植民地支配の実態直視を
 「韓国併合」100年で官房長官

 仙谷由人官房長官は4日の記者会見で、今月22日に「韓国併合」条約署名100年を迎えることに関し、「韓国併合の植民地支配の過酷さは、言葉を奪い、文化を奪い、韓国の方々に言わせれば土地を奪うという実態もあったということなので、そこは直視して考えていかなければいけない」との見解を表明しました。
 また、「韓国の方々は文化的に誇り高い民族だから、特に(日本が植民地支配下で)宗教的儀式を強制したのも、相当誇りを傷つけたとわたしは聞かされている」と述べました。
 政府は、過去の植民地支配と侵略を認めて謝罪した「村山談話」を踏まえ、首相談話などの政府見解を出すことを検討しています。

(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
 機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
 2010.08.05.)


 ……壊憲主張で戦争大好き?集団である民死党は大嫌いだし、
 仙谷とかいう【名前負け野郎】も大嫌いだが……

 ことこの問題に対する姿勢にかんしては、
 バカウヨや自称保守(自民党支持者)よりも
 よっぽどまともでまっとうな見識と外交判断である。

 と、きちんと(高く)評価しておきたい。

 ♪(^^)♪

 叔父の遺品と
 皇民化政策と

   (埼玉・熊谷市)(略)(78歳)

 NHKの「シリーズ日本と朝鮮半島~皇民化政策の時代」を見た。10代の若者を徴兵し、名前も日本名に変え、天皇に命をささげる教育をたたき込んだ。
 当時、私の叔父は日大理工学部に籍をおき、日本橋の丸善へ出かけてはおみやげに文明堂のカステラをぶらさげてきた。2階の机の上には、ドイツ製のコンバスや定規が並んでいて、私はそっとさわって満足していた。
 ある日、隣組の組長がおめでとうと言って差し出したのは、ピンク色の「赤紙」だった。叔父は出征兵士の一人となって上野駅へ。それが最後の別れとも知らずに。
 1年後、白木の箱に収まった姿で帰宅した。玄関には「誉れの家」と書かれた紙が張られたが、あのコンバスは定規といっしょに帰らぬ人を待ち続け、今も引き出しの中で光っている。
 テレビでは15歳の朝鮮少年兵の妹たちが抱き合って泣く姿に、戦争を憎む気持ちがずっしりと居座って憲法9条と安保条約が同時に体中をかけめぐった。
 生き残った者の、これからの責任を改めて心にきざみこんだ。

(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
 機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
 2010.08.05.)


>皇民化政策の時代
>10代の若者を徴兵し、名前も日本名に変え、天皇に命をささげる教育

 ばか魚さんは「北朝鮮はふつうでない国」だと言う。
 http://86626.diarynote.jp/201007122251223409/

 じゃあ聞くが、かつての日本は、「特殊な国」では、なかったか??

 いまの北朝鮮はかつての日本の模倣をしているだけの「ふつうの国」なのではないか??

 そして、再び軍備増強だの核武装だのして

「戦争のできる(=ふつうの=)国」とやらに、

「壊憲」しようとしている連中を、
「支持」してしまうようなバカ有権者がごろごろしている、

「危険」な国、ニッポン。

 は……


「特殊な国」では、ないとでも、言うのだろうか………………??




(ばかだから、ばかって言われるんだよ!

 ばかだと思われたくないならば、

 努力して……、



 ばか(=無知=罪=)を、

 自分で、直せ!!!!








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