窓辺のつららの最後のひと滴(しずく)が地面に消え。

 野火が走り、緑が萌え。

 つぼみがひらき、鳥は巣をつくる。

 気のはやい花びらがその年の最初の収穫に姿をかえる頃。

 そうして高原は初夏を迎える。

「海が見たいのです。」

 ある日彼女がそう告げるのを、T.K.はそのずっと前から知っていたような気がした。

「連れて行って下さいますか。」

 冬の間に彼女の出した手紙は春のはじめに小包になって戻って来ていた。ちょっとしたおもちゃや、菓子、とりたてて必要とはしないけれど、あれば重宝なといった日用品。小間もの。それら本当にちょっとした使者たちは折をみてはさりげなく配られて、木箱の中の名簿にもすでにすっかりチェックがついてしまった。

 彼女は旅人なのだ。

 その朝のうちにT.K.は馬車を仕立て、宿屋に2度、泊まって、3日目の早朝に砂浜に寄せる波を見た。堤防の上の土の道に降りて、モイラはずいぶん長いことそこから動かなかった。

 岬も入り江も岩礁も島影も、なんにもない、ただ青一面の海。

 その彼方から風が吹く。風は言葉だ。彼女はじっと立って白雲の語る物語に耳をかたむけていた。

 やがて群青の世界を一匹の蝶が渡ってくる。

 その白い昆虫は風になびく漆黒のモイラの髪に捕えられて、モイラの手の平の中で風変りな型に折り畳まれた一通の手紙に変わった。

 モイラはそれを読み、そして再び風に流すと、もう山の端を越えて行く一対の羽を追うことはせず、目でT.K.をうながして道の背後の土手に腰をおろした。

 すこし海原が遠のく。



 



https://www.youtube.com/watch?v=uzZRdjXd2qw
Roxette - Stars


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