略)自分の希望する通りには動いてくれないことを知らされる。
 ここで彼女の心理的態度は一変する。それはまるで、学生がもはや自分の意に添わない行動をとることがわかった以上、その学生にいつまでも愛着を示していても仕方ないとでも言っているかのようである。
 このような豹変は、なにも初対面の相手に対してのみ起こるわけではない。ある程度の期間にわたって持続的な関わりがあり、それなりの人間関係が築かれていると考えられるような場合でも、生じることがある。(略)
 その途端、彼はそれまで抱きつかんばかりに寄り添っていた保育士のそばから離れ、彼女をにらみつけながら言った。「そういう言い方するわけ。じゃ、いいよ。もうおまえとなんか関係ないから。勝手にしろ、バーカ」

 それまで愛着行動を示していた相手に対する極端な態度の豹変は、前節で述べた感情の不連続性のバリエーションとして考えることもできる。感情の不連続性については、自分の行為と相手の「意図」を結びつけることが不可能なほどに理不尽な人間関係に、子どもがさらされたことから生ずる防衛機制として考えることができる。(略)


 ひとりの人間の多面性を理解するということ

 自分の行為と相手の「意図」を結びつけていくためには、相手のさまざまな態度がひとつの人格の異なる側面であることを理解する能力が必要になる。くりかえしになるが、「怒っているお母さん」と「やさしいお母さん」は同じ人間である。ということが理解できなくてはならないのである。
 相手の態度に多面性を認めるということは、相手が自分とは異なる人格の持ち主であることを認めるということである。精神発達の初期には、周囲の大人の態度はすべて自分の欲求と結びついている。というより、子どもにとって、大人は、自分の欲求を満たしてくれる存在としてのみ認識されているのである。(略)
 先に、虐待を受ける環境下では、「子どもが自分自身の行為によってはコントロールできないような養育者の心の状態の変化がある」と述べたが、これは、「自分の欲求を満たしてくれる存在としての親」と、「自分に虐待を加える脅威と恐怖の対象としての親」というふたつのイメージがあまりにも乖離したものとして子どもに示されている状況である、ということができる。したがって、子どもは親の示す多面性を、ひとつの人格にまとめあげて理解することができなくなると考えられる。
 このような心理発達の歪みが生ずると、子どもは、相手のある一面のみに着目して反応せざるをえなくなる。ここで、もう一度先ほどの例に戻っていただきたい。それまでいっしょに遊んでいた副担任との関係を突然切り捨てて教室を出て行った男児。それまですり寄るかのような甘えさえ示していた保育士を突然罵りはじめた男児。彼らの行動が急変したきっかけはいずれも、子どもの思考や行動の流れに対して、大人が制限を加えたり、希望に添えないことを伝えたりしたことにある。
 つまり、彼らはそれまで「自分の欲求を満たしてくれるはずの相手」と関わっていたのに、相手が自分の欲求を満たしてくれないという側面を感じ取った途端に、その関係を急変させたと考えられるのである。ひとりの人間の中の多面性を統合的に理解することができず、自分の欲求に応じてくれる限りにおいては表面的に良好な愛着関係が築けるものの、いったん自分の欲求が通らないと判断した途端にその関係を切り捨ててしまう。ここに、虐待を受けた子どもたちの大きな心理的特徴のひとつが示されているのである。


 学習された攻撃性

 これまでに述べてきた感情の不連続性や表面的な愛着関係は、それ自体子どもの人間関係を大きく歪ませるものである。しかしこれ以外にも、人間関係を歪ませる要素がいくつかある。
 ひとつは、きわめて攻撃的だったり挑発的であったりする言動である。(略)子どもが何らかの意味で対人的な緊張を強いられる場面に立たされている。こうした場面に対処しようとするとき、彼らのもっているパターンは非常に攻撃的で挑発的なものになりがちである。先に述べた通り、これは子どもが暴力的な問題解決の方法を学習してきた結果として説明することができるが、防衛機制という観点からも説明することができる。それは、攻撃者との同一化という概念である。


 防衛機制という考え方

(略)防衛機制が働くこと自体は、誰にでもあることであり、健全な人格発達にとって必須のことといってもいい。重要なことは、ほとんどの場合、人は、自分が防衛機制を使ってある種の感情や思考、欲求を抑え込んでいるという自覚をもっていないということである。これは、考えてみれば当然のことである。防衛機制を自覚できてしまうということは、その機制によって抑え込もうとしている思考や感情、欲求についても自覚できてしまうということなのだから。それでは防衛機制の意味がないのである。
 防衛機制にはさまざまな種類があるといわれている。もっとも「原始的」とでもいうべきものとしては、抑圧と呼ばれる機制がある。これは、自覚したくない感情などを、完全に無意識のレベルに封じ込めてしまう働きである。きわめて悲痛な体験をしたりすると、その時期の記憶がぽっかりと欠落してしまうこともある。これは、自分の心にとってとうてい我慢ができないほどに痛みをともなう記憶を、無意識のレベルに封印してしまった状態であると考えられる。(略)


 攻撃者との同一化

(略)さて、虐待という圧倒的な攻撃にさらされたとき、子どもは虐待を加えてくる大人に比べ、自分自身が極度に無力な存在であると感じさせられる。このとき、攻撃者との同一化という機制で相手のパターンを取り入れてしまえば、今度は逆に強者としてふるまうことができるようになる。それによって、子どもは自分の存在さえ脅かしかねないほどの無力感から脱することができる、と考えられるのである。
 ただし、子どもたちが示す攻撃者との同一化は、いわば緊急避難的な自己防衛の機制であり、ひとたび防衛機制が崩れれば、そこには一転して無力な自分がさらけ出されることになる。(略)


 関心を示す方法がわからない

 攻撃性は、単に問題解決場面にさらされたときに生ずるだけではない。親子関係の中での虐待という体験は、子どもにとって愛されることと痛めつけられることの両方を体験しつづけることを意味する。このため子どもは、親愛の情を表現しようとするときに攻撃的な言動をとってしまうことがある。
(略)虐待を受けてきた子どもたちが親愛の情と攻撃性を混同してしまうのは、もっと深いレベルでの人間関係のゆがみであると考えられる。彼らは適切な愛情表現に接した経験が乏しいため、相手に関する関心を示す方法がよくわからないのである。
 学校に虐待を受けた子どもが入ってきた場合、ともすればその逸脱した行動傾向ゆえに集団から外れてしまうことが多い。(略)虐待を受けた子どもが相手に向けた自分の関心を表明しようとするときの困難さを示していると考えることができる。


 虐待体験を再現するということ

(略)実をいえば、トラウマとなるようなつらい体験を克服するために、それを擬似的に再現することは有効な戦略なのである。どんなに恥ずかしいことも、最初は口にすることさえはばかられるが、何度も笑い話として話題にしていく間にあまり気にならなくなるという経験がないだろうか? これは、強い感情と結びついている体験を何度も再現することで、徐々に行為と感情の連合を解いていく作用なのである。(略)それが、虐待関係の再現・反復として観察されるわけである。(略)
 このように、痛切すぎる感情体験を和らげるために行われる行為の再現と反復をマステリーと呼ぶが、(略)つまり、「子どもが自分と関わる大人の神経を逆なでることによって大人を怒らせ、虐待的な関係にしてしまうのは、このマステリーの働きではないかと考えられる」ということである。これは、子どもにすれば、虐待を受けるという痛切な体験と感情を癒そうとする努力が、かえって新たな虐待行為を招いてしまうということである。虐待する家族の中には、このような悪循環が存在すると考えられる。


 偽成熟成

(略)虐待を受けた子どもたちには、相手によってまったく態度が異なるという特徴もみられる。自分を受け入れてくれると感じられる相手には際限なくわがままをぶつけるのに、少し大きな声で叱る相手には極度に従順だったりする。関わる相手の人格を統合的にとらえることができず、自分との関係のみの一面的な見方しかできないという彼らの特徴が、ここにもあらわれているのである。(略)


 自己イメージの混乱

 虐待を受けた子どもは、対人関係だけではなく、自分自身に対する感情やイメージも大きく傷つけられている。(略)虐待的な環境におかれた場合、この特性が子どもの自己評価を極度に低下させる原動力となってしまうのである。
 その特性のひとつが、(略)現実の出来事に対してまだ客観的な分析ができない段階の子どもにとって、周囲に生じる出来事がすべて自分となんらかの関係があるものとして受け止めてしまうという特性である。(略)
 幼児期から虐待が始まった場合、子どもはまだ世界の出来事をすべて自分と関連づける以外に理解の術(すべ)を知らない。結果として、「こういうことが起きるのは全部自分に現任があるんだ」という結論に至る。厄介なことに、多くの虐待事例では、虐待行為が生じたあとに、虐待を加えた大人が子どもに対して「おまえが悪いんだからな」ということばによる確認をしていることが多い。「どうして殴られるのかわかっているな?」「泣くんじゃないよ、自分のせいでしょ!」といったことばが投げつけられるのである。このことも手伝って、子どもは虐待を受けるのは自分に原因があるのだ、と強く思い込むようになる。(略)
 虐待を受けた子どもは、食べ物に対してガツガツした印象を与えることがよくある。口から食べ物を取り入れるという行為は、子どもが外界から安心感を得るもっとも原初的なやり方だということができる。これまでに述べてきたような根深い不安感にさいなまれている子どもたちが食べ物に対する固執を示すことは、当然といっていいかもしれない。



 え~っと、思わず長々と「引用」してしまったので、コメントはまた後で……


 (^^;)””””

(自己満足して
 自己空腹になりましたので、
 ご飯を食べてきますぅ……☆☆)

(@11:59)

ハイランダー

2010年5月22日 音楽
 つづきましてこんな曲を聴いておりますw



THE BLUE HEARTS

2010年5月22日 音楽
 修行が足りないもので、思わずムキになってばかを相手にしてしまった http://85358.diarynote.jp/201005171145086392/ ら気が枯れた(心が汚れた)ので、ブルーハーツなんかかけて気分を修正してみる。

 「いらないばかが多すぎる」

 よね、まったく★



  o(^へ^;)o ~


 あぁ、やっぱり効くわ~この曲♪♪




 さて。「外交」つながりで……一冊☆

 ていうか、昨日定例の「月末ブックオフ」(不要な既読古本処分の日)をしに持って行くために、最後にもう一度、読み返したところだったのだが。


「外交とは頭脳の闘いなのです。

 腕力に訴えることなく

 知力で闘うのです。



 う~ん! 名言である。




 リアル日本の現・外務大臣も、これくらいマトモなことが言える人材だったら、良かったのに……




 ねぇ? (^へ^;)”
 昨年夏ごろにブクオフで500円で入手したまま、ばたばたしていて見る暇がとれずに机の脇で雑資料に埋もれてしまっていた物件をようはく発掘して視聴。

 ……予想外に長時間だったので、途中でトイレに行きたくなったり空腹感に悩まされたりしたのだが、当然、画面を停止にして中座するなんてことが出きるはずもなく……
 生理的要求とのタタカイで、ちょっと困った★(^^;)☆

 
 ……え?

 感想…………???


 そんなん、ひとくちで書けるわけがないぢゃん☆






(二十年ほど前に原作だかノベライズだかの文庫版を定価で買って(まだ持ってる@永久保存組)読んだ時の内容とは、細かいエピソードに違いがあると思う……が、他の南ア問題の小説と、中身がごっちゃになってるのかもしれないな……?)




 ともあれ、人類は進歩をしつづけている。
 他人と理想のために命をかけるハメになる人々と、
 それをこそ最上の価値と信じてサポートする英雄たちは、
 つねにつねに、複数、たくさんいるのだ。





 そのことに歓びをもちたい。





 
(関係ない?おまけ☆)
http://www.youtube.com/watch?v=H0ThB2ByWO0&feature=player_embedded#
http://www.youtube.com/watch?v=SvzNVqUjk4A&feature=player_embedded#

(関係のあるメモ。)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1375220379&owner_id=935361



 追加で関連映像~☆
http://www.youtube.com/watch?v=bQltyPXOURg&feature=player_embedded#
 そんなわけで、貧困解消(焼け石の水?)のために古本屋に売り払う本の山の中から、とりのけて本棚に戻すほうのリストのあいうえお順の3番目。

 この本のおもしろさ(興味深さ)をひとに説明するのは、ちょっと難しいのだが……(と、まったく同じような書き出しの書評をだれかが書いていたのを以前どこかで読んだが。)

 私自身がヨコハマ出身である、ということで、背表紙をみて本を手にとったことの理由は説明できてしまうが。

 表紙だけ眺めて思わず「ジャケ買い」したのは、ヒロインの立ち姿(全体の容姿とか、醸し出す雰囲気とか)が、わが創作世界上の「長女」である、サキ・ラン=アークタスに似ている……

 というあたりに、魅かれたからである。

 可能であればこのかたに、『地球統一史』の挿し絵を描いてほしいなぁ…… なんて、見果てぬ妄想を飼い殺していたりする。

 久しぶりに読み返してみると、さすがに一巻目の絵は「古い」と感じる。(笑)

 横浜出身で、祖母の家が鎌倉にあり、小学時代の夏休みの数々を城ヶ島や三浦マリンパークや油壺の水族館で過ごした私にとって、そして、にもかかわらずそのころからの夜ごとの悪夢で「地球が水没する夢」にうなされて苦しんでいた私にとっては……

 非常に、感慨深い、物語……


 なんである。


 書こうと思って机の上に放置プレイしたまま(^^;)ずいぶん経過してしまった。
 本日ようやく「検索」してみて知ったのだが、続編?も出ているらしい。

 自家本棚の整理縮小解雇の波に押され、一旦は売却予定物件の山に入れたものの、ついついもう一度手にとって読み返してしまって、結局、本棚に戻した。(苦笑)

 よくある、というか、最近ではもう珍しくもなくなった(このあたりに時代の変遷を感じるけれども)ちょっとだけ「お涙ちょうだい」的なクサイところが気にかかる、「よくある中途障害者の努力と自立の物語」なんだけど……。

 最近流行ってる文句なしにすごい同ジャンルの作品『リアル』なんかに比べると、甘々な設定なのは確かなんだけど……。

 なんでかな。

 和むんだよね。

 キャラの性格かな?

 うん。「元気だして一緒に歩こう」って、気分になるから。

 たぶん、また、何度か、

 落ち込んだときに、読み返して元気をもらうと思います。


 さて。
 書評だけ読みに来た、というお初のかた、はじめまして。
 のっけから私事で恐縮ですが……

 数十年がかりのウツがほぼ治ったのと、不況でいつホームレスになるか予断を許さない状況なのとで、本棚の整理縮小解雇に着手いたしました。

 えぇ。作者五十音順でありあまる在庫をはしから読みまくり、「もう要らない」と判断した本はさくっと売り払い、「まだまだ何度でも読み返したい」と思う本は本棚に戻す。という作業でございます……。

 で。

 はえある五十音順、「生き残り」決定第一冊目! が、この本。

 どのへんが気に入ったかというと、ファンタジー的要素(歌姫)が入っていながら、それが「宗教(魔法or伝統)vs政治(現世利益)」という角度でばっさり斬り込まれ、なおかつ登場人物たちは凡々たる「ふつうの一個人」として一所懸命に逃げたり努力したりしながら生きていて、性差別やら家系差別(?)やらに対して、それぞれなりの生き方で「抵抗」をし続けているところ……

 そして何より、一人の人間の誠実な努力により、ネットワークがうまく絡みあって、物語がハリウッドエンディング(希望の未来を目指して終了)なところ……

 などなどが、私の萌えツボをすべて押しまくっていて素晴らしい♪

 (^^)v


 惜しむらくは、この作者の二作目(二冊目)は、いまいち絵が美麗なだけであまり興味の持てない設定なんですが……。

 とりあえず、この本は気に入った♪


 ………いつのまにか、わたしのパソコンで、DNでもレビューが書けるようになっていたらしい………<半年くらい前までは、何故かどうやっても書けなかった★(苦笑)

 んで、ためしに検索してみたら書けるようになっていたので、一言。

 例によってブックオフの105円コーナーで入手したシロモノで、2001年4月の発行なのですが。

 そんなに以前から、「裁判員制度」を先取りした漫画?が、しかも「少女マンガ」として存在していたとは寡聞にして知らなかったので、ちょっと驚いた………(笑)

 現役高校生のかたにはなかなか楽しめるし、いろいろと社会勉強にもなるであろう一冊と思われます。はい。


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