映画を通して戦争と戦後を考える/明治大学平和教育登戸研究所資料館は、旧陸軍登戸研究所の生物兵器研究のために建てられた鉄筋棟を改装した資料館である。
2010年8月18日 ★【 戦争 反対 】★ + ★【 圧政・強制 反対 】★ コメント (1)(2010.08.23.入力)
新文芸坐特別企画
「沖縄戦と終戦から65年
日米安保50年
映画を通して戦争と戦後を考える」
開催中、28日まで
今年は沖縄戦と日本の敗戦から65年、同時に日米安保条約改定から50年目にあたります。戦争と戦後の平和を考える特集上映会です。
主な上映映画は
「日本の黒い夏 冤罪」(略)=21日、
「真空地帯」(略)=23日、
「海と毒薬」(略)=24日、
「ホタル」(略)=25日、
「ひめゆりの塔」(略)=27日などです。
日替わりで2作品ずつ上映します。
東京・池袋・新文芸坐(略)
http://www.shin-bungeiza.com
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2010.08.18.)
「謀略の丘」は語る
戦争遺跡・登戸研究所 ①
今年、明治大学生田キャンバス(川崎市多摩区)に登戸研究所資料館が開館しました。旧陸軍の謀略戦の研究拠点だった同研究所。隠された歴史はなにを語るのか。明治大学非常勤講師の渡辺憲二さんに寄稿してもらいました。
神社の中の記念碑
歴史の重さ凝縮
明治大学平和教育登戸研究所資料館は、旧陸軍登戸研究所(以下、登戸研究所)の生物兵器研究のために建てられた鉄筋棟を改装した資料館である。戦争遺跡をそのまま活用し、そこで何が行われていたのかを伝える資料館は類例のないものである。
資料館がオープンできたのは明治大学の英断による。大学は、この場を「歴史教育・平和教育・科学教育の発信地にするとともに、地域社会との連携の場にしていく」としていることも素晴らしいことである。
こうした成果を生む背景には20余念の長きにわたって多くの人たちが努力してきたことがあった。とりわけ、登戸研究所に勤務していた人たちが重い口を開き、資料を提供してくださり、また資料館建設を大学に要望していたことが決定的であった。
小田急線生田駅で下車し、10分ばかり歩くと明治大学生田キャンパスに着く。入り口から急坂を登り切った右手にこんもりとした森があり、当時弥心(やごころ)神社と呼ばれた神社がある。そしてその境内に「登戸研究所跡碑」と記された碑がある。この碑の建立過程が資料館の原点である。
実は、戦後32年を過ぎた1982年になって登戸研究所に勤務し「青春」を過ごしていた人たちが再会し登戸会を結成し、碑の建立の立案をしたのである。そして6年後に会員のカンパで明治大学の許可を得て、現在の場所に碑は建立された。(略)
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2010.08.18.)
コメント
なんか今、なんもミスしてないはずなのに、入れた記事が4つ、すぽんと消えた……☆★(><;)☆★
金楯の謀略か? それともエシュロンか……???
と、騒ぎつつ、もう時間切れなので、おばあさんは川へ洗濯しに行ってしまいます……☆★
(覚えてたら、また今度、入れ直しますぅ……☆★)