個人的な事。(--;)★ (つけたり。)
2011年1月11日 家族・子育て コメント (1) ついでだから全部、書いておく★
(--;)★
***************
その姉は私より1歳半の年上で、姉にとって妹である私は生まれた瞬間から「赤ちゃん、じゃま!」な存在だった……
それはさておき。
キツくて性格が悪いので有名だった「姑」から、「初孫」を「女に産んでしまった」ときには、「まぁ、一姫二太郎というし……」と、かろうじてお目こぼしをもらっていた母は、「二番目は当然、男!」という、信じられないぐらい旧態依然とした「期待」を、どかんとかけられていた……。
その母が、「このコは元気だから絶対オトコ!」と信じて産んだ私の、性別が判明してしまった途端、「なんだ、女か……」と、吐き捨てた父は、赤ん坊の顔もみないで、産室を出ていってしまったそうである。
(==#)
それはさておき。
父がそうした行為をおこなった、ということを、なにゆえ、母は、ものごころもつかないような幼少児であった私自身に、繰り返し、しつこくうるさく恨めしく、語り聞かせ続ける、必要が、
あったというのか……
母は、もう毎日、私が小学校から帰って、一生懸命、小さな手で、精一杯の「お手伝い」に励んでいるのに向かって……
語り続けた。
「あんたがおなかに入っちゃったおかげで、離婚できなかったのよ……。
あんたさえいなければ、お姉ちゃん連れて、鎌倉(実家)に帰ろう、って思ってたのに……。」
「あんたが生まれたせいで、熱海の旅館で仲居さんになることもできなくなった。上の子ひとりだけならまだしも、二人もいたら、どこでも雇ってくれない……」
小学校から帰ってきて、一生懸命、洗濯物たたみとかを手伝っている次女に対して、毎日の話題が、ソレ、だったのである……。
(そして、当時出始めたばかりの「主婦業おたすけ便利グッズ」であった洗濯物のスプレーのりが「臭い!」と叫んで逃げた私の顔面めがけて、その洗濯のりのスプレーを、(からになるまで)シューシュー吹きかけて、意味不明に怒り狂ったあげくに、「あんたのせいでスプレー無くなった! 晩ご飯抜き!」とかしていたり、したのであった……)
で。
その、「一姫」と呼ばれて姑のおめこぼしに預かった初孫の長女は、いま考えると実父から性的虐待に遭っていたのではないかという疑いが濃厚なのだが、それはさておき。
長女は、「できがいい」ので、大学受験は「当然」で、「浪人したら大変!」(恥ずかしい!)と、滑り止めまで含めて数校を受けて、(当然、それなりの受験料もつぎ込んで)、あげくのはてに合格してしまった「第二志望」のばか高い私立校に、「無駄になるかもしれないけど」と数十万円の「入学金」を支払い、結局、合格していた第一志望の国立大学に進んだ。
1年遅れの受験となった「要らないコだった問題児」の次女である私に対しては、
父から、「おんなは大学になんか行かなくていい! どうしても行くなら、国公立にしなさい。国立一校分の受験料しか出さない。」と、断言された。しかも、「行くなら教育学部しか認めない」と、北門だ……。
……高校3年生の、2学期の、10月も終わったころの、話である……
私は、中学2年の時から「将来は作家になる!」と周囲にも公言していて、自慢じゃないが、理数系の成績は全滅、私立大学文系専門、合格率はかなり絶望的に低かったけれども、第一志望は「早稲田の文学部♪」という、浪人してでもそこに行って、「作家になるんだ♪」というのが、おおざっぱな野望であった、のんきな娘である……
そして、(当時の受験制度を父はまったく興味もなく知らなかったので仕方がないといえば仕方がないのだが)
高校3年のクラス分けの時点で、国公立受験組と私立文系・理系組は、完全に、カリキュラムが分かれていた。というのに……(*今はどうなのか知らないけど、たぶんそのままでしょう?)
高校3年の2学期の終わりになって、私立文系文学部志望の人間に、「国公立の教育学部しか認めない」って……
母「なに言ってるの! お姉ちゃんだって塾にも行かずに合格したんだから、あんたも頑張りなさい! 教育学部だって国語の勉強はできるでしょう!」
……(--;)……
姉は、私立・国公立、あわせて数校、受験したし、結局無駄になるだけだった「入学金」まで、数十万円も、払ってもらって、いたのに……
「お姉ちゃんの時でお金を使いすぎて、下には男で跡取りである長男の弟がいて、あれは成績が悪いが「男だから」なんとしてでも、どこかの私立大学にでも無理矢理押し込まなければ格好がつかないから、お金がかかるから」
「女のおまえの大学進学につかう金はない。」
……そして、「女のおまえ」にとっては人生一度の晴れ着である、
「成人式の着物」も……
ないので、ある。
(余談にして当然ながら、「雛人形」も、なかった……(--;)★)
まぁこのへんにしておくが。
わたしが、「まともな対人関係」を築けず、「社会人」としてまっとうに振る舞えないのは。
「ふつうにあたりまえに親から愛されたふつうの人たち」を見ては、
「憎い! 不幸になってしまえッッッッッ★」という、妬みと嫉みと内心の葛藤を。
かくしながら、にこにこしているのが、とっても。
つらい、
(からである……☆★)
(そして、「まともな対人関係」が営めない人間が、まともかつ幸福な職場とか家庭とか人生を、手に入れられる可能性は……
ゼロに近い。)
(たぶん、1月2日からの心身の調子が狂っていたのは、ずっと目をそらしたいと逃げ続けていた「ソレ」と……
そろそろ、まともに「向き合わなければならない」時期に、
きている。
から、なんだろぉなぁ……
(~~;)……
(--;)★
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その姉は私より1歳半の年上で、姉にとって妹である私は生まれた瞬間から「赤ちゃん、じゃま!」な存在だった……
それはさておき。
キツくて性格が悪いので有名だった「姑」から、「初孫」を「女に産んでしまった」ときには、「まぁ、一姫二太郎というし……」と、かろうじてお目こぼしをもらっていた母は、「二番目は当然、男!」という、信じられないぐらい旧態依然とした「期待」を、どかんとかけられていた……。
その母が、「このコは元気だから絶対オトコ!」と信じて産んだ私の、性別が判明してしまった途端、「なんだ、女か……」と、吐き捨てた父は、赤ん坊の顔もみないで、産室を出ていってしまったそうである。
(==#)
それはさておき。
父がそうした行為をおこなった、ということを、なにゆえ、母は、ものごころもつかないような幼少児であった私自身に、繰り返し、しつこくうるさく恨めしく、語り聞かせ続ける、必要が、
あったというのか……
母は、もう毎日、私が小学校から帰って、一生懸命、小さな手で、精一杯の「お手伝い」に励んでいるのに向かって……
語り続けた。
「あんたがおなかに入っちゃったおかげで、離婚できなかったのよ……。
あんたさえいなければ、お姉ちゃん連れて、鎌倉(実家)に帰ろう、って思ってたのに……。」
「あんたが生まれたせいで、熱海の旅館で仲居さんになることもできなくなった。上の子ひとりだけならまだしも、二人もいたら、どこでも雇ってくれない……」
小学校から帰ってきて、一生懸命、洗濯物たたみとかを手伝っている次女に対して、毎日の話題が、ソレ、だったのである……。
(そして、当時出始めたばかりの「主婦業おたすけ便利グッズ」であった洗濯物のスプレーのりが「臭い!」と叫んで逃げた私の顔面めがけて、その洗濯のりのスプレーを、(からになるまで)シューシュー吹きかけて、意味不明に怒り狂ったあげくに、「あんたのせいでスプレー無くなった! 晩ご飯抜き!」とかしていたり、したのであった……)
で。
その、「一姫」と呼ばれて姑のおめこぼしに預かった初孫の長女は、いま考えると実父から性的虐待に遭っていたのではないかという疑いが濃厚なのだが、それはさておき。
長女は、「できがいい」ので、大学受験は「当然」で、「浪人したら大変!」(恥ずかしい!)と、滑り止めまで含めて数校を受けて、(当然、それなりの受験料もつぎ込んで)、あげくのはてに合格してしまった「第二志望」のばか高い私立校に、「無駄になるかもしれないけど」と数十万円の「入学金」を支払い、結局、合格していた第一志望の国立大学に進んだ。
1年遅れの受験となった「要らないコだった問題児」の次女である私に対しては、
父から、「おんなは大学になんか行かなくていい! どうしても行くなら、国公立にしなさい。国立一校分の受験料しか出さない。」と、断言された。しかも、「行くなら教育学部しか認めない」と、北門だ……。
……高校3年生の、2学期の、10月も終わったころの、話である……
私は、中学2年の時から「将来は作家になる!」と周囲にも公言していて、自慢じゃないが、理数系の成績は全滅、私立大学文系専門、合格率はかなり絶望的に低かったけれども、第一志望は「早稲田の文学部♪」という、浪人してでもそこに行って、「作家になるんだ♪」というのが、おおざっぱな野望であった、のんきな娘である……
そして、(当時の受験制度を父はまったく興味もなく知らなかったので仕方がないといえば仕方がないのだが)
高校3年のクラス分けの時点で、国公立受験組と私立文系・理系組は、完全に、カリキュラムが分かれていた。というのに……(*今はどうなのか知らないけど、たぶんそのままでしょう?)
高校3年の2学期の終わりになって、私立文系文学部志望の人間に、「国公立の教育学部しか認めない」って……
母「なに言ってるの! お姉ちゃんだって塾にも行かずに合格したんだから、あんたも頑張りなさい! 教育学部だって国語の勉強はできるでしょう!」
……(--;)……
姉は、私立・国公立、あわせて数校、受験したし、結局無駄になるだけだった「入学金」まで、数十万円も、払ってもらって、いたのに……
「お姉ちゃんの時でお金を使いすぎて、下には男で跡取りである長男の弟がいて、あれは成績が悪いが「男だから」なんとしてでも、どこかの私立大学にでも無理矢理押し込まなければ格好がつかないから、お金がかかるから」
「女のおまえの大学進学につかう金はない。」
……そして、「女のおまえ」にとっては人生一度の晴れ着である、
「成人式の着物」も……
ないので、ある。
(余談にして当然ながら、「雛人形」も、なかった……(--;)★)
まぁこのへんにしておくが。
わたしが、「まともな対人関係」を築けず、「社会人」としてまっとうに振る舞えないのは。
「ふつうにあたりまえに親から愛されたふつうの人たち」を見ては、
「憎い! 不幸になってしまえッッッッッ★」という、妬みと嫉みと内心の葛藤を。
かくしながら、にこにこしているのが、とっても。
つらい、
(からである……☆★)
(そして、「まともな対人関係」が営めない人間が、まともかつ幸福な職場とか家庭とか人生を、手に入れられる可能性は……
ゼロに近い。)
(たぶん、1月2日からの心身の調子が狂っていたのは、ずっと目をそらしたいと逃げ続けていた「ソレ」と……
そろそろ、まともに「向き合わなければならない」時期に、
きている。
から、なんだろぉなぁ……
(~~;)……
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