もうひとつ、「みんな頑張っている」記事を……。
 被災者たちの冬
 沿岸部と気温差 戸惑い

 福島・会津若松市
 本紙記者が体験してみると


(略)本格的な積雪の季節を迎えた会津若松市の仮設住宅。同市の(略)応急仮設住宅で避難生活をする日本共産党の石田洋一大熊町議宅で宿泊体験をしました。(略)
 かつて体験をしたことのない苦難を味わっているのは被災者たち。「沿岸部にある大熊町と会津では6度の温度差があります」(略)積雪は3センチ。屋根から伸びた氷柱は30センチ。部屋にはコタツにガスストーブ。
 記者は、もも引きにジャージーの上からズボンを重ね着して、マフラーを首に巻いています。就眠時には毛布3枚に蒲団をかけて眠りました。(略)

(略)仮設住宅に住む(略)さん(77)は、「仮設住宅は本当に粗末なものです。人間が入るものではありません」と断言します。

「財産を投げ出して、『命が大事』と避難してきました。大熊町に住んでいた時には着なかった綿入れをめいが作って贈ってくれました。涙が出ます。脱原発です」と、東京電力福島第1原発事故がもたらした仮設住宅暮らしに怒りを語ります。

(略)「県が借り上げた民間賃貸住宅に住む被災者たちも含めて暖房費の助成が必要ではないか」(略)「大熊町ではストーブを1日中たくことはなかった。朝晩だけだった」(略)

「会津の仮設からいわき市の仮設に引っ越す人がいます。寒さ、会津では仕事がないこと、いわき市の高校進学をめざす子どもの教育のためなどの理由からです。
 きめ細かい、冬を乗り切る対策が求められています」(略)

(菅野尚夫)
(日本共産党 http://wwwjcp.or.jp/
 機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
 2011.12.25.)


>「大熊町ではストーブを1日中たくことはなかった。朝晩だけだった」

 日野のボロ借家での22年間の暮らしでは、私もそうでした……。
 (^^;)

 まぁ、何の因果でこの私が、「気温が低くて放射能が高い」こんなところで越冬するハメになったのかというと……

 神サマに、「せめてあの人たちの苦労の半分なりとも、肩代わりさせて下さい!」とか、考えナシの、「願掛け」を、しちゃったせい(=自己責任?)なんだ、ろうなぁ……☆★

(すくなくとも、安全圏でヌクヌクしながらテレビとか見て「同情しているフリ」だけしているよーな人たちよりは、今の苦労生活を「娯しんで【取材】している」自分のほうが、(自己満足的に)好きである……★☆)

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