国境なき時代/新聞の到着が1日遅れる僻地である。
2010年10月10日 くたばれ!カイザー(ん)!(2010.10.12.入力)
報道(情報)つながりでもう一件。
報道(情報)つながりでもう一件。
日本の現場
地方紙で読む
高田昌幸・清水真 編(略)
旬報社・2500円
辺境の光景 政治のゆがみ映す
評者 黒藪 哲哉 フリージャーナリスト
高知新聞の石井記者は社の幹部から「役場で働かせてもらえ、何か見えるものがあるかもしれない。暮らして、見てこい」と言われ、奥深い谷間の村にある役場に職員として「赴任」した。新聞の到着が1日遅れる僻地である。
職員として働きながら、記者の眼(め)がとらえたものは、郵政民営化により無集配化された郵便局だった。選別教育の中でカタカナが読めないまま放置され、都会から村の小学校へ「留学」した児童だった。さらには輸入木材の影響で地元のヒノキが値崩れし、落胆する農民の姿であった。
これら辺境の光景は『500人の村がゆく』という連載ルポに記録された。ルポを通じて地方から中央に視線を注ぐとき、読者の目にはゆがんだこの国の政治が映る。
本書には地方紙が制作した45編のルポが収録されている。北から南までテーマの幅は広く、各地で起こった事件はもとより、静岡新聞の『渡海の旅路』のように、出稼ぎで来日したブラジル人の苦悩に寄り添いながら、彼らのルーツを探って海外にまで取材の足をのばし、国境なき時代のあり方を提唱したスケールの大きな作品もある。
本書を読み進むにつれてわたしは、記者の取材範囲が相対的に広がっていることを改めて感じた。山村と都市、あるいは日本と外国の境界は消滅しはじめている。
こんな時代に中央ばかりに執着している新聞社は、やがて時代の流れから取り残されるかも知れない。記者クラブや政治家の私邸よりも、むしろその外側に広がる海にこそ、伝えなければならないテーマは眠っている。
総理の言葉も報道の対象にはちがいないが、日本の津々浦々で人々が何に向き合い、何を感じているのかを発掘する方がはるかに大事だろう。そのことを本書は如実に教えてくれる。
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
200.10.10.)
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