1990.12.26.
◎ 神話および文化
この世の究極のありようは「誰かたちがお互いに見続ける "夢" の永久連環だ」とする彼らの世界観は、象徴的に、無数の花びら形からなる緑色の輪二重環によって示される。
その全体の投影である諸相は、六元素のうちの「何かひとつが足りない」ことによって、人の魂に見えてくるのだと言う。
例えば、惑星《緑》に存在するのは、火・水・風・土・時・生の五元素で、残りのひとつ、 "無" が足りない。宇宙には、無は豊富にあるが、生が足りない。というように。
すべてのものの引き合う中心にこそ完全なるものは在り、魂は彗星のような軌道を描いて繰り返し "欠けたる部分" を旅することによって自らを高めてゆくのだ、というのが彼らの哲学である。
無が足りない惑星《緑》上の残る五つの元素には、それぞれ男女の性別を付与された一対ずつの神格がある。太陽神ハ=ライ(男性形)と陽光神ハ=ラエ(女性形)、大河の精スウェンナ=ラー(女性)、大気中の雨・霧などを司り "水主" と呼ばれるスウェンザ(男性)など、おのおのの元素のかたち(象)として目に見える側面と、捉え難い側面とを表わしており、また対者となる互いの間柄も、夫妻・兄妹・親友といった、人間関係の各要素を示している。
《緑》の南半球における気象と水量は、彼らが "在郷" の象徴とする大河を形成するには条件が厳し過ぎた。代用として彼らは、大河の精スウェンナ・ラーの瞳を形どった《碧湖》を造成し、その四囲に首都イェラクシャバ・ランパッカッパブ(⇒イェラック(緑)+シャブ・ア(一族の)+ランプ・ア・カプ・アブ(祭り/市日の場)を定めた。
乾期には《祭市》の全体を天蓋で覆って湿度を一定に保つ。その間、限られた空間に暮らすのは妊婦と新生児、老病者などや、その世話に居残った者と、千人足らずの都市定住者(行政・通信要員、学者・教本作成官、神祇官、その形式上の衛士など)のみである。
雨期の訪れと共に天蓋は外され、惑星最大の貯水槽である《碧湖》に水が満ちる頃。放牧獣の出産と野生の砂漠豆の収穫を終えた一族すべての者が《祭市》に帰って来る。
祝祭の始まりである。
湖を囲む盆地一杯に夜営する者たちは、《祭市》の環状路すべてで開かれる交易市や歌舞などの催しものに連日でかけてゆく。《碧湖》の中央には巨大な屋形が設営され、湖面一帯にすべての小舟が引き並べられて回廊よろしく固定される。
屋形では朝夕に各支族の連舞が奉納されるが、昼間は唯一の行政・司法機関である長老会議が開催される。長老会議での発言権は、一定の年齢に達した者あるいは二人以上の孫を持つ者に与えられ、挙手権は成人の式を終えた者あるいはその以前に婚姻して子を持つ夫妻に与えられる。
その他の者は傍聴し、拍手や野次によって意見を表明する権利を認められているが、長老会議に先立つ支族会議でおおむねは吸収・調整されているので、よほどの問題でない限り、年少者は婚姻の相手を探すことに気をとられていて会議の場へはやって来ない。
婚姻もしくは養子縁組による転籍は、同時に職業の選択をも意味している。
最多数派である《緑》と都市定住者である《白》および《黒》、極冠氷の切り出しと運搬に携わる《青》、などは互いに全く異なる生活形態を有しているが、幼少児には《祭市》内で共に教育を受けること、また婚姻が早く、適応力が最も高い時期に転籍が行なわれる事などから、各支族間での交流は比較的円滑に行なわれている。
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コメント
ぅわッ!(@@;)!
この単語!ここに存ったかぁ~~~~ッ!!!!