さて、まじめな話。
 今日も世界は問題山積、
 赤旗は、重要記事が、てんこもり……☆★
(とりあえず、「激戦つながり」で、行きますか?)
 6武装組織
 共闘で合意


【ハノイ=面川誠】ミャンマーの五つの少数民族の6武装組織が、共同して軍事政権とたたかうことで合意しました。シンガポールのメディアによると、カチン族武装組織代表が9日にニューヨークで明らかにしました。
 共闘に合意したのはカチン、カレン、カレンニー、モン、シャンの各民族の武装組織で、戦闘要員は合わせて3万人超。このうち3組織は軍政との停戦合意を白紙化して戦闘を再開するといいます。
 軍政は武装組織に対し、
 ▽武装解除
 ▽国境防衛隊への編入
 ▽中央政府の統治受け入れ
 ▽総選挙への参加
-を求めましたが、6組織は拒否。
 4日にタイ領内で会合し、共闘に合意したといいます。

(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
 機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
 2010.11.12.)


 ……う~ん……★(--;)☆
 頑張って欲しいような、
「武装」は早期に解除してほしいような……★

 ……どっちにしても、こりゃ「アッテンボロー」の管轄だなぁ……☆★
 (--;)””””

 訪れるごとに韓国に親しみ
   (高松市(略)69歳)

 治安維持法国賠同盟が企画した「韓国平和・連帯の旅」に参加した。私の韓国の旅は3度目であるが、訪れるごとに親しみを感じるから不思議である。
 今回は全州(チョンジュ)、普州(チンジュ)、慶州(キョンジュ)を訪ねた。全州では東学農民革命の激戦地の遺跡を見学した。1894年、日清戦争勃発(ぼっぱつ)の前後に、当時の王朝が民衆、農民に過酷な身分制度を押しつけ不当な税金を取り立てたのにたいし、怒った農民が蜂起したのであった。
 朝鮮への侵略が目的の日本軍と当時の朝鮮王朝の官軍が結託して多数の農民を虐殺した事実を知った。
 全州の田園風景は、日本とよく似ていた。ここは韓国随一の広大な穀倉地帯とのこと。ちょうど稲刈りの最中であった。韓国でも近年、食糧事情が変化して、米あまりが続いていることを、ガイドが説明していた。
 今回は、韓国民衆の史実を学んだすばらしい旅であった。

(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
 機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
 2010.11.12.)


 4年後の “変節” と県民総意と
 基地ノー熱く

 歴史的な沖縄県知事選挙が11日、告示されました。
 米軍普天間基地の「県内移設」反対という県民総意のうねりを背に、敢然と立候補したイハ洋一候補。告示日第一声の取材のさなか4年前の同じ場面が脳裏によみがえってきました。


 菅氏の力説どこへ

 前回の知事選では、今回、イハ候補を推薦している日本共産党、社民党、沖縄社大党は、糸数慶子氏(現参院議員)を推し、民主党もこの共闘に加わりました。その糸数氏の告示第一声で応援演説をおこなったのが、何を隠そう、菅直人首相(当時は民主党代表代行)その人でした。菅氏は、「普天間飛行場を含め、海兵隊をグアムなどの米国に移すチャンス」「基地が100年先も残るか米本土に戻るか、この選挙はピンチであると同時にチャンスだ」などと“力説”して回りました。
 あれから4年。米政府との間で名護市辺野古に新基地を建設する「日米合意」を結び、今回の知事選を「自主投票」とした民主党執行部の変節は、行き着くところまで行き着きました。
 今年1月に「辺野古の海にも陸にも基地はつくらせない」と公約して当選した稲嶺進名護市長が今月4、5両日、上京しました。同市議会が10月に可決した「日米合意」撤回を求める意見書を携え、官邸や外務省、防衛症などの政務三役との面談を求めましたが、政府・民主党はことごとく門前払いしたのです。
 「沖縄県民の怒りは二乗にも三乗にもなるだろう」と述べた稲嶺市長と沖縄県民の胸中は、推し量ってあまりあります。


 筋金入りの14年間

 ことここに至り、今知事選の争点は火を見るよりあきらかとなりました。それは、どの候補が、新たな米軍基地は絶対につくらせないという県民総意を、自らの体をはってでも日米両政府に突きつけることができるのかということです。
 イハ候補の「県内移設」反対の姿勢はまさに“筋金入り”です。県議7年、宜野湾市長7年半における揺るぎない主張と行動に裏付けられた訴えに、聞く者は胸を熱くせずにはいられません。
 これまで一貫して「県内移設」容認姿勢をとりながら、選挙前ににわかに「県外移設」を唱え始めた現職知事のそれとは、およそ比べものになりません。知事は「県内移設」反対を明言せず、日米両政府につけいる余地さえ残しているのです。
 戦後65年、米占領下の時も本土復帰してからも、どんな時も「基地のない平和な沖縄」を願い、立ち上がってきたウチナンチュ。その底力がいま、発揮されようとしています。

(小泉大介)
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
 機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
 2010.11.12.)


 スポーツサイト
 北朝鮮ユース
 時間稼ぎと無縁の潔さ

 サッカーのユース年代での北朝鮮の躍進が目立っています。(略)
 ことし、北朝鮮は44年ぶりにワールドカップ南アフリカ大会に出場して優勝候補筆頭のブラジルに1-2と善戦し、ユース年代のチームが次々とタイトルを獲得。(略)

 さて、先月から今月にかけてウズベキスタンのタシケントで開催されたU-16アジア選手権では、日本が準決勝でこの北朝鮮と対戦しました。試合の立ち上がりに北朝鮮が2点を連取、それを日本が追うという展開でした。(略)北朝鮮は日本の攻撃に耐え、ときおりカウンターを繰り出すだけ。終盤に近づくと、試合はさらに激しさを増します。
 ここで私は不思議な気持ちになりました。北朝鮮の選手たちが、まったく時間稼ぎをしないのです。終盤のコーナーキック(CK)も、なんとか日本を突き放す得点を狙って素直に蹴りました。
 状況が逆で日本がCKを得たら、小さくつなぎ、コーナー付近で「キープ」して時計の針を進めようとするでしょう。それが、少年チームにまで共通する「常識」だからです。

 さらに驚いたのは選手交代です。ロスタイムに入って2分のとき、MFのジュ・ジョンチョルが交代することになりました。すると彼は一生懸命に走って戻ってきたのです。これも日本選手だったら、それまでの奮闘などうそのようにゆっくりと歩いて交代したでしょう。日本では、勝っているチームの退出選手は、できるだけ時計の針を進めるのが「最後の仕事」と思われているからです。
 コーナーでのキープ、ゆっくりと歩いての交代。いずれもアンフェアな時間稼ぎですが、それが「戦術的行為」として行われているのがいまの日本のサッカーなのです。
 しかし北朝鮮の選手は、こうした行為があることさえ知らず、ひたすら懸命に勝利を目指してプレーしていたのです。
 その態度がユース年代での躍進の要因と言ったら言い過ぎかもしれません。
 しかし無視することのできない要素ではないかと思うのです。

 (サッカージャーナリスト 大住良之)
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
 機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
 2010.11.12.)


 ちょいと北朝鮮の選手諸君にお願いする。

 日本国の首相と政権党に、ちょいと君らの爪の垢を煎じたものを、送料着払いの宅急便で、送りつけてやっては、もらえないでしょうかねぇ……





コメント

最新のコメント

日記内を検索