(2010.12.01.未明入力)
以下は、超「地元密着・生活関連」重要事件ネタ、です……★
>日野市三沢の梅ヶ丘団地地区
当時、そのすぐそばに出張整体のお客さんがいまして。
ある日、ひぃひぃ言いながら急坂を登っていったら、警備員さんがいて、バリケード(?)があって。のぞきこんだら……
地面に大穴が!! (><;)★
あれはなかなかすごい眺めでしたね……
(余談ですが、同じ大雨で、母の住んでいる(私が育った)神奈川県横浜市の某住宅の、私のもと同級生だった連中が住んでいた家の隣だったかの家でも、同様に、「地下弾薬庫跡の空洞への陥没」事故が発生しまして……
そっちも見に行ったけど(^^;)やっぱりすごい大穴だった……
おかげで、母のいる住宅、「土地家屋の転売」が……
ひじょうに、難しいそうです……(--;)
(土地に難がある……ということで、買い手がつかないらしい……★)
(あ、「その地下に何があるのか」については、
これも「参照」しておいてね……★)
http://85358.diarynote.jp/201011271434332357/
http://85358.diarynote.jp/201012010133298726/
戦争反対!
国民の、生命・身体・財産・居住権、etc.を……
守る気のない政府や政党に、
政権維持の、資格なし!!!!
(前項、日本国【大馬鹿】外務省が「核爆弾の製造可能」と「主張」したのは
1969年。)
こちらは、
1769年と、1973年……。
以下は、超「地元密着・生活関連」重要事件ネタ、です……★
地下壕崩落、国に責任
居住者へ3500万円賠償命令
東京地裁支部
戦中に造られ放置された地下壕(ごう)が崩落して自宅の土地が陥没し住めなくなったとして、東京都日野市の会社員(略)さん(56)ら2人が国に計約9350万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が29日、東京地裁立川支部でありました。(略)裁判長(略)は「地下壕は国が占有していたと認められる」として国の責任を認め、慰謝料や地盤改良費用など計約3500万円の支払いを命じました。
原告側代理人によると、地下壕をめぐり国に賠償を求めた訴訟の判決は初といいます。
村田裁判長は、地下壕は旧日本陸軍の命令で建設された工作物で、建設工事が中止された際は国が占有していたと指摘。その後陥没発生までの間に「国が第三者に壕の排他的支配を移転した事実は認められない」として、現在も国の占有下にあると判断し、「国は埋め戻すなどの対策を取らなかった」と責任を認めました。
判決によると、(略)さんらは2000年までに日野市三沢の梅ヶ丘団地地区に住宅を購入しました。その後地盤の傾斜が進行しましたが、埋め戻しなどは行われず、02年10月1日の豪雨で地盤が軟弱化。同月4日に地面が沈降して建物が傾くなどし、転居しました。
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2010.11.30.)
>日野市三沢の梅ヶ丘団地地区
当時、そのすぐそばに出張整体のお客さんがいまして。
ある日、ひぃひぃ言いながら急坂を登っていったら、警備員さんがいて、バリケード(?)があって。のぞきこんだら……
地面に大穴が!! (><;)★
あれはなかなかすごい眺めでしたね……
(余談ですが、同じ大雨で、母の住んでいる(私が育った)神奈川県横浜市の某住宅の、私のもと同級生だった連中が住んでいた家の隣だったかの家でも、同様に、「地下弾薬庫跡の空洞への陥没」事故が発生しまして……
そっちも見に行ったけど(^^;)やっぱりすごい大穴だった……
おかげで、母のいる住宅、「土地家屋の転売」が……
ひじょうに、難しいそうです……(--;)
(土地に難がある……ということで、買い手がつかないらしい……★)
(あ、「その地下に何があるのか」については、
これも「参照」しておいてね……★)
http://85358.diarynote.jp/201011271434332357/
http://85358.diarynote.jp/201012010133298726/
戦争反対!
国民の、生命・身体・財産・居住権、etc.を……
守る気のない政府や政党に、
政権維持の、資格なし!!!!
(前項、日本国【大馬鹿】外務省が「核爆弾の製造可能」と「主張」したのは
1969年。)
こちらは、
1769年と、1973年……。
雨のコンダクター
ことし没後20周年を迎えたレナード・バーンスタイン。その彼を手塚治虫が1974年、FM誌で描いた漫画がある。『雨のコンダクター』がそれだ。
73年1月19日、ワシントンのケネディセンターホールで、オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団が登場し、ニクソン大統領就任記念演奏会が開かれた。同じ時刻、バーンスタインは、ワシントン大聖堂で有志のオーケストラや合唱団とハイドン『戦時のミサ』を演奏した。そこにはベトナム反戦の思いが込められた。土砂降りの中、会場に1万2千人が詰めかけた。手塚はそれに着想を得た。
このミサ曲がつくられた1769年、フランス政府軍がイタリア遠征を実施し、オーストリア軍を撃破した。
手塚は作中で「ナポレオン軍に占領されたウィーン市民のはげしい怒りと国民の平和を乱された反発を込めたちから強い作品だが」としたうえで、バーンスタインに「その意味は聴衆が感じ取ってくれると信じるよ」と語らせている。会場を苦々しげに横目で見るニクソンも登場する。
当夜の演奏の映像は残っていないが、ドリームライフから今秋、バーンスタインが84年に同曲を演奏したDVDが、漫画とセットで発売された。2人の巨匠の平和への思いが伝わってくる。
(弩)
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2010.11.30.)
コメント
やっと「今日どうしても!」の分、打ち終わったので、あとはこれをmixiの地元コミュに転記して……と。
おやすみなさ~い……☆☆☆★