(2012.11.05.00:44~入力)
内部被ばく考える
13日 山形・鶴岡市
肥田医師が講演
医師の肥田舜太郎氏の講演会が山形県鶴岡市で開かれます。
タイトルは、
「『放射能に負けないで 生き抜くんだ!』 内部被ばくと命を考える-」
です。
◇期日=13日(土)(略)
会場=出羽庄内国際村(鶴岡市伊勢原町)。(略)
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2012.10.11.)
……「フクシマ」ネタですが……(--;)……★
山形・庄内産直センター
東電に2次賠償請求
検査費用など115万円余
山形県の庄内産直センター(農民連加盟)は1日、東京電力東北補償センターの担当者を迎え、同産直センターで、第2次東電賠償請求を行いました。
今回の賠償請求では、第1回の請求で合意に達しなかったものの再請求分と、新たな検査費用、逸失利益分などの請求の合計額115万8000円余りの請求書を提出しました。
産直センター組合員たちは、賠償請求書を東京電力の担当者に手渡しながら、コゴミ、山ウド、ワラビ、ウルイなどの山菜、地元特産の笹(ささ)巻きの製造の際に使う木灰などの検査費用を認めるだけでなく、販売できなかった山菜、笹巻きなどの逸失利益の賠償を認めるべきだと訴えました。
庄内農民連の菅井巌事務局長は、「今後も山形県農民連とともに原発事故がなくなるまで第3次、第4次と請求運動を続けるとともに、原発ゼロをめざす運動を共に取り組んでいく」と話しています。
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2012.07.04.)
(訃報欄)
山木 彬さん
(やまき・あきら、山形県酒田地区)
14日死去。82歳。(略)
50年入党。
元党地区委員。元市立酒田病院労組執行委員長。
(日本共産党 http://wwwjcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2012.01.16.)
「同姓」なだけで、関係ないかもしれないけれども……。
もしかして「山木武夫」の親族だったりしたら、
http://wpedia.goo.ne.jp/wiki/%E5%B1%B1%E5%BD%A2%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E5%BA%84%E5%86%85%E8%BE%B2%E6%A5%AD%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1#.E5.87.BA.E8.BA.AB.E8.80.85
私にとっても「遠縁」に当たりますかね……??
(2011.11.14.入力)
◆第20号伝統食列車
初冬の山形・余目(あまるめ)へ
脱原発めざし、人権のすわった震災復興・農漁業再興へつながろう!
12月2日(金)~4日(日)。
2日=山形県庄内町JR余目駅集合~酒田市、在来野菜「平田赤ねぎ」生産地見学、郷土食交流会、
3日=庄内町ウィンドーム立川見学、討論会「放射能汚染の下での食と農」、郷土食交流会、
4日=同町「山ぶどうの会」交流他。
参加費49000円(現地集合)。
定員50人。
申し込み締め切り20日。
問い合わせ=日本の伝統食を考える会、(略)
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2011.11.08.)
(@2011.11.08.12:12~転記)
『義民が駆ける』好き~♪
!(^^)!
(「反・貧困!」ネタだよね!!)
(隣の欄のを、ついでにオマケ☆)
「大東亜戦争」末期、「この戦争は負ける」とか呟いて、特高警察にメを付けられていた、「共産党員とはお友達だったリベラル派」だという我が母方の祖父が、この内村鑑三氏を敬読していたであろうことは、想像に難くない……☆
(^^)g
*山形・鶴岡市立藤沢周平記念館
第4回企画展関連イベント朗読会
「『義民が駆ける』を読む」
=26日午後1時半、荘内神社参集殿(鶴岡公園内)。
朗読・中里欣一氏(元NHKアナウンサー)。
問い合わせ(略)。
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2011.11.07.)
『義民が駆ける』好き~♪
!(^^)!
(「反・貧困!」ネタだよね!!)
(隣の欄のを、ついでにオマケ☆)
現代に生きる内村鑑三
今年は内村鑑三生誕150年。これを記念して改版『後世への最大遺物・デンマルク国の話』(岩波文庫)が出版された。『最大遺物』(1925年)では、後世に残すべき物に金・事業・思想以上の何かがあるという。それは世の不正と戦う勇ましい生涯である。
内村は生涯この精神をつらぬいて多勢の不義の徒と戦った。第一高等学校中学校の教員であったとき、教育勅語奉読式で、「低頭して拝礼するは不必要」として敬礼を拒否。明治政府は内村の態度を「動作不敬」と断じた。当時、「不敬漢」は政府所管のいかなる場にも関係できないとされていた。それ以後彼は政府や権力と絶縁し、「平民」の立場にたつ。日露戦争に反対し、戦争支持の「万朝報」の記者を、幸徳秋水とともに辞任した。
『デンマルク国』(1913年)では、大国に敗れて国土が荒廃したデンマルクが、平和に徹し、剣で失ったものを鋤(すき)と鍬(くわ)で取り返した話である。この小国は大規模な植林によって沃土を生み出し豊かな国に転身したのである。富はエネルギーである、エネルギーは太陽光線、海の波涛(はとう)、吹く風、噴火する火山にもある、したがって大国となって「外に拡がらんとするよりは内を開発すべきであります」。
今も傾聴すべき言説である。
(平)
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2011.11.07.)
「大東亜戦争」末期、「この戦争は負ける」とか呟いて、特高警察にメを付けられていた、「共産党員とはお友達だったリベラル派」だという我が母方の祖父が、この内村鑑三氏を敬読していたであろうことは、想像に難くない……☆
(^^)g
もう一個「放射能臭くない」やつ(^^;)
えと、私の母方の祖先が「秀吉の朝鮮【征伐】時に拉致されたまま帰国できなかった両班?(だったらしい)」というのは、この際、まったくの余談なんですが……☆
>人々の望みをくみあげ政治に生かす政治の原型
>それは政争の権謀術数の中で、多くの政治家が失ってしまった
参照> http://85358.diarynote.jp/201104271408061961/
>共産党が藤沢周平からも信頼を受けていたという事実
ていうか、作風(テーマ)、そっくりだし☆
参照> http://www.j-real.com/ta-san/fjsw/suuhen05.html
『義民が駆ける』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E6%B0%91%E3%81%8C%E9%A7%86%E3%81%91%E3%82%8B
藤沢周平記念館
http://www.city.tsuruoka.lg.jp/fujisawa_shuhei_memorial_museum/index.html
(^^)g
えと、私の母方の祖先が「秀吉の朝鮮【征伐】時に拉致されたまま帰国できなかった両班?(だったらしい)」というのは、この際、まったくの余談なんですが……☆
応援演説した
作家 藤沢周平
(千葉市(略)63歳)
多くの著名な文化人、作家が陰ながら、そして表立って共産党に信頼を寄せています。17日付の読書欄で、藤沢周平の未刊行エッセー集『帰省』が出版されたとあり、その中の一編「雪のある風景」は、共産党候補の応援演説した時のエッセーです。早速買い求めました。
権力ではなく、常に庶民の側に立ち、人間を見つめてきた小説家でした。(略)歴史上の権力者を描き続けてきた作家、司馬遼太郎とも比較されています。(略)
人々の望みをくみあげ政治に生かす政治の原型を「それは政争の権謀術数の中で、多くの政治家が失ってしまった、政治に対する初心のことである」と書いている。
自分のできるささやかな運動をし当選させることができた今回の選挙でした。
共産党が藤沢周平からも信頼を受けていたという事実は、私にとってとてもうれしいことであり励みにもなります。
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2011.04.28.)
>人々の望みをくみあげ政治に生かす政治の原型
>それは政争の権謀術数の中で、多くの政治家が失ってしまった
参照> http://85358.diarynote.jp/201104271408061961/
>共産党が藤沢周平からも信頼を受けていたという事実
ていうか、作風(テーマ)、そっくりだし☆
参照> http://www.j-real.com/ta-san/fjsw/suuhen05.html
『義民が駆ける』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E6%B0%91%E3%81%8C%E9%A7%86%E3%81%91%E3%82%8B
藤沢周平記念館
http://www.city.tsuruoka.lg.jp/fujisawa_shuhei_memorial_museum/index.html
(^^)g
(2011.02.06.0:00~入力開始☆)
4日付の分も入れてありますので、よかったらお立ち寄りくださいね☆
http://85358.diarynote.jp/201102060028067385/
……「あの」庄内で……
ねぇ……!!(@@;)!!
4日付の分も入れてありますので、よかったらお立ち寄りくださいね☆
http://85358.diarynote.jp/201102060028067385/
地方局発
庄内映画村の1年
地元テレビ ユー山形が取材
TBS系、11日放送
山形県庄内地方では、この4年間に9本の映画が撮影されました。この冬、10本目の「デンデラ」(浅丘ルリ子主演)が撮影に入っています。撮影の中心となる庄内映画村の1年を、地元のテレビユー山形が取材。「夢は日本のハリウッド」と題し、JNN共同制作番組としてTBS系で11日(午前9:55)に放送します。
庄内映画村を引っ張っているのは2人の男性です。2006年7月に「蝉しぐれ」のプロデューサーとして初めて庄内を訪れた宇生(うじょう)雅明さんと、当時市役所の職員として宇生と知り合った(略)さん。現在、社長と副社長として、映画ロケの誘致に奔走しています。
これまで世に送り出したのは、米アカデミー賞作品「おくりびと」以下、「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」「山桜」「ICHI」「山形スクリーム」「スノープリンス」「座頭市 THE LAST」「必死剣 鳥刺し」「十三人の刺客」。
「おくりびと」の受賞以来、全国から観光客が訪れるようになりました。その数は、昨年4月から11月末のシーズンで約11万人。その一方、肝心のロケの計画は、2本を逃すなど難航していました。
この苦境を2人はじめスタッフはどう乗り越えたのでしょうか。
地域に根差し、地元の人々に支えられた庄内映画村の姿を、日本の原風景ともいえる四季の景色の中に浮かび上がらせます。映画村周辺の空撮に臨場感があります。
ナレーションは「おくりびと」主演の本木雅弘が担当します。
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2011.02.05.)
支持拡大も党勢拡大も
「集い」初めての地域で開催
山形・鶴岡地区
「町ごとに『集い』を開こう」「『集い』をやったことのない地域でも」
山形県議選鶴岡市区(定数5)で(略)県議の必勝を期す鶴岡地区は、都道府県委員長会議の「『集い』を全ての支部が作戦計画のカナメに位置づけ」との提起を具体化し、支部のとりくみを広げています。
居住六支部は、「草の根から世論をつくらねば、マスコミ批判だけでは選挙に勝てない」と、12回の「集い」を計画。1日に開いた「集い」には、案内をした世帯の2割が参加し、「集い」を知らせる対話で2人が「赤旗」読者になりました。
その後も「オレも久しぶりに増やす」と元同僚3人に購読してもらう支部員が生まれるなど、2月に入って6人の読者を増やしています。
支部長は「『集い』のお知らせをしながら対話して支持・購読を訴えれば、読者の前回時突破と支持拡大目標を一体にできる」と「三つの重点課題」推進に手応えを感じています。(略)
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2011.02.05.)
……「あの」庄内で……
ねぇ……!!(@@;)!!
(2011.02.06.0:00~入力開始☆)
……まったくの余談ですが……
藤沢周平氏の晩年のお写真って、私にとっては、
「ヤン・ウェンリー老後バージョン」♪(^^)♪
……なんですよね……(^^;)”””””””
>鶴岡市立藤沢周平記念館が開館してから8カ月ほどたったが、来館者は既に9万人を超えたという。
……北海道立か長野県立で、土岐真扉記念館も、建ててもらえないかな……
o(^w^;)o””<半分本気☆
>若いころから「書きたい」という夢をもっていたが、
>その夢を手離しかけていた。しかし
>自分が何を書きたかったかをはっきりとつかんだ
>自分の中にあった「人間を描きたい」という夢を叶(かな)えるために背中を押してくれたのが、
……う~ん。私にとっては、トールキンと田中芳樹、茅田砂胡。
かな……(^^;)””
おまけ☆
http://47159.diarynote.jp/201102011030014981/
あさのあつこさんが語る「魅力」
第12回 「寒梅忌」-藤沢周平さんしのぶ
藤沢周平さんをしのぶ第12回「寒梅忌」が1月23日、豪雪に見舞われていた山形県鶴岡市で開催された。
鶴岡市立藤沢周平記念館が開館してから8カ月ほどたったが、来館者は既に9万人を超えたという。全国に藤沢文学を愛する人がいることを改めて感じた。今年の「寒梅忌」に参加した人たちも、例年欠かさず来てくれている、いわば常連さんの他に、新たに愛好グループができた郡山、京都などからもみえ、輪の広がりを感じている。
若い人多く
そんな熱気が伝わったか、22日、23日の両日は比較的穏やかな天候となり、順調に進行できたことが何よりの幸いだった。
追悼式の後の第1部は「三年目」という短編小説を取り上げ、作品解説(松田静子)、地元の劇団「表現舎刻一刻」による朗読があった。全文朗読しても20分少しの、ごく短い小説だが、鶴岡の昔の宿場町三瀬を舞台にした作品で、主人公おはるの心情や宿場の情景描写が素晴らしい。
第2部の記念講演は「藤沢作品に魅せられて」という題で、あさのあつこさんのお話である。人気作家のあさのさんには地元にもファンが多く、例年より若い人の入場が多かった。あさのさんは岡山県にお住まいなので、飛行機を乗り継いで来て下さった。実はここ鶴岡に来られたのは、今回で3度目とのこと。3回とも、藤沢さんに関しての旅だったとか。ただ、真冬の庄内は初めてだったそうで、一面の雪には相当驚かれたようだ。「この雪の降りようは半端じゃないですね」と言われた。
藤沢文学との出会いは『橋ものがたり』を手にしたときに始まったという。そのときに受けた衝撃は忘れ難い、とのこと。あさのさんは若いころから「書きたい」という夢をもっていたが、結婚、子育ての間、その夢を手離しかけていた。しかし『橋ものがたり』に出会い、その後次々と藤沢作品を読破しながら、自分が何を書きたかったかをはっきりとつかんだと言われた。自分の中にあった「人間を描きたい」という夢を叶(かな)えるために背中を押してくれたのが、藤沢文学だった、と。
今に通じる
近年は時代小説も何作か上梓(じょうし)されているが、その中で『火群(ほむら)のごとく』を例に挙げ、少年のまっすぐな心や一途な志など、現代の少年(少女)にも通じるものを描きたかった、と語られた。『蝉(せみ)しぐれ』の青春像を思い浮かべながら会場のみんなもうなずきながら聴き入った。あさのさんの色々なジャンルへの挑戦を願って惜しみない拍手を送った。
(松田 静子 まつだ・しずこ
鶴岡藤沢周平文学愛好会顧問)
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2011.02.04.)
……まったくの余談ですが……
藤沢周平氏の晩年のお写真って、私にとっては、
「ヤン・ウェンリー老後バージョン」♪(^^)♪
……なんですよね……(^^;)”””””””
>鶴岡市立藤沢周平記念館が開館してから8カ月ほどたったが、来館者は既に9万人を超えたという。
……北海道立か長野県立で、土岐真扉記念館も、建ててもらえないかな……
o(^w^;)o””<半分本気☆
>若いころから「書きたい」という夢をもっていたが、
>その夢を手離しかけていた。しかし
>自分が何を書きたかったかをはっきりとつかんだ
>自分の中にあった「人間を描きたい」という夢を叶(かな)えるために背中を押してくれたのが、
……う~ん。私にとっては、トールキンと田中芳樹、茅田砂胡。
かな……(^^;)””
おまけ☆
http://47159.diarynote.jp/201102011030014981/
循環型農業/共生とは何か/「野の文化賞」鶴岡市のワッパ騒動顕彰会『大地動く-蘇る農魂』が受賞/真相に気付いた農民は蜂起する。
2011年2月2日 【御先祖様】とか【庄内藩】とか。(+【 日 ユ 同 ソ 論 】とか…!) さて、私に文章の才能がある?
のはなぜかと言えば、血です。
もうこれは「家業」なのかなぁ……(^^;)
地元紙「庄内日報」の「新聞記者」だった祖父が生きていたら、狂喜乱舞したであろう、記事♪
(^^)g
のはなぜかと言えば、血です。
もうこれは「家業」なのかなぁ……(^^;)
地元紙「庄内日報」の「新聞記者」だった祖父が生きていたら、狂喜乱舞したであろう、記事♪
雪の山形 民間手づくり
野の文化賞
ワッパ騒動義民顕彰会 編著
『 大 地 動 く -よみがえる農魂』など受賞
1月、雪の山形に「青猪(あおじし)忌(真壁仁)と「寒梅忌」(藤沢周平)が巡ってきた。
1月16日、山形市で開かれた「青猪忌」では、「野の文化賞」に鶴岡市のワッパ騒動顕彰会編著の『大地動く-蘇る農魂』(東北出版企画)ほかが選ばれ、受賞した。
土着の詩人真壁(1907年生まれ)が冥界に発(た)ったのは、1984年1月11日である。真壁家の葬儀に参列した関係者が語り合って「野の文化葬」実行委員会を結成。県内外の人々に別れを惜しんでもらい、志は新刊の『真壁仁詩集』という会費制の偲(しの)ぶ会である。約1200人の参加で感銘深く終了。遺族の厚意で故人の業績を顕彰する「野の文化賞」を創設、協賛を募ることになった。
翌年より授与事業が開始されて以来4半世紀。この間に28の個人・団体が受賞し、うち5名が「山形県茂吉文化賞」に輝く。民間手づくりの「野の文化賞」が、地域文化の向上に占める役割は極めて大きいものがある。
第26回受賞作
『大地動く -蘇る農魂』
『玉子と土といのちと』
賞の対象は年間の県内刊行物で、野の思想家と呼ばれた詩人の遺志を継承する作品。真壁の多彩な活動を反映し、選考に付される作品は美術、文学、歴史、民俗研究、評論、実践記録など広いジャンルにわたる。
今回も難航の末、運営委員会は師走の21日、受賞作は二つと発表した。ワッパ騒動義民顕彰会『大地動く-蘇る農魂』と、菅野芳秀著『玉子と土といのちと』である。
明治初期、当時の酒田県を握った旧藩上層部は、新政府の布告に反し従前の年貢米と雑税を課し続けていた。真相に気付いた農民は過納金返還を要求して蜂起する。三島県令の弾圧に抗し4年にわたって展開されたワッパ一揆、それを掘りおこし顕彰する学習・研究・運動を記録したのが前者。後者は循環型農業にとりくむ養鶏家が、「共生とは何か」を探ったエスプリに富む実践的エッセイで、農のありようを鋭く説く。
両者の活動はなおも続いている。
(須貝 和輔 すがい・わすけ 日本民主主義文学会員 山形市在住)
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2011.02.02.)
(^^)g
山形県三河町長選挙が30日投開票され、日本共産党が支援する現職の阿部誠氏(58)=無所属=が当選しました。
2011年1月31日 【御先祖様】とか【庄内藩】とか。(+【 日 ユ 同 ソ 論 】とか…!)(2011.02.02.入力)
あ、これ入れるの忘れてた……☆
ので、追加☆(^^;)☆
>鶴岡市との合併ではなく、自立の町づくりを選びました。
おじいちゃんが生きていたら、どっちを支持してたのかな……
(^^;)??
あ、これ入れるの忘れてた……☆
ので、追加☆(^^;)☆
山形 三川町長に阿部氏
山形県三河町長選挙が30日投開票され、日本共産党が支援する現職の阿部誠氏(58)=無所属=が当選しました。
4年前町長選挙で、町民は鶴岡市との合併ではなく、自立の町づくりを選びました。
阿部氏の掲げる子育て支援、福祉・教育の充実や若者が定着できる町づくりが支持を得ました。
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2011.01.31.)
>鶴岡市との合併ではなく、自立の町づくりを選びました。
おじいちゃんが生きていたら、どっちを支持してたのかな……
(^^;)??
(2010.09.13.入力)
コメ作れどメシ食えぬ
米価暴落から主食守れ
農家・消費者が共同
生産者米価の暴落が続いていることにたいし、農民連(農民運動全国連合会)と全国食健連(国民の食糧と健康を守る運動全国連絡会)は10日、東京・農水省前で「米つくってメシくえない、米価対策を求める怒りの行動」をおこないました。
稲刈りを中断して上京した農家ら約150人が参加。農民連(略)会長は、「米価はドロ沼といえる暴落状態だ。主食の米を守るために共同して頑張ろう」と呼びかけました。
決起集会では、農家の手取りとなる新米の農協「概算金」が、生産費の1万6500円(60キロ)を下回り1万円割れとなったと報告され、「年をこせない農家が数多くでる。いまたたかわずしていつたたかうのだ」と決意の言葉がでました。
山形県庄内地方で10ヘクタールの稲作をする阿部(略)さん(57)は、新米の概算金引き下げだけでなく、昨年の概算金も販売環境が悪化し農協にもどす状況だと話し、「高校3年生の息子が後継者でいるが、これでは新しい農機具が買えず、農業を継げと決断できない」と訴えました。
集会では、「作る農民がいなくなる。緊急に求められるのは、政府買い入れで米価の暴落に歯止めをかけること」とのアピールを採択しました。(略)
日比谷公園までパレード。次第に増えた約250人の参加者が、「主食の米を守れ」と声をあげました。
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2010.09.11.)
240人解雇 救済策を
縫製会社 共産党が市に申し入れ
山形・鶴岡
山形県の日本共産党の笹山一夫県議、長谷川剛鶴岡地区委員長、鶴岡市議団(加藤太一団長)の三浦幸雄、関徹の両市議は13日、縫製加工業のケイエッチ(本社東京)が7月末付で、鶴岡市内の2工場の従業員240人全員を解雇したことについて、解雇された職員への支援策などを求め、榎本政規市長あてに申し入れました。
240人は、今春高校を卒業し就職した6人を含み、退職金や解雇予告手当が支払われていません。
石塚治人市商工観光部長に手渡した申し入れ書は
▽対策本部の設置
▽解雇された従業員に対し、市税・公共料金の減免など可能な支援策の実施、市の支援策を説明し、要望を聞くための協議の場設置と再就職のあっせん
▽ケイエッチに対し、事実関係を明らかにするとともに、事業再開を図ること、退職金・解雇予告手当などを確保することを求めること
-の3項目です。
ケイエッチは7月30日に従業員に通告し、31日付で解雇しています。
庄内労働基準監督署は、「解雇予告手当は通告と同時に支払われなければならないが、12日現在支払われたという確認はできていない。違反が確認されれば是正勧告をする」と話しています。
ハローワーク鶴岡は、解雇理由について経営不振と説明があったと話しています。
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2010.08.14.)
……あの、小さな市で、いきなり、240人もの、「大量」解雇……。
(><;)””
みなさん、がんばって、生き延びて……っっっ☆★!!
借金地獄で水道代すら払えない/もう死んでしまいたい/そんな人たちが集まってくる山形県鶴岡市/「生きろ、生きるんだ。」
2010年7月19日 【御先祖様】とか【庄内藩】とか。(+【 日 ユ 同 ソ 論 】とか…!)2010夏 希望
多重債務者の灯台
解決 “がんばろうの”
借金地獄で水道代すら払えない。そんな切羽詰まった人たちが集まってくる場所が、山形県鶴岡市内にあります。「鶴岡民商 べにばな道場」-。今年で結成10年目。多重債務者の心に、休むことなっく希望の光を送り続けてきた灯台です。
力養う “道場”
多重債務者自らが学び、たたかう力を養い、人間らしい生活を取り戻そうという道場は、毎週金曜日、鶴岡市の民商会館で開かれます。
道場で1年前からボランティアの相談員を務める(略)さん(64)は、市内で総菜店を営みながら、自らもサラ金に返済を続ける多重債務者です。
「取り立てにあい、死にたくなる気持ちがよく分かる。商売がうまくいかない。人にだまされた。家族の病気…。多重債務には理由があります。まずはそのつらさを聞いてあげたい」
不況で(略)さんの商売は赤字続き。10年来の借金は徐々に増えました。破産すれば家も仕事も失う。保証人に迷惑はかけられない-。しかし相談した弁護士も、裁判所も「借りたものは返せ」と言わんばかりの対応でした。
眠れぬ夜が続き、「もう死んでしまいたい」とまで思い詰めた末に訪ねたのが道場でした。
「命までとられるわけじゃないから。がんばろうの」
道場で励まされた一言で、気持ちが軽くなりました。
しかし、返済は今後も8社に4年間続きます。悪質なサラ金業者もいます。佐藤さんは今でも、朝起きると拳に力を込めて「生きろ。生きるんだ」と自分に言い聞かせています。
相談500件以上
武富士など、高金利と非人間的な取り立てが社会問題となっていた2001年、べにばな道場は結成されました。過払い金の返還、裁判所での調停、商売の建て直しなど、これまで扱った相談は500件以上。この数年、相談に訪れる多重債務者は、商工業者よりも年金生活者や農民、非正規労働者の方が圧倒的に多いといいます。
最初訪れた時は、まるで魂が抜けたような様子だった相談者が、道場に通い解決の方向が見えてくるにつれ、表情に明るさが戻るのがわかるといいます。(略)さんがやりがいを感じる時です。
「借りた方が悪いのでなく、低利で銀行から借りて、高利で貸し付けるというサラ金の仕組み。働いても借金が返せないような社会のあり方がおかしい。自分も大変だが、これからも相談員を続けます。生活を立て直すために力になりたい」
(阿曽 隆)
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2010.07.19.)
山形・鶴岡の(略)さん
「消費税やっつける一票」
「比例の票は全国どこでもムダにならない。共産党への一票が、消費税増税をやっつける票になるんです」
山形県の鶴岡一東支部の(略)さん(69)は、昨年の市議選のつながり名簿に総当たりして、これまで約300人に比例での支持を広げています。
支持してくれた人には、「山形でも東京でも沖縄でも、一票一票が積み重なれば4人、5人と当選できる。息子さんや娘さん、親せきの方に、あなたから電話してくれませんか?」と熱く訴えています。電話にでた若者に「比例票はムダにならない」と知らせると、「そうなの?」と驚かれることもあります。
「選挙のはたらきかけは、やればやっただけ効果がある。前回は鶴岡でいえば50票の差であと1議席とれなかった」。夜7時すぎまで電話したあとは、東京や青森の親せきにも電話しています。
(略)さんは、「条件がある人には9時すぎだって電話できる。今回は5人以上当選させるんだ。生っちょろい思いじゃだめ」と自らを奮い立たせ、比例票を伸ばしています。
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
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2010.07.08.)
そんで、前項コメント欄の続き?的に……(^^;)
>シアサッテは東京では「あさっての次の日」であるが、東京を除く関東・甲信越では「あさっての次の次の日」を指す場合が多い。
……えっ…………!!!!
!(@@)! 初耳!!
(私は東京バージョンで使ってた……。)
熊本の「アンタ」も初耳。
……今の情報過剰社会の人間関係や国際関係における感情面(ヘイトクライムとか)でのトラブルって……
何割かは、確実に、こうしたイキチガイから増幅していってるんだろぉなぁ……★(><;)☆……
食べ物に関しても、じつわ、万国共通とは言い難い部分が、色々とはあるけど……
と、とりあえず、一緒にメシ食って、話しあおうぜ……
戦争に、なるまえに!!!
方言学 万華鏡 ③
「ワガンネ」の意味
ある女性作家が、原稿を送ろうとして東北地方の郵便局に行き、郵便物の重量が貼(は)った切手で間に合うかどうかを尋ねたところ、局員が「ワガンネ」と答えた。作家は怒って「分からないとは何事だ」と抗議した。
この話を聞いた東北生まれの井上ひさしさんが、「ワガンネ」とは「だめだ」「できない」という意味だよと作家に注意したという。
山形県庄内育ちの看護師から聞いた話であるが、東京の病院に勤務していたとき、口の手術を受けた患者がしきりにからだを動かすので、「だまっててね」と言ったところ、後日、その患者から、口がきけないことが分かっているのに、なぜ「だまって」と言ったのかと聞かれたという。山形県庄内地方では、「動かないで」を「ダマッテレ」と表現するのである。
このような誤解は共通語と方言の意味・用法のずれによって起きる。シアサッテは東京では「あさっての次の日」であるが、東京を除く関東・甲信越では「あさっての次の次の日」を指す場合が多い。うかつに「シアサッテに会おう」と言うのは危険である。
熊本県出身者が上司を「アンタ」と呼んで不興を買った。熊本県では目下にはオマエ(地域によってはヌシ)、目上にはアンタ・アータ・アナタを使う地域が多いのである。「あなた」も「おまえ」もかつては目上に使うべき代名詞であったが、現代共通語では価値が低下し、目上には使えなくなった。
(佐藤亮一/さとう・りょういち 国立国語研究所名誉所長)
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2010.06.29.)
>シアサッテは東京では「あさっての次の日」であるが、東京を除く関東・甲信越では「あさっての次の次の日」を指す場合が多い。
……えっ…………!!!!
!(@@)! 初耳!!
(私は東京バージョンで使ってた……。)
熊本の「アンタ」も初耳。
……今の情報過剰社会の人間関係や国際関係における感情面(ヘイトクライムとか)でのトラブルって……
何割かは、確実に、こうしたイキチガイから増幅していってるんだろぉなぁ……★(><;)☆……
吉田文子の 今晩のおかず
ずんだ乗せ冷ややっこ
枝豆のおいしい季節。ずんだ(枝豆ペースト)を豆腐の上にたっぷり乗せ、おかずとしていただきましょう。フードプロセッサーやミキサーを使うと簡単です。
◆材料(4人分)
豆腐 1丁
枝豆(さやつきで)300グラム
◆作り方
①枝豆は塩ゆでし、さやから出して見ず100ccを加え、フードプロセッサーで半つぶしにする(薄皮を取ってすり鉢ですっても)。
②味をみながら、塩小さじ1/2と砂糖大さじ1を加える(やや濃い目の甘じょっぱい味に)。冷蔵庫で冷やしておく。
③器に豆腐を切って入れ、②のずんだをかける。
(1人分106キロカロリー)
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2010.06.29.)
食べ物に関しても、じつわ、万国共通とは言い難い部分が、色々とはあるけど……
と、とりあえず、一緒にメシ食って、話しあおうぜ……
戦争に、なるまえに!!!
番組をみて
ETV特集 井上ひさしさんが残したメッセージ
(NHK教育、6日放送)
積年の思い多喜二よみがえらす
小林多喜二の「蟹工船」が、いま、脚光を浴びている。(略)昨年10月に上演された井上ひさしの「組曲虐殺」も、その潮流の一環としての位置を占めるだろう。(略)演出家栗山民也の証言によると、小林多喜二を劇化したいとの構想を、20年前からあたためつづけたという。薬剤師の父井上修吉の次男として生まれた井上ひさしは、父が農地解放運動という当時としては左翼活動をしていたために、「スパイの子」としていじめられていた。その思い出と小林多喜二の活動とが結びついたのである。(略)「生命あれば書く。絶望するな」と創作意欲を持ち続けた井上ひさしは、「組曲虐殺」のなかで「後につづく者を信じて走れ」といい残している。(略)
(菅井幸雄 演劇評論家)
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2010.06.10.)
井上ひさしは、私の母や伯母たちと同年輩。
井上ひさしの父は、私の祖父と同年輩? ということになるわけで……。
祖父かたの「本家」は、「薬局」を営んでいる。ってことは「薬剤師」さんとは、面識のあった可能性が高い。
そして、祖父と、祖母の父(私の大伯父)は、「農地解放運動という当時の左翼活動」に、大いに賛成! の、意思表示をしていた人たち。で、あった……
らしい。
なんだか自分のご先祖が、歴史の一部である☆
(^^;)
乳のごとき故郷 藤沢周平 著
ふじさわ・しゅうへい 1927~97年。作家。
感懐に浸されるエッセー集
評者 松田静子 鶴岡藤沢周平文学愛好会顧問
4月29日にオープンした鶴岡市立藤沢周平記念館は、待ちわびた全国の愛好者で連日にぎわっている。その記念館のオープンに合わせて出版されたのがこの本である。巻末には記念館の案内も記載されている。
藤沢周平の故郷山形県の庄内地方。海坂(うなさか)藩のモデルとされた旧荘内藩の城「鶴ヶ岡城」の城址(し)公園の一角に、東京都練馬区の大泉学園町にあった思い出の品々と書斎(仕事部屋)などが移ってきた。いわば藤沢さんの魂の帰郷であろうか。
「乳のごとき故郷」は、生前書かれた数多くの故郷関係のエッセイをすぐって一冊にしたもので、幼児の頃(ころ)の思い出から、晩年に帰省したときの故郷観まで、びっしり詰まっている。藤沢周平が故郷をどんなふうに想(おも)い続けたかをまとめて読むことができる。(略)
地元に住む人間にとっては「村の学校」「変貌(へんぼう)する村」などを読むと心が痛む。藤沢さんの魂は、故郷へ帰ったことを果たして喜んでいるだろうか、と。農村・山村の活力は取り戻せるだろうか。何が大切なのかを見直すヒントもここにある。一方では変わらずにある故郷の風景や味、そして縁(ゆかり)の人々に出会うこともあって、ここに生きる誇りも感じさせてくれる本でもある。
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
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2010.06.06.)
やはり、わが祖父が生きていたら、さぞかし……(^^;)……
うらやんだことだろうなぁ……☆☆
(祖父は、異境の地で、ついに帰郷する機会を得ぬまま、客死しました……☆)
“普通が一番”
2010年5月11日 【御先祖様】とか【庄内藩】とか。(+【 日 ユ 同 ソ 論 】とか…!)断面
記念館開設と藤沢文学
庄内の風土と人柄とともに
「蝉(せみ)しぐれ」「たそがれ清兵衛」などの時代小説で知られる故・藤沢周平さん。その文学・業績、人柄をふるさと・庄内の知的風土、作品の土壌とともに紹介する藤沢周平記念館が、故郷の山形県鶴岡市に完成。小説の「海坂(うなさか)藩」のモデルとなった庄内藩の鶴ヶ岡城跡(公園内)にオープンしました。初日(4月29日)に1000人余が来館、5月連休もにぎわいました。
(略)「藤沢さんが育った庄内の文化、歴史、風土を感じて作品の味わいを深めてほしい。記念館がその拠点であり案内役」(略)「“普通が一番”といい、派手なことの嫌いな父でしたから、生きていたら、記念館は絶対だめでした。でも、みんなが喜ぶなら仕方ないといったでしょう」と心境を語っています。(略)
(澤田勝雄)
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関誌「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2010.05.11.)
>藤沢さんが育った庄内の文化、歴史、風土を
いや本当、わが祖父が存命だったら、さぞかし贔屓の引き倒しの褒め殺しにしまくったに違いない……(苦笑)
>生きていたら、記念館は絶対だめでした。でも、みんなが喜ぶなら仕方ないといったでしょう
……なんとなく、やっぱりヤンなんだよね(苦笑)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=26936448&comm_id=2951617
作品世界と生涯
2010年5月10日 【御先祖様】とか【庄内藩】とか。(+【 日 ユ 同 ソ 論 】とか…!)ひと
藤沢周平記念館の初代館長
五十嵐 和彦さん(52)
作家・故藤沢周平の作品世界と生涯を紹介する記念館が4月末、出身地の山形県鶴岡市の鶴岡公園内に開設されました。その初代館長として、「終生、ふるさとの庄内をこよなく愛した藤沢さんでしたから、作品の原風景となった鶴岡・庄内の豊かな自然と文化を感じながら、ゆったりした時間のなかで、藤沢さんや作品との絆(きずな)をより深めてもらいたい」と意欲を示します。
鶴岡市立のこぢんまりした印象の建物。初版単行本74冊、自筆原稿・創作メモなどが展示され、東京・大泉学園町にあった自宅の書斎が再現されています。特別企画展「『蝉しぐれ』の世界」には約50点が展示。「海坂(うなさか)藩」のモデルとされる庄内藩の歴史史料も。
東京の大学を卒業して、生まれ育った鶴岡にUターン。市職員として主に建設部門で働いて28年。文学とは一見、畑違いに見えますが、「地元の出版社に勤務していたとき、一度、藤沢さんにお目にかかったことも」あり、記念館の開設準備に2年間専任してきました。初めて手に取った作品は「又蔵の火」、好きな作品は「風の果て」。
(略)「緊張の毎日ですね。記念館を拠点にして生家跡や藤沢作品ゆかりの所をぜひまわってください」と力説。年間3万人の入館者をめざします。
(文・ 澤田 勝雄)
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関誌「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2010.05.10.)
ん~? この澤田さん……
鶴岡担当?
祖父のこともご存じかな……??
作家・劇作家「九条の会」呼びかけ人
井上ひさしさん死去
作家・劇作家で「九条の会」呼びかけ人の一人である井上ひさしさん(いのうえ・ひさし、(略))が9日午後10時22分、肺がんのため神奈川県鎌倉市の自宅で死去しました。75歳でした。山形県川西町出身。葬儀は近親者で行いました。
上智大フランス語科在学中から喜劇の台本を書き始め、卒業後は放送作家に。1964年からNHK人形劇「ひょっこりひょうたん島」の台本を共同で手がけました。(略)81年、東北の寒村が日本から独立宣言する「吉里吉里人」で日本SF大賞。(略)
2004年には作家大江健三郎さん、評論家加藤周一さんらと平和憲法の堅持を訴える「九条の会」を設立するなど、平和、護憲運動でも知られました。(略)
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2010.04.13.)
>神奈川県鎌倉市の自宅で死去
>75歳
>山形県川西町出身。
>1964年からNHK人形劇「ひょっこりひょうたん島」
わが愚母と「ほぼ同郷」で「ほぼ同世代(伯母と同い年)」で「ほぼご近所さん」の、「郷里の星」の一人。ついでに1964年は私が生まれた年だ。(もっともそのころの我が家にはいまだにテレビは存在していなかったはずだが。)
わが賢祖父がもし生きていたらばさぞかし無条件に大絶賛して誉めころした“人物”であろうことは、疑うべくもない。むろん私だってその文芸作品群に対するリスペクトは、ちゃんと持っているのだが。
この人、自分の妻を日常的に殴り倒して散々に苦痛に満ちた日々を過ごさせ耐えきれないほどの悲しく辛く恥ずかしい思いをさせた後、ついに決意して逃げ出して離婚を申し立てた彼女に対して、「自分には悪いところは何もない。相手がおかしい。離婚など申し立てられて非常に自分が傷ついている。自分が“被害者”なんである!」と、数々の大賞受賞作家という公的な立場を利用して公共の記事や電波に乗せて侮言と自己正当化の虚言の数々を吐いて二重に「元妻」の人権を侵害しまくった……という、
世にも恥ずべき、
人権剥奪しろ! 級の、
大迷惑DV男。なんである……。
数々の女性団体が声をあげて糾弾していた
「その問題」行動をさくっと無視して、
「九条一点」とかで大同団結しやがった★(--;)★
恥知らずどもと日本共産党幹部層の識見を、
私は問いたい………………★
>上智大フランス語科在学
たしか、Tさんもリスペクトしていた人で、DV問題のことを私が教えたら、「えぇぇぇぇっ!!!!」と、悶えていた……☆
h(--;)”