(旧MIXI日記) 「軍隊は国民を弾圧するためにある」
2007年11月30日 くたばれ!カイザー(ん)!(2007年11月30日02:03)
長井さんの四十九日……を、過ぎてしまった……(^^;)……のですが、その後の気になった続報類を、まとめて法要代わりに。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆ミャンマー 週刊誌発行停止続く
【ヤンゴン=AFP時事】
政情不安が続くミャンマーの私営メディアの週刊誌が軍政の圧力などのため、相次いで発行停止を余儀なくされています。業界関係者が二十八日明らかにしました。
イレブン・メディア・グループなどが発行する計九紙が発行を停止。
「軍政の宣伝を流すことを拒否したため、発行停止に追い込まれた新聞もあるようだ」
と語りました。
(『しんぶん赤旗』2007.09.29.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆コメント◆
歌いながら大地を歩く 2007年11月30日 02:11
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
銃向ける軍隊 憲法の大切さ
前橋市 HT(65歳)
ミャンマーで日本のジャーナリストが、軍隊に殺された。軍隊に入り、洗脳されると、平然と至近距離から撃ち、さらに群集を追っていく。
ミャンマーの軍事政権はひどい。でも、沖縄戦の「集団自決」に日本軍の関与がなかったかのように言いつくろう日本政府と、どれだけ違うというのだろうか。
沖縄で、日本軍の関与がなかったとする教科書検定をした政府・文科省に抗議する県民大会(9月29日)が開かれた。沖縄戦の兵隊の多くも、純真な農村青年だったろう。それが、訓練の中で洗脳され、住民に銃を向けるだけでなく、「集団自決」まで強いるようになったのだろう。
軍の命令で「集団自決」が行われたことは歴史的な事実なのに、なかったかのごとく言いくるめる政府・文科省の姿とは一体なんだろうか。
ミャンマーと日本の両政府のあり方を見ていると、
「軍隊は国民を弾圧するためにある」
ということが明らかになってくる。
憲法を変えようとして、逆に憲法の大切さが国民に明らかになり、安倍氏は辞職した。
軍の関与を隠そうとして、逆に軍の関与が誰の目にも明らかになった。
この流れをさらに大きく広げていきたい。
(『しんぶん赤旗』2007.10.05.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年11月30日 02:15
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
長井さんの地元葬儀
旧友ら最後の別れ(愛媛・今治)
ミャンマーで取材中に射殺されたジャーナリスト長井健司さん(50)の地元での葬儀が十三日、愛媛県今治市の高野山今治別院で営まれました。計約六十人が参列、最後の別れを告げました。式後、長井さんと中学高校が一緒だったという今治市の薬剤師NAさん(50)は「こんな形で再会し、とても残念です」と話しました。
(『しんぶん赤旗』2007.10.14.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年11月30日 02:33
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ミャンマーのデモ弾圧一カ月
僧侶や市民のデモに対し、軍事政権が武力弾圧(先月26、27日)してから1カ月以上が過ぎたミャンマー。国際社会は武力弾圧を強く批判して中止を求めるとともに、国民和解に向け、さまざまなアプローチをしています。
(ハノイ=井上歩)
傷 跡
ロイター通信によると、ミャンマー軍事政権は二十七日、デモ弾圧の際に身柄を拘束された最大野党・国民民主連盟(NLD)のメンバーら八十七人を釈放しました。
ミャンマー国営紙十七日付は反政府デモで計約三千人の身柄を拘束したと報道。現在も数百人が拘束されているとみられます。
デモ弾圧による死者は、日本人ジャーナリスト・長井健司さんを含む十人だと軍政は発表。しかし、ミャンマーの人権状況を担当する国連人権理事会のピネイロ特別報告者は二十四日の国連総会第三委員会で死者は「最大百十人」にのぼると報告しました。
反軍政系のラジオ局「ビルマ民主の声」(本部・ノルウェー)は二十九日にも、デモ参加後、逮捕を恐れて自宅から逃れたNLDメンバーが遺体で見つかったとのニュースを流しています。
会 談
デモ弾圧に対して国際社会の批判が噴出した後、軍政トップのタン・シュエ国家平和発展評議会議長は、経済制裁への支持撤回などを条件にスー・チーさんとの対話と提案。二十五日には実際にアウン・チー対話調整担当相がスー・チーさんと会談しました。
ミャンマー国外にいる民主化団体幹部は、「軍政が本当に対話し国民和解する意思があるなら、まずスー・チーさんや政治犯を釈放すべき。今回の対話はポーズにすぎない」と話します。
軍政はまた、十八日に新憲法の起草委員会を設置し、七段階の民主化行程表(ロードマップ)を一段階進めました。
軍政は行程表の実行を「国民の願い」だとして、政治犯釈放を求めた国連安保理の非難声明に対する回答として扱っています。
ただ新憲法制定では、すでに基本原則に「軍の指導的役割」の保証を求めるなど、軍政色が強くなることが明らかになっています。
最近の軍政の出方について、民主化団体幹部は「デモ弾圧後、国際社会にロードマップでは不十分という声も出ており、軍政は追いつめられている。それが対話などの背景にあるのではないか」と見ています。
世 界
対ミャンマーで国際社会は、米国が対ミャンマー追加制裁措置を発表するなど欧米主要国が軍政への圧力を強める一方、「建設的関与」を掲げてきた東南アジア諸国連合(ASEAN)や中国、インドなどの近隣諸国は、対話と協議による解決を主張しています。
武力弾圧に外相会合で「嫌悪感」を表明したASEANは、議長国シンガポールのリー・シェンロン首相がいちはやく「制裁は逆効果」(地元紙ストレーツ・タイムズのインタビュー)とのべ、ミャンマーの国民和解と平和的な民主化に向けた国連仲介をASEANの総意として全面支持することも表明しています。
ASEANのオン・ケンヨン事務局長も同地元紙に「ミャンマーはASEANにいる確かな有用性を知っており、(対話の)テーブルから離れたいとは思っていない」と述べています。
タイ暫定政権のスラユット首相は、ミャンマー問題解決のため、六か国協議のような多国間協議をASEANと中国、インドなどの参加で設置すべきだと提案しました。
中国、インド、ロシアも制裁強化には慎重な立場をとっています。
(『しんぶん赤旗』2007.10.31.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年11月30日 02:38
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ミャンマー僧侶デモ
弾圧後初 100人
【バンコク=時事】
ミャンマー中部マグエ管区パコクで三十一日、僧侶と市民約百人のデモが行われました。軍事政権が九月下旬、僧侶らの反政府デモを武力弾圧して以来、軍政主導の官製デモは国内各地で行われていますが、僧侶のデモは初めてとみられます。治安当局はデモ参加者を拘束しませんでした。
消息筋によると、デモはこの日午前八時ごろから約二時間にわたって行われ、僧侶約七十人と市民約三十人が参加。僧侶は読経しながら街中を歩きましたが、政治的スローガンなどは掲げなかったといいます。
(『しんぶん赤旗』2007.11.01.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年11月30日 02:47
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ミャンマー 国連特使が再訪へ
対話促進働きかけ
国連特使のガンバリ事務総長特別顧問(事務次長=ミャンマー担当)はミャンマーの軍事政権に対し、反軍政勢力や国民各層との対話を促進するよう改めて働きかけるため、十一月三日に同国を再訪する予定です。
ガンバリ氏は九月末から十月初めにかけてミャンマーを訪問して軍事政権の最高指導者タン・シュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長と会談。一方で、民主化運動指導者のアウン・サン・スー・チー国民民主連盟(NLD)書記長とも二度会い、双方に対話を再開するよう要請しました。
十月十一日に国連安全保障理事会が全会一致で採択した議長声明は、ミャンマー軍政による弾圧について「平和的デモ隊に対する暴力の行使に強い遺憾の意」を表明。すべての政治囚と拘束者の早期釈放とあわせ「ミャンマー政府と全当事者に事態の沈静化と平和的解決に向け協力するよう」求めています。
ガンバリ氏は十月中旬から東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟のタイ、マレーシア、インドネシアの三カ国とインド、中国、日本を歴訪して各国政府首脳などと会談し、ミャンマー危機打開への協力を働きかけています。
(『しんぶん赤旗』2007.11.01.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年11月30日 02:55
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
長井さん銃撃「1メートル以内」映像鑑定
ミャンマー・ヤンゴンで反政府デモの取材中、射殺されたジャーナリスト長井健司さん(50)が、横にいた兵士に一メートル以内の距離から撃たれていたことが二十六日、警視庁組織犯罪対策二課の調べで分かりました。
同課は外務省などから入手した複数の映像について、専門機関に鑑定を依頼。その結果、カメラを持って倒れていた男性が長井さんであると確認しました。
撃たれた瞬間の映像や一連の動作などから、倒れた長井さんの横にいた兵士が持った銃器で撃たれ、一メートル以内の極めて至近距離だったといいます。
これまでの調べでは、死因は肝損傷による失血死の疑いで、背後から撃たれ、銃弾一発が左腰背部から入り、右上腹部に貫通していました。
同課などは日本人が国外で重大犯罪に遭うケースを想定した刑法の「国外犯規定」を適用。殺人容疑を視野に、外務省と連携を取りながら捜査しています。
(『しんぶん赤旗』2007.11.27.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年11月30日 03:02
……肝損傷による失血死……
い、痛かっただろうなぁ……
(>_<)
四十九日が過ぎましたけど、
無事に転生されましたか?
「そんなヒマなんかないよ!」
とか言って、
御仏(即身成仏者)として、
かけずりまわっていそうな、
そんな気もする、なぁ……
(なにしろあのお顔は、
もともと「お地蔵さん」タイプだ……☆(^^;)
ミャンマーはひとまず埋み火状態ですが、
パキスタンは熾き火に風が吹き込む事態。
眠ってるヒマなんか、ないよね?
でも。私は即身成仏できそうにないので……
ひとまず、時間切れ。
おやすみなさ〜い☆ _(_^_)_
歌いながら大地を歩く 2007年12月08日 02:50
(んんん? ひさ〜しぶりに、
「ビルボ・バギンズ氏」が、出たぞ……???)
.
長井さんの四十九日……を、過ぎてしまった……(^^;)……のですが、その後の気になった続報類を、まとめて法要代わりに。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆ミャンマー 週刊誌発行停止続く
【ヤンゴン=AFP時事】
政情不安が続くミャンマーの私営メディアの週刊誌が軍政の圧力などのため、相次いで発行停止を余儀なくされています。業界関係者が二十八日明らかにしました。
イレブン・メディア・グループなどが発行する計九紙が発行を停止。
「軍政の宣伝を流すことを拒否したため、発行停止に追い込まれた新聞もあるようだ」
と語りました。
(『しんぶん赤旗』2007.09.29.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆コメント◆
歌いながら大地を歩く 2007年11月30日 02:11
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
銃向ける軍隊 憲法の大切さ
前橋市 HT(65歳)
ミャンマーで日本のジャーナリストが、軍隊に殺された。軍隊に入り、洗脳されると、平然と至近距離から撃ち、さらに群集を追っていく。
ミャンマーの軍事政権はひどい。でも、沖縄戦の「集団自決」に日本軍の関与がなかったかのように言いつくろう日本政府と、どれだけ違うというのだろうか。
沖縄で、日本軍の関与がなかったとする教科書検定をした政府・文科省に抗議する県民大会(9月29日)が開かれた。沖縄戦の兵隊の多くも、純真な農村青年だったろう。それが、訓練の中で洗脳され、住民に銃を向けるだけでなく、「集団自決」まで強いるようになったのだろう。
軍の命令で「集団自決」が行われたことは歴史的な事実なのに、なかったかのごとく言いくるめる政府・文科省の姿とは一体なんだろうか。
ミャンマーと日本の両政府のあり方を見ていると、
「軍隊は国民を弾圧するためにある」
ということが明らかになってくる。
憲法を変えようとして、逆に憲法の大切さが国民に明らかになり、安倍氏は辞職した。
軍の関与を隠そうとして、逆に軍の関与が誰の目にも明らかになった。
この流れをさらに大きく広げていきたい。
(『しんぶん赤旗』2007.10.05.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年11月30日 02:15
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
長井さんの地元葬儀
旧友ら最後の別れ(愛媛・今治)
ミャンマーで取材中に射殺されたジャーナリスト長井健司さん(50)の地元での葬儀が十三日、愛媛県今治市の高野山今治別院で営まれました。計約六十人が参列、最後の別れを告げました。式後、長井さんと中学高校が一緒だったという今治市の薬剤師NAさん(50)は「こんな形で再会し、とても残念です」と話しました。
(『しんぶん赤旗』2007.10.14.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年11月30日 02:33
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ミャンマーのデモ弾圧一カ月
僧侶や市民のデモに対し、軍事政権が武力弾圧(先月26、27日)してから1カ月以上が過ぎたミャンマー。国際社会は武力弾圧を強く批判して中止を求めるとともに、国民和解に向け、さまざまなアプローチをしています。
(ハノイ=井上歩)
傷 跡
ロイター通信によると、ミャンマー軍事政権は二十七日、デモ弾圧の際に身柄を拘束された最大野党・国民民主連盟(NLD)のメンバーら八十七人を釈放しました。
ミャンマー国営紙十七日付は反政府デモで計約三千人の身柄を拘束したと報道。現在も数百人が拘束されているとみられます。
デモ弾圧による死者は、日本人ジャーナリスト・長井健司さんを含む十人だと軍政は発表。しかし、ミャンマーの人権状況を担当する国連人権理事会のピネイロ特別報告者は二十四日の国連総会第三委員会で死者は「最大百十人」にのぼると報告しました。
反軍政系のラジオ局「ビルマ民主の声」(本部・ノルウェー)は二十九日にも、デモ参加後、逮捕を恐れて自宅から逃れたNLDメンバーが遺体で見つかったとのニュースを流しています。
会 談
デモ弾圧に対して国際社会の批判が噴出した後、軍政トップのタン・シュエ国家平和発展評議会議長は、経済制裁への支持撤回などを条件にスー・チーさんとの対話と提案。二十五日には実際にアウン・チー対話調整担当相がスー・チーさんと会談しました。
ミャンマー国外にいる民主化団体幹部は、「軍政が本当に対話し国民和解する意思があるなら、まずスー・チーさんや政治犯を釈放すべき。今回の対話はポーズにすぎない」と話します。
軍政はまた、十八日に新憲法の起草委員会を設置し、七段階の民主化行程表(ロードマップ)を一段階進めました。
軍政は行程表の実行を「国民の願い」だとして、政治犯釈放を求めた国連安保理の非難声明に対する回答として扱っています。
ただ新憲法制定では、すでに基本原則に「軍の指導的役割」の保証を求めるなど、軍政色が強くなることが明らかになっています。
最近の軍政の出方について、民主化団体幹部は「デモ弾圧後、国際社会にロードマップでは不十分という声も出ており、軍政は追いつめられている。それが対話などの背景にあるのではないか」と見ています。
世 界
対ミャンマーで国際社会は、米国が対ミャンマー追加制裁措置を発表するなど欧米主要国が軍政への圧力を強める一方、「建設的関与」を掲げてきた東南アジア諸国連合(ASEAN)や中国、インドなどの近隣諸国は、対話と協議による解決を主張しています。
武力弾圧に外相会合で「嫌悪感」を表明したASEANは、議長国シンガポールのリー・シェンロン首相がいちはやく「制裁は逆効果」(地元紙ストレーツ・タイムズのインタビュー)とのべ、ミャンマーの国民和解と平和的な民主化に向けた国連仲介をASEANの総意として全面支持することも表明しています。
ASEANのオン・ケンヨン事務局長も同地元紙に「ミャンマーはASEANにいる確かな有用性を知っており、(対話の)テーブルから離れたいとは思っていない」と述べています。
タイ暫定政権のスラユット首相は、ミャンマー問題解決のため、六か国協議のような多国間協議をASEANと中国、インドなどの参加で設置すべきだと提案しました。
中国、インド、ロシアも制裁強化には慎重な立場をとっています。
(『しんぶん赤旗』2007.10.31.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年11月30日 02:38
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ミャンマー僧侶デモ
弾圧後初 100人
【バンコク=時事】
ミャンマー中部マグエ管区パコクで三十一日、僧侶と市民約百人のデモが行われました。軍事政権が九月下旬、僧侶らの反政府デモを武力弾圧して以来、軍政主導の官製デモは国内各地で行われていますが、僧侶のデモは初めてとみられます。治安当局はデモ参加者を拘束しませんでした。
消息筋によると、デモはこの日午前八時ごろから約二時間にわたって行われ、僧侶約七十人と市民約三十人が参加。僧侶は読経しながら街中を歩きましたが、政治的スローガンなどは掲げなかったといいます。
(『しんぶん赤旗』2007.11.01.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年11月30日 02:47
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ミャンマー 国連特使が再訪へ
対話促進働きかけ
国連特使のガンバリ事務総長特別顧問(事務次長=ミャンマー担当)はミャンマーの軍事政権に対し、反軍政勢力や国民各層との対話を促進するよう改めて働きかけるため、十一月三日に同国を再訪する予定です。
ガンバリ氏は九月末から十月初めにかけてミャンマーを訪問して軍事政権の最高指導者タン・シュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長と会談。一方で、民主化運動指導者のアウン・サン・スー・チー国民民主連盟(NLD)書記長とも二度会い、双方に対話を再開するよう要請しました。
十月十一日に国連安全保障理事会が全会一致で採択した議長声明は、ミャンマー軍政による弾圧について「平和的デモ隊に対する暴力の行使に強い遺憾の意」を表明。すべての政治囚と拘束者の早期釈放とあわせ「ミャンマー政府と全当事者に事態の沈静化と平和的解決に向け協力するよう」求めています。
ガンバリ氏は十月中旬から東南アジア諸国連合(ASEAN)加盟のタイ、マレーシア、インドネシアの三カ国とインド、中国、日本を歴訪して各国政府首脳などと会談し、ミャンマー危機打開への協力を働きかけています。
(『しんぶん赤旗』2007.11.01.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年11月30日 02:55
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
長井さん銃撃「1メートル以内」映像鑑定
ミャンマー・ヤンゴンで反政府デモの取材中、射殺されたジャーナリスト長井健司さん(50)が、横にいた兵士に一メートル以内の距離から撃たれていたことが二十六日、警視庁組織犯罪対策二課の調べで分かりました。
同課は外務省などから入手した複数の映像について、専門機関に鑑定を依頼。その結果、カメラを持って倒れていた男性が長井さんであると確認しました。
撃たれた瞬間の映像や一連の動作などから、倒れた長井さんの横にいた兵士が持った銃器で撃たれ、一メートル以内の極めて至近距離だったといいます。
これまでの調べでは、死因は肝損傷による失血死の疑いで、背後から撃たれ、銃弾一発が左腰背部から入り、右上腹部に貫通していました。
同課などは日本人が国外で重大犯罪に遭うケースを想定した刑法の「国外犯規定」を適用。殺人容疑を視野に、外務省と連携を取りながら捜査しています。
(『しんぶん赤旗』2007.11.27.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年11月30日 03:02
……肝損傷による失血死……
い、痛かっただろうなぁ……
(>_<)
四十九日が過ぎましたけど、
無事に転生されましたか?
「そんなヒマなんかないよ!」
とか言って、
御仏(即身成仏者)として、
かけずりまわっていそうな、
そんな気もする、なぁ……
(なにしろあのお顔は、
もともと「お地蔵さん」タイプだ……☆(^^;)
ミャンマーはひとまず埋み火状態ですが、
パキスタンは熾き火に風が吹き込む事態。
眠ってるヒマなんか、ないよね?
でも。私は即身成仏できそうにないので……
ひとまず、時間切れ。
おやすみなさ〜い☆ _(_^_)_
歌いながら大地を歩く 2007年12月08日 02:50
(んんん? ひさ〜しぶりに、
「ビルボ・バギンズ氏」が、出たぞ……???)
.
(2007年11月30日01:15)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
シリーズ これでいいのか選挙制度
小選挙区制度 …… 民意ゆがめる“虚構の多数”
日本共産党は第5回中央委員会総会(九月八、九両日)で、民意をゆがめる小選挙区制度や憲法じゅうりんの政党助成金など世界でも異常な選挙制度の民主的改革を呼びかけました。全国革新懇もそのための国民運動を呼びかけています。与党内からも全く違う立場から弊害を指摘する声があがっています。
日本の選挙制度のなにが問題なのか……シリーズで検証していきます。(佐久間 亮 )
有権者・国民の意思をいかに正確に反映させるか……これが選挙制度の善しあしをはかる最大のものさしです。この点で、小選挙区制は大政党有利に民意をゆがめ、少数政党を排除する最悪の選挙制度です。
一九九四年の「政治改革」法案で、政党助成金とセットで導入されました。小選挙区比例代表並立制のもと実施された過去四回(一九九六年、二〇〇〇年、〇三年、〇五年)の総選挙は、その害悪を際立たせています。
1996年 2000年 2003年 2005年
自民党得票率 38.6% 41% 43.9% 47.8%
自民党議席率 56.3% 59% 56% 73%
4割得票で議席7割
この選挙制度を導入した、当時の細川護煕首相は「民意を集約する小選挙区制と、多様な民意を反映させる比例代表制とが相まって、より健全な議会制民主主義が実現する」などと繰り返し説明しました。
しかし、小選挙区制では、どんなに得票率が低くても最大得票数の候補者一人だけが当選します。三、四割の得票で六割から七割もの議席を第一党に独占させる一方、少数意見を抹殺する「大政党本位」の選挙制度です。
比例代表制を加味したとしても、民意をゆがめる小選挙区制の本質が解消させるわけではありません。
〇五年の総選挙を見てみましょう。自民党は小選挙区議席(三百)の73%にあたる二百十九人が当選しましたが、得票率は47.8%です。小選挙区では連立を組んでいる公明党票が自民党候補の得票をかさ上げしているため、比例区での得票を自民党の実力とすれば、38.2%の得票率で実に七割以上の議席を獲得したことになります。
自民党は、小選挙区でこれだけの“虚構の多数”を獲得したため、民意が比較的正確に議席に反映する比例部分を加えても是正はされず、圧倒的多数は揺るぎません。全体でも二百九十六議席、総定数の61.7%もの議席を占有したのです。
これに対して民主党は比例得票率31%で議席は全体で百十三で占有率は23.5%。日本共産党は得票率7.3%で議席は九、占有率1.9%でした。
仮に衆院の総定数(四百八十)を各党の比例票で配分した場合、自民党は百八十三議席、民主党は百四十九議席、日本共産党は三十五議席になります。
実際の議席:比例区換算
自民党 296 : 183
民主党 113 : 149
公明党 31 : 64
共産党 9 : 35
社民党 7 : 26
〇六年五月に開かれた日本選挙学会のシンポジウムでは、〇五年の「郵政選挙」をめぐって「今回の総選挙は、恐れていた小選挙区制の問題点が露呈した選挙であった」「民意との格差はあまりにも度が過ぎている。民主主義に反すると言わざるを得ない」(阪上順夫・三重中京大学客員教授)との報告が出されました。
◆コメント◆
歌いながら大地を歩く 2007年11月30日 01:29
憲法理念に反する
小選挙区制では、議席に結びつかないいわゆる「死票」が増大します。〇五年総選挙でも、小選挙区では三千三百万票にのぼり、総投票数六千八百六万票の48.5%という莫大な数に達しました。
こうして議席に結びつかない票を大量に生み出すこの制度は、“自分の一票を生かしたい”という有権者の審理をとらえて、ますます大政党に有利に働くことになるのです。
しかも二〇〇〇年には、当初二百あった比例定数を二十も削減し百八十にしたことで、民意はいっそう大政党本位にゆがめられることになりました。
北海道ブロックが定数九から八に、四国ブロックが七から六へと削減されるなど少数意見も議席に反映される比例の長所が消されたのです。
その結果、表(※省略※)でも明らかなように、比例区でも、大政党が得票率以上の議席を得るという事態が起きています。
日本国憲法は、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動(する)」(前文)、「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」(四三条)と定めています。国民の意思を正確に反映した選挙制度を求めたもので、「大政党本位」に民意をゆがめる小選挙区制が憲法の理念にもそぐわないことは明らかです。
二大政党論が弊害加速
マスメディアを中心とした自民党か民主党かの二者択一を迫る「二大政党」キャンペーンも、大政党優位、少数政党排除という小選挙区制の弊害に拍車をかけています。
〇五年総選挙でも、マスメディアは「自民対民主」の二大政党をあおるとともに、「刺客対造反組」の攻防をたれ流すなど劇場型の報道に終始。選挙学会のシンポジウムでは、「昨年の総選挙で…テレビは木鐸(ぼくたく)どころか、ちんどん屋になった」(内田満・早稲田大学名誉教授)と批判が出されました。
「小選挙区制を土台とした『二大政党』キャンペーンも加わって、少数政党を排除する。白か黒かの二分法が押し付けられ、多様な議論が封殺されている。こんな制度を続けていいのか」(志位和夫委員長)がいま問われています。
(『しんぶん赤旗』2007.11.22.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
シリーズ これでいいのか選挙制度
小選挙区制度 …… 民意ゆがめる“虚構の多数”
日本共産党は第5回中央委員会総会(九月八、九両日)で、民意をゆがめる小選挙区制度や憲法じゅうりんの政党助成金など世界でも異常な選挙制度の民主的改革を呼びかけました。全国革新懇もそのための国民運動を呼びかけています。与党内からも全く違う立場から弊害を指摘する声があがっています。
日本の選挙制度のなにが問題なのか……シリーズで検証していきます。(佐久間 亮 )
有権者・国民の意思をいかに正確に反映させるか……これが選挙制度の善しあしをはかる最大のものさしです。この点で、小選挙区制は大政党有利に民意をゆがめ、少数政党を排除する最悪の選挙制度です。
一九九四年の「政治改革」法案で、政党助成金とセットで導入されました。小選挙区比例代表並立制のもと実施された過去四回(一九九六年、二〇〇〇年、〇三年、〇五年)の総選挙は、その害悪を際立たせています。
1996年 2000年 2003年 2005年
自民党得票率 38.6% 41% 43.9% 47.8%
自民党議席率 56.3% 59% 56% 73%
4割得票で議席7割
この選挙制度を導入した、当時の細川護煕首相は「民意を集約する小選挙区制と、多様な民意を反映させる比例代表制とが相まって、より健全な議会制民主主義が実現する」などと繰り返し説明しました。
しかし、小選挙区制では、どんなに得票率が低くても最大得票数の候補者一人だけが当選します。三、四割の得票で六割から七割もの議席を第一党に独占させる一方、少数意見を抹殺する「大政党本位」の選挙制度です。
比例代表制を加味したとしても、民意をゆがめる小選挙区制の本質が解消させるわけではありません。
〇五年の総選挙を見てみましょう。自民党は小選挙区議席(三百)の73%にあたる二百十九人が当選しましたが、得票率は47.8%です。小選挙区では連立を組んでいる公明党票が自民党候補の得票をかさ上げしているため、比例区での得票を自民党の実力とすれば、38.2%の得票率で実に七割以上の議席を獲得したことになります。
自民党は、小選挙区でこれだけの“虚構の多数”を獲得したため、民意が比較的正確に議席に反映する比例部分を加えても是正はされず、圧倒的多数は揺るぎません。全体でも二百九十六議席、総定数の61.7%もの議席を占有したのです。
これに対して民主党は比例得票率31%で議席は全体で百十三で占有率は23.5%。日本共産党は得票率7.3%で議席は九、占有率1.9%でした。
仮に衆院の総定数(四百八十)を各党の比例票で配分した場合、自民党は百八十三議席、民主党は百四十九議席、日本共産党は三十五議席になります。
実際の議席:比例区換算
自民党 296 : 183
民主党 113 : 149
公明党 31 : 64
共産党 9 : 35
社民党 7 : 26
〇六年五月に開かれた日本選挙学会のシンポジウムでは、〇五年の「郵政選挙」をめぐって「今回の総選挙は、恐れていた小選挙区制の問題点が露呈した選挙であった」「民意との格差はあまりにも度が過ぎている。民主主義に反すると言わざるを得ない」(阪上順夫・三重中京大学客員教授)との報告が出されました。
◆コメント◆
歌いながら大地を歩く 2007年11月30日 01:29
憲法理念に反する
小選挙区制では、議席に結びつかないいわゆる「死票」が増大します。〇五年総選挙でも、小選挙区では三千三百万票にのぼり、総投票数六千八百六万票の48.5%という莫大な数に達しました。
こうして議席に結びつかない票を大量に生み出すこの制度は、“自分の一票を生かしたい”という有権者の審理をとらえて、ますます大政党に有利に働くことになるのです。
しかも二〇〇〇年には、当初二百あった比例定数を二十も削減し百八十にしたことで、民意はいっそう大政党本位にゆがめられることになりました。
北海道ブロックが定数九から八に、四国ブロックが七から六へと削減されるなど少数意見も議席に反映される比例の長所が消されたのです。
その結果、表(※省略※)でも明らかなように、比例区でも、大政党が得票率以上の議席を得るという事態が起きています。
日本国憲法は、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動(する)」(前文)、「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」(四三条)と定めています。国民の意思を正確に反映した選挙制度を求めたもので、「大政党本位」に民意をゆがめる小選挙区制が憲法の理念にもそぐわないことは明らかです。
二大政党論が弊害加速
マスメディアを中心とした自民党か民主党かの二者択一を迫る「二大政党」キャンペーンも、大政党優位、少数政党排除という小選挙区制の弊害に拍車をかけています。
〇五年総選挙でも、マスメディアは「自民対民主」の二大政党をあおるとともに、「刺客対造反組」の攻防をたれ流すなど劇場型の報道に終始。選挙学会のシンポジウムでは、「昨年の総選挙で…テレビは木鐸(ぼくたく)どころか、ちんどん屋になった」(内田満・早稲田大学名誉教授)と批判が出されました。
「小選挙区制を土台とした『二大政党』キャンペーンも加わって、少数政党を排除する。白か黒かの二分法が押し付けられ、多様な議論が封殺されている。こんな制度を続けていいのか」(志位和夫委員長)がいま問われています。
(『しんぶん赤旗』2007.11.22.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
.
(旧MIXI日記) 大陸帰りの宿題。★( ̄^ ̄;)★
2007年11月29日 くたばれ!カイザー(ん)!(2007年11月29日02:42)
某氏からは某時期にさんざっぱらあらゆる単語で誹謗中傷された記憶があるが、御質問の件について誠意のある回答(?)をしようと、私が紛失した過去記事のファイルをせっせと発掘する努力を続けていた事だけは、事実であり真実なのである★( ̄^ ̄;)★
とはいえ元ネタは未だに発掘できず。そうこうするうちに、新しく、当該問題に関するドンピシャリな赤旗の記事が掲載されたのであった……☆(ーー;)★
(なんの話かわからないというかた、ごめんあそばせ☆)
◆コメント◆
歌いながら大地を歩く 2007年11月29日 02:57
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
世界でも異常な不公正・反民主的な選挙制度とは?
日本の選挙制度は、世界でも異常な不公正・反民主的なものというのは本当ですか? (京都・一読者)
日本の選挙制度は世界でもいかに異常かを見てみましょう。
まず議員選出方法です。日本は衆議院300議席を小選挙区制で選ぶため、05年総選挙で得票率47.8%の自民党が議席の7割以上を占め、日本共産党は7.3%の得票率でも議席ゼロで、大政党有利に民意をゆがめるものとなっています。
480の全議席を比例代表制にすると、自民党は得票率38.2%で183議席、日本共産党は7.3%で35議席となり、民意が正確に反映されます。
世界で小選挙区制が実施されている国は少数です。主としてイギリスの植民地であった国々がほとんどで、イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア(下院)などです。
フランスは歴史的に比例代表制を採用したこともありますが、現在は小選挙区制をとています。他の多くの諸国は比例代表制です。
欧州議会の議員選挙もイギリスを除いて比例代表で選出され、イギリスでは比例代表制を求める世論が高まっています。
政党活動への国庫助成では、日本は議席数と得票率に応じ国民1人あたり250円を配分しており、06年の政党本部の全収入に対し、自民党64.4%、民主党83.8%、社民党51.5%を占めるに至っています。
政党財政が国家に依存し、税金が国民の政党支持の自由を侵害して配分されるのは異常です。
外国ではドイツや北欧諸国のほか、カナダ、アメリカ、フランスなどで、政党活動への国庫助成が導入されています。しかし、ドイツなど各国で、政党のあり方として、国家から独立して活動すべきだとの強い批判があります。
供託金制度でも、日本は国政選挙に立候補するには、選挙区300万円、比例代表600万円もの供託金が必要です。
外国では、アメリカ、ドイツ、イタリアには供託金制度がなく、フランスは約2万円の供託金を95年に廃止しました。供託金のある国でも、イギリス10万円、オーストラリア5万円などと定額です。
日本は巨額の金を使ったCMや新聞広告は天下御免ですが、草の根での選挙活動は、ビラ・ポスターなど文書活動がきびしく制限され、インターネット利用や個別訪問が禁止されています。
昨年4月、日本共産党の吉井英勝衆院議員が日本の選挙運動規制について質問したのにたいして、総務省はアメリカ、イギリス、ドイツ、フランスとも戸別訪問は自由、文書配布とインターネットはフランスで一定の規制があるが、他の3国は自由であると答えました。(光)
(『しんぶん赤旗』2007.10.13.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年11月29日 03:01
もう一件、でっかい特集記事の切り抜きがあるんですけど、本日は時間切れなり。また明日(?)〜☆
(前回、徹夜して朝8時過ぎまでMIXIしていた直後から心臓の調子がオカシクなってしまい……(ーー;)……☆
もう夜更かしは出来ないトシなのねッ★
||||||(^◇^;)||||
と、深く自覚し、反省いたしました……★
(ーー;)d"
と、いうことで、おやすみなさい☆
<(_ _;)>""""""""
TORATONTON 2007年11月29日 22:55
おやすみなさい。
お大事に。
.
某氏からは某時期にさんざっぱらあらゆる単語で誹謗中傷された記憶があるが、御質問の件について誠意のある回答(?)をしようと、私が紛失した過去記事のファイルをせっせと発掘する努力を続けていた事だけは、事実であり真実なのである★( ̄^ ̄;)★
とはいえ元ネタは未だに発掘できず。そうこうするうちに、新しく、当該問題に関するドンピシャリな赤旗の記事が掲載されたのであった……☆(ーー;)★
(なんの話かわからないというかた、ごめんあそばせ☆)
◆コメント◆
歌いながら大地を歩く 2007年11月29日 02:57
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
世界でも異常な不公正・反民主的な選挙制度とは?
日本の選挙制度は、世界でも異常な不公正・反民主的なものというのは本当ですか? (京都・一読者)
日本の選挙制度は世界でもいかに異常かを見てみましょう。
まず議員選出方法です。日本は衆議院300議席を小選挙区制で選ぶため、05年総選挙で得票率47.8%の自民党が議席の7割以上を占め、日本共産党は7.3%の得票率でも議席ゼロで、大政党有利に民意をゆがめるものとなっています。
480の全議席を比例代表制にすると、自民党は得票率38.2%で183議席、日本共産党は7.3%で35議席となり、民意が正確に反映されます。
世界で小選挙区制が実施されている国は少数です。主としてイギリスの植民地であった国々がほとんどで、イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア(下院)などです。
フランスは歴史的に比例代表制を採用したこともありますが、現在は小選挙区制をとています。他の多くの諸国は比例代表制です。
欧州議会の議員選挙もイギリスを除いて比例代表で選出され、イギリスでは比例代表制を求める世論が高まっています。
政党活動への国庫助成では、日本は議席数と得票率に応じ国民1人あたり250円を配分しており、06年の政党本部の全収入に対し、自民党64.4%、民主党83.8%、社民党51.5%を占めるに至っています。
政党財政が国家に依存し、税金が国民の政党支持の自由を侵害して配分されるのは異常です。
外国ではドイツや北欧諸国のほか、カナダ、アメリカ、フランスなどで、政党活動への国庫助成が導入されています。しかし、ドイツなど各国で、政党のあり方として、国家から独立して活動すべきだとの強い批判があります。
供託金制度でも、日本は国政選挙に立候補するには、選挙区300万円、比例代表600万円もの供託金が必要です。
外国では、アメリカ、ドイツ、イタリアには供託金制度がなく、フランスは約2万円の供託金を95年に廃止しました。供託金のある国でも、イギリス10万円、オーストラリア5万円などと定額です。
日本は巨額の金を使ったCMや新聞広告は天下御免ですが、草の根での選挙活動は、ビラ・ポスターなど文書活動がきびしく制限され、インターネット利用や個別訪問が禁止されています。
昨年4月、日本共産党の吉井英勝衆院議員が日本の選挙運動規制について質問したのにたいして、総務省はアメリカ、イギリス、ドイツ、フランスとも戸別訪問は自由、文書配布とインターネットはフランスで一定の規制があるが、他の3国は自由であると答えました。(光)
(『しんぶん赤旗』2007.10.13.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年11月29日 03:01
もう一件、でっかい特集記事の切り抜きがあるんですけど、本日は時間切れなり。また明日(?)〜☆
(前回、徹夜して朝8時過ぎまでMIXIしていた直後から心臓の調子がオカシクなってしまい……(ーー;)……☆
もう夜更かしは出来ないトシなのねッ★
||||||(^◇^;)||||
と、深く自覚し、反省いたしました……★
(ーー;)d"
と、いうことで、おやすみなさい☆
<(_ _;)>""""""""
TORATONTON 2007年11月29日 22:55
おやすみなさい。
お大事に。
.
(旧MIXI日記) 訃報。
2007年11月18日 くたばれ!カイザー(ん)!(2007年11月18日07:04)
御先祖ネタが続く……。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
H津×△さん、福島県□▲市◇◆地区□■支部)9日、病気のため死去。80歳。告別式は11日午後3時から、……自宅は□□町△▼……
51年入党。五十年党員。元党支部長
(『しんぶん赤旗』2007.11.11.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
……この、名字の「H津」というのは、わが実父の実の姓である……。!(@_@)!
彼は、とある事情があって親戚のうちにラチられ……じゃなくて、むりやり養子として誘拐……じゃなくて、本人と実母が泣いて抵抗するなかを無理矢理、「貰われて」行った気の毒なお子さんだったので、現在わたしが使っている名字は父の養子先の家名であって血のつながりは一滴もなく、彼が生まれた家の名字は、「H津」であるのだが……
私は、DV男であった父と長らく不仲……というか、向こうにしてみれば「生死不明」な状態での家出娘……として疎遠にしていたので、彼の親戚のことなど何一つ知らないのだが。
たまたま目についた赤旗の訃報欄を見るに、この住所とこの名字……
たぶん、まちがいなく、親戚!!!!!!!!!! (@_@)"
あの、ばりばり右翼の、暴力DV酒乱男の、「日本は戦争に負けてなんかいない……おれはもう1年早く生まれていたら特攻隊に入っていたはずだった……近頃の子どもは教育勅語も知らんのか…… 歴代天皇陛下のお名前を暗唱してみろッ!!」などなど、数々の迷言珍言を残した彼に……
共産党員、しかも五十年党員! の親戚サンがいるたぁ、驚いた……………………
o(@_@)(@_@)(@_@)(@_@)(@_@)o"
(もちろん、正確なところは母を通じて確認してみないとわからないが☆)
……けっきょく、私が現在、共産党員なのって……
血筋? (^_^;)"
(☆母方の祖父も「アングラ演劇青年」、にして「リベラリスト」で、共産党員の「シンパ」であった……)
なんかやだなぁ……、
世襲制共産党員★(-_-;)★
(ーー;)
.
御先祖ネタが続く……。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
H津×△さん、福島県□▲市◇◆地区□■支部)9日、病気のため死去。80歳。告別式は11日午後3時から、……自宅は□□町△▼……
51年入党。五十年党員。元党支部長
(『しんぶん赤旗』2007.11.11.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
……この、名字の「H津」というのは、わが実父の実の姓である……。!(@_@)!
彼は、とある事情があって親戚のうちにラチられ……じゃなくて、むりやり養子として誘拐……じゃなくて、本人と実母が泣いて抵抗するなかを無理矢理、「貰われて」行った気の毒なお子さんだったので、現在わたしが使っている名字は父の養子先の家名であって血のつながりは一滴もなく、彼が生まれた家の名字は、「H津」であるのだが……
私は、DV男であった父と長らく不仲……というか、向こうにしてみれば「生死不明」な状態での家出娘……として疎遠にしていたので、彼の親戚のことなど何一つ知らないのだが。
たまたま目についた赤旗の訃報欄を見るに、この住所とこの名字……
たぶん、まちがいなく、親戚!!!!!!!!!! (@_@)"
あの、ばりばり右翼の、暴力DV酒乱男の、「日本は戦争に負けてなんかいない……おれはもう1年早く生まれていたら特攻隊に入っていたはずだった……近頃の子どもは教育勅語も知らんのか…… 歴代天皇陛下のお名前を暗唱してみろッ!!」などなど、数々の迷言珍言を残した彼に……
共産党員、しかも五十年党員! の親戚サンがいるたぁ、驚いた……………………
o(@_@)(@_@)(@_@)(@_@)(@_@)o"
(もちろん、正確なところは母を通じて確認してみないとわからないが☆)
……けっきょく、私が現在、共産党員なのって……
血筋? (^_^;)"
(☆母方の祖父も「アングラ演劇青年」、にして「リベラリスト」で、共産党員の「シンパ」であった……)
なんかやだなぁ……、
世襲制共産党員★(-_-;)★
(ーー;)
.
(旧MIXI日記) めめんと・もり。
2007年11月13日 くたばれ!カイザー(ん)!(2007年11月13日02:13)
……ウツこもっていたら、アップするタイミングを逃した……★(ーー;)★ (<そしてまた、深く落ち込むわけである……★)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
長井さん追悼 10日に特集
テレビ東京は10日、ミャンマーで亡くなったフリージャーナリスト・長井健司さんを追悼してドキュメンタリーを放送します。(後1・26、関東のみ)
戦場取材に赴き続けた長井さんを突き動かしていたものは、何なのか。その人生をひもときながら、改めてジャーナリストの役割を見つめ直します。
長井さんが力を注いでいた、HIV感染孤児取材にも迫ります。
(『しんぶん赤旗』2007.11.06.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆コメント◆
TORATONTON 2007年11月15日 06:12
この時間帯にTV見られる人、少ないと思います。
録画すればいいといわれても、種々の事情がある人もいるでしょうし。
.
……ウツこもっていたら、アップするタイミングを逃した……★(ーー;)★ (<そしてまた、深く落ち込むわけである……★)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
長井さん追悼 10日に特集
テレビ東京は10日、ミャンマーで亡くなったフリージャーナリスト・長井健司さんを追悼してドキュメンタリーを放送します。(後1・26、関東のみ)
戦場取材に赴き続けた長井さんを突き動かしていたものは、何なのか。その人生をひもときながら、改めてジャーナリストの役割を見つめ直します。
長井さんが力を注いでいた、HIV感染孤児取材にも迫ります。
(『しんぶん赤旗』2007.11.06.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆コメント◆
TORATONTON 2007年11月15日 06:12
この時間帯にTV見られる人、少ないと思います。
録画すればいいといわれても、種々の事情がある人もいるでしょうし。
.
(旧MIXI日記) あぁ、なるほど。
2007年11月6日 くたばれ!カイザー(ん)!(2007年11月06日14:59)
自民党と民主党の「大連立」による完全独裁(二党寡占)政権の出来(しゅったい)と、それによる憲法改悪の強行……というのは、むしろ選挙直後に来るのではないかと予測し、その事態を非常に危惧していたので、むしろ選挙後から今に至るまで「アンチ自民」の姿勢を堅持して(できて)来たことのほうが、私にとっては意外な事実だったのだが。
今ごろ(安倍降板の後)になって「大連立」では、別に驚きはしないが、タイミングとして遅すぎるだろ……と、呆れかえっていたら、小沢の辞意表明。
ちょっとこれが予想外の展開で、目が点、?状態だったのだが、今日の赤旗のこの記事で、なんとなく合点が行った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小沢代表辞意 私はこう見る
[密室での連立協議の破たんと、民主党の小沢一郎代表の辞意表明をどう見るか、識者に聞きました]
参院選の民意をおそれ
慈恵医大教授 小澤隆一さん
密室や裏での駆け引きを知ることは出来ませんが、大きな枠組みとして見れば、小沢氏は、参院選で民主党に託された民意におそれをなしたのだと思います。
参院選で民主党は、かつて掲げていた「構造改革」の推進ではなく、転換を掲げることで国民の大きな支持を得ました。自公政治ノーの受け皿になったわけです。
自公政治にとって代わる政治という民意に沿えば、日本の政治・経済全体の大きな組み替えが必要になります。
それを実現する自信がない。小沢氏は、いまの自公を支える財界などの支持のうちの何がしかを民主党が取り込むことで政権につくという展望を持っていたと思いますが、民意を受けとめれば、財界の票も取れないし、アメリカとも対立することになる。
このまま世論に沿って衆院選を勝ちにいけば、護憲、反構造改革の政治をやらなければ、国民が納得しないという状況になる。そのことにおじけづいたのだとおもいます。
だから総選挙で正面からたたかって政権をとる道ではなく、密室の談合による連立工作に走ったのでしょう。
この間の、安倍政権崩壊、そして小沢氏の辞意表明は、国民の求めるものが、自民党政治とも、その亜流としての民主党の政治とも、決定的にぶつかっていることの表れです。
(『しんぶん赤旗』2007.11.06.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>このまま世論に沿って衆院選を勝ちにいけば、護憲、反構造改革の政治をやらなければ、国民が納得しないという状況になる。そのことにおじけづいたのだ
……あぁ、なるほど……。
ね? (^^;)"
◆コメント◆
師匠theシュライン 2007年11月06日 21:45
我々市民は、ついつい正面切って戦うことを望んでしまう訳で。
民主党の掲げる政治改革が一つでも多く成し遂げられるならば、連立してもかまわないとも思うのです。
民主が自民に取って代わって政権を取ること、そして脱自公の政治を行うことに興味がある訳で、目的が達成されれば手段はどうでもいいのでは?
TORATONTON 2007年11月06日 21:58
今回のこと、どうも、よく、わかりません。
なんか、急に、連立とかいう話がでてきたように見えて。
それから、すぐに、辞任とか。
私程度の人間にもわかるようにしてくれないと。
わけがわからないという人、結構いるんじゃないでしょうか。
歌いながら大地を歩く 2007年11月13日 01:56
……師匠やっぱり民主党支持者でしたか……★(ーー;)★
>民主党の掲げる政治改革が一つでも多く成し遂げられるならば、連立してもかまわないとも思うのです。
……じゃ、銀英伝の、かの有名なセリフから、応用しましょうかね……?
「わたしはただ、師匠にひとつ質問を聞いていただきたくて参ったのです。
社会党はいま、どこにいます?
公明党はいま、どこにいます?
社会党は日本国の政権を得るためにと称して土井候補を排してまで海部[首相]を擁立し、そして自衛隊を閲兵し、消費税導入を強行して、現在はこの世のどこにもいません。
公明党はその政策実現のためにといって自民党と連立政権をつくり……、
いま、どこにいますか?」
……歴史に学ぶ視点、を、
持っていないのは、
どっちなんだろうね……?
歌いながら大地を歩く 2007年11月13日 02:31
>わけがわからないという人、結構いるんじゃないでしょうか。
「民衆はどうしてだまされたんだろう?」
「民衆が楽をしたがったからさ」
「楽をしたがる?」
「そうとも。自分たちの努力で問題を解決せず、どこからか超人なり聖者なりが現れて、彼らの苦労を全部ひとりでしょいこんでくれるのを待っていたんだ。そこをルドルフにつけこまれたんだ。」
「いいか、おぼえておくんだ。独裁者は出現させる側により多くの責任がある。積極的に支持しなくても、黙ってみていれば同罪だ……」
って、ことですが……。
まず何よりも、タダもしくは格安で容易に手に入るメディア(TVとかラジオとか、広告収入まみれの一般(商業)新聞とか……)は、既にすべての内容があらかじめ特定の意図を持って編集されている(出資者=経済界≒政官界によって、検閲または偏向的編集指導が行われている)……可能性が高い、という「疑いの目」を持って、特に一つの問題について集中的に「どしゃぶり報道」が行われている時には、ナナメから見たり裏から透かし見たり……という努力をすることです。
ミニコミやインターネット等、弱小市民活動側の情報を入手することも比較検証の土台になりますし、おいやでなければ、しんぶん赤旗なども、大変良い情報源になりますよ? (むろん、「逆方向に」偏向・偏差がかっかっている、という注意点を、忘れてはいけませんが……)
.
自民党と民主党の「大連立」による完全独裁(二党寡占)政権の出来(しゅったい)と、それによる憲法改悪の強行……というのは、むしろ選挙直後に来るのではないかと予測し、その事態を非常に危惧していたので、むしろ選挙後から今に至るまで「アンチ自民」の姿勢を堅持して(できて)来たことのほうが、私にとっては意外な事実だったのだが。
今ごろ(安倍降板の後)になって「大連立」では、別に驚きはしないが、タイミングとして遅すぎるだろ……と、呆れかえっていたら、小沢の辞意表明。
ちょっとこれが予想外の展開で、目が点、?状態だったのだが、今日の赤旗のこの記事で、なんとなく合点が行った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
小沢代表辞意 私はこう見る
[密室での連立協議の破たんと、民主党の小沢一郎代表の辞意表明をどう見るか、識者に聞きました]
参院選の民意をおそれ
慈恵医大教授 小澤隆一さん
密室や裏での駆け引きを知ることは出来ませんが、大きな枠組みとして見れば、小沢氏は、参院選で民主党に託された民意におそれをなしたのだと思います。
参院選で民主党は、かつて掲げていた「構造改革」の推進ではなく、転換を掲げることで国民の大きな支持を得ました。自公政治ノーの受け皿になったわけです。
自公政治にとって代わる政治という民意に沿えば、日本の政治・経済全体の大きな組み替えが必要になります。
それを実現する自信がない。小沢氏は、いまの自公を支える財界などの支持のうちの何がしかを民主党が取り込むことで政権につくという展望を持っていたと思いますが、民意を受けとめれば、財界の票も取れないし、アメリカとも対立することになる。
このまま世論に沿って衆院選を勝ちにいけば、護憲、反構造改革の政治をやらなければ、国民が納得しないという状況になる。そのことにおじけづいたのだとおもいます。
だから総選挙で正面からたたかって政権をとる道ではなく、密室の談合による連立工作に走ったのでしょう。
この間の、安倍政権崩壊、そして小沢氏の辞意表明は、国民の求めるものが、自民党政治とも、その亜流としての民主党の政治とも、決定的にぶつかっていることの表れです。
(『しんぶん赤旗』2007.11.06.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>このまま世論に沿って衆院選を勝ちにいけば、護憲、反構造改革の政治をやらなければ、国民が納得しないという状況になる。そのことにおじけづいたのだ
……あぁ、なるほど……。
ね? (^^;)"
◆コメント◆
師匠theシュライン 2007年11月06日 21:45
我々市民は、ついつい正面切って戦うことを望んでしまう訳で。
民主党の掲げる政治改革が一つでも多く成し遂げられるならば、連立してもかまわないとも思うのです。
民主が自民に取って代わって政権を取ること、そして脱自公の政治を行うことに興味がある訳で、目的が達成されれば手段はどうでもいいのでは?
TORATONTON 2007年11月06日 21:58
今回のこと、どうも、よく、わかりません。
なんか、急に、連立とかいう話がでてきたように見えて。
それから、すぐに、辞任とか。
私程度の人間にもわかるようにしてくれないと。
わけがわからないという人、結構いるんじゃないでしょうか。
歌いながら大地を歩く 2007年11月13日 01:56
……師匠やっぱり民主党支持者でしたか……★(ーー;)★
>民主党の掲げる政治改革が一つでも多く成し遂げられるならば、連立してもかまわないとも思うのです。
……じゃ、銀英伝の、かの有名なセリフから、応用しましょうかね……?
「わたしはただ、師匠にひとつ質問を聞いていただきたくて参ったのです。
社会党はいま、どこにいます?
公明党はいま、どこにいます?
社会党は日本国の政権を得るためにと称して土井候補を排してまで海部[首相]を擁立し、そして自衛隊を閲兵し、消費税導入を強行して、現在はこの世のどこにもいません。
公明党はその政策実現のためにといって自民党と連立政権をつくり……、
いま、どこにいますか?」
……歴史に学ぶ視点、を、
持っていないのは、
どっちなんだろうね……?
歌いながら大地を歩く 2007年11月13日 02:31
>わけがわからないという人、結構いるんじゃないでしょうか。
「民衆はどうしてだまされたんだろう?」
「民衆が楽をしたがったからさ」
「楽をしたがる?」
「そうとも。自分たちの努力で問題を解決せず、どこからか超人なり聖者なりが現れて、彼らの苦労を全部ひとりでしょいこんでくれるのを待っていたんだ。そこをルドルフにつけこまれたんだ。」
「いいか、おぼえておくんだ。独裁者は出現させる側により多くの責任がある。積極的に支持しなくても、黙ってみていれば同罪だ……」
って、ことですが……。
まず何よりも、タダもしくは格安で容易に手に入るメディア(TVとかラジオとか、広告収入まみれの一般(商業)新聞とか……)は、既にすべての内容があらかじめ特定の意図を持って編集されている(出資者=経済界≒政官界によって、検閲または偏向的編集指導が行われている)……可能性が高い、という「疑いの目」を持って、特に一つの問題について集中的に「どしゃぶり報道」が行われている時には、ナナメから見たり裏から透かし見たり……という努力をすることです。
ミニコミやインターネット等、弱小市民活動側の情報を入手することも比較検証の土台になりますし、おいやでなければ、しんぶん赤旗なども、大変良い情報源になりますよ? (むろん、「逆方向に」偏向・偏差がかっかっている、という注意点を、忘れてはいけませんが……)
.
(旧MIXI日記) 敵対しながらも。
2007年10月22日 くたばれ!カイザー(ん)!(2007年10月22日05:23)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「テロに屈しない」
パキスタン元首相会見 全政党の共闘訴え
【ニューデリー=豊田栄光】
爆弾テロにより命をねらわれたパキスタンのブット元首相は十九日記者会見し、「民主主義とパキスタンの統合に対する攻撃だ。民主主義に敵対する勢力から、国のすべての政党に送られたメッセージだ」と語り、今回の事件を「テロ勢力対政党とのたたかい」と描き、テロ勢力に「屈する用意はない」と強調しました。
地元英字紙ドーン二十日付(電子版)は社説で「全政党は宗教的過激派を拒否するため、団結しなければならない」と書きました。
パキスタンでは来年一月までに総選挙が予定されています。ブット氏は野党・パキスタン人民党(PPP)党首で、出馬をめざし八年ぶりに海外亡命先から十八日に帰国しました。ムシャラフ大統領が軍事クーデターで政権を掌握し、陸軍参謀長を兼務しつづけていることなどを批判、与党パキスタン・イスラム教徒連盟(PML)と選挙で対決する姿勢を強めています。
一方、ムシャラフ氏は五日、ブット氏の汚職での訴追を撤回する「国民和解令」(大統領令)を布告し、同氏の帰国と政治活動の再開を後押ししました。ムシャラフ氏とブット氏は、敵対しながらも、総選挙を実施し、台頭するイスラム過激派を抑え込み、穏健で世俗的な新政府を樹立する点では一致しています。
今回のテロの実行犯はまだ不明ですが、アフガニスタンで反政府武装勢力タリバンはブット氏の暗殺予告を出していました。ムシャラフ政権は、米軍が進めるアフガンでのテロとのたたかいに協力し、パキスタン国内でのタリバンとその支持勢力の軍事的掃討作戦を行ってきました。
また、ムシャラフ政権はレイプされた女性が裁判で不利になるイスラム法を廃止するなど、世俗的な政策を実施。ブット氏のPPPは最も世俗的な政党で、イスラム原理主義を排斥し、テロとのたたかいを進めるムシャラフ星圏の姿勢は評価してきました。
現在、現政権の米軍協力に反発するイスラム過激派が勢力を拡大し、ムシャラフ氏の求心力が低下してきています。国軍内部にも米軍協力に反対し、イスラム過激派と密接なグループが存在しているとみられています。
国軍中枢部がある都市ラワルピンディで大統領暗殺未遂事件が発生しています。
このような不安定な政治状況を「ムシャラフ大統領 − ブット首相 穏健派二頭体制」で乗り切りたいというのが、両者の思惑です。
(『しんぶん赤旗』2007.10.21.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
……最期の「思惑」って単語のあたりで、「米軍がすすめるテロとのたたかいに協力」している両者に対して、この筆者がイマイチ心理的にヘダタリを持っていることを、暴露してますが……☆
でもね。「政治」って……まぁ、こんな程度のもので動いても、良いと思うんです。タリバンを「軍事的掃討」することの是非はひとまずおくとして、テロで物事を動かそうとするような連中に自国の支配権を奪われるぐらいなら、多少は意見が違っても、「話し合いと選挙で」物事を決めることができる世の中を、維持しよう、という、
そこで一致して、妥協していくことさえ出来れば……
.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「テロに屈しない」
パキスタン元首相会見 全政党の共闘訴え
【ニューデリー=豊田栄光】
爆弾テロにより命をねらわれたパキスタンのブット元首相は十九日記者会見し、「民主主義とパキスタンの統合に対する攻撃だ。民主主義に敵対する勢力から、国のすべての政党に送られたメッセージだ」と語り、今回の事件を「テロ勢力対政党とのたたかい」と描き、テロ勢力に「屈する用意はない」と強調しました。
地元英字紙ドーン二十日付(電子版)は社説で「全政党は宗教的過激派を拒否するため、団結しなければならない」と書きました。
パキスタンでは来年一月までに総選挙が予定されています。ブット氏は野党・パキスタン人民党(PPP)党首で、出馬をめざし八年ぶりに海外亡命先から十八日に帰国しました。ムシャラフ大統領が軍事クーデターで政権を掌握し、陸軍参謀長を兼務しつづけていることなどを批判、与党パキスタン・イスラム教徒連盟(PML)と選挙で対決する姿勢を強めています。
一方、ムシャラフ氏は五日、ブット氏の汚職での訴追を撤回する「国民和解令」(大統領令)を布告し、同氏の帰国と政治活動の再開を後押ししました。ムシャラフ氏とブット氏は、敵対しながらも、総選挙を実施し、台頭するイスラム過激派を抑え込み、穏健で世俗的な新政府を樹立する点では一致しています。
今回のテロの実行犯はまだ不明ですが、アフガニスタンで反政府武装勢力タリバンはブット氏の暗殺予告を出していました。ムシャラフ政権は、米軍が進めるアフガンでのテロとのたたかいに協力し、パキスタン国内でのタリバンとその支持勢力の軍事的掃討作戦を行ってきました。
また、ムシャラフ政権はレイプされた女性が裁判で不利になるイスラム法を廃止するなど、世俗的な政策を実施。ブット氏のPPPは最も世俗的な政党で、イスラム原理主義を排斥し、テロとのたたかいを進めるムシャラフ星圏の姿勢は評価してきました。
現在、現政権の米軍協力に反発するイスラム過激派が勢力を拡大し、ムシャラフ氏の求心力が低下してきています。国軍内部にも米軍協力に反対し、イスラム過激派と密接なグループが存在しているとみられています。
国軍中枢部がある都市ラワルピンディで大統領暗殺未遂事件が発生しています。
このような不安定な政治状況を「ムシャラフ大統領 − ブット首相 穏健派二頭体制」で乗り切りたいというのが、両者の思惑です。
(『しんぶん赤旗』2007.10.21.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
……最期の「思惑」って単語のあたりで、「米軍がすすめるテロとのたたかいに協力」している両者に対して、この筆者がイマイチ心理的にヘダタリを持っていることを、暴露してますが……☆
でもね。「政治」って……まぁ、こんな程度のもので動いても、良いと思うんです。タリバンを「軍事的掃討」することの是非はひとまずおくとして、テロで物事を動かそうとするような連中に自国の支配権を奪われるぐらいなら、多少は意見が違っても、「話し合いと選挙で」物事を決めることができる世の中を、維持しよう、という、
そこで一致して、妥協していくことさえ出来れば……
.
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 03:48
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ミャンマーで日本人死亡
軍政、デモ隊に発砲 【ハノイ=井上歩】
ミャンマーの治安当局は二十七日未明、最大都市ヤンゴンの二カ所の僧院を急襲し、少なくとも五百人の僧侶を軍のトラックで連行しました。ロイター通信が目撃者の証言として報じました。
治安部隊はさらに、ヤンゴン中心部にいた千人以上のデモ隊に発砲。日本人を含む五人が殺害されました。国際社会は軍事政権に自制と平和解決を求めています。軍事政権はこれに反し武力弾圧を強めました。
襲われた僧院は四カ所以上、拘束は六百五十人以上との情報もあります。治安当局はまた、自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんが率いる国民民主連盟(NLD)の広報担当者ら幹部二人も同日までに拘束しました。
ヤンゴン市内では僧侶を抜きに若者や学生がデモを決行し、一万人規模になっているといいます。デモは十日連続です。軍と警察が市民に自宅内にいるよう呼びかけているともいいます。
AFP通信社 長井健司さん
外務省は二十七日夜、銃撃で死亡した邦人男性は所持していたパスポートから東京都港区のニュースプロダクション「APF通信社」と契約している、記者兼カメラマンの長井健司さん(五〇)であると、確認しました。
(6、7面に関連記事)
(『しんぶん赤旗』2007.09.28.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 03:59
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[ 潮 流 ] (※)
「仏教の国で僧侶を弾圧するなど考えられない」。日本に住むミャンマーの人たちが憤ります。
ミャンマーの軍事政権が、燃料費の値上げなどに抗議する素手の市民のデモ行進を襲い、僧侶を死なせました。いくつかの寺院にも軍が突入し、建物を壊して大勢の僧侶を連れ去った、といいます。市民の尊敬をうける僧侶たちへの、なりふり構わぬ弾圧です。
竹山道雄の小説『ビルマの竪琴』の主人公が僧になるように、ミャンマーといえば仏僧を思い浮かべます。十九世紀にイギリスの植民地とされたミャンマー。イギリスに対する組織だった民族運動の始まりも、一九〇六年の仏教青年会の結成といわれます。
青年会は当初、国民の道徳や生活習慣の改善にとりくんでいました。第一次大戦の後、「民族自決」の機運が世界に広がるとともに、青年会の若い世代は「自治」を求めていきました(根本敬『アウン・サン』)。今回も、軍政に反対する若い僧侶たちがたちあがった、と伝えられます。
弾圧に抗議する在日のミャンマーの人々は、「ビルマ民主化」を掲げています。ミャンマーは、対外向けには「ビルマ」と名乗っていました。一九八八年のクーデターでできた軍事政権が、「ミャンマー」に一本化したのです。
かつて独立運動を指導した政党などは、「ビルマ」(現地語の発音でバマー)に少数民族をふくめた国としての意味を込めていました。
その「ビルマ」にこだわる人の姿に、軍政にはくみしない、との強い意志がよみとれます。
(『しんぶん赤旗』2007.09.28.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(※[潮流]=赤旗における「天声人語」にあたるやつ)
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 04:12
(7面の関連記事)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ミャンマーの歩み
ミャンマー(人口五千万人)は、アジアの二つの大国インド、中国と国境を接しています。一九世紀後半に英国領インドに編入され、第二次世界大戦中(一九四二〜四五年)は日本の軍事占領下におかれます。戦後、英国との交渉で四八年に完全独立を達成しました。
独立運動指導者アウン・サン氏は四七年に暗殺されますが、今も国民から「建国の父」として慕われています。現在の反軍政勢力の中心、国民民主連盟(NLD)書記長アウン・サン・スー・チーさんの父です。
五六年と六〇年には総選挙が実施されますが、六二年にネ・ウィン将軍が軍事クーデターで実権を掌握して憲法と議会を廃止し、他の政党の活動を禁止する一党支配体制を確立しました。
しかし、長年にわたる鎖国政策と国家統制で経済が急速に悪化し、国連から最貧国に認定されるなかで八八年には生活改善と民主化を求める国民の運動が高揚。これにたいし、国軍が同年九月にクーデターを決行して流血の弾圧を加えて死者千人以上が出るなか、国家法秩序回復評議会が全権を握りました。
国際的批判と国民の民主化要求に押されて、同評議会(軍事政権)は九〇年に総選挙を実施しました。しかし、NLDが全四百八十五議席の81%を獲得すると選挙結果の受け入れを拒否しました。
九七年には同評議会を国家平和発展評議会に名称変更。国名は八九年にビルマ連邦からミャンマー連邦に変わりました。
国民の約九割は仏教徒。僧侶は歴代の王朝に正統性を与える存在であり、英国の植民地時代には民族の精神的支柱として独立運動の先頭に立った歴史もあります。八八年以降の民主化闘争でも積極的な役割を果たしました。
(※年表省略)
(『しんぶん赤旗』2007.09.28.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 04:18
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ミャンマーまた武力弾圧
国境なき記者団が長井さん銃撃批判
現地からの情報によるとミャンマーの治安部隊は二十八日、最大都市ヤンゴン(旧首都)中心部のスーレー・パゴダ(仏塔)近くに集まった反軍政デモを解散させるために発砲し、参加者を警棒で殴打しました。
治安部隊による武力弾圧は三日連続。武力弾圧により、既に日本人ジャーナリスト長井健司さん(五〇)を含む一四人以上が死亡しています。
国際ジャーナリスト団体「国境なき記者団」(RSF、本部パリ)は二十七日、ビルマ報道協会(BMA)と連盟で、長井さん銃撃を厳しく批判する声明を出し、「写真は、彼がジャーナリストであることを持っていたカメラで容易に識別できたにもかかわらず、兵士が銃撃したことを明白に示している」と指摘。軍政が内外メディアに圧力をかけようとしていると批判しました。
(『しんぶん赤旗』2007.09.29.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 04:27
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[ 潮 流 ]
人の心を恐怖で凍りつかせる脅しは、武力で支配する者が常に用いる手段です。しかし、そこまであからさまにいうのかと驚かせた政治家が、ミャンマーの元指導者ネ・ウィンです。
「私は引退するが、今度また国民が騒動を起こしたら、国軍はそうした連中に対して、威嚇射撃ではなく、当たるようにねらいを定めて撃つから、覚悟しておくように」。一九八八年の七月。この演説は、テレビで全国に放映されました。
昨日付にも紹介した、『アウン・サン』(根本敬著)からの引用です。ネ・ウィンは、学生・市民の民主化闘争の高まりのなかで政権党の議長を退きました。二カ月後、軍がクーデターを起こします。軍政は、さっそく彼の言葉どおり「ねらいを定めて」デモ隊に銃をむけ、一週間のうちに千人を超す死傷者をだしました。
ミャンマーの最大都市ヤンゴンで、軍政に抗議するデモ行進を取材していた日本人の映像記者が撃たれ死亡しました。長井健司さん。「誰もいかないところに誰かがいかなければならない」を信条とし、パレスチナやイラク、アフガニスタンを巡り、紛争の地を記録してきました。
兵士が一メートルほどの間近から、長井さんを撃った疑いが濃い。「当たるようにねらいを定めて」です。長井さんは、銃を構える兵士の目の前であおむけに倒れながらも、なお最後までカメラを離さず、撮り続けようとしました。
事実を知らせる報道陣の恐怖をあおり、あげくに暴力で葬り去る。独裁や武力支配の恥ずべき習性です。
(『しんぶん赤旗』2007.09.29.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 04:48
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ミャンマー弾圧
僧侶、抵抗運動の伝統
英植民地下・軍政下でも
ミャンマーでこの二十年来最大規模となった抗議デモで、中心的位置を占め、市民を励ましたのは僧侶の隊列でした。
仏教の聖職者は、公式には政治など俗事から離れ修養する存在とされていますが、ロイター通信によると、ミャンマーでは抑圧に反対する抗議行動の先頭に立ってきた長い歴史があります。それは、十九世紀後半に英国によって植民地にされた時代にまでさかのぼります。
まず「靴を脱げ、脱がない問題」があげられます。英国の支配者は仏教寺院その他の神聖な地に立ち入る際、履物を脱ぐことを拒否。現地の文化、伝統を踏みにじる重大な侮辱行為とみなされました。
国民的殉教者
一九一九年、仏教修業の中心地である第二の都市マンダレーで、靴を履いたまま僧院に上がった英国人の訪問団を僧侶たちが追い出したため、双方が衝突。指導者とみなされた僧侶は「殺人未遂」で終身刑とされました。
二九年には投獄されたウィサラ師が、獄中での僧服の着用を要求して百六十六日間の抗議のハンストの後に亡くなり、国民的殉教者として扱われました。
これらの事件は、ミャンマーの人々の愛国心に火をつけ、仏教が愛国・独立の結節点となりました。
独立後も、六〇年代前半から四十年以上に及ぶ軍部による政治支配の下で、僧院の政治的役割は続きました。
八八年に反軍政・民主化の蜂起が発生し、軍の弾圧で千人以上、一説には三千人といわれる人が犠牲になりました。これにも多くの僧侶が加わり、九十人もの僧侶が今なお獄につながれたままだとみられています。
しかしその後も、僧院は多くの若者にとって避難場所となり、ここで世界を知り、精神を磨き、さらには反群生の地下活動を運営する場となってきました。
手ひどい扱い
今回の反軍政の抗議行動が全国各都市に拡大する契機となったのは、北部の町パゴグで軍政側が威嚇発砲し、手ひどい扱いを加えたことでした。
タイに亡命した政治家グループのスポークスマンは言います。
「僧侶をロープで縛り、馬か犬のように街灯にくくりつけた」「僧院側は謝罪を求めたが、軍政側が拒否したため、これが大規模集会の引き金となった」
仏教僧院、僧侶は国民の道徳的尊敬を集め、かつてゃ王朝に正統性を与える権威を持った存在です。最大都市ヤンゴンで僧侶たちは、シュエダゴン・パゴダに集結しました。ここはかつて国王が敵に対するたたかいに出る前に祈願した所。軍政を「敵」とみなしていることを象徴する動きといえます。
(居波保夫)
(『しんぶん赤旗』2007.09.29.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 04:57
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
軍政の武力弾圧に抗議
在日ミャンマー人ら訴え 東京
ミャンマー軍事政権の武力弾圧に抗議する在日ミャンマー(ビルマ)人が三十日、国連関連機関が入る東京都渋谷区の国連大学ビル前で四十八時間のハンストをはじめました。
女性二人を含む二十人が参加。弾圧や日本人ジャーナリスト長井健司さん殺害で、軍事政権に抗議するとともに、国連安保理が「即時の強力な決議」をあげるよう求めるメッセージボードなどを掲げました。
ハンストに参加した調理人のテ・キイ・オゥさん(41)は「国民が大勢銃殺され、その家族・友人を含めて、苦しんでいる人が大勢いる。これが国際的な問題であること、私たちがどのくらい民主主義をほしがっているかアピールしたい」と話しました。
一方、東京都品川区のミャンマー大使館前では同日夕、犠牲者を追悼するキャンドル集会が行われました。
約三百人の市民や在日ミャンマー人らが次々にキャンドルに灯をともし、黙とうをささげて犠牲者をしのびました。
(『しんぶん赤旗』2007.10.01.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 05:21
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ミャンマー 消えない軍政への不満
僧侶の蜂起 市民が応援
上智大学 根本 敬 さんに聞く
狂暴な軍事政権に対して民衆がデモに立ち上がったミャンマーの事態をどう見るか、上智大学外国語学部の根本敬教授(東南アジア近現代史、ビルマ研究)に聞きました。(聞き手=菅原厚)
一九八八年の民主化運動が封じ込められて以来、軍政に対する不満が十九年間堆積(たいせき)し、何かのきっかけで爆発する状況にありました。八月十五日の燃料費大幅引き上げが、まさにそのきっかけとなりました。中でも、天然ガスの五倍引き上げが人々の生活を直撃しました。唯一の公共交通機関のバスが天然ガスで走っている場合が多く、市民の通勤費が大幅に上がって、月収の三分の一から半分が通勤費で消えてしまうといった状況になってしまいます。
八八年のときは、米の値段が人々の許容限度を超え、主食が買えないという状況に追い込まれた人たちが多くいました。
このときは、現役の学生が地下で組織をつくり、運動をリードし、その後、市民が運動に合流しました。
今回は、現役の学生は動いていません。代わって、八八年のときに学生だった三十代後半、四十代の人たちが静かなデモを始めました。プラカードも持たずに黙々と歩くというデモです。それに一部市民が合流しましたが、すぐに軍政はそれを封じ込めました。そして、次に動いたのが、僧侶たちでした。
政治に深く関与
ビルマの上座仏教は、カトリック教会のようにピラミッド組織を持っていません。各僧院ごとの自立性が高く、こういう運動に参加する僧院もあれば、参加しない僧院もあります。僧侶もまた自分の判断で参加、不参加を決められます。そのような構造の中で、今回、自然発生的に何万という僧侶がデモに参加したわけです。
タイやカンボジア、そしてビルマに広がる上座仏教の僧侶の歴史を見ると、歴史の中の要所要所で政治とかかわっています。特にビルマの場合、植民地時代に反英独立運動に積極的に参加しています。実態としては、僧侶と政治のかかわりが深いのです。
サンガ法という、仏教の僧侶たちに適用されるルールがあります。そこには僧侶の政治活動の禁止は明記されています。軍政は今回、デモに参加した僧侶がその戒めを破ったとし、彼らは僧侶でなく破戒僧だと定義づけます。そして末端の兵士たちに命令を出すときに、デモをする僧侶たちを僧侶だと思うなという命令を出していると考えられます。
市民と立場逆転
今回、僧侶たちがあの規模で立ち上がったということは、市民にとても非常な驚きで、彼らは僧侶たちに感謝の念を抱きました。本来は、雨安居(うあんご)といって、六月から十月にかけては修行だけに専念する時期です。にもかかわらず、民衆のことを思って立ち上がった。その感謝の気持ちがあって、市民はデモの応援に行くわけです。
普段は逆で、八八年の民主化運動のときも、そのほかの騒動のときも、通常は僧侶のほうが応援団的な役割を担います。今回は、そういう意味では立場が逆転しました。市民が、僧侶たちに危害が加えられないようにデモの両脇に立って守る。大きなデモになってくると、真ん中に僧侶たちが列をつくって行進し、両脇にその二、三倍の幅で市民が合流する…。
一九八八年以降、軍政に対する今回のような大規模な抗議行動がなかったために、ビルマを観察する研究者やビルマに長期滞在する外国人(特に日本人)のあいっでは、ビルマの人々が軍政をやむを得ない現実として受け入れ、アウン・サン・スー・チーさんや国民民主運動(NLD)、民主化への関心を低下させているのではないかという見方が多数になっていました。しかし、実際は彼らがけっして政治への不満を弱めてはいなかったことが今回証明されたといってよいでしょう。
これからも私たちはビルマ国民の心の中の思いを見誤ることのないように注意すべきだと思います。
(『しんぶん赤旗』2007.10.02.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 05:37
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ミャンマー 武力弾圧 世界が批判
日本人ジャーナリストも犠牲に
ミャンマーの軍事政権が僧侶や市民の非暴力デモに武力弾圧を加え、流血の事態を招いたことに、国際社会から強い懸念と批判の声があがっています。
発端は、軍事政権の燃料費引き上げにたいする各地の抗議デモでした。次第に大規模になり、旧首都ヤンゴンの僧侶や市民のデモ(9月24、25両日)には10万人以上が参加しました。1988年以来最大の規模です。
軍事政権は、平和的なデモに発砲するたどの弾圧に乗り出しました。
9月27日には治安部隊の発砲で、街頭でカメラを持って取材中の日本人ジャーナリスト長井健司さん(50)が死亡しました。即死状態でした。
死者数は政権側の発表で僧侶ら10人ですが、ミャンマーの民主化組織によるとその20倍にものぼるといいます。
国民の非暴力のデモを武力で弾圧するという蛮行は民主主義を踏みにじるもの。国際世論は「自制」を強く求めました。
国連安保理は9月26日、非公開の緊急会合を開催。ミャンマー当局に「自制」を求めるとともに、現地を訪問する国連事務総長特使として、ガンバリ事務次長を受け入れるよう求めました。
ガンバリ氏は同29日にミャンマー入りし、民主化運動の指導者、アウン・サン・スー・チーさんや、軍事政権のトップであるタン・シュエ国家平和発展評議会議長らと会談。武力弾圧の停止や緊張緩和に向けた対話促進などを呼びかけました。
ASEANも
注目されるのは、ミャンマーも加盟する東南アジア諸国連合(ASEAN)の動向です。
9月27日、ASEANはニューヨークで非公式外相会議を開催。ミャンマー軍事政権の武力弾圧について、議長国シンガポールのヨー外相が「嫌悪」を表明する異例にきびしい声明を発表しました。
この声明は非公開の協議内容を総括したもの。
暴力をただちに停止し、すべての当事者を含めた国民和解と民主主義への平和的移行への努力を訴え、「アウン・サン・スー・チー氏を含む、すべての政治的勾留者を解放するよう呼びかけ」ました。
ミャンマーのニャン・ウィン外相は国連演説で、デモが挑発的となったので治安部隊は行動せざるを得なかったなどと弾圧を正当化し、民主化を理由にした外国からの「介入」に反発しました。他方で「国連との協力はミャンマーの外交政策の要」とのべました。
ガンバリ特使の訪問の成果や、ミャンマーに政治的影響力を持つ中国、ASEAN、インド、日本などの外交努力の行方が注目されます。
(『しんぶん赤旗(日曜版)』2007.10.07.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 06:18
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ジャーナリスト 長井さん 最後の別れ
ミャンマーで反政府デモの取材中に射殺されたジャーナリストの長井健司さん(五〇)の葬儀・告別式が八日、東京都港区の青山葬儀所で営まれ、交流のあった報道関係者や在日ミャンマー人ら約千人が参列、最後の別れを惜しみました。
午前十一時に始まった告別式では、契約していたAFP通信社(同区)の山路徹社長が「長井さんの遺志を確実に受け継いで、立ち止まることなく歩いていかなければならない」とあいさつ。
弔辞を読み上げたジャーナリストの鳥越俊太郎さんも「カメラを持った右手を精いっぱい天空に突き上げていた」と壮絶な最期を悼みました。
会場には民族衣装に身を包んだミャンマー人の姿も。一九八九年に来日した杉並区のウィン・チョさん(四二)は、テレビで長井さんの死を知り、駆け付けました。「長井さんは危ないと分かって来てくれた。ビルマの状況を世界に伝えてくれた」と涙を見せました。
小雨交じりの中、焼香の長い列ができました。白い花で飾られた祭壇には、取材先のヨルダンで撮影された長井さんの遺影。会場入り口には愛用のビデオカメラが置かれました。
長井さんが好んだビリー・ジョエルさんの曲が流れる中、午後一時四十五分ごろ出棺しました。
(『しんぶん赤旗』2007.10.09.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 06:25
>立ち止まることなく歩いていかなければならない
えぇ。それだけは、お約束できます、長井さんに。
のろまな亀でも蝸牛でも、
三歩歩いて二歩下がっても、
前を向いて歩き続けること、
それだけ……なら。一生かけて。
どうかお元気で。
千の風
万の砂
億の涙
兆や京の雨滴や霧笛となって……
どこまでも。
吹き渡り、見つめ続けて下さいね、
TORATONTON 2007年10月10日 20:12
この日記、コメント、良いご供養になったかと存じます。
歌いながら大地を歩く 2007年10月12日 01:09
遂行、いや推敲……。
> 千の風
> 万の砂
> 億の涙
> 兆や京の雨滴や霧笛となって……
……これ、
千の風
万の砂
億の雨
兆や京の霧笛や星明かりとなって……
の、ほうが(文章としては)良いな☆ (^^;)”
.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ミャンマーで日本人死亡
軍政、デモ隊に発砲 【ハノイ=井上歩】
ミャンマーの治安当局は二十七日未明、最大都市ヤンゴンの二カ所の僧院を急襲し、少なくとも五百人の僧侶を軍のトラックで連行しました。ロイター通信が目撃者の証言として報じました。
治安部隊はさらに、ヤンゴン中心部にいた千人以上のデモ隊に発砲。日本人を含む五人が殺害されました。国際社会は軍事政権に自制と平和解決を求めています。軍事政権はこれに反し武力弾圧を強めました。
襲われた僧院は四カ所以上、拘束は六百五十人以上との情報もあります。治安当局はまた、自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんが率いる国民民主連盟(NLD)の広報担当者ら幹部二人も同日までに拘束しました。
ヤンゴン市内では僧侶を抜きに若者や学生がデモを決行し、一万人規模になっているといいます。デモは十日連続です。軍と警察が市民に自宅内にいるよう呼びかけているともいいます。
AFP通信社 長井健司さん
外務省は二十七日夜、銃撃で死亡した邦人男性は所持していたパスポートから東京都港区のニュースプロダクション「APF通信社」と契約している、記者兼カメラマンの長井健司さん(五〇)であると、確認しました。
(6、7面に関連記事)
(『しんぶん赤旗』2007.09.28.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 03:59
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[ 潮 流 ] (※)
「仏教の国で僧侶を弾圧するなど考えられない」。日本に住むミャンマーの人たちが憤ります。
ミャンマーの軍事政権が、燃料費の値上げなどに抗議する素手の市民のデモ行進を襲い、僧侶を死なせました。いくつかの寺院にも軍が突入し、建物を壊して大勢の僧侶を連れ去った、といいます。市民の尊敬をうける僧侶たちへの、なりふり構わぬ弾圧です。
竹山道雄の小説『ビルマの竪琴』の主人公が僧になるように、ミャンマーといえば仏僧を思い浮かべます。十九世紀にイギリスの植民地とされたミャンマー。イギリスに対する組織だった民族運動の始まりも、一九〇六年の仏教青年会の結成といわれます。
青年会は当初、国民の道徳や生活習慣の改善にとりくんでいました。第一次大戦の後、「民族自決」の機運が世界に広がるとともに、青年会の若い世代は「自治」を求めていきました(根本敬『アウン・サン』)。今回も、軍政に反対する若い僧侶たちがたちあがった、と伝えられます。
弾圧に抗議する在日のミャンマーの人々は、「ビルマ民主化」を掲げています。ミャンマーは、対外向けには「ビルマ」と名乗っていました。一九八八年のクーデターでできた軍事政権が、「ミャンマー」に一本化したのです。
かつて独立運動を指導した政党などは、「ビルマ」(現地語の発音でバマー)に少数民族をふくめた国としての意味を込めていました。
その「ビルマ」にこだわる人の姿に、軍政にはくみしない、との強い意志がよみとれます。
(『しんぶん赤旗』2007.09.28.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(※[潮流]=赤旗における「天声人語」にあたるやつ)
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 04:12
(7面の関連記事)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ミャンマーの歩み
ミャンマー(人口五千万人)は、アジアの二つの大国インド、中国と国境を接しています。一九世紀後半に英国領インドに編入され、第二次世界大戦中(一九四二〜四五年)は日本の軍事占領下におかれます。戦後、英国との交渉で四八年に完全独立を達成しました。
独立運動指導者アウン・サン氏は四七年に暗殺されますが、今も国民から「建国の父」として慕われています。現在の反軍政勢力の中心、国民民主連盟(NLD)書記長アウン・サン・スー・チーさんの父です。
五六年と六〇年には総選挙が実施されますが、六二年にネ・ウィン将軍が軍事クーデターで実権を掌握して憲法と議会を廃止し、他の政党の活動を禁止する一党支配体制を確立しました。
しかし、長年にわたる鎖国政策と国家統制で経済が急速に悪化し、国連から最貧国に認定されるなかで八八年には生活改善と民主化を求める国民の運動が高揚。これにたいし、国軍が同年九月にクーデターを決行して流血の弾圧を加えて死者千人以上が出るなか、国家法秩序回復評議会が全権を握りました。
国際的批判と国民の民主化要求に押されて、同評議会(軍事政権)は九〇年に総選挙を実施しました。しかし、NLDが全四百八十五議席の81%を獲得すると選挙結果の受け入れを拒否しました。
九七年には同評議会を国家平和発展評議会に名称変更。国名は八九年にビルマ連邦からミャンマー連邦に変わりました。
国民の約九割は仏教徒。僧侶は歴代の王朝に正統性を与える存在であり、英国の植民地時代には民族の精神的支柱として独立運動の先頭に立った歴史もあります。八八年以降の民主化闘争でも積極的な役割を果たしました。
(※年表省略)
(『しんぶん赤旗』2007.09.28.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 04:18
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ミャンマーまた武力弾圧
国境なき記者団が長井さん銃撃批判
現地からの情報によるとミャンマーの治安部隊は二十八日、最大都市ヤンゴン(旧首都)中心部のスーレー・パゴダ(仏塔)近くに集まった反軍政デモを解散させるために発砲し、参加者を警棒で殴打しました。
治安部隊による武力弾圧は三日連続。武力弾圧により、既に日本人ジャーナリスト長井健司さん(五〇)を含む一四人以上が死亡しています。
国際ジャーナリスト団体「国境なき記者団」(RSF、本部パリ)は二十七日、ビルマ報道協会(BMA)と連盟で、長井さん銃撃を厳しく批判する声明を出し、「写真は、彼がジャーナリストであることを持っていたカメラで容易に識別できたにもかかわらず、兵士が銃撃したことを明白に示している」と指摘。軍政が内外メディアに圧力をかけようとしていると批判しました。
(『しんぶん赤旗』2007.09.29.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 04:27
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[ 潮 流 ]
人の心を恐怖で凍りつかせる脅しは、武力で支配する者が常に用いる手段です。しかし、そこまであからさまにいうのかと驚かせた政治家が、ミャンマーの元指導者ネ・ウィンです。
「私は引退するが、今度また国民が騒動を起こしたら、国軍はそうした連中に対して、威嚇射撃ではなく、当たるようにねらいを定めて撃つから、覚悟しておくように」。一九八八年の七月。この演説は、テレビで全国に放映されました。
昨日付にも紹介した、『アウン・サン』(根本敬著)からの引用です。ネ・ウィンは、学生・市民の民主化闘争の高まりのなかで政権党の議長を退きました。二カ月後、軍がクーデターを起こします。軍政は、さっそく彼の言葉どおり「ねらいを定めて」デモ隊に銃をむけ、一週間のうちに千人を超す死傷者をだしました。
ミャンマーの最大都市ヤンゴンで、軍政に抗議するデモ行進を取材していた日本人の映像記者が撃たれ死亡しました。長井健司さん。「誰もいかないところに誰かがいかなければならない」を信条とし、パレスチナやイラク、アフガニスタンを巡り、紛争の地を記録してきました。
兵士が一メートルほどの間近から、長井さんを撃った疑いが濃い。「当たるようにねらいを定めて」です。長井さんは、銃を構える兵士の目の前であおむけに倒れながらも、なお最後までカメラを離さず、撮り続けようとしました。
事実を知らせる報道陣の恐怖をあおり、あげくに暴力で葬り去る。独裁や武力支配の恥ずべき習性です。
(『しんぶん赤旗』2007.09.29.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 04:48
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ミャンマー弾圧
僧侶、抵抗運動の伝統
英植民地下・軍政下でも
ミャンマーでこの二十年来最大規模となった抗議デモで、中心的位置を占め、市民を励ましたのは僧侶の隊列でした。
仏教の聖職者は、公式には政治など俗事から離れ修養する存在とされていますが、ロイター通信によると、ミャンマーでは抑圧に反対する抗議行動の先頭に立ってきた長い歴史があります。それは、十九世紀後半に英国によって植民地にされた時代にまでさかのぼります。
まず「靴を脱げ、脱がない問題」があげられます。英国の支配者は仏教寺院その他の神聖な地に立ち入る際、履物を脱ぐことを拒否。現地の文化、伝統を踏みにじる重大な侮辱行為とみなされました。
国民的殉教者
一九一九年、仏教修業の中心地である第二の都市マンダレーで、靴を履いたまま僧院に上がった英国人の訪問団を僧侶たちが追い出したため、双方が衝突。指導者とみなされた僧侶は「殺人未遂」で終身刑とされました。
二九年には投獄されたウィサラ師が、獄中での僧服の着用を要求して百六十六日間の抗議のハンストの後に亡くなり、国民的殉教者として扱われました。
これらの事件は、ミャンマーの人々の愛国心に火をつけ、仏教が愛国・独立の結節点となりました。
独立後も、六〇年代前半から四十年以上に及ぶ軍部による政治支配の下で、僧院の政治的役割は続きました。
八八年に反軍政・民主化の蜂起が発生し、軍の弾圧で千人以上、一説には三千人といわれる人が犠牲になりました。これにも多くの僧侶が加わり、九十人もの僧侶が今なお獄につながれたままだとみられています。
しかしその後も、僧院は多くの若者にとって避難場所となり、ここで世界を知り、精神を磨き、さらには反群生の地下活動を運営する場となってきました。
手ひどい扱い
今回の反軍政の抗議行動が全国各都市に拡大する契機となったのは、北部の町パゴグで軍政側が威嚇発砲し、手ひどい扱いを加えたことでした。
タイに亡命した政治家グループのスポークスマンは言います。
「僧侶をロープで縛り、馬か犬のように街灯にくくりつけた」「僧院側は謝罪を求めたが、軍政側が拒否したため、これが大規模集会の引き金となった」
仏教僧院、僧侶は国民の道徳的尊敬を集め、かつてゃ王朝に正統性を与える権威を持った存在です。最大都市ヤンゴンで僧侶たちは、シュエダゴン・パゴダに集結しました。ここはかつて国王が敵に対するたたかいに出る前に祈願した所。軍政を「敵」とみなしていることを象徴する動きといえます。
(居波保夫)
(『しんぶん赤旗』2007.09.29.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 04:57
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
軍政の武力弾圧に抗議
在日ミャンマー人ら訴え 東京
ミャンマー軍事政権の武力弾圧に抗議する在日ミャンマー(ビルマ)人が三十日、国連関連機関が入る東京都渋谷区の国連大学ビル前で四十八時間のハンストをはじめました。
女性二人を含む二十人が参加。弾圧や日本人ジャーナリスト長井健司さん殺害で、軍事政権に抗議するとともに、国連安保理が「即時の強力な決議」をあげるよう求めるメッセージボードなどを掲げました。
ハンストに参加した調理人のテ・キイ・オゥさん(41)は「国民が大勢銃殺され、その家族・友人を含めて、苦しんでいる人が大勢いる。これが国際的な問題であること、私たちがどのくらい民主主義をほしがっているかアピールしたい」と話しました。
一方、東京都品川区のミャンマー大使館前では同日夕、犠牲者を追悼するキャンドル集会が行われました。
約三百人の市民や在日ミャンマー人らが次々にキャンドルに灯をともし、黙とうをささげて犠牲者をしのびました。
(『しんぶん赤旗』2007.10.01.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 05:21
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ミャンマー 消えない軍政への不満
僧侶の蜂起 市民が応援
上智大学 根本 敬 さんに聞く
狂暴な軍事政権に対して民衆がデモに立ち上がったミャンマーの事態をどう見るか、上智大学外国語学部の根本敬教授(東南アジア近現代史、ビルマ研究)に聞きました。(聞き手=菅原厚)
一九八八年の民主化運動が封じ込められて以来、軍政に対する不満が十九年間堆積(たいせき)し、何かのきっかけで爆発する状況にありました。八月十五日の燃料費大幅引き上げが、まさにそのきっかけとなりました。中でも、天然ガスの五倍引き上げが人々の生活を直撃しました。唯一の公共交通機関のバスが天然ガスで走っている場合が多く、市民の通勤費が大幅に上がって、月収の三分の一から半分が通勤費で消えてしまうといった状況になってしまいます。
八八年のときは、米の値段が人々の許容限度を超え、主食が買えないという状況に追い込まれた人たちが多くいました。
このときは、現役の学生が地下で組織をつくり、運動をリードし、その後、市民が運動に合流しました。
今回は、現役の学生は動いていません。代わって、八八年のときに学生だった三十代後半、四十代の人たちが静かなデモを始めました。プラカードも持たずに黙々と歩くというデモです。それに一部市民が合流しましたが、すぐに軍政はそれを封じ込めました。そして、次に動いたのが、僧侶たちでした。
政治に深く関与
ビルマの上座仏教は、カトリック教会のようにピラミッド組織を持っていません。各僧院ごとの自立性が高く、こういう運動に参加する僧院もあれば、参加しない僧院もあります。僧侶もまた自分の判断で参加、不参加を決められます。そのような構造の中で、今回、自然発生的に何万という僧侶がデモに参加したわけです。
タイやカンボジア、そしてビルマに広がる上座仏教の僧侶の歴史を見ると、歴史の中の要所要所で政治とかかわっています。特にビルマの場合、植民地時代に反英独立運動に積極的に参加しています。実態としては、僧侶と政治のかかわりが深いのです。
サンガ法という、仏教の僧侶たちに適用されるルールがあります。そこには僧侶の政治活動の禁止は明記されています。軍政は今回、デモに参加した僧侶がその戒めを破ったとし、彼らは僧侶でなく破戒僧だと定義づけます。そして末端の兵士たちに命令を出すときに、デモをする僧侶たちを僧侶だと思うなという命令を出していると考えられます。
市民と立場逆転
今回、僧侶たちがあの規模で立ち上がったということは、市民にとても非常な驚きで、彼らは僧侶たちに感謝の念を抱きました。本来は、雨安居(うあんご)といって、六月から十月にかけては修行だけに専念する時期です。にもかかわらず、民衆のことを思って立ち上がった。その感謝の気持ちがあって、市民はデモの応援に行くわけです。
普段は逆で、八八年の民主化運動のときも、そのほかの騒動のときも、通常は僧侶のほうが応援団的な役割を担います。今回は、そういう意味では立場が逆転しました。市民が、僧侶たちに危害が加えられないようにデモの両脇に立って守る。大きなデモになってくると、真ん中に僧侶たちが列をつくって行進し、両脇にその二、三倍の幅で市民が合流する…。
一九八八年以降、軍政に対する今回のような大規模な抗議行動がなかったために、ビルマを観察する研究者やビルマに長期滞在する外国人(特に日本人)のあいっでは、ビルマの人々が軍政をやむを得ない現実として受け入れ、アウン・サン・スー・チーさんや国民民主運動(NLD)、民主化への関心を低下させているのではないかという見方が多数になっていました。しかし、実際は彼らがけっして政治への不満を弱めてはいなかったことが今回証明されたといってよいでしょう。
これからも私たちはビルマ国民の心の中の思いを見誤ることのないように注意すべきだと思います。
(『しんぶん赤旗』2007.10.02.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 05:37
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ミャンマー 武力弾圧 世界が批判
日本人ジャーナリストも犠牲に
ミャンマーの軍事政権が僧侶や市民の非暴力デモに武力弾圧を加え、流血の事態を招いたことに、国際社会から強い懸念と批判の声があがっています。
発端は、軍事政権の燃料費引き上げにたいする各地の抗議デモでした。次第に大規模になり、旧首都ヤンゴンの僧侶や市民のデモ(9月24、25両日)には10万人以上が参加しました。1988年以来最大の規模です。
軍事政権は、平和的なデモに発砲するたどの弾圧に乗り出しました。
9月27日には治安部隊の発砲で、街頭でカメラを持って取材中の日本人ジャーナリスト長井健司さん(50)が死亡しました。即死状態でした。
死者数は政権側の発表で僧侶ら10人ですが、ミャンマーの民主化組織によるとその20倍にものぼるといいます。
国民の非暴力のデモを武力で弾圧するという蛮行は民主主義を踏みにじるもの。国際世論は「自制」を強く求めました。
国連安保理は9月26日、非公開の緊急会合を開催。ミャンマー当局に「自制」を求めるとともに、現地を訪問する国連事務総長特使として、ガンバリ事務次長を受け入れるよう求めました。
ガンバリ氏は同29日にミャンマー入りし、民主化運動の指導者、アウン・サン・スー・チーさんや、軍事政権のトップであるタン・シュエ国家平和発展評議会議長らと会談。武力弾圧の停止や緊張緩和に向けた対話促進などを呼びかけました。
ASEANも
注目されるのは、ミャンマーも加盟する東南アジア諸国連合(ASEAN)の動向です。
9月27日、ASEANはニューヨークで非公式外相会議を開催。ミャンマー軍事政権の武力弾圧について、議長国シンガポールのヨー外相が「嫌悪」を表明する異例にきびしい声明を発表しました。
この声明は非公開の協議内容を総括したもの。
暴力をただちに停止し、すべての当事者を含めた国民和解と民主主義への平和的移行への努力を訴え、「アウン・サン・スー・チー氏を含む、すべての政治的勾留者を解放するよう呼びかけ」ました。
ミャンマーのニャン・ウィン外相は国連演説で、デモが挑発的となったので治安部隊は行動せざるを得なかったなどと弾圧を正当化し、民主化を理由にした外国からの「介入」に反発しました。他方で「国連との協力はミャンマーの外交政策の要」とのべました。
ガンバリ特使の訪問の成果や、ミャンマーに政治的影響力を持つ中国、ASEAN、インド、日本などの外交努力の行方が注目されます。
(『しんぶん赤旗(日曜版)』2007.10.07.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 06:18
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ジャーナリスト 長井さん 最後の別れ
ミャンマーで反政府デモの取材中に射殺されたジャーナリストの長井健司さん(五〇)の葬儀・告別式が八日、東京都港区の青山葬儀所で営まれ、交流のあった報道関係者や在日ミャンマー人ら約千人が参列、最後の別れを惜しみました。
午前十一時に始まった告別式では、契約していたAFP通信社(同区)の山路徹社長が「長井さんの遺志を確実に受け継いで、立ち止まることなく歩いていかなければならない」とあいさつ。
弔辞を読み上げたジャーナリストの鳥越俊太郎さんも「カメラを持った右手を精いっぱい天空に突き上げていた」と壮絶な最期を悼みました。
会場には民族衣装に身を包んだミャンマー人の姿も。一九八九年に来日した杉並区のウィン・チョさん(四二)は、テレビで長井さんの死を知り、駆け付けました。「長井さんは危ないと分かって来てくれた。ビルマの状況を世界に伝えてくれた」と涙を見せました。
小雨交じりの中、焼香の長い列ができました。白い花で飾られた祭壇には、取材先のヨルダンで撮影された長井さんの遺影。会場入り口には愛用のビデオカメラが置かれました。
長井さんが好んだビリー・ジョエルさんの曲が流れる中、午後一時四十五分ごろ出棺しました。
(『しんぶん赤旗』2007.10.09.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 06:25
>立ち止まることなく歩いていかなければならない
えぇ。それだけは、お約束できます、長井さんに。
のろまな亀でも蝸牛でも、
三歩歩いて二歩下がっても、
前を向いて歩き続けること、
それだけ……なら。一生かけて。
どうかお元気で。
千の風
万の砂
億の涙
兆や京の雨滴や霧笛となって……
どこまでも。
吹き渡り、見つめ続けて下さいね、
TORATONTON 2007年10月10日 20:12
この日記、コメント、良いご供養になったかと存じます。
歌いながら大地を歩く 2007年10月12日 01:09
遂行、いや推敲……。
> 千の風
> 万の砂
> 億の涙
> 兆や京の雨滴や霧笛となって……
……これ、
千の風
万の砂
億の雨
兆や京の霧笛や星明かりとなって……
の、ほうが(文章としては)良いな☆ (^^;)”
.
(2007年10月10日01:58)
(まじめな話なのに、つい、<(_ _;)>
ふざけた題をつけてしまって申し訳ありません★)(ーー;)
昨日は長井さんの告別式でした。
が、実父を亡くして以来どうも葬儀の場というのが苦手なので欠礼。地元の憲法講座の方を優先しました。
(たぶんその方が長井さんも喜んでくれると思うし。)
で、以下、追悼の読経(?)代わりに、ビルマ(ミャンマー)関連の手元にある切り抜き類を、まとめてアップしてみたいと思います。
(注:長井さんの追悼だけに、長いです☆)d(ーー;)>”
◆コメント◆
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 02:20
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
反軍政 僧侶デモ拡大
旧首都 雨の中1500人
ミャンマー【バンコク=時事】
ミャンマーで軍事政権に反発する僧侶のデモが広がりを見せています。治安当局は民主化運動活動家らのデモを徹底弾圧しましたが、敬虔(けいけん)な仏教徒が多い同国で僧侶に強硬手段を取り続けた場合、国民の反発を招くのは必至。燃料費の大幅引き上げと物価上昇で国民の不満は高まっており、対応次第では抗議活動に火が付き、体制が揺らぐ事態も想定されます。
旧首都ヤンゴンでは二十一日、僧侶約千五百人が雨の中、デモ行進し、一般市民約千五百人も合流したといいます。ヤンゴンでのデモ行進は四日連続。燃料費の引き上げなどに抗議する過去一カ月のデモの中では最大規模となりました。
僧侶のデモが始まったのは八月二十八日。同月十九日にガソリン価格などが大幅に引き上げられたのがきっかけでした。
今月五日にはマグエ管区パコクで、治安当局がデモに威嚇発砲。「僧侶の負傷者が出た」「僧侶が死亡した」といったうわさが広がり、デモは反軍政の色合いを強めました。
軍政側は僧侶にけがをさせたことを否定しましたが、僧侶側は翌六日、政府職員をパコクの僧院に数時間閉じ込めるなど反発。宗派を越えた「全国僧侶連盟」も誕生し、各地にデモが拡大しました。
一部の僧侶グループは軍政当局者に対する托鉢(たくはつ)を拒否するなど対決姿勢を強めています。
(『しんぶん赤旗』2007.09.22.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(以下、上記記事の隣に掲載された記事/参考まで)
米で黒人数千人デモ
人種差別司法判断に抗議 【ニューヨーク=時事】
米南部ルイジアナ州の町ジーナで二十日、地元の高校で起きた暴力事件をめぐり、黒人生徒だけが訴追されたのは人種差別的な司法判断があったためだとして、数千人が参加して抗議デモが行われました。
現地からの報道によると、参加者は全米各地からバスなどでジーナに集結。黒い服装に身を包み、「公正なくして平和なし」のスローガンを唱えながら、事件の起きた高校に集まりました。
この高校では昨年九月に黒人差別を思い起こさせる出来事があったのをきっかけに、白人生徒と黒人生徒の間で暴力事件が発生。黒人生徒六人が訴追されたのに対し、白人生徒は誰も罪に問われなかったとされます。
デモを主導した黒人運動指導者のジェシー・ジャクソン師は「司法省は沈黙している」と批判、この事件について公聴会を開くよう政府に要求しました。
(『しんぶん赤旗』2007.09.22.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 02:32
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
反軍政デモ拡大
僧侶団体、国民に参加訴え 【バンコク=時事】
ミャンマーの旧首都ヤンゴンで二十二日、軍事政権による燃料費の大幅引き上げなどに抗議する僧侶のデモが行われ、一部の僧侶らが自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん宅前をデモ行進しました。
第二の都市マンダレーでは過去二十年で最大となる約一万人規模のデモが発生。僧侶団体は闘争に参加するよう国民に呼び掛けており、軍政は一段と厳しい状況に追い詰められました。
現地からの情報によると、ヤンゴンでのデモは五日連続で、この日は僧侶約二千人が参加。市内を行進したほか、パゴダ(仏塔)で抗議の祈とうを行いました。スー・チーさん宅前のデモ行進は、八月下旬に反軍政でもが始まって以来初めて。
一方、マンダレーでは同日、僧侶約一万人がデモ行進し、市民も行進に加わりました。
反政府デモの規模としてh、民主化要求デモが盛り上がった一九八八年以来最大といいます。
僧侶グループの一部はこれまで、一般市民が僧侶のデモに加わるのを控えるよう訴えていました。しかし、全国僧侶連盟はこの日、軍事独裁体制を完全に終わらせるため、平和闘争に加わるよう国民に訴えました。
(『しんぶん赤旗』2007.09.23.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 02:41
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ミャンマー 2万人デモ
治安当局 スー・チー宅接近阻む
【バンコク=時事】
ミャンマーの旧首都ヤンゴンで二十三日、軍事政権の燃料費引き上げに抗議する僧侶らのデモが行われ、約二万人が参加しました。ヤンゴンでの僧侶のデモは六日連続で、八月中旬に抗議デモが始まって以来、最大規模。一九八八年の民主化要求デモ以降でも最大となりました。
一部の僧侶は自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん宅に接近しようとしましたが、治安当局に阻まれました。
現地からの情報によると、僧侶らは同日午後、シュエダゴン・パゴダから行進を開始。僧侶らは市民に対し行進に加わるよう呼び掛けました。参加者は僧侶、市民各約一万人に膨れ上がり、中心部のスーレー・パゴダを取り囲みました。この日の抗議活動には初めて尼僧も加わりました。
僧侶約二百人がスー・チーさん宅に向かおうとしましたが、治安当局はスー・チーさん宅前の道路を封鎖し、僧侶らの接近を阻止。僧侶らは治安当局と約三十分間交渉した後、読経をして現場を立ち去りました。
僧侶の地下組織「全ビルマ僧侶同盟」は全国の僧侶に対し、徹夜の祈とうを要請。同国北部マンダレーなどではこの日、僧侶らの祈とうが行われ、軍政に抗議の意志を示しました。
(『しんぶん赤旗』2007.09.24.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 02:50
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ヤンゴンで10万人デモ
ミャンマー軍事政権に抗議 【バンコク=時事】
ミャンマー国内では二十四日も、各地で軍事政権の燃料費引き上げに抗議する大規模なデモが行われ、一部情報では、旧首都ヤンゴンの僧侶や市民らのデモには十万人以上が参加しました。ヤンゴンでのこの日のデモは、民主化要求デモが盛り上がった一九八八年以降では最大規模です。
現地からの情報によると、ヤンゴンでのデモは主に二グループが主導し、それぞれ同国を代表する仏塔のシュエダゴン・パゴダを出発。一グループは北部の別のパゴダに、もう一つのグループは市中心部のパゴダまで行進しました。これらのデモには多くの市民や学生が合流しました。
僧侶らは読経しながら行進する傍ら、軍政に対するスローガンを叫ぶのを控えるよう参加者に求めました。しかし、一部の参加者はプラカードを掲げ、政治囚の即時解放や生活状況の改善などを訴えました。
道路の両脇では市民らが拍手をして僧侶らを激励。市民らが道路に沿って「人間の鎖」を作り、僧侶の行動を守る動きもみられました。
僧侶ら約二千人は自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん宅近くの道路を行進しましたが、治安当局との衝突やトラブルはありませんでした。
シンガポール外務省は同日、「事態が平和的に解決することを期待する」との声明を出しました。
(『しんぶん赤旗』2007.09.25.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>シンガポール外務省は同日、「事態が平和的に解決することを期待する」との声明を
……そうです……
この数値のあたりで、
これまでの「例」を思い浮かべて、
背筋を冷たいものが走りましたね……★(>_<)★”
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 03:01
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ミャンマー 再び10万人デモ
ヤンゴンで僧侶ら 当局の警告の中
【バンコク=時事】
ミャンマーの旧首都ヤンゴンでは二十五日も燃料費の大幅引き上げなどに抗議する僧侶らの大規模な反政府デモが行われ、一部情報によると、約十万人が参加しました。
軍事政権は僧侶らに宗教以外の活動に関与しないよう繰り返し警告しましたが、僧侶らはこれを無視しました。軍政は「違法行為には対応措置を取る」とも宣言していましたが、参加者の拘束や混乱などはありませんでした。
僧侶ら約三万人と市民ら約七万人は同日午後、同国最大の仏塔、シュエダゴン・パゴダと市中心部のスーレー・パゴダ周辺を往復しました。僧侶らは「民主主義、民主主義」などと唱えながら行進。ヤンゴン市内の国連事務所前では、自宅軟禁が続く民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんの解放を訴えました。
デモには多くの学生も参加し、同国で民主主義や独立を象徴するクジャクが描かれた旗を振って歩きました。
ヤンゴンでの僧侶の大規模デモは十八日から始まり、八日連続。前日同様、二十五日は参加者が約十万人に膨れ上がり、ヤンゴンで民主化要求デモが盛り上がった一九八八年以降では最大規模となりました。
また、この日は同国第二の都市マンダレーや北部カチン州、東部カイン(カレン)州など国内各地で同様のデモが行われました。
軍政当局者は同日、デモに先立ち複数のトラックに分乗してヤンゴン市内を走り回り、拡声器を使ってデモに参加しないよう僧侶や市民に警告しました。
消息筋によると、軍政幹部はこの日、同国中部の新首都ネピドーで反政府デモの対応策を協議する緊急会議を開催しました。
また、少数民族武装組織との闘争が続いているカイン州に展開していた国軍部隊がヤンゴンに移動したといいます。
(『しんぶん赤旗』2007.09.26.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 03:13
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
軍政 デモを弾圧
ミャンマー 僧侶3人死亡 【バンコク=時事】
ミャンマー治安当局は二十六日、軍事政権による燃料費の大幅値上げなどに抗議するため、旧首都ヤンゴンの仏塔シュエダゴン・パゴダ周辺部に集まった僧侶や市民を警棒で殴打、七十人以上が負傷しました。AFP通信によると、僧侶三人以上が死亡。治安部隊は約二百人を拘束しました。僧侶らはデモを強行、軍政は威嚇発砲し催涙ガスも使用しました。軍政が実力行使に出たことで、ミャンマー情勢は一気に緊迫しました。
目撃者によると、治安部隊員は警棒で僧侶や市民約千人を殴打。僧侶らはこの後、現場近くから市中心部までデモ行進し、参加者は10万人近くに膨れ上がりました。
道路脇では市民が拍手をして僧侶を激励。治安部隊はこれに対し二十発以上威嚇発砲し、催涙ガス約十発を放ちました。
軍政は二十五日以降、五人以上の集会を行わないよう警告するとともに、大量の治安部隊員をヤンゴン市内に配置。僧侶らは警告を無視して、パゴダ周辺に集まっていました。
軍政は二十四日、僧侶や市民に抗議活動に加わらないよう命じるとともに、二十五日夜にはヤンゴンど同国第二の都市マンダレーに夜間外出禁止令を発令していました。
自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんが率いる国民民主連盟(NLD)は二十六日、「軍政は僧侶をたたくという歴史上取り返しのつかない不法行為を行った」との声明を出しました。
(7面に関連情報)
ミャンマー問題 緊急安保理招集
【ニューヨーク=AFP時事】
国連安保理議長国フランスのクシュネル外相は二十六日、ミャンマー情勢について協議するため、安保理の緊急会合を同日開催することを明らかにしました。
同外相によると、緊急会合を同日午後三時(日本時間二十七日午前四時)から始まる予定です。
(『しんぶん赤旗』2007.09.27.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 03:23
(7面の関連情報・1)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ミャンマー 非暴力デモ弾圧
抑えられない軍政への怒り 【ハノイ=井上歩】
ミャンマーの僧侶を中心とした反軍事政権デモは日増しに規模が拡大し、二十六日には軍政治安部隊が僧侶や市民、学生などのデモ参加者に対する弾圧に乗り出し、僧侶が死亡という事態になりました。非暴力のデモに武力弾圧を加えた軍政への内外からの批判が強まることは必至です。
デモの発端は、八月十五日にガソリンなど燃料費が大幅に値上げされ、国民生活を圧迫したこと。燃料費値上げに伴って物価も上昇し、先月十九日から値上げに抗議するデモが頻発。自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんが率いる国民民主連盟(NLD)メンバーの拘束も相次ぎました。
五日には中部パコックで燃料費値上げに抗議する僧侶のデモに兵士が威嚇発砲し、拘束の際に僧侶に暴行、負傷させる事件が発生。僧侶たちは同事件に憤慨、軍政に謝罪を要求し、謝罪期限が過ぎた十八日から数千人規模のデモを各地で開始しました。
デモは各都市に広がり、学生や一般市民が支援・合流。二十四日、二十五日には最大都市ヤンゴンで十万人規模にまで膨れ上がりました。
デモの要求は、当初の謝罪要求、燃料費値下げだけでなく、「スー・チーさん解放」「民主化を」が加わり、軍政打倒の声もあがっているといいます。
二十二日にはスー・チーさんの自宅前を通過したデモ隊の僧侶とスー・チーさんが体面し、僧侶が言葉をかけました。
デモは、若手僧侶を中心にした僧侶団体の連合体「全ビルマ僧侶連盟」が主導しているとされます。同連盟は僧侶暴行事件を機に結成されたとされ、国民にデモ参加を呼びかけています。
ミャンマーのニュース関連サイトには、「邪悪な軍事政権追放」を訴える同連盟のものとされる声明も掲載されています。
(『しんぶん赤旗』2007.09.27.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 03:35
(7面の関連情報・2)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
民主化の約束をほごに
ミャンマーでは一九八八年に学生デモと民主化運動が高まり、大規模なゼネストが発生。これに対し国軍が同年九月にクーデターで全権を掌握し、抗議デモの学生、市民に発砲して推定千人を射殺しました。
軍政は総選挙実施・民政移管を公約しましたが、九〇年五月の総選挙でNLDが80%以上の議席を得て圧勝すると、「新憲法制定が政権移譲の前提」として選挙結果の受け入れを拒否しました。
軍政は選挙前の八九年から断続的にNLD書記長のスー・チーさんを自宅軟禁し、現在も二〇〇三年五月以来の軟禁が続いています。スー・チーさんの軟禁と身柄拘束は通算十一年を超えています。
批判を強める国際社会に対して軍政は、二〇〇三年八月に民主化ロードマップを発表し、憲法の基本原則をまとめる「国民会議」の開催、新憲法国民投票、総選挙など実施していくとしてきました。
「国民会議」は長期休会を繰り返し十四年以上を費やして今月三日閉幕しました。しかし合意された憲法基本原則は、軍の指導的役割を保証し、正副大統領三人のうち一人を軍が選出、議会定数の四分の一は軍が任命する、という内容となりました。
ミャンマーの国民には、そもそも軍政が総選挙結果を拒否し、民政移管の約束をほごにしていることに根本的な不満がある上、経済の遅滞や生活環境の悪化、市民、活動家の相次ぐ逮捕・弾圧などで軍政への不満がさらに高まっているとみられます。
「民主化プロセス」の一段階である国民会議閉幕と同時期に、八八年の民主化運動以来最大規模の反軍政運動が高まっているのは、国民の強い不満の現れだととれます。
ミャンマーはおよそ五千万人の人口の約90%が仏教徒で、僧侶は国民の尊敬を受けています。
軍政が二十四日に対抗措置をとるとの警告を出したにもかかわらずその後も僧侶主導の大規模なデモが行われ、軍政と僧侶、市民の対立構造は深まっています。
(井上歩)
(『しんぶん赤旗』2007.09.27.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
.
(まじめな話なのに、つい、<(_ _;)>
ふざけた題をつけてしまって申し訳ありません★)(ーー;)
昨日は長井さんの告別式でした。
が、実父を亡くして以来どうも葬儀の場というのが苦手なので欠礼。地元の憲法講座の方を優先しました。
(たぶんその方が長井さんも喜んでくれると思うし。)
で、以下、追悼の読経(?)代わりに、ビルマ(ミャンマー)関連の手元にある切り抜き類を、まとめてアップしてみたいと思います。
(注:長井さんの追悼だけに、長いです☆)d(ーー;)>”
◆コメント◆
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 02:20
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
反軍政 僧侶デモ拡大
旧首都 雨の中1500人
ミャンマー【バンコク=時事】
ミャンマーで軍事政権に反発する僧侶のデモが広がりを見せています。治安当局は民主化運動活動家らのデモを徹底弾圧しましたが、敬虔(けいけん)な仏教徒が多い同国で僧侶に強硬手段を取り続けた場合、国民の反発を招くのは必至。燃料費の大幅引き上げと物価上昇で国民の不満は高まっており、対応次第では抗議活動に火が付き、体制が揺らぐ事態も想定されます。
旧首都ヤンゴンでは二十一日、僧侶約千五百人が雨の中、デモ行進し、一般市民約千五百人も合流したといいます。ヤンゴンでのデモ行進は四日連続。燃料費の引き上げなどに抗議する過去一カ月のデモの中では最大規模となりました。
僧侶のデモが始まったのは八月二十八日。同月十九日にガソリン価格などが大幅に引き上げられたのがきっかけでした。
今月五日にはマグエ管区パコクで、治安当局がデモに威嚇発砲。「僧侶の負傷者が出た」「僧侶が死亡した」といったうわさが広がり、デモは反軍政の色合いを強めました。
軍政側は僧侶にけがをさせたことを否定しましたが、僧侶側は翌六日、政府職員をパコクの僧院に数時間閉じ込めるなど反発。宗派を越えた「全国僧侶連盟」も誕生し、各地にデモが拡大しました。
一部の僧侶グループは軍政当局者に対する托鉢(たくはつ)を拒否するなど対決姿勢を強めています。
(『しんぶん赤旗』2007.09.22.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(以下、上記記事の隣に掲載された記事/参考まで)
米で黒人数千人デモ
人種差別司法判断に抗議 【ニューヨーク=時事】
米南部ルイジアナ州の町ジーナで二十日、地元の高校で起きた暴力事件をめぐり、黒人生徒だけが訴追されたのは人種差別的な司法判断があったためだとして、数千人が参加して抗議デモが行われました。
現地からの報道によると、参加者は全米各地からバスなどでジーナに集結。黒い服装に身を包み、「公正なくして平和なし」のスローガンを唱えながら、事件の起きた高校に集まりました。
この高校では昨年九月に黒人差別を思い起こさせる出来事があったのをきっかけに、白人生徒と黒人生徒の間で暴力事件が発生。黒人生徒六人が訴追されたのに対し、白人生徒は誰も罪に問われなかったとされます。
デモを主導した黒人運動指導者のジェシー・ジャクソン師は「司法省は沈黙している」と批判、この事件について公聴会を開くよう政府に要求しました。
(『しんぶん赤旗』2007.09.22.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 02:32
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
反軍政デモ拡大
僧侶団体、国民に参加訴え 【バンコク=時事】
ミャンマーの旧首都ヤンゴンで二十二日、軍事政権による燃料費の大幅引き上げなどに抗議する僧侶のデモが行われ、一部の僧侶らが自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん宅前をデモ行進しました。
第二の都市マンダレーでは過去二十年で最大となる約一万人規模のデモが発生。僧侶団体は闘争に参加するよう国民に呼び掛けており、軍政は一段と厳しい状況に追い詰められました。
現地からの情報によると、ヤンゴンでのデモは五日連続で、この日は僧侶約二千人が参加。市内を行進したほか、パゴダ(仏塔)で抗議の祈とうを行いました。スー・チーさん宅前のデモ行進は、八月下旬に反軍政でもが始まって以来初めて。
一方、マンダレーでは同日、僧侶約一万人がデモ行進し、市民も行進に加わりました。
反政府デモの規模としてh、民主化要求デモが盛り上がった一九八八年以来最大といいます。
僧侶グループの一部はこれまで、一般市民が僧侶のデモに加わるのを控えるよう訴えていました。しかし、全国僧侶連盟はこの日、軍事独裁体制を完全に終わらせるため、平和闘争に加わるよう国民に訴えました。
(『しんぶん赤旗』2007.09.23.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 02:41
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ミャンマー 2万人デモ
治安当局 スー・チー宅接近阻む
【バンコク=時事】
ミャンマーの旧首都ヤンゴンで二十三日、軍事政権の燃料費引き上げに抗議する僧侶らのデモが行われ、約二万人が参加しました。ヤンゴンでの僧侶のデモは六日連続で、八月中旬に抗議デモが始まって以来、最大規模。一九八八年の民主化要求デモ以降でも最大となりました。
一部の僧侶は自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん宅に接近しようとしましたが、治安当局に阻まれました。
現地からの情報によると、僧侶らは同日午後、シュエダゴン・パゴダから行進を開始。僧侶らは市民に対し行進に加わるよう呼び掛けました。参加者は僧侶、市民各約一万人に膨れ上がり、中心部のスーレー・パゴダを取り囲みました。この日の抗議活動には初めて尼僧も加わりました。
僧侶約二百人がスー・チーさん宅に向かおうとしましたが、治安当局はスー・チーさん宅前の道路を封鎖し、僧侶らの接近を阻止。僧侶らは治安当局と約三十分間交渉した後、読経をして現場を立ち去りました。
僧侶の地下組織「全ビルマ僧侶同盟」は全国の僧侶に対し、徹夜の祈とうを要請。同国北部マンダレーなどではこの日、僧侶らの祈とうが行われ、軍政に抗議の意志を示しました。
(『しんぶん赤旗』2007.09.24.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 02:50
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ヤンゴンで10万人デモ
ミャンマー軍事政権に抗議 【バンコク=時事】
ミャンマー国内では二十四日も、各地で軍事政権の燃料費引き上げに抗議する大規模なデモが行われ、一部情報では、旧首都ヤンゴンの僧侶や市民らのデモには十万人以上が参加しました。ヤンゴンでのこの日のデモは、民主化要求デモが盛り上がった一九八八年以降では最大規模です。
現地からの情報によると、ヤンゴンでのデモは主に二グループが主導し、それぞれ同国を代表する仏塔のシュエダゴン・パゴダを出発。一グループは北部の別のパゴダに、もう一つのグループは市中心部のパゴダまで行進しました。これらのデモには多くの市民や学生が合流しました。
僧侶らは読経しながら行進する傍ら、軍政に対するスローガンを叫ぶのを控えるよう参加者に求めました。しかし、一部の参加者はプラカードを掲げ、政治囚の即時解放や生活状況の改善などを訴えました。
道路の両脇では市民らが拍手をして僧侶らを激励。市民らが道路に沿って「人間の鎖」を作り、僧侶の行動を守る動きもみられました。
僧侶ら約二千人は自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん宅近くの道路を行進しましたが、治安当局との衝突やトラブルはありませんでした。
シンガポール外務省は同日、「事態が平和的に解決することを期待する」との声明を出しました。
(『しんぶん赤旗』2007.09.25.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>シンガポール外務省は同日、「事態が平和的に解決することを期待する」との声明を
……そうです……
この数値のあたりで、
これまでの「例」を思い浮かべて、
背筋を冷たいものが走りましたね……★(>_<)★”
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 03:01
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ミャンマー 再び10万人デモ
ヤンゴンで僧侶ら 当局の警告の中
【バンコク=時事】
ミャンマーの旧首都ヤンゴンでは二十五日も燃料費の大幅引き上げなどに抗議する僧侶らの大規模な反政府デモが行われ、一部情報によると、約十万人が参加しました。
軍事政権は僧侶らに宗教以外の活動に関与しないよう繰り返し警告しましたが、僧侶らはこれを無視しました。軍政は「違法行為には対応措置を取る」とも宣言していましたが、参加者の拘束や混乱などはありませんでした。
僧侶ら約三万人と市民ら約七万人は同日午後、同国最大の仏塔、シュエダゴン・パゴダと市中心部のスーレー・パゴダ周辺を往復しました。僧侶らは「民主主義、民主主義」などと唱えながら行進。ヤンゴン市内の国連事務所前では、自宅軟禁が続く民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんの解放を訴えました。
デモには多くの学生も参加し、同国で民主主義や独立を象徴するクジャクが描かれた旗を振って歩きました。
ヤンゴンでの僧侶の大規模デモは十八日から始まり、八日連続。前日同様、二十五日は参加者が約十万人に膨れ上がり、ヤンゴンで民主化要求デモが盛り上がった一九八八年以降では最大規模となりました。
また、この日は同国第二の都市マンダレーや北部カチン州、東部カイン(カレン)州など国内各地で同様のデモが行われました。
軍政当局者は同日、デモに先立ち複数のトラックに分乗してヤンゴン市内を走り回り、拡声器を使ってデモに参加しないよう僧侶や市民に警告しました。
消息筋によると、軍政幹部はこの日、同国中部の新首都ネピドーで反政府デモの対応策を協議する緊急会議を開催しました。
また、少数民族武装組織との闘争が続いているカイン州に展開していた国軍部隊がヤンゴンに移動したといいます。
(『しんぶん赤旗』2007.09.26.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 03:13
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
軍政 デモを弾圧
ミャンマー 僧侶3人死亡 【バンコク=時事】
ミャンマー治安当局は二十六日、軍事政権による燃料費の大幅値上げなどに抗議するため、旧首都ヤンゴンの仏塔シュエダゴン・パゴダ周辺部に集まった僧侶や市民を警棒で殴打、七十人以上が負傷しました。AFP通信によると、僧侶三人以上が死亡。治安部隊は約二百人を拘束しました。僧侶らはデモを強行、軍政は威嚇発砲し催涙ガスも使用しました。軍政が実力行使に出たことで、ミャンマー情勢は一気に緊迫しました。
目撃者によると、治安部隊員は警棒で僧侶や市民約千人を殴打。僧侶らはこの後、現場近くから市中心部までデモ行進し、参加者は10万人近くに膨れ上がりました。
道路脇では市民が拍手をして僧侶を激励。治安部隊はこれに対し二十発以上威嚇発砲し、催涙ガス約十発を放ちました。
軍政は二十五日以降、五人以上の集会を行わないよう警告するとともに、大量の治安部隊員をヤンゴン市内に配置。僧侶らは警告を無視して、パゴダ周辺に集まっていました。
軍政は二十四日、僧侶や市民に抗議活動に加わらないよう命じるとともに、二十五日夜にはヤンゴンど同国第二の都市マンダレーに夜間外出禁止令を発令していました。
自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんが率いる国民民主連盟(NLD)は二十六日、「軍政は僧侶をたたくという歴史上取り返しのつかない不法行為を行った」との声明を出しました。
(7面に関連情報)
ミャンマー問題 緊急安保理招集
【ニューヨーク=AFP時事】
国連安保理議長国フランスのクシュネル外相は二十六日、ミャンマー情勢について協議するため、安保理の緊急会合を同日開催することを明らかにしました。
同外相によると、緊急会合を同日午後三時(日本時間二十七日午前四時)から始まる予定です。
(『しんぶん赤旗』2007.09.27.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 03:23
(7面の関連情報・1)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ミャンマー 非暴力デモ弾圧
抑えられない軍政への怒り 【ハノイ=井上歩】
ミャンマーの僧侶を中心とした反軍事政権デモは日増しに規模が拡大し、二十六日には軍政治安部隊が僧侶や市民、学生などのデモ参加者に対する弾圧に乗り出し、僧侶が死亡という事態になりました。非暴力のデモに武力弾圧を加えた軍政への内外からの批判が強まることは必至です。
デモの発端は、八月十五日にガソリンなど燃料費が大幅に値上げされ、国民生活を圧迫したこと。燃料費値上げに伴って物価も上昇し、先月十九日から値上げに抗議するデモが頻発。自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんが率いる国民民主連盟(NLD)メンバーの拘束も相次ぎました。
五日には中部パコックで燃料費値上げに抗議する僧侶のデモに兵士が威嚇発砲し、拘束の際に僧侶に暴行、負傷させる事件が発生。僧侶たちは同事件に憤慨、軍政に謝罪を要求し、謝罪期限が過ぎた十八日から数千人規模のデモを各地で開始しました。
デモは各都市に広がり、学生や一般市民が支援・合流。二十四日、二十五日には最大都市ヤンゴンで十万人規模にまで膨れ上がりました。
デモの要求は、当初の謝罪要求、燃料費値下げだけでなく、「スー・チーさん解放」「民主化を」が加わり、軍政打倒の声もあがっているといいます。
二十二日にはスー・チーさんの自宅前を通過したデモ隊の僧侶とスー・チーさんが体面し、僧侶が言葉をかけました。
デモは、若手僧侶を中心にした僧侶団体の連合体「全ビルマ僧侶連盟」が主導しているとされます。同連盟は僧侶暴行事件を機に結成されたとされ、国民にデモ参加を呼びかけています。
ミャンマーのニュース関連サイトには、「邪悪な軍事政権追放」を訴える同連盟のものとされる声明も掲載されています。
(『しんぶん赤旗』2007.09.27.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 03:35
(7面の関連情報・2)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
民主化の約束をほごに
ミャンマーでは一九八八年に学生デモと民主化運動が高まり、大規模なゼネストが発生。これに対し国軍が同年九月にクーデターで全権を掌握し、抗議デモの学生、市民に発砲して推定千人を射殺しました。
軍政は総選挙実施・民政移管を公約しましたが、九〇年五月の総選挙でNLDが80%以上の議席を得て圧勝すると、「新憲法制定が政権移譲の前提」として選挙結果の受け入れを拒否しました。
軍政は選挙前の八九年から断続的にNLD書記長のスー・チーさんを自宅軟禁し、現在も二〇〇三年五月以来の軟禁が続いています。スー・チーさんの軟禁と身柄拘束は通算十一年を超えています。
批判を強める国際社会に対して軍政は、二〇〇三年八月に民主化ロードマップを発表し、憲法の基本原則をまとめる「国民会議」の開催、新憲法国民投票、総選挙など実施していくとしてきました。
「国民会議」は長期休会を繰り返し十四年以上を費やして今月三日閉幕しました。しかし合意された憲法基本原則は、軍の指導的役割を保証し、正副大統領三人のうち一人を軍が選出、議会定数の四分の一は軍が任命する、という内容となりました。
ミャンマーの国民には、そもそも軍政が総選挙結果を拒否し、民政移管の約束をほごにしていることに根本的な不満がある上、経済の遅滞や生活環境の悪化、市民、活動家の相次ぐ逮捕・弾圧などで軍政への不満がさらに高まっているとみられます。
「民主化プロセス」の一段階である国民会議閉幕と同時期に、八八年の民主化運動以来最大規模の反軍政運動が高まっているのは、国民の強い不満の現れだととれます。
ミャンマーはおよそ五千万人の人口の約90%が仏教徒で、僧侶は国民の尊敬を受けています。
軍政が二十四日に対抗措置をとるとの警告を出したにもかかわらずその後も僧侶主導の大規模なデモが行われ、軍政と僧侶、市民の対立構造は深まっています。
(井上歩)
(『しんぶん赤旗』2007.09.27.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
.
(2007年10月07日06:31)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自衛隊国民監視を提訴
全国で初 “国家的な不法行為” 仙台地裁
自衛隊の国民監視活動は憲法違反として監視と情報収集の中止を求めて仙台市内の市民が五日、仙台地裁に提訴しました。
日本共産党が六月に自衛隊の内部文書を公表して以来、監視活動の違法性を問う裁判は全国で初めてです。
原告は写真家の後藤東陽、宮城学院大学元学長の山形孝夫、仙台YWCA前会長の戸枝慶、小野寺義象弁護士の四氏です。
陸上自衛隊東北方面情報保全隊が二〇〇四年一月から二月にかけて、仙台市内で開かれた自衛隊イラク派兵反対の集会やデモを監視したことが明らかになっています。
集会やデモを主催した団体の代表である後藤氏ら原告の三人は現在、自衛隊イラク派兵差し止めを求める訴訟の原告団です。
仙台高裁で係争中の裁判で監視活動への異議を述べた際に「裁判の趣旨から外れる」とされ、改めて別の訴訟として提訴しました。
記者会見で吉岡和弘弁護士は「監視活動はプライバシー権や肖像権、思想・良心の自由に対する国家的不法行為だ」と話しました。
後藤氏は「監視されていることは不愉快であり不安だ。私は戦時中憲兵に殴られ、腰を悪くした。あの恐ろしい時代を繰り返してはいけない」と提訴に踏み切った思いを語りました。
(『しんぶん赤旗』2007.10.06.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
……これ……
関東(東京地裁)が主戦場?の訴訟が立ち上がる際には
私も原告団に加わらないと駄目かなぁ……?
(監視対象に入ってる……>||||||σ(^_^;)"||||| )
◆コメント◆
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 01:37
(「ビルボ・バギンズ氏」出没地点……(=_=)d )
(いちおうこれでも嫌がらせのつもりなのかね?)
?(ーー;)?
.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自衛隊国民監視を提訴
全国で初 “国家的な不法行為” 仙台地裁
自衛隊の国民監視活動は憲法違反として監視と情報収集の中止を求めて仙台市内の市民が五日、仙台地裁に提訴しました。
日本共産党が六月に自衛隊の内部文書を公表して以来、監視活動の違法性を問う裁判は全国で初めてです。
原告は写真家の後藤東陽、宮城学院大学元学長の山形孝夫、仙台YWCA前会長の戸枝慶、小野寺義象弁護士の四氏です。
陸上自衛隊東北方面情報保全隊が二〇〇四年一月から二月にかけて、仙台市内で開かれた自衛隊イラク派兵反対の集会やデモを監視したことが明らかになっています。
集会やデモを主催した団体の代表である後藤氏ら原告の三人は現在、自衛隊イラク派兵差し止めを求める訴訟の原告団です。
仙台高裁で係争中の裁判で監視活動への異議を述べた際に「裁判の趣旨から外れる」とされ、改めて別の訴訟として提訴しました。
記者会見で吉岡和弘弁護士は「監視活動はプライバシー権や肖像権、思想・良心の自由に対する国家的不法行為だ」と話しました。
後藤氏は「監視されていることは不愉快であり不安だ。私は戦時中憲兵に殴られ、腰を悪くした。あの恐ろしい時代を繰り返してはいけない」と提訴に踏み切った思いを語りました。
(『しんぶん赤旗』2007.10.06.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
……これ……
関東(東京地裁)が主戦場?の訴訟が立ち上がる際には
私も原告団に加わらないと駄目かなぁ……?
(監視対象に入ってる……>||||||σ(^_^;)"||||| )
◆コメント◆
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 01:37
(「ビルボ・バギンズ氏」出没地点……(=_=)d )
(いちおうこれでも嫌がらせのつもりなのかね?)
?(ーー;)?
.
(旧MIXI日記) 署名ご協力のお願い。
2007年10月4日 くたばれ!カイザー(ん)!(旧MIXI日記) アゲイン。
2007年10月4日 くたばれ!カイザー(ん)!(2007年10月04日03:23)
まったくの余談なのだが。
またアホにひっかかった……★(-_-;)>"★
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=23173928&;comment_count=13&comm_id=1612744
思うに私が巻き込まれる「対人トラブル」というやつは、
常にまったくの同一パターンの繰り返しなのであって……
はるあき君が見たら「あ〜ぁ。(また?)」と、
嘆息されて終わってしまうような、
見事なドツボなのである……★
(しかし「ヴォルデモート卿」だけはパターン違いで
「ばかでなし((c)ハインライン)」だと思うので、
なんとか復縁したいと思っているんだけど……ねぇ★)
(どうもまだ「喪中」みたいです★
いつになったら「ごっこ」の続きが読めるやら……)
(^◇^;)”
◆コメント◆
歌いながら大地を歩く 2007年10月04日 03:27
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=22820742&;comment_count=8&comm_id=856839
まぁ怒らしているのは、私か☆(^◇^;)★
山田志門 2007年10月04日 12:48
はるあきさんに限らず、「あ〜ぁ。」だよ。
ま、こういうのを年中行事って言うんだろうな。いかんな、靴下、穴が開いたのばかりになってる・・・。
歌いながら大地を歩く 2007年10月07日 01:29
コメントどうも。
しかしキミは誰だ?
シムリウス……?? どこの陛下? 殿下?
(^_^;)?
歌いながら大地を歩く 2007年10月07日 01:33
>1998年 すすきのでひとっ風呂浴びて大人の階段を上り、
……ほほう……☆ (^^;)
なんだってイキナリ改名してんだ??
.
まったくの余談なのだが。
またアホにひっかかった……★(-_-;)>"★
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=23173928&;comment_count=13&comm_id=1612744
思うに私が巻き込まれる「対人トラブル」というやつは、
常にまったくの同一パターンの繰り返しなのであって……
はるあき君が見たら「あ〜ぁ。(また?)」と、
嘆息されて終わってしまうような、
見事なドツボなのである……★
(しかし「ヴォルデモート卿」だけはパターン違いで
「ばかでなし((c)ハインライン)」だと思うので、
なんとか復縁したいと思っているんだけど……ねぇ★)
(どうもまだ「喪中」みたいです★
いつになったら「ごっこ」の続きが読めるやら……)
(^◇^;)”
◆コメント◆
歌いながら大地を歩く 2007年10月04日 03:27
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=22820742&;comment_count=8&comm_id=856839
まぁ怒らしているのは、私か☆(^◇^;)★
山田志門 2007年10月04日 12:48
はるあきさんに限らず、「あ〜ぁ。」だよ。
ま、こういうのを年中行事って言うんだろうな。いかんな、靴下、穴が開いたのばかりになってる・・・。
歌いながら大地を歩く 2007年10月07日 01:29
コメントどうも。
しかしキミは誰だ?
シムリウス……?? どこの陛下? 殿下?
(^_^;)?
歌いながら大地を歩く 2007年10月07日 01:33
>1998年 すすきのでひとっ風呂浴びて大人の階段を上り、
……ほほう……☆ (^^;)
なんだってイキナリ改名してんだ??
.
(旧MIXI日記) 「ゴールデンバウムは倒れた」
2007年9月28日 くたばれ!カイザー(ん)!(2007年09月28日02:29)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=575239254&;owner_id=935361
「ビバ♪ デモクラシ〜♪」 o(^−^)o
.
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=575239254&;owner_id=935361
「ビバ♪ デモクラシ〜♪」 o(^−^)o
.
(旧MIXI日記) 月影卿へ。
2007年9月20日 くたばれ!カイザー(ん)!(2007年09月20日01:16)
某文書より一部抜粋して無断転載。(^-^)
卿の御尽力の賜。御礼の言葉もございませんぞ!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自治会ニュース(2007年9月)
対□交渉の報告
参加者:
N村、N野、M田(以上、自治会外出)
T木(居室でオンライン参加)
2009年度民間移譲は、9月□議会に
提案されないことになりました。
(中略)
私達は、1年の延期ではなく、職員の総入れ替えを伴う民間移譲は実施しないことを求めて、これからも訴えていかなければなりません。
入居者の人間らしい暮らしを守るため、
民間移譲を阻止するばかりでなく、
園の今後のあり方の検討を、
進めていきましょう!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
!(^^)!!(^^)!!(^^)!!(^^)!!(^^)!!(^^)!
.
某文書より一部抜粋して無断転載。(^-^)
卿の御尽力の賜。御礼の言葉もございませんぞ!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自治会ニュース(2007年9月)
対□交渉の報告
参加者:
N村、N野、M田(以上、自治会外出)
T木(居室でオンライン参加)
2009年度民間移譲は、9月□議会に
提案されないことになりました。
(中略)
私達は、1年の延期ではなく、職員の総入れ替えを伴う民間移譲は実施しないことを求めて、これからも訴えていかなければなりません。
入居者の人間らしい暮らしを守るため、
民間移譲を阻止するばかりでなく、
園の今後のあり方の検討を、
進めていきましょう!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
!(^^)!!(^^)!!(^^)!!(^^)!!(^^)!!(^^)!
.
(旧MIXI日記) 本当の民主主義。
2007年7月15日 くたばれ!カイザー(ん)!(2007年07月15日04:55)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
憲法に息を吹き込む時
ジャーナリスト 堤 未果 さん
今度の選挙は、すごく大事だと思います。
安倍政権が暴走し、よくわからないうちに法案を次々通していく。切り捨てられている人たちの悲鳴が聞こえます。住民税増税には私ものけぞりましたよ。これでどうやって生活していけというのでしょうね。
憲法の問題も争点に出てきました。人権、民主主義、立憲主義は、人類が永い歴史の末に勝ち取った貴い宝物です。日本の憲法は、これを理想的な形であらわしている。これもまた、人類の宝なのです。これが奪われるかもしれないとなって、憲法の価値を改めて考え直している人も多いと思います。
一票は貴い宝物
ところで、憲法はあくまでも紙に書かれたもので、それに息を吹き込む仕事は私たちがやらなければなりません。それによって初めて民主主義が成熟し、憲法も生きてくる。では、一体どうやって息を吹き込むのか。それが選挙だと思うのです。
それも、「まずは選挙に行くことが第一歩」といっていたのでは、もう間に合いません。一票がどれほど重いものか、なぜ重いのか、みんなが一生懸命考えるべき時期ではないでしょうか。
選挙で票を投じる究極の目的は、「選挙への参加」ではなく、自分はどんな未来を望むのか、子や孫にどんな社会を手渡したいのかをイメージし、それを実現していくことです。一票はそのための手段であり、貴い宝物です。
他の人が決める未来のなかで生きるのではなく、私たちが主役となって未来を選び取る。そんなわくわくする選択の機会が選挙だと思います。目の前の現実を見ると無力感を覚えがちですが、日本には、
本当の民主主義
を手にする大きな可能性があると思うのです。
見極める努力を
選挙で票を入れたら終わりではなく、国民と政党、政治家が育てあう関係になることが必要です。選挙が終わればふんぞり返って国民をばかにするような人を選んではいけない。自分たちの声が常に届き、何かあればいつでも駆け込めるような政党と候補者を選ぶことが大事だと思います。
そうした判断は、テレビの流す情報に頼っていてはできません。自分で各政党の政策を調べる、演説を聞きに行くなどの努力が必要でしょう。
アメリカを先例として見ると、「戦争する国」になる前には、格差を広げることと、国家が情報をコントロールすることの二つがまずやられました。日本でも、労働分野の規制緩和や社会保障カットなどによる格差の拡大政策がとられ、共謀罪の制定策動や自衛隊による国民監視など情報統制の動きも出てきています。
「改憲ノー」のスローガンを言うだけでなく、戦争する国づくりにつながるこれらの動きに対しても、きちんと声をあげている政党はどこで、政治家は誰なのか。それを見極めなければならないと思います。
聞き手 坂井 希(「しんぶん赤旗」2007.07.02.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
……ってことで、みなさん!
選挙に行こう!!
TORATONTON 2007年07月15日 18:31
行く予定です。
歌いながら大地を歩く 2007年07月17日 07:25
予定は決定でよろしく。(^_^)v
(ヤン・ウェンリーのように、
「前夜の深酒が過ぎてうっかり寝過ごして」
なんていう恥ずかしいのは、避けましょう☆
期日前投票も、あります。 d(・_・)
.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
憲法に息を吹き込む時
ジャーナリスト 堤 未果 さん
今度の選挙は、すごく大事だと思います。
安倍政権が暴走し、よくわからないうちに法案を次々通していく。切り捨てられている人たちの悲鳴が聞こえます。住民税増税には私ものけぞりましたよ。これでどうやって生活していけというのでしょうね。
憲法の問題も争点に出てきました。人権、民主主義、立憲主義は、人類が永い歴史の末に勝ち取った貴い宝物です。日本の憲法は、これを理想的な形であらわしている。これもまた、人類の宝なのです。これが奪われるかもしれないとなって、憲法の価値を改めて考え直している人も多いと思います。
一票は貴い宝物
ところで、憲法はあくまでも紙に書かれたもので、それに息を吹き込む仕事は私たちがやらなければなりません。それによって初めて民主主義が成熟し、憲法も生きてくる。では、一体どうやって息を吹き込むのか。それが選挙だと思うのです。
それも、「まずは選挙に行くことが第一歩」といっていたのでは、もう間に合いません。一票がどれほど重いものか、なぜ重いのか、みんなが一生懸命考えるべき時期ではないでしょうか。
選挙で票を投じる究極の目的は、「選挙への参加」ではなく、自分はどんな未来を望むのか、子や孫にどんな社会を手渡したいのかをイメージし、それを実現していくことです。一票はそのための手段であり、貴い宝物です。
他の人が決める未来のなかで生きるのではなく、私たちが主役となって未来を選び取る。そんなわくわくする選択の機会が選挙だと思います。目の前の現実を見ると無力感を覚えがちですが、日本には、
本当の民主主義
を手にする大きな可能性があると思うのです。
見極める努力を
選挙で票を入れたら終わりではなく、国民と政党、政治家が育てあう関係になることが必要です。選挙が終わればふんぞり返って国民をばかにするような人を選んではいけない。自分たちの声が常に届き、何かあればいつでも駆け込めるような政党と候補者を選ぶことが大事だと思います。
そうした判断は、テレビの流す情報に頼っていてはできません。自分で各政党の政策を調べる、演説を聞きに行くなどの努力が必要でしょう。
アメリカを先例として見ると、「戦争する国」になる前には、格差を広げることと、国家が情報をコントロールすることの二つがまずやられました。日本でも、労働分野の規制緩和や社会保障カットなどによる格差の拡大政策がとられ、共謀罪の制定策動や自衛隊による国民監視など情報統制の動きも出てきています。
「改憲ノー」のスローガンを言うだけでなく、戦争する国づくりにつながるこれらの動きに対しても、きちんと声をあげている政党はどこで、政治家は誰なのか。それを見極めなければならないと思います。
聞き手 坂井 希(「しんぶん赤旗」2007.07.02.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
……ってことで、みなさん!
選挙に行こう!!
TORATONTON 2007年07月15日 18:31
行く予定です。
歌いながら大地を歩く 2007年07月17日 07:25
予定は決定でよろしく。(^_^)v
(ヤン・ウェンリーのように、
「前夜の深酒が過ぎてうっかり寝過ごして」
なんていう恥ずかしいのは、避けましょう☆
期日前投票も、あります。 d(・_・)
.
(旧MIXI日記) 民主主義に参拝!
2007年7月15日 くたばれ!カイザー(ん)!(2007年07月15日03:06)
選挙です。
告示です。
法定チラシ(1号)です。
今回は、年金世代の古株党員の皆さんが、
ミョウ〜に気合いが入りまくって(^^;)
いらっさるので、
告示当日のポスター貼りとかの
人手は足りていたらしく、
その点での「強制動員」は、
まぬがれたのだが……
運悪く、私と同じくらいの剣客、いや健脚の、
ポスティング要員が体調を崩してしまい……
告示の後、台風の前の2日間で、
その人の担当地域と合わせて、1050枚の!!
「法定チラシ」(1号)を配りきるのは……、
さすがの私でも、疲れました……(^◇^;)"
みなさん!
みなさんの税金から一方的に「政党助成金」を
吸い上げて乱費している他党は知らず、
貧乏庶民の集合体なうちの党の選挙のチラシは、
みんな、党員とか準党員(赤旗読者)とかが、
手弁当で、靴をすり減らして、
汗をかいて、(もちろん、無給で!)
ポスティングしてるんですよ〜!! (^^;)""""
どうか、捨てる前に、いま一度、
じっくりと目を、通してやって下さいね……!!
(^_^;)(^_^;)(^_^;)(^_^;)(^_^;)""
.
選挙です。
告示です。
法定チラシ(1号)です。
今回は、年金世代の古株党員の皆さんが、
ミョウ〜に気合いが入りまくって(^^;)
いらっさるので、
告示当日のポスター貼りとかの
人手は足りていたらしく、
その点での「強制動員」は、
まぬがれたのだが……
運悪く、私と同じくらいの剣客、いや健脚の、
ポスティング要員が体調を崩してしまい……
告示の後、台風の前の2日間で、
その人の担当地域と合わせて、1050枚の!!
「法定チラシ」(1号)を配りきるのは……、
さすがの私でも、疲れました……(^◇^;)"
みなさん!
みなさんの税金から一方的に「政党助成金」を
吸い上げて乱費している他党は知らず、
貧乏庶民の集合体なうちの党の選挙のチラシは、
みんな、党員とか準党員(赤旗読者)とかが、
手弁当で、靴をすり減らして、
汗をかいて、(もちろん、無給で!)
ポスティングしてるんですよ〜!! (^^;)""""
どうか、捨てる前に、いま一度、
じっくりと目を、通してやって下さいね……!!
(^_^;)(^_^;)(^_^;)(^_^;)(^_^;)""
.
(旧MIXI日記) 民主主義とは何ですか?
2007年6月27日 くたばれ!カイザー(ん)!(2007年06月27日04:05)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
民主化20年の韓国(7)
遺志を継ぐ父と母
六月民主抗争は二人の大学生の死とともに韓国人の記憶に刻まれています。一九八七年一月十四日に警察の拷問で亡くなったソウル大学生・朴鐘哲さん=当時(21)=と、六月九日に催涙弾の玉激を後頭部に受け重体となり七月五日に亡くなった延世大学生・李韓烈さん=当時(20)。
釜山に住んでいた朴さんの父・朴正基さん(79)は、警察関係者から「息子さんのことでソウルに来てほしい」と言われたとき、こう覚悟したといいます。「学生運動がうまくいかないので、北朝鮮にわたったのか」
いま正基さんは「いっそ北朝鮮にいてくれたほうがよかった」と思うことがあります。「せめて生きていれば、南北離散家族の再会事業で会えるじゃないか。ニュースを見るたびに、胸がしめつけられる思いだ」
光州近郊が故郷の李さんの母・斐恩深さん(69)は「二十年前に韓烈のようにデモをしていた人が国会議員や大統領になった。でも、民主化運動家を苦しめた国家保安法がまだあるのは理解できない」と言います。
世 の 中 変 革
朴さんも斐さんも息子の死後、民主化実践家族運動協議会(民家協)の会員として活動に献身してきました。
二人は九八年十月から九九年十二月まで、国会前で四百二十二日間に及ぶ座り込み闘争を続けます。要求は、民主化運動活動家の死亡事件の真相究明法制定、国家保安法の廃止、民主化運動犠牲者への補償法制定。国家保安法廃止以外は実現させました。
「鐘哲を返せ、と叫ぶのは意味がない。力の強い者だけが繁栄し、力のない者が踏みにじられる世の中を変えること、これが民主化の精神を受け継ぐことであり、生き残った者の役目だ」と朴正基さんは自分を奮い立たせてきました。
記 念 館 開 館
延世大学近くに二〇〇五年、市民の募金で李韓烈記念館が開館しました。記念館は、政府と自治体が運営資金を出す法人「民主化運動記念事業会」が主催する小学生向け「民主主義体験学習」コースの一部です。
民主主義とは何ですか?
この質問に対する答えを、小学生は思い思いの絵と文章で記念館に置いていきます。民主主義とは、鳥、虹、愛と平和、私たちが主人になること、平等−。(ソウル=面川誠)
(おわり)
(「しんぶん赤旗」2007.06.20.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
民主化20年の韓国(7)
遺志を継ぐ父と母
六月民主抗争は二人の大学生の死とともに韓国人の記憶に刻まれています。一九八七年一月十四日に警察の拷問で亡くなったソウル大学生・朴鐘哲さん=当時(21)=と、六月九日に催涙弾の玉激を後頭部に受け重体となり七月五日に亡くなった延世大学生・李韓烈さん=当時(20)。
釜山に住んでいた朴さんの父・朴正基さん(79)は、警察関係者から「息子さんのことでソウルに来てほしい」と言われたとき、こう覚悟したといいます。「学生運動がうまくいかないので、北朝鮮にわたったのか」
いま正基さんは「いっそ北朝鮮にいてくれたほうがよかった」と思うことがあります。「せめて生きていれば、南北離散家族の再会事業で会えるじゃないか。ニュースを見るたびに、胸がしめつけられる思いだ」
光州近郊が故郷の李さんの母・斐恩深さん(69)は「二十年前に韓烈のようにデモをしていた人が国会議員や大統領になった。でも、民主化運動家を苦しめた国家保安法がまだあるのは理解できない」と言います。
世 の 中 変 革
朴さんも斐さんも息子の死後、民主化実践家族運動協議会(民家協)の会員として活動に献身してきました。
二人は九八年十月から九九年十二月まで、国会前で四百二十二日間に及ぶ座り込み闘争を続けます。要求は、民主化運動活動家の死亡事件の真相究明法制定、国家保安法の廃止、民主化運動犠牲者への補償法制定。国家保安法廃止以外は実現させました。
「鐘哲を返せ、と叫ぶのは意味がない。力の強い者だけが繁栄し、力のない者が踏みにじられる世の中を変えること、これが民主化の精神を受け継ぐことであり、生き残った者の役目だ」と朴正基さんは自分を奮い立たせてきました。
記 念 館 開 館
延世大学近くに二〇〇五年、市民の募金で李韓烈記念館が開館しました。記念館は、政府と自治体が運営資金を出す法人「民主化運動記念事業会」が主催する小学生向け「民主主義体験学習」コースの一部です。
民主主義とは何ですか?
この質問に対する答えを、小学生は思い思いの絵と文章で記念館に置いていきます。民主主義とは、鳥、虹、愛と平和、私たちが主人になること、平等−。(ソウル=面川誠)
(おわり)
(「しんぶん赤旗」2007.06.20.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
.
(旧MIXI日記) 労働者は監視、統制の対象でした。
2007年6月23日 くたばれ!カイザー(ん)!(2007年06月23日04:43)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
民主化20年の韓国(6)
労働運動 新たな出発
独裁政権が民主化を受け入れたことで、爆発的な労働運動が起きました。一九八七年七−九月の「労働者大闘争」です。
慶尚南道の蔚山市にある現代グループ企業の労組結成とストライキを契機に、たたかいは慶尚南道一帯の大企業に拡大します。八月二十二日に大宇造船工場の労働者が催涙弾の直撃で死亡した事件をきっかけに、たたかいは首都圏に拡散、中小企業やホワイトカラー労働者にも広がりました。
労組数は八六年の二千六百七十五から四千百三に急増。スト件数は七−九月の三カ月で三千三百四十一に達し、約百二十三万人の労働者が参加したと推計されています。
要 求 が 噴 出
賃金を上げろ、長時間労働を強いるな、労組結成を妨害するな…。さまざまな要求が一挙に噴出しました。八九年、法定の週労働時間が四十八時間から四十四時間に短縮されます。
民主労働党の国会議員・千永世氏(63)は当時、韓国労働教育協議会で運動の支援にあたりました。「労働者は監視、統制の対象でした。人間らしく生きたい、という願いがたたかいの力。六月民主抗争は知識層主導の政治的な自由権獲得のたたかいだったが、それが労働者による社会権獲得のたたかいに発展した」
機 械 で な い
千氏は「たたかう労働運動の歴史は全泰壹の焼身自殺にさかのぼる」といいます。七〇年にソウルの零細企業労働者・全泰壹が、職場での運動の末に抗議の焼身自殺をし、大学生や知識層に衝撃を与えます。火だるまの全が叫んだ言葉は
「労働者は機械ではない」。
民主労働党の機関紙委員長・李尚?氏(47)は八七年当時、労働運動支援のためにソウルの中小企業の工場に「就職」していました。「労働者大闘争は労働運動の新しい出発点を築いたと思う」と自負しています。
労働者大闘争に参加した労組が中心となり、九五年に全国民主労働組合総連盟(民主労総)が結成されます。既存の韓国労働組合総連盟(韓国労総)と民主労総は現在、それぞれ約七十五万人の勢力です。
韓国労総と民主労総はここ数年、非正規労働者対策を最重要課題の一つとして要求。二〇〇六年に派遣期間が二年を超えた非正規労働者の雇用継続を企業に義務付ける法律が制定されました。
「貧富の差は拡大し、
雇用は不安定になっている。」
社会権向上のたたかいは、まだまだこれからだ」と李氏は言います。(ソウル=面川誠)
(「しんぶん赤旗」2007.06.19.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
民主化20年の韓国(6)
労働運動 新たな出発
独裁政権が民主化を受け入れたことで、爆発的な労働運動が起きました。一九八七年七−九月の「労働者大闘争」です。
慶尚南道の蔚山市にある現代グループ企業の労組結成とストライキを契機に、たたかいは慶尚南道一帯の大企業に拡大します。八月二十二日に大宇造船工場の労働者が催涙弾の直撃で死亡した事件をきっかけに、たたかいは首都圏に拡散、中小企業やホワイトカラー労働者にも広がりました。
労組数は八六年の二千六百七十五から四千百三に急増。スト件数は七−九月の三カ月で三千三百四十一に達し、約百二十三万人の労働者が参加したと推計されています。
要 求 が 噴 出
賃金を上げろ、長時間労働を強いるな、労組結成を妨害するな…。さまざまな要求が一挙に噴出しました。八九年、法定の週労働時間が四十八時間から四十四時間に短縮されます。
民主労働党の国会議員・千永世氏(63)は当時、韓国労働教育協議会で運動の支援にあたりました。「労働者は監視、統制の対象でした。人間らしく生きたい、という願いがたたかいの力。六月民主抗争は知識層主導の政治的な自由権獲得のたたかいだったが、それが労働者による社会権獲得のたたかいに発展した」
機 械 で な い
千氏は「たたかう労働運動の歴史は全泰壹の焼身自殺にさかのぼる」といいます。七〇年にソウルの零細企業労働者・全泰壹が、職場での運動の末に抗議の焼身自殺をし、大学生や知識層に衝撃を与えます。火だるまの全が叫んだ言葉は
「労働者は機械ではない」。
民主労働党の機関紙委員長・李尚?氏(47)は八七年当時、労働運動支援のためにソウルの中小企業の工場に「就職」していました。「労働者大闘争は労働運動の新しい出発点を築いたと思う」と自負しています。
労働者大闘争に参加した労組が中心となり、九五年に全国民主労働組合総連盟(民主労総)が結成されます。既存の韓国労働組合総連盟(韓国労総)と民主労総は現在、それぞれ約七十五万人の勢力です。
韓国労総と民主労総はここ数年、非正規労働者対策を最重要課題の一つとして要求。二〇〇六年に派遣期間が二年を超えた非正規労働者の雇用継続を企業に義務付ける法律が制定されました。
「貧富の差は拡大し、
雇用は不安定になっている。」
社会権向上のたたかいは、まだまだこれからだ」と李氏は言います。(ソウル=面川誠)
(「しんぶん赤旗」2007.06.19.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
.
(2014.04.19.転記)
「あと10分ある!!」
http://85358.diarynote.jp/201404190855546112/
「あと10分ある!!」
http://85358.diarynote.jp/201404190855546112/
ウルグアイ
国家テロ繰り返さぬ
軍政の過ち顧みる初の式典
南米ウルグアイで19日、「二度と繰り返さない」と名付けられた初の式典が首都モンテビデオの独立広場で行われました。
軍政時代の国家テロと暴力の過ちを国民的にふりかえる日としてバスケス大統領が定めたもので、保守系の政党関係者や軍司令官を含め数千人が参加しました。
この日は、建国の父とあがめられているアルティガス将軍の生誕記念日(祝日)です。
同国では軍事政権時代(1973~85年)に多くの左翼・労働組合活動家が弾圧され、150人以上が行方不明になりました。
虐殺や拷問にかかわった軍人は民政移管後に成立した恩赦法で追及を免れています。
バスケス大統領は恩赦法を継続する立場ですが、行方不明者の捜索などについては軍の敷地にも立ち入るなど調査を強めています。
最近では、共産党員と判明した二人の遺骨が発見されました。
一方、政権を担う左翼統一戦線の中には恩赦法の廃止を求める声があります。
この日の「二度と繰り返さない」についても、犯罪をうやむやにするものだとして与党の一部は式典に参加しませんでした。
「逮捕・行方不明者の母と家族の会」や同国唯一の全国労働センター、労働総同盟(略)も欠席しました。(略)
【メキシコ市=松島良尚】
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2007.06.22.)
(旧MIXI日記) 歴史問題が持つ意味
2007年6月22日 くたばれ!カイザー(ん)!(2007年06月22日02:23)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
民主化20年の韓国(5)
日本見る視点 多様化
「民主化は日韓関係のなかで植民地支配や侵略戦争といった歴史問題が持つ意味を変えた」
こう指摘するのは、ソウル市立大学の郭在貞教授(55)です。日韓首脳の合意で設置された歴史研究共同委員会(第一期、二〇〇二−〇五年)の委員を務めました。
変 化 に 鈍 感
「情報も人の往来も増え、韓国人が日本を見る視点は多様になったが、いまだに日本政府は『韓国は反日』という偏見にとらわれている。韓国の変化に鈍感なようだ。独り善がりな『美しい国』ではなく、尊敬される『美しい国』をつくってほしいと語ります。
軍事独裁下で死刑判決を受けた金大中氏(80)は一九九八年に大統領に就任、日本との友好関係を追求します。その象徴が、厳しく規制されていた日本の映画、アニメ、音楽など大衆文化の開放政策。日韓は二〇〇二年のサッカーW杯共同開催を控えていました。
開放政策を任された政府諮問機関「韓日文化交流政策諮問委員会」の委員長を務めた池明観氏(82)は九八年、「軍事政権のように歴史問題を国民の目を外にそらす道具として利用しない。朴正熙独裁政権が国民を弾圧して強行した国交正常化後の日韓関係が『六五年体制』なら、これからは『二〇〇二年体制』だ」と語っています。
金大統領は二〇〇〇年、ノーベル平和賞を受賞しました。授賞理由の一つは「韓国と近隣諸国、特に日本との和解のために活動した」ことでした。
靖 国 参 拝 で
しかし、侵略戦争と植民地支配を正統化する「新しい歴史教科書をつくる会」主導の教科書の検定合格、小泉純一郎首相の靖国神社参拝で日韓関係は冷却化します。
五月二十、二十一の両日、ソウルで第八回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議が開かれ、「慰安婦」動員に「狭義の強制性はなかった」と強弁する安倍晋三首相への非難が相次ぎました。
九〇年の発足以来、「慰安婦」問題解決の先頭に立ってきた韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会の常任代表・尹美香氏(42)は、学生運動時代から女性人権問題に関心を持っていました。
「民主化は多くの虐げられた人々に声を上げる勇気を与えた。外国の市民とともにたたかう道も開いた。三十カ国の市民や専門家が参加して『慰安婦』問題を追求した二〇〇〇年の『女性国際戦犯法廷』は、その大きな成果だ」
(ソウル=面川誠)
(「しんぶん赤旗」2007.06.18.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆コメント◆
バグダッシュ大佐 2007年06月22日 02:53
こっちの問題については元社会科の教員として口を閉ざします。
でも、2002年の日韓共催のワールドカップの時、
準備段階で忙しかったのにあの問題のおかげで
事務レベルの協議まで止まったんですよね。
いいとばっちりでしたなぁ。
歌いながら大地を歩く 2007年06月22日 03:03
>元社会科の教員として
……えぇ?! 一体いくつ職を転々としてるんだい?!
!(@_@)! (……おもわず「提督」口調に……☆)
(^^;)"
>日本との友好関係を追求します。その象徴が、厳しく規制されていた日本の映画、アニメ、音楽など大衆文化の開放政策。
なにはともあれこれのおかげで
「ビン@マリノ准将」と、
知り合えたわけだよ♪ (^_^)v
ビバ! サブカルチャ〜♪ o(^−^)o
.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
民主化20年の韓国(5)
日本見る視点 多様化
「民主化は日韓関係のなかで植民地支配や侵略戦争といった歴史問題が持つ意味を変えた」
こう指摘するのは、ソウル市立大学の郭在貞教授(55)です。日韓首脳の合意で設置された歴史研究共同委員会(第一期、二〇〇二−〇五年)の委員を務めました。
変 化 に 鈍 感
「情報も人の往来も増え、韓国人が日本を見る視点は多様になったが、いまだに日本政府は『韓国は反日』という偏見にとらわれている。韓国の変化に鈍感なようだ。独り善がりな『美しい国』ではなく、尊敬される『美しい国』をつくってほしいと語ります。
軍事独裁下で死刑判決を受けた金大中氏(80)は一九九八年に大統領に就任、日本との友好関係を追求します。その象徴が、厳しく規制されていた日本の映画、アニメ、音楽など大衆文化の開放政策。日韓は二〇〇二年のサッカーW杯共同開催を控えていました。
開放政策を任された政府諮問機関「韓日文化交流政策諮問委員会」の委員長を務めた池明観氏(82)は九八年、「軍事政権のように歴史問題を国民の目を外にそらす道具として利用しない。朴正熙独裁政権が国民を弾圧して強行した国交正常化後の日韓関係が『六五年体制』なら、これからは『二〇〇二年体制』だ」と語っています。
金大統領は二〇〇〇年、ノーベル平和賞を受賞しました。授賞理由の一つは「韓国と近隣諸国、特に日本との和解のために活動した」ことでした。
靖 国 参 拝 で
しかし、侵略戦争と植民地支配を正統化する「新しい歴史教科書をつくる会」主導の教科書の検定合格、小泉純一郎首相の靖国神社参拝で日韓関係は冷却化します。
五月二十、二十一の両日、ソウルで第八回日本軍「慰安婦」問題アジア連帯会議が開かれ、「慰安婦」動員に「狭義の強制性はなかった」と強弁する安倍晋三首相への非難が相次ぎました。
九〇年の発足以来、「慰安婦」問題解決の先頭に立ってきた韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会の常任代表・尹美香氏(42)は、学生運動時代から女性人権問題に関心を持っていました。
「民主化は多くの虐げられた人々に声を上げる勇気を与えた。外国の市民とともにたたかう道も開いた。三十カ国の市民や専門家が参加して『慰安婦』問題を追求した二〇〇〇年の『女性国際戦犯法廷』は、その大きな成果だ」
(ソウル=面川誠)
(「しんぶん赤旗」2007.06.18.)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆コメント◆
バグダッシュ大佐 2007年06月22日 02:53
こっちの問題については元社会科の教員として口を閉ざします。
でも、2002年の日韓共催のワールドカップの時、
準備段階で忙しかったのにあの問題のおかげで
事務レベルの協議まで止まったんですよね。
いいとばっちりでしたなぁ。
歌いながら大地を歩く 2007年06月22日 03:03
>元社会科の教員として
……えぇ?! 一体いくつ職を転々としてるんだい?!
!(@_@)! (……おもわず「提督」口調に……☆)
(^^;)"
>日本との友好関係を追求します。その象徴が、厳しく規制されていた日本の映画、アニメ、音楽など大衆文化の開放政策。
なにはともあれこれのおかげで
「ビン@マリノ准将」と、
知り合えたわけだよ♪ (^_^)v
ビバ! サブカルチャ〜♪ o(^−^)o
.