http://sankei.jp.msn.com/west/west_economy/news/120107/wec12010712000000-n1.htm
美談で済まされぬ「フクシマの英雄たち」
2012.1.7 12:00 (1/4ページ)[編集長オススメ]

福島第1原発で働く東京電力の社員ら原発労働者は、第2原発の体育館で防護服のまま雑魚寝していた=2011年5月(谷川武愛媛大教授提供)
 

作業開始40分後に倒れ…死亡


 「彼らは極限状態にあるにもかかわらず、さらなる大惨事が起きるのを避けようと闘った。義務感や自己犠牲の精神という、日本社会に根付いた価値を示してくれた」。授賞理由にはそうあった。だが、10月21日の授賞式に原発労働者の姿はひとりもなかった。

 東日本大震災による大津波で炉心溶融(メルトダウン)を起こした原子炉は、冷温停止の達成目標が年内に前倒しされたとはいえ、今も「誰か」が放射線に身をさらさなければ、制御できない。

 厚生労働省によると、福島第1原発では毎日約2千人が働き、フクシマの英雄たちは、東京電力の社員と下請け労働者だけで、10月の段階で累計1万9237人にのぼっているというのだ。

 一方でこんな現実もある。3~6月に作業に当たった下請け労働者のうち、341人が一時、所在不明となった。


2012.1.7 12:00 (2/4ページ)[編集長オススメ]

福島第1原発で働く東京電力の社員ら原発労働者は、第2原発の体育館で防護服のまま雑魚寝していた=2011年5月(谷川武愛媛大教授提供)
 「推測にはなるが、労働者たちが過酷さや恐怖のあまり逃げ出した可能性がある」。原発労働に詳しい関西労働者安全センターの事務局次長、片岡明彦(52)はこう指摘する。「無名の労働者たちによる献身という美談で、済まされる話なのだろうか」

 

自然に息さえも…


 真夏の作業。高線量の放射線から原発労働者の身を守った防護服は、代わりに42人を熱中症にした。

 防護服は、微細なポリエチレン繊維を幾層にも重ねた特殊シートが素材で、空気をほとんど通さない。場合によっては厚手の上着や雨がっぱを上から着込み、酸素ボンベ付きの人工呼吸器を背負うこともある。

 暑さに加えて息苦しさも追い打ちをかける。顔面を覆う防護マスクには、放射性物質を吸着する活性炭入りのフィルターが組み込まれているためだ。福島第1を含む原発3カ所で約30年前、下請け労働を体験したフリーライターの堀江邦夫は、著書「原発ジプシー」(現代書館)の中で、その過酷さをこうつづる。「ごく自然に息をすることさえできない-こんな生理的・精神的な苦痛を伴う労働が他にあるだろうか」


死と隣り合わせの重圧


 静岡県御前崎市の配管工、大角信勝=当時(60)=は5月14日、汚染水処理施設の配管設置工事にあたっていたさなか、心筋梗塞で死亡した。雇い主である建設業者の説明は、こうだ。

 深夜に宿舎を出発し、午前3時半、前線基地である「Jヴィレッジ」で防護服に着替えた。その後、約20キロ離れた福島第1原発で朝礼を受け、6時から作業を開始。重さ約50キロの機械を同僚と2人で運ぶ途中、体調不良を訴え意識を失った。6時40分ごろのことだったという。

 構内には当時、医師は常駐しておらず、東電の業務用車両に乗せられJヴィレッジに引き返し、さらに約45キロ先の福島県いわき市内の病院に搬送されたが、すでに倒れてから約2時間40分も経過していた。

 大角は作業2日目に死亡したが、生活は楽ではなく半年前からは建設現場でガス溶接の仕事に当たっており、狭い所に無理な姿勢で潜り込む厳しい作業が続いたことから、毎日のように「しんどい。大変だよ」と妻に漏らしていたという。


 7月13日、妻は労働基準監督署へ労災を申請している。代理人を務める弁護士の大橋昭夫(63)はこう語る。「直前までの負担に加え、死と隣り合わせの環境で緊張を伴い、さらに防護服による蒸し暑さにも耐えようとした。これは、れっきとした過労死だ」

(敬称略)

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