前項+前々項参照。
語ゼミ。(--;)いや、
誤セミ……。

>「セミだったようですね」。
 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1418759129
[元は『アリとセミ』だったが、セミは熱帯・亜熱帯に生息し、地中海沿岸を除くヨーロッパではあまりなじみが無い昆虫のため、ギリシアからアルプス以北に伝えられる翻訳過程で改編された。日本に伝わった寓話はアルプス以北からのものであるため、日本では『アリとキリギリス』で広まっている。英語では、The Ant and the Grasshopper、The Grasshopper and the Ant、The Grasshopper and the Antsなどと表記される。]

蝉だったようですね^^

作者はイソップです。ギリシャの人ですね^^

[アイソーポス(ギリシア語: Αἴσωπος、紀元前619年 - 紀元前564年ごろ)は、古代ギリシアの寓話作家。奴隷だったと伝えられる。日本では英語読みのイソップ (Æsop, Aesop) という名で知られる。]


あらすじ[編集]

夏の間、アリたちは冬の食料を蓄えるために働き続け、キリギリスはバイオリンを弾き、歌を歌って過ごす。やがて冬が来て、キリギリスは食べ物を探すが見つからず、最後にアリたちに乞い、食べ物を分けてもらおうとするが、アリは「夏には歌っていたんだから、冬には踊ったらどうだい?」と食べ物を分けることを拒否し、キリギリスは飢え死んでしまう。

一方で、アリが慈悲心(哀れみの心)をもって食べ物を分けてあげるという改変が古くからある。食べ物を分けることを拒否し、キリギリスが飢え死のでは残酷だというので、アリは食べ物を恵み、「私は、夏にせっせと働いていた時、あなたに笑われたアリです。あなたは遊び呆けて何のそなえもしなかったから、こうなったのですよ」とキリギリスに告げ、それを機にキリギリスは心を入れ替えて働くようになるなどという展開に改変される場合もある。

この展開での現代ものでよく知られた作品としては、1934年にウォルト・ディズニーがシリー・シンフォニーシリーズの一品として制作した短編映画がある。この作品では、当時ニューディール政策により社会保障制度の導入を進めていたフランクリン・ルーズベルト政権への政治的配慮から、アリが食べ物を分けてあげる代わりにキリギリスがバイオリンを演奏するという結末に改変されている。


>アリが食べ物を分けてあげる代わりに
>キリギリスがバイオリンを演奏するという結末

……このへんを狙ってるんですけどね~☆(^^;)

キューバかウルグアイで、拾ってくれないかなぁ……☆

教訓[編集]

この寓話には二つの寓意がある。一つは、キリギリスのように将来の危機への備えを怠ると、その将来が訪れた時に非常に困ることになるので、アリのように将来の危機の事を常に考え、行動し、準備をしておくのが良いというもの。 二つ目は、アリのように夏にせこせことためこんでいる者というのは、餓死寸前の困窮者にさえ助けの手を差し伸べないほど冷酷で独善的なけちであるのが常だ、というものである。

また功利主義の観点からは、生き物である以上最終的に死は避けられないので、食料蓄積のみで生を終えたアリより、自らの快楽を追及し生を謳歌したキリギリスの方が善とされる[要出典]。


まぁしかし私は、

「今のこの社会は天変地災で滅びる。原発はいつか壊れる。」

「年金なんか、払うだけムダ。」という、

>将来の危機への備え

は、忘れたことがなかったし……

 (^^;)

>アリのように夏にせこせことためこんでいる者というのは、餓死寸前の困窮者にさえ助けの手を差し伸べないほど冷酷で独善的なけちであるのが常だ

……まさに、今の日本社会の貧富の格差の縮図じゃないですか……??

(札幌市「白い死苦」は、
 生活保護拒絶で餓凍死者を出した、
 葬科学怪人どもの巣窟苦ですとも!)

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/cicada/greek.html#Fable114

クソムシ(歌うモノ)上等!(^^;)!


コメント

霧木里守≒畑楽希有(はたら句きあり)
2014年2月23日20:51

貼ってあるDVDは

「踊れないなら、歩けばいいわ!」という

 主人公の名言がお気に入り♪

最新のコメント

日記内を検索