(2010.08.14.未明入力)
 戦後65年の夏に
 「ドキュメント ’10」
 記憶の街、CGで再現
 平和公園は、繁華街だった

 日本系の「ドキュメント ’10」は15日(深夜0:50)に広島テレビ制作の「平和公園に眠る故郷 CGでよみがえる記憶の街」を放送します。
 年間100万人を超える人が訪れる広島平和記念公園。整備された静かなたたずまい、ここが被爆前は中島地区と呼ばれた繁華街だったことはあまり知られていません。
 原爆ドームの近所で生まれ育った映像作家の田邊雅章さん(72)は、住んでいた街を13年前からCGで復元していました。ある時一人のアメリカ人が被爆者に「爆心地が公園で被害が少なくてよかった」と言ったことから、地区全体のCG化を決意。被爆前の中島地区の街並みを元住民たちの協力を得て再現しました。


 思い出が伝える、原爆の理不尽
 広島テレビの筒井朋美ディレクターに思いを聞きました。

 広島の被爆時の悲惨な状況は伝えられていますが、以前は楽しく一般の人が暮らす街だった。そこに原爆が落とされた理不尽さを伝えたかったのです。
 私も広島出身で原爆のことは教えられてきましたが、平和公園にどういう街があったか習わなかったし、意識してそこを歩くこともありませんでした。
 中島地区に住んでいた方々に話を聞きました。ほとんどが疎開していた人たちで、帰ったら街がなくなって、一人ぼっちになった人もいます。65年たった今も「ここがふるさとだ」というのです。でも公園は、「きれいすぎる。原爆のことを考えてもらうにはいいけど…街が跡形もないのはさびしい」と。
 証言をもとに街の色、よごれなど細かいところまで調整して再現しました。みなよく覚えているのです。「ここで遊んだよねー」「ここはもっと狭かった」-笑顔で楽しそうに。
 65年間誰とも話さずにきた以前の街並みが、どんどん出てきました。そんな楽しい思い出があるからこそ原爆は理不尽なことなのでしょうね。つらい思い出を聞くのは、気を使いましたが、みなさん話してくれました。番組を見て、「ここに被爆者の家族が生活していたのだな」とリアルに感じ、以前とは違った気持ちで平和公園を歩いてもらえればいいなと思います。
 被爆者はみな高齢です。被爆の実態を今からは若い世代の自分が伝えていくことができればいいですね。

(森保和史)
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
 機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
 2010.08.13.)



コメント

最新のコメント

日記内を検索