混迷する会津藩を立て直した名宰相/困窮者に産子養育費用を与える政策/「誰も頼る人がおらんとこへ来て、ようがんばっとる」。
2011年3月27日 【 フクシマ 】≒【 地球 】 !!≧( ヒロシマ+ナガサキ )。 コメント (2) 避難関連で。「急ぎじゃないけど、寝る前とか、眠れない時に、読んでほしいもの」まとめてみました。
>南相馬市
……そういえば……
相馬野馬追いの、馬さんたちの安否は……
……(TへT;)……
>後年の玄宰評価と顕彰の歴史に触れている点も見逃せない。
……母方の亡祖父が狂喜乱舞しそうな本だなぁ……w
http://85358.diarynote.jp/201102021232499877/
全避難者 区別なく
党福島県大震災対策本部 県に支援要請
日本共産党福島県大震災対策本部(略)は26日、避難指示・屋内待避、周辺自治体の区別なく全避難者を支援するよう県対策本部に申しいれました。(略)
申し入れでは、避難・在宅を問わず、食料調達やライフラインの確保をはじめ県が責任を果たし、取り残される県民を生まないことを要求。また県負担による旅館やホテルへの避難の対象者を福島第1原発からの距離で差別することなく、避難希望の全体を対象とするよう要請。とくに高齢者・重度心身障害者・乳幼児のいる家庭など、避難所での集団生活が困難な人を急ぐよう求めています。
さらに、
▽民間賃貸住宅の借り上げ、公営住宅の活用、仮設住宅は地域などの選択肢も示し、避難者の意向をくむ
▽緊急小口資金などの情報を避難所に徹底し、生活・労働・住宅などの相談要員を配置する
▽学校校舎をはじめ教育施設の耐震診断の早期実施
▽放射線の影響の情報提供にあたっては影響の全体を理解できるものにする
-を求めています。
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2011.03.27.)
みんなを救って
もとの生活に
東京・神奈川の原発事故避難所(略)
日本共産党の志位和夫委員長は26日、東日本大震災で放射能漏れ事故を起こしている福島第1原発周辺の住民が避難する東京都と川崎市の2施設を訪問。食料など支援物資を届けるとともに被災者の声に耳を傾けました。
被災者からさまざまな悩みや要望が出されました。
都内の味の素スタジアム(調布市)には、福島県いわき市の住民など67世帯180人が避難。家族5人で避難してきた福島県浪江町の女性(47)は「生活費も身分証も持たず避難してきました。津波で家も漁船も失い、この先地元に戻れるか、仕事があるかもわかりません」と、志位氏に訴えました。
女性が、「友人も安否不明ですが、原発の問題があって現地の情報がまったくない。みんなバラバラになってしまった。早くもとの生活に戻りたい」と語ったのに対し、志位氏は、「まずは地域のみなさんの安否がわかるようにするとともに、みなさんが避難所で体をこわさず、もとの生活に戻れるよう、私たちも力をつくします」と励ましました。
川崎市のとどろきアリーナには、原発事故で「避難」や「自主避難」地域などに分かれた南相馬市を中心に1歳から90歳まで107人が避難しており、被災者が、「地震、津波に続き、原発事故と本当にショックです」(略)と口々に窮状を訴えました。
同市のトラック運転手、(略)さん(42)は、「まだ市内にたくさんの人が残っています。政府は原発から20キロ~30キロ圏を『屋内退避』から『自主避難』に変更しましたが、高齢に加え燃料不足で個人レベルでの避難は無理。国は『避難』なら『避難』と早く決めてもらわないと困る。みんなを救ってください」と訴えました。
小学生の子2人を連れて家族で避難してきた(略)さん(39)は、「息子は今度、中学の入学式だったのに、小学校の卒業証書ももらえずショックを受けています。子どものために、よろしくお願いします」と訴えました。
こうした声をうけ志位氏は、「原発問題では危機の収束のために全力をつくすよう求めています。それまでの間、公営住宅、民間住宅の借り上げなども提起して、みなさんが安心して生活できるよう努力したい。復興に向けては、現在、全壊でも300万にとどまっている支援の大幅な引き上げを求めていきたい」と、心を込めて語りかけました。(略)
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2011.03.27.)
>南相馬市
……そういえば……
相馬野馬追いの、馬さんたちの安否は……
……(TへT;)……
定点観読 時代小説
『花ならば花咲かん 会津藩家老・田中玄宰』
中村彰彦 著
困難打開へ 政治家がなすべきことは
江戸中期、貨幣経済の浸透で、幕府も各藩も財政窮乏に陥っていた。会津藩23万石も借入金が雪達磨(だるま)式に増え、すべてが右肩下がりの深刻な様相を呈していた。そんな時期に、混迷する会津藩を立て直した名宰相が存在した。家老・大老として藩政改革に従事した田中三郎兵衛(さぶろべえ)玄宰(はるなか)である。
本書(PHP研究所・1900円)は、困難な状況の中で田中玄宰がいかに考え、行動したかを描き上げた歴史長編。会津藩国家老の家に生まれた玄宰は、筆頭奉行職時代に藩の人口が長期減少傾向にあることに気づき、その一因でもある産子(うぶこ)殺しの悪習を廃するため、困窮者に産子養育費用を与える政策を実施した。
天明元年(1781)に家老職に就任したが、その直後から天明の大飢饉(ききん)に見舞われてしまう。この危機的状況を打開するために、行政・財政・教育・裁判制度の改革に次々と手を打っていく。財政再建、殖産興業、藩風刷新、藩校「日新館」の創設など、知恵と果断と忍耐を傾けて、会津藩の「寛政の改革」を断行し、領民たちを活気づけていった。養蚕業や養鯉(ようり)業はじめ、会津清酒、朝鮮人参(にんじん)、漆器などの殖産興業策では、現場を実地検証して従事者たちの声を聞く、という地道な努力が実っていった。
家老・大老職にあること26年、文化5年(1808)に61歳で逝去するまで、改革の指導者としての玄宰の業績が詳しくとらえられている。後年の玄宰評価と顕彰の歴史に触れている点も見逃せない。
2008年から2年8カ月にわたった連載時、「この作を書きつぐうちに、日本は首相がくるくると変わって景気が悪くなってきました。私は書きながらも、もし田中玄宰がいたらどのような改革をおこなったか、と思うことしきりでした」と作者は「あとがき」の中で記している。
今回の東北・関東大地震と原発事故を体験した現在、こうした首相交替の問題だけではなく、政治家がまずなすべきこと、その為政のありようといったものを深く考えさせる問題作となっている。
(文芸評論家 清原 康正)
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2011.03.27.)
>後年の玄宰評価と顕彰の歴史に触れている点も見逃せない。
……母方の亡祖父が狂喜乱舞しそうな本だなぁ……w
http://85358.diarynote.jp/201102021232499877/
キンカンには
ふるさとの味
(大阪・茨木市(略)看護師 51歳)
八百屋の店先でキンカンをみつけ、買ってみました。久しぶりに口にしたキンカンは思いのほか甘く感じました。
私にとってキンカンはふるさとの味です。事情があって、関西から母の生まれ故郷の鹿児島に移り住んだ私たち家族を、丸ごと支えてくれた“中尾のおばちゃん”が、冬になると庭先の木からかごいっぱい摘んできて、「風邪をひかんごと」と食べさせてくれました。
家族6人を食べさせるために見よう見まねで漁に出て釣果をあげる父をねたむ声が多かったなか、おばちゃんは「誰も頼る人がおらんとこへ来て、ようがんばっとる」と励ましてくれました。
80歳を間近に控え、入退院をくり返しながらも現役で働く父は、今となってはすっかり地元の漁師の顔になりました。その陰には一家の心の支えになっていた“中尾のおばちゃん”の優しさがあったことを、甘くてほろ苦いキンカンを食べながら思い出したのでした。
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2011.03.27.)
コメント
数日前の日記にガスでご飯を炊く赤旗の記事がのっていましたね。
私は母が電気釜を使わなかったので、ずーっとお鍋で炊いています。
ホントどんなお鍋でも炊けますよ。
ここ十年くらいは、子供が大きくなったので、でっかい土鍋を愛用しています。
で、記事に補足です。
土鍋を使うときには。ふたの穴をアルミホイルを詰めてでふさぎましょう。
とろ火10分では底がこげつくかも、私は7分でとめています。
最後の強火は、薄手のなべならパリッと美味しくなる奥の手ですが、五層鍋や土鍋ではやはりなべ底にご飯がこびりついてもったいないことになるので、やっていません。
停電の時にはチャレンジしてみてくださいね。