(090612入力)

 期限過ぎも税還付(山形)

 山形県庄内町では、税源移譲に伴う二〇〇七年度住民税還付申請が期限を過ぎてもできるようになりました。住民の「申告に行ったら手遅れで還付できないと言われた」訴えを聞いた日本共産党町議団が町長に「申請期限の弾力的運用」を申し入れていました。

(「しんぶん赤旗」2009.03.02.)

(090404入力)

 担い手広げ 各地で行動
 会議参加者 増やす努力
 山形 鶴岡市 第5地域支部

 山形県鶴岡市の第5地域支部は、党員の支部会議参加を高める努力をしています。これまでは午前10時から同じ曜日に会議を開いていましたが、今は日曜日や夜の会議も開いて、56%の人が参加しています。(略)「今号の新聞には鶴岡の作家佐藤賢一さんが登場していますよ」と対話し、購読に結びつきました。(略)

(『しんぶん赤旗』2009.02.26.)

(090323未明入力)

 力技きく40代の挑戦
 現代に通じる格差・閉塞感を問う
 佐藤賢一さん
 全10巻の『小説フランス革命』刊行中

 スケールの大きい西洋歴史小説でファンを広げる佐藤賢一さん。全10巻に及ぶ『小説フランス革命』に取り組んでいます。現在、『I 革命のライオン』『II バスティーユの陥落』を同時刊行。大作にかける思いは何でしょう。山形県鶴岡市に訪ねました。(略)

(『しんぶん赤旗』日曜版。2009.02.22.)


 ……もしかしなくても、このかた、目元とハゲ(^^;)が、うちの弟にそっくりだ………

 ………遠縁………?(^^;)”




(090316未明入力)

 黒川能の里を行く
 山形県鶴岡市 (上)

 豊穣願い夜を徹して舞い謡う
 農民芸能550年 息づく伝承

(略)山形県鶴岡市の南東、月山のふもと、黒川地区(旧・櫛引町)にある鎮守・貸すが神社に奉納上演された黒川能(国指定重要無形民俗文化財)は、農民芸能として、およそ五百五十年、受け継がれてきました。(略)一月の山形知事選で現職をかついで新人の吉村美栄子さん(共産党などの支援)に敗れた加藤紘一衆院議員(自民党元幹事長、鶴岡市が地盤)が姿を見せると、「加藤さんも落ち目だのォ」とささやくおじいさんなど、「神と人間の交歓の場」らしい自由な空気に包まれました。(略)

 つづく
(澤田勝雄)(『しんぶん赤旗』2009.02.19.)


 人を大切にする県政に
 山形 吉村知事が初登庁

 一月の山形県知事選で初当選した吉村美栄子知事が十六日、初登庁し、支持者や職員からの花束と、頑張って下さいの声に、笑顔で応えていました。
 吉村知事は、まず知事室に入りいすに腰を下ろすと、「立派ないすで、責任の重さを感じます」と語りました。
 四百人の幹部職員への訓示で吉村知事は、「県政にとって最も重要なことは、県民の命と生活を守ることです。未曾有の経済危機のなか、雇用、景気対策を緊急にしなければなりません。対話を重ね、人を大切にする政治を目指し、私と一緒に頑張りましょう」と述べました。
 記者会見で吉村知事は、知事になった感想を求められ、「自宅を出る時から周りの人に激励を受けた。県庁に到着したときもたくさん激励を受け、うれしいと同時に身の引き締まる思いがしました」と話しました。
 野党が多数の議会について、「県民のために、という思いは同じはずだ。対話を重ねる中で、新たな方向も生まれる。私の公約実現についても話していく」と語りました。
 対話のある県政、県民のための県政とは、「県民の話を聞くこと、対話は民主主義の基本です。考えは議会に示したい」と話しました。
 副知事の考えかたは、「男女にこだわらず、山形県の方、県内の人、県民全体のことを考えて仕事をしてくれる人を考えている」と話しました。

(『しんぶん赤旗』2009.02.17.)


 映画「おくりびと」と
 山形交響楽団


 昨年の九月、滝田洋二郎監督作品、「おくりびと」(主演本木雅弘さん、広末涼子さん)が全国一斉に封切られた。テーマは誰しもが迎える「死」! 一見シリアスなイメージのこの作品は、ウィットに富んだ滝田監督のユーモアあふれる演出によって観る者にさわやかな後味を残してくれる。
   ☆……☆
 舞台は山形県の庄内平野。(略)

(いいもり・のりちか山形交響楽団音楽監督、指揮)
(『しんぶん赤旗』2009.02.16.)

(090316未明入力)

 藤沢周平さんをしのぶ
 第10回「寒梅忌」を終えて
 教え子や同僚“藤沢先生”語る
 児玉清さん人生の節目と重ね

 故藤沢周平さんを偲ぶ「寒梅忌」が、今年は一月十八日に催された。私たち、鶴岡藤沢周平文学愛好会がこの催しを始めてから、丁度十回目にあたり、今年夏には藤沢周平文学記念館(仮称)もオープンするということもあって、多くの方々の期待が寄せられていた。(略)

 松田静子(まつだ・しずこ 鶴岡藤沢周平文学愛好会顧問)
(『しんぶん赤旗』2009.02.13.)

 なんでかな。最近多いな……(苦笑)。

 しもやけ① 年配の方にも多い
 真家 興隆 山形・鶴岡協立病院 皮膚科医師

(本文省略)
(『しんぶん赤旗』2009.02.03.

(入力@090302)

 フグ中毒 7人重軽傷
 山形・鮮魚料理店

 二十六日午後十時すぎ、山形県鶴岡市大西町の鮮魚料理店「きぶんや」で、フグ料理を食べた男性客七人が体調不良を訴え、病院に運ばれました。経営者の男性(65)は「フグ調理師の免許を持っていない」と話しており、県警鶴岡署はフグによる食中毒とみて調べています。(略)ふぐを食べた男性七人は重軽症になりましたが、いずれも命に別状はないといいます。

(『しんぶん赤旗』2009.01.28.)


 ……こんなんで記事が載ってもなぁ……☆

(--;)””

(入力@090302)

 今度は総選挙で政治変えよう
 知事選投票日 44人の読者

 山形県

 山形県の党組織は、県知事投票日の25日、危険防止を呼びかけるなかで「今度は総選挙です。県政刷新とともに国政を変えましょう」と、「しんぶん赤旗」購読の訴えを広げ、44人の読者を広げました。(略)
 荘内地方は大雪でしたが、「投票に行ってきた」「今から行くよ」と、弾んだ声が返ってきました。(略)

(『しんぶん赤旗』2009.01.27.)

(入力@090302)

 山形知事に吉村氏当選
 共産党など支援 現職を破る

 二十五日投・開票の山形県知事選で、「県民に冷たい政治からあったかい県政の実現」を掲げた、行政書士の吉村美栄子氏(57)=無・新=が、現職で二期目をめざした斎藤弘氏(51)を破り、初当選を果たしました。
 吉村氏は、日本共産党、民主党、社民党をはじめ自民党の参院議員と県議の一部の支持をうけました。(略)

(『しんぶん赤旗』2009.01.26.

(記入@01月26日朝)
 今度は父祖の地の父祖の知己(同僚?)の記事が赤旗に……♪

 敗戦の前年に獄死した池田勇作とは?

<問い>山形県には戦前、獄死した池田勇作という忘れてはいけない先駆者がいると聞きました。どんな人だったのですか?
(山形・一読者)

<答え>池田勇作は、戦前、弾圧に屈せず、反戦を訴え、プロレタリア文学を志し、40年6月に治安維持法違反で検挙され、1944(昭和19)年3月13日、東京・豊多摩刑務所で30歳の若さで獄死した人です。勇作の妻、郁(旧姓阿部、日本女子大卒、紀伊国屋書店勤務)も夫とともに検挙され半年後釈放されますが勇作の遺骨を抱いて故郷・余目町に帰り、終戦の3日前8月12日、過酷な取り調べのために発症した結核で病死しました。
 池田勇作は1913年、鶴岡市で下級士族の家に生まれ、訓導をする伯母たちに支えられ旧制中学に学び、4年生(16歳)の時、仲間と共に社会科学研究会をつくります。その後中退し上京、電機学校(現東京電機大)に入学。東京では築地小劇場に刺激を受けますが伯母の死で学費が途絶えて31年春、帰郷。「荘内春秋」新聞の編集に加わり、「プロレタリアスポーツとは何か」など多くの記事を寄稿。その一方、プロレタリア作家同盟、演劇同盟、映画同盟また同文化連盟などの支部を鶴岡の町に次々と発足させ、それらの活動を「荘内春秋」や「荘内新報」に載せる活動を精力的におこないます。また、作家同盟機関紙『荘内の旗』を創刊しますが、多喜二労農葬の日(33年3月15日)に4回目の予防検束を受け、第1号はすべて押収され、第2号も所在不明。第3号の1冊だけが奇跡的に発見され、そこに多喜二への思いと虐殺への怒りをこめた作品「黙祷(二)」(筆名、浮田進一郎)を見ることができます。この時期の著作には戯曲「遺族」(演劇同盟機関紙『鍬と銃』など14編が見いだされています。
 36年2月、再び上京、岡部隆司らとともに日本共産党の再建運動に取り組む一方、雑誌『機械工の友』の創刊(38年9月)から編集に深くかかわり読者会を精工舎や東京計器など数社に組織、『中央公論』に「生田修」名で2編、ダイヤモンド社に1編とほかに絶筆となる長編小説「河岸」を「最上駿作」名で発表しています。これらの作品は、「労働者の幸せのためにこそ新しき政治が打ち立てられるべき」(「一旋盤工の生活より」『中央公論』54年巻)という勇作の思想にそって、労働者の向上心と仲間同士の助け合い、励ましあい、家族への温かい思いやりの大切さ、を描いています。
 池田勇作は、これまであまり知られていませんでしたが、池田道正・山形大学名誉教授らの努力で、昨年春、遺作集『魂への道標-池田勇作と郁の軌跡』が出版され、ブログ http://ikeda-yusaku.blogspot.com/ もつくられています。

(道)〔2009.1.24(土)〕(『しんぶん赤旗』〕


 しまった。我が祖父の遺稿集のHPも、作るといっといて、もう10年近くもほったらかしだ………☆

☆(^◆^;)☆

 ていうか、母や伯母たちが思いっきり「反動保守」になったのって……

 自分達の父(私の祖父)が、「非国民」として、今にも逮捕・連行・獄死……しかねない、ということへの……

 ご近所からの白眼視の怖さから、加害者側に走った。ということ、なんだなぁ………

(--;)

 とっても身近なところに日本近代史の闇が……★







(記入@090201未明)

 3日間で9人が入党
 山形・鶴岡地区

 山形・鶴岡地区委員会は、連休を挟む11日から13日までの3日間で9人の新入党員を増やしました。新入党員2人を迎えた三川町の佐藤政弥町議は「これまであまり入党を呼びかけてこなかった。しかし、国民の共産党への見方が変わり、おらほだちの方がちっとも変わっていなかった。多数者革命を目指すということは、こんなことだなとわかった」と認識を新たにしています。(略)

(『しんぶん赤旗』2009.01.15.別刷り)

 わが母方の祖父が図書館長を勤めたという致道館の関連記事が赤旗に載っていた……♪

 築200年民家
 煙で頑丈に
 山形・鶴岡

 山形県鶴岡市の致道(ちどう)博物館に移築された多層構造の民家「旧渋谷家」(旧朝日村田麦俣に一八二二年建築)で、「いぶり出し」作業が十三日から始まりました。
「いぶり出し」は、かやぶきの虫駆除と、棟木を結わえている縄を丈夫にするためにおこないます。一メートル半四角のいろりに大きな鍋をかけ、太い薪(まき)を赤々と燃やし、もうもうと家中に煙を充満させていました。
 三月下旬まで週二回ほど不定期におこなわれます。この民家は一九六九年に国の重要文化財に指定、映画「蝉(せみ)しぐれ」のロケにも使われました。

(佐藤己代治通信員)
(『しんぶん赤旗』2009.01.14.)

(2007年11月13日05:46)

 わが御先祖様が「拉致被害者」であることが判明いたしました!! !(@_@)!

 NHKが調査報道してくれました!! !(@_@)!

 詳細以下次号。

 (  ̄ー ̄)ノ

◆コメント◆

歌いながら大地を歩く 2007年11月13日 06:04

(とりあえず、
 朝日が昇りましたので、
 お休みなさい……☆)

(なんか、書きたいことが一杯
 盛りだくさん、溜まっているんだけどなぁ……☆)

 (^◇^;)”


歌いながら大地を歩く 2007年11月18日 05:47

おや。どなたもツッコミを入れてくれていない……

 (^^;)"

ネタ、バレバレでしたかね?

えぇ。NHKで先日特集していた、朝鮮通信使。
あれの予告を新聞で読んで、とっても興味あったんですけど、なにしろウチにはTVが無い……☆(^^;)★

で、あきらめていたら、整体の仕事で伺ったお宅の、そのお客さんの御夫君……ヤンみたいな「歴史好き」の、見た目ボーッとしたオジサンなんですけど……(<でも家事は妻より上手い☆<余談。)……が。たまたま夕べ見損ねたそうな当該番組のVTR録画を、おもむろに隣の台所で見始めた、ところで……

(それゆえに、画面は見てなくて、音声だけ聞いたんですが……)

 かの、朝鮮通信使!!

 アレが色々と歴史的・政治的に見て面白い事象であることは、一応、承知していたんですが……。

1.豊臣秀吉の「朝鮮征伐」時に、
  強制的に拉致されて来た、
  朝鮮人の職人集団が大勢いた。

2.朝鮮には独特の紙の製法があった。

……の、2点が頭の中で並んだ時に、アッ!!と、脳内でつながった、別の情報が、ありまして……。

(以下、次号)


歌いながら大地を歩く 2007年11月18日 06:05

……と、思ったけど、忘れそうなので、書いておきます……

わが母方の「母祖の地」と言えば、近年何作も映画化されている藤沢周平作品の舞台である架空の藩「海坂藩」の、モデルとなっている、あの土地なんですが……

母方の祖父方の本家筋には昔から「うちの祖先は朝鮮から来た元貴族(リャンバン=両班)である。」という話と家系図が、伝わっているそうで……。

「両班だった」という説とは裏腹に「紙漉職人の末裔だ」という説もあり。そのくせ江戸時代の初期には、異国渡りの平民(職人階級)あがりが、なにをどう出世したものか「家老の祐筆(秘書)」なんていう、けっこう重職な武家階級に成り上がったりしていて、今でも本家は城下町の「お堀っぱた」に、築ウン百年の居を構えているわけなんですが……。

その渡来の時期については「徳川の時代になって鎖国政策が始まるより少し前」ということで、だいたい判明してたんですが、歴史好きの母方の伯母が興味を持って調べたところ、「なぜ渡来したのか」という部分については、長いこと、「謎」だったそうなんですが……。

やっと判明しました! !(^◇^;)!

来たくて来たわけじゃーなくって、

軍事力でもってラチられて、

仕方なく帰化したわけですねッ?!

 ……御先祖サマってば………………★

  (T_T)(T_T)(T_T)(T_T)""

なるほど。ラチられた先の異国で、元貴族も元職人もごったになって居留地?かなんかで暮らしていたら身分違いの雑婚関係も生まれるだろーし、江戸時代初期にはまだお家大事よりも能力優先主義が残っていたから、何かでオエライさんに目をかけられた小せがれが「家老の祐筆」の家に養子に入るとかの事例もありだろうし……

やっと……。

わがルーツがつながりました!

ありがとうNHK!!

(……でも受信料は払いません。
 だってマジでうちにはTVが無いんですも〜ん……☆

 ☆(^_^;)☆
 

.

< 48 49 50 51 52 53 54

 

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