(2013.08.17.入力)
「坂の上の雲」で描かれない歴史
戦争への熱狂に抗した平民社
NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の第3部「激闘完結」編の放映が始まりました。「旅順総攻撃」「二〇三高地」「敵艦見ゆ」「日本海海戦」の4回で、まさに戦争の再現です。
しかし、このドラマからは消し去られてしまった事実があります。
戦争の禁絶を宣言
ロシアと戦争せよという声が高まっていた1903年11月、つぎのように宣言して、ある週刊新聞が創刊されました。
一、われわれは人類の自由を完全にするために平民主義を維持する。
出身の高下、財産の多寡、男女の差別を打破し、一切の圧制束縛を除去することを欲す。
一、われわれは人類が平等の権利をうけるために社会主義を主張する。
生産、分配、交通の機関を社会の共有とし、その経営処理を社会全体のためにすることを要す。
一、われわれは人類が博愛の道を尽くすために平和主義を唱える。
人種の区別、政体の異同を問わず、世界を挙げて軍備を撤去し、戦争を禁絶することを期す。
社会主義者の幸徳秋水と堺利彦が創刊した「平民新聞」です。初版5000部はたちまち売り切れ、3000部を増刷したといいます。
高まる開戦論に対して、彼らは新聞「万朝報」の紙上で非戦論を展開していましたが、同紙が開戦論に転換したため、退社して平民社をつくり、非戦の主張を続けたのです。
口ある限り絶叫す
1904年にはいると、日本とロシアの間には、戦争の危機が迫りました。1月17日付「平民新聞」は、全紙面に戦争反対の記事を掲げ、「吾人は飽くまで戦争を否認す」と主張しました。
戦争は道徳上の罪悪、政治上の害毒、経済上の損失であり、戦争によって社会の正義は破壊されるとして、戦争への熱狂からさめよと、「愛する同胞」に呼びかけました。
しかし、こうした叫びも空しく、2月、日露は開戦しました。
「平民新聞」は、平和を乱した責任は政府にあるが、戦争の災禍を負担するのはすべて平民だとして、今後も、口あり、筆あり、紙ある限り、われわれは戦争反対を絶叫すると、決意を表明しました。
そして、われわれの仲間であるロシアの平民も、きっと同じ立場をとるに違いないとのべたのです。
さらに、「自動機械」となって、人を殺すため、あるいは人に殺されるために戦場に行く兵士に、つぎのように呼びかけました。
諸君の田は荒れ、老親は取り残され、妻子は飢えに泣く。諸君の生還は保障の限りではない。しかし、諸君は行かざるを得ない。行け。行って諸君の職分を尽くせ。
だが、ロシアの兵士も人の子、人の夫、人の父であり、諸君と同じ人類である。どうか彼等に対して残虐な行いのないように。
また、戦争に狂喜する人びとに対しても、戦争が何をもたらすのか、冷水を頭からかけてよく考えよと警告しました。
戦争による膨大な公債は子孫を苦しめ、増税は国民を苦しめ、戦争は軍国主義の跋扈(ばっこ)、軍備の拡張、投機の勃興、物価の騰貴、風俗の堕落をもたらす、というのです。
活動の歴史的意義
3月、「平民新聞」は「与露国社会党書」(露国社会党に与うる書)を発表しました。
諸君とわれっわれは同志であり、断じて戦うべき理由はない。愛国主義と軍国主義は、諸君とわれわれの共通の敵だ。
手紙はこう書いて、敵国ロシアの社会主義者に対して連帯を呼びかけました。
この手紙は英訳されて世界各国の社会党に送られ、大きな反響を呼びました。
ロシア社会民主労働党の新聞「イスクラ」は、これに答える一文を発表して、日本の同志の「一致連合の精神」をたたえました。(略)
平民社の活動に対する当局の妨害・圧迫はきびしく、「平民新聞」もしばしば処罰や発売禁止の対象となりました。
しかし、戦争への熱狂のなかで、敢然とこれに抗した平民社の活動の歴史的な意義はきわめて大きいと言えます。
国家を越えて人類を見つめ、戦争を越えて未来を見すえる
それは、なお私たちの課題でありつづけています。
それこそが、私たちにとっての「坂の上の雲」ではないでしょうか。
大日方 純夫(おびなた・すみお)早稲田大学教授
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2011.12.06.)
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