(2011.12.12.入力)
*参照
http://85358.diarynote.jp/201111141128174821/
http://85358.diarynote.jp/201112120952008706/
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http://85358.diarynote.jp/201112120952008706/
大地汚した東電許さぬ
日本人初の宇宙飛行士 秋山豊寛さん(略)
1990年、日本人初の宇宙飛行士となり、その後、福島県で有機農業を営んでいた秋山豊寛(とよひろ)さん(68)。
今回の東京電力福島原子力発電所事故で生活を一変させられました。
大地を汚した東電に怒り、「原発ゼロ」への強い思いを語ります。
-16年前、私は放送局を辞め、阿武隈高地の福島県滝根町(現在は田村市)に移り住みました。福島第1原発から32キロメートルのところです。
自給自足をめざし、米と野菜を無農薬でつくり、原木栽培のシイタケを売っていました。
福島での自然の恵みに満ちた私の暮らしは、突然、断ち切られました。
東日本大震災の翌日、「空中からセシウムを検出」というニュースを知って、自宅から避難しました。このときはまだ、すぐに戻れると楽観していたのです。
事故から9カ月たった現在、「原発難民」となり、群馬県の知人の家に身を寄せています。
人と自然を合成化学物質の汚染から守るために有機農業をしてきたのに、もう消費者に「安心して食べてください」とは言えなくなりました。
キノコ類は放射性物質を吸収しやすく、ときに国が定めた暫定規制値を超えるセシウムが検出されることがあります。
田畑や家畜を汚染された農民の怒りがどれほどのものか。
事故後、有機農業者が自殺しました。「原発さえなければ」と書き残して死んだ酪農家もいました。
東京電力や原発を推進してきた政治家への農民の怒りは、いまや「怨念」と化しています。
加害企業である東電には、何十年かかっても、汚染された福島と日本の大地をきれいにする責任があります。
これをあいまいにすることは絶対に許されません。
ところが、現状は県の指導で住民に除染作業をさせ、東電は知らぬ顔です。
原発ゼロへ 政治家 見極めよう
宇宙から見た地球は、青く輝き、ほんとうに美しかった。その地球の汚染が急速に進みました。
私たちの文明、暮らしのあり方を見直したいと思ったのが、「農のある暮らし」を決意した一つの動機でした。
貧しさを大量に生み出し続ける経済成長を優先するのではなく、自然や環境など、お金に換算できない豊かさを大切にする社会こそ、子どもたちには必要なのです。
事故後、政府はできるだけ被害を小さく見せようとしています。それは原発推進政策を続けるためです。
低線量の放射線は危険ではないと宣伝し、子どもたちを疎開させませんでした。
国の現在の除染対策はデタラメです。県にまる投げし、県は市町村にまかせています。こんなことで、安心・安全が得られるはずがありません。
大気中の放射線量は各地で測定されていますが、大地の土壌汚染については、綿密な調査がほとんどやられていません。
田畑の除染作業はたいへん根気のいる作業です。
まして、広大な森林については、恐らく不可能です。
原発はこれどほ自然と人の暮らしを破壊するのです。(略)
原発はなくさなければなりません。そのために私たちは、一人ひとりの政治家を見極めなければなりません。
何を言っているかではなく、何をしているのかがポイントです。
長いたたかいになります。
私はあと30年は生きたいと思っています。セシウム137が半減するまで生きて、事の経過を見届け、日本の自然を破壊し、福島の農家の暮らしをめちゃめえちゃにした東電に一矢報いたい、と考えています。
(聞き手・那須絹江記者)
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2011.12.11.(日曜版)
私はあと50年は生きたいと思っています。……上記のような「生き方をした人たち」の「物語」を書き上げるために……
せいぜい、制ガン能力を高くして、セシウムとストロンチウムとプルトニウムに、対抗し、抵抗し続けたいと思います……
★(--;)★
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