歩くのもままならない。
2010年4月7日 ( 「 T T - ふぁいる 」 (仮称) )テレビ・ラジオ
司会に今井絵里子、早瀬憲太郎
「みんなの手話」20周年
新しい表現方法としても
日本で唯一の手話講座番組、「みんなの手話」(NHK教育、日、後7:00)が放送開始20周年を迎えました。4日の放送からは、司会に今井絵里子さんと早瀬憲太郎さんを迎え、内容を一新しました。
今井さんは人気グループ・スピードのボーカリスト。5歳の息子が聴覚障害を持つことから、この放送で手話を勉強してきました。
「その番組に出演できることはうれしい限り」といいます。息子とは日常的に、手話で会話を交わしています。「表情を大切にし、手先をきれいに使って、わかりやすい手話を心がけています」
早瀬さんは聾者。聴覚障害者を取り巻く厳しい現実を描いた映画「ゆずりは」の監督です。(略)「まだまだ手話に対して理解のない人たちも多い。まじめ、暗いというイメージが、今井さんの出演で明るく楽しくなりそうです。(略)これをきっかけに手話が当たり前になって、新しい表現方法として広まってくれればと思います」(略)
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2010.04.07.)
Tさん、これにチャレンジしようとして、手指が変形して思うように動かなくなってしまったことを、嘆いていたね……。
慢性疲労症候群の
研究・理解進めて
国会内集会
「慢性疲労症候群を考えるつどい」が6日、国会内で開かれました。主催は、慢性疲労症候群(CFS)をともに考える会。
(略)「CFSのことを多くの人に知ってもらい、研究も進めてほしい。そのために私たち患者は運動しましょう」と訴えました。
つどいでは、29年前にCFSを発症し、歩くのもままならない(略)さん(59)=東京都世田谷区=が「肢体不自由でないから」と障害者手帳を取得できず、車いすの利用もできない経験を語りました。
参加者は「親戚の人がCFSにかかり、50字程度の携帯メールを打つのも1日がかりだ」「なまけているのではないか、気のせいだと周囲の人の理解が得られないことがある」など深刻な実態を明らかにしました。
(略)
「映画を見て胸を締め付けられるのは、病気を苦にして、自ら命を絶っている人たちのことだ」と述べ、「一刻も早く、CFSの難病指定を実現するとともに、制度の谷間をなくして難病患者全体を支援する制度が必要だ」と訴えました。
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2010.04.07.)
映画
「獄(ひとや)に咲く花」
10日公開
幕末に、29歳で短い生涯を終えた吉田松陰を描きます。海外渡航を企て、長州藩の士分のための牢獄に収監された吉田寅次郎(のちの松蔭=前田倫良)。二度と外の生活には戻れないと誰もがあきらめ、獄はすさんだ空気に包まれていました。けれど寅次郎は、人々に明るく話しかけ、どんな状況にあっても学び向上する大切さを説きます。そんな寅次郎の姿は、皆の凝り固まった心を次第に溶かし、(略)生気を取り戻していきますが…。(略)
東京・有楽町スバル座
大阪・シネマート心斎橋
(略)ほかで。
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2010.04.07.)
演劇
「かたりの椅子」(二兎社)
深く考えさせる喜劇
(略)
作・演出の永井愛が率いる二兎社の新作「かたりの椅子」で俎上(そじょう)に載せられているのは、オープンな議論を嫌い、根回しと秘密主義によってことを決めようとする官僚主義である。だが物語は官僚に抵抗する市民=善という単純な図式に収まらない。ここで描かれているのは、争いを表面化せずなるべく丸く収めていこうとする私たちのある種の優しさが、官僚主義を呼び入れ、却(かえ)って残酷な帰結を生みだしてしまうそのメカニズムだ。
この作品が生まれたきっかけは、新国立劇場の芸術監督の選任をめぐる官僚主義の横行への演劇人の抗議であり、そこには永井も関(かか)わっていた。しかし彼女は自分の経験を、日本のいたるところに見出(みいだ)される同様の非民主的風潮への風刺に昇華し、日本人の心のあり方を問い直すことに成功した。私たちは、どの登場人物にも、自らの姿が写しだされているのを見るだろう。
演出は、官僚の形式的でわざとらしい言葉と市民たちの自然な言葉を対比するが、後者も、官僚主義に取り込まれるにつれてわざとらしいものになってゆく。中間管理職として板挟みになる(略)が笑いのうちにも悲哀を誘う。(略)深く考えさせる傑作喜劇になった。
18日まで、東京・世田谷パブリックシアター
(北野雅弘・演劇学研究者)
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2010.04.07.)
>争いを表面化せずなるべく丸く収めていこうとする私たちのある種の優しさが、官僚主義を呼び入れ、却(かえ)って残酷な帰結を生みだしてしまうそのメカニズム
……けっして「空気を読め」なんてクダラナイ風潮や、一般常識なんていう名の歪んだ価値観に流されることなく、常に自己の尊厳を主張して、タタカイ続けていたよね~、Tさん……。
いや、本当。長大なる徒労、
お疲れさまでした………………
(--;)””””””””
働き方と
うつ ⑬
イギリスの事例に学ぶ(上)
治療の舞台を病院から地域へ
訪問治療と生活支援
東京・代々木病院
精神・神経科医師 伊勢田 堯 さんに聞く
イギリスでは、精神疾患の治療の舞台を病院から地域に移し、地域で普通に暮らせるようにする治療や生活支援に取り組んでいます。(略)
精神疾患は1899年、ドイツの精神医学者、エミール・クレペリンが初めて病気と分類しました。病気だと認識されるようになったことは良かったのですが、その結果「入院させて治療して社会に出せばいい」という流れができてしまいました。
街中へ病院移し
病床も減らして
ところが、入院生活ではすべてを管理されるので、何も考えなくていいわけです。そんな生活を何年も続けていたら生活の仕方を忘れてしまって、人間関係をどうつくっていいかもわからなくなってしまう。こうした二次的な障害が非常に大きくなってしまいました。
そんな中でイギリスでは1950年ごろをピークに病床数を減らし、病院そのものも郊外から街中に移して小規模化し、病院っぽくないつくりとケアをしています。
例えば保護室です。日本では厳重に隔離された部屋で薬でおとなしくさせることが多いのですが、同国では窓から滝が見えるような個室で、患者のそばに職員が1人じっと座って見守っています。
精神疾患は三大重点疾患の一つ
1997年にブレアが政権を取り、精神保健を含む医療改革をすすめましたが、その土台はすでに準備されていました。
1993年、WHO(世界保健機関)と世界銀行は「障害調整生命年」を公表しました。それまでは、死亡率や発生率などが医療政策の指標でした。新しい指標では、疾病で労働力がどれだけ損なわれるか、社会的コストがどれだけかかるか、苦痛の度合いはどうかなどを計算します。
イギリスではこの指標を採用して、医療政策の中で注目すべき疾病の優先順位を決定。がん、冠動脈心臓疾患とともに精神疾患が三代重点疾患の一つとなりました。
あわせて「精神保健改革10カ年計画」を策定。
▽一次医療における精神保健ケアの充実
▽サービスの利用しやすさの改善
▽訪問型の専門医療の充実
▽自殺防止
など、七つの全国基準を達成する課題と詳細な戦略を発表しました。
精神科医、看護師、ソーシャルワーカー、臨床心理士など多職種でチームを結成。危機解決・家庭治療チーム、積極的訪問治療チーム、発病早期介入チームという、日本では入院医療に相当する専門医療を訪問によって提供するサービスを行っています。
半世紀遅れた
日本の治療体制
一方、日本はこうした先進諸国に比べ半世紀ほど遅れています。イギリスの病床数は1950年ぐらいがピークだったにもかかわらず、日本は同時期から病床が増え始めて今がピークなのです。
私たちには、精神疾患の患者は隔離すべきだという習性が、深く染みついています。さまざまなサービスを受けて地域で暮らしながら治療していく、ということの大切さは言葉ではわかっていることでしょう。しかし地域で生活を支え、症状も改善するという体験が非常に少ないため、その良さを実感しにくい部分があるのかもしれません。
(つづく)(堤 由紀子)
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関紙「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2010.04.07.)
>入院生活ではすべてを管理されるので、何も考えなくていいわけです。そんな生活を何年も続けていたら生活の仕方を忘れてしまって、人間関係をどうつくっていいかもわからなくなってしまう。
怒ってた怒ってた、常にタタカッテいた。
(^^;)""
その甲斐あって、Tさんがやむなく「障害者運動」に関わらざるをえなくなってたこの20年間……で。
「障害者」に対するバリアフリー化は、物心両面で、ずいぶん前進した……
と、思うよ?
(ここ数年は、「政治・財政」的な面では、後退しまくってるけどね……★)
いまに見ていろ!
世界はかならず変わる!!
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