(てなわけで帰宅しましたので、しつこく続きます……☆)
 「ごめんな、母さん」

 ある夜、息子がいつもより早く帰宅した。今夜の息子はいつもと様子が違う。すぐにそう感じた。彼女とうまくいっていないのかしらと、夕食の支度をしながらそう思ったりした。
 目の前に用意した食事をなかなか食べようとはしない。ようやく食べ始めた表情は、砂をかむように苦しそうに見えた。そして、しぼるような声で重い口を開いた。
「ごめんな、お母さん。ボク、今月で仕事終わりや…」とだけいった。私は “なんで?” “どうして!” と叫んでしまった。
 ようやくめぐりあった仕事で、毎日深夜の帰宅でも、楽しいわと喜々として仕事の話をしてくれていたのに。ようやく自分の将来をつかみかけた矢先だった。
 息子の苦しい胸の内が手に取るようにわかるだけに、なんとか励ましの言葉をかけたかったが、その言葉が見つからなかった。(略)

(奈良県(略)63歳)
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
 機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
 2011.01.13.)


 時の航路 -130-
 第七章 新生 (2)

(略)昨年末にテレビで目にした、「年越し派遣村」のニュースは他人事ではなかった。とりわけ驚いたのは食事を求めて並んだ人の列の中に、女性の後ろ姿を見たことだった。
 幸い由香里には家族がいて、住む場所があった。しかし地方から一人出てきているような人は、寮を追い出されると行き先がない。ごく普通の人が、女であろうと容赦なく放り出されていく。日本というのは、こういう恐ろしい国なんだと、由香里は思い知らされた。
 企業は大根でも切るように簡単に、自分たち派遣を解雇していった。これは、企業の都合よいように、安い給料で黙って働く非正規の人たちを生み出してきた、政治の責任だと思う。
 だが自分らがいくら声を上げても、そこに届くことはないし、魔物のような政治なんて絶対に変わることはない、というのが由香里の認識だった。
 何をやっても変わることがないのなら、かかわっても無駄ではないか。だから信じられない政府に対して、何の行動もしなかったのだ。だが、組合の人たちの考えていることはそうではなかった。(略)

(田島 一)
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
 機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
 2011.01.13.)



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