(2010.03.11.未明入力)
 そんなわけで入力が、超・遅れました……☆(--;)””
 明治初めの庄内「ワッパ騒動」
 義民の顕彰碑建つ
 山形・鶴岡で
 あす除幕

 、ワッパ騒動
 1872年(明治5年)、明治新政府は従来、米で納めた租税をお金で納める(石代納)を許可。しかし酒田県はこれを農民に通達せず「現物納」を強制し、納入米を特権商人が請け負って売却し、利ざやを御家禄派に渡していた。これに農民が反発、一部の士族・商人が加わり、庄内地方全体をまきこみ、指導者の逮捕から1万数千人が県庁に押しかけ、大規模な一揆に拡大。「納めすぎた額は百姓一人当たりワッパ(曲げ物の弁当箱)1杯分のカネになる」の合い言葉になった。元老院への意見書、大審院での鶴岡での臨時裁判の末、1878年(明治11年)、農民側に総額6万3000円を支払う一部勝訴の判決となった。


 不正な徴税に怒った農民闘争
 庄内近代化の出発点に

 明治時代の初め、酒田県(いまの山形県の一部)の不正な徴税に怒った庄内一円の農民が立ち上がり、上京して訴え、裁判をたたかった一大農民闘争「ワッパ騒動」。この史実を掘り起こし、「義民」として顕彰する取り組みが盛りあがり、11日、ゆかりの地・鶴岡市で碑の除幕式が行われます。


 整然と長期闘争
 犠牲でなかった


 「日本で最初の税金還付の闘争でしょうか。約5年にわたる長期闘争で、一人の犠牲者もださずに勝利し、過程では、火付けや打ちこわしもないきわめて組織されたたたかいです。この庄内の近代化の出発点になった農民闘争が、135年目にやっと正当に評価され、一般の世論になった」と、その意義を語るのは、ワッパ騒動「義民顕彰会」(略)事務局の(略)さん。
 会は2004年から活動、23人の呼びかけで、思想・信条をこえて、顕彰碑を建設する募金が呼びかけられ、地域ごとの歴史学習会・懇談がもたれました。碑は農民3000人余が集結した場所に近い鶴岡市水沢地区のそば屋「大松庵」の庭に設置。7トンもある安山岩に「ワッパ騒動義民之碑」と刻まれました。一揆に加わった芳賀七右衛門らの子孫8人もはいって序幕します。
 支配層には、残したくない歴史の記憶だったのでしょう。一揆の指導者を「大泥棒」呼ばわりする者もいて。森藤右衛門の縁者、(略)さんは、「家族内では『祖先は、そんな悪い人ではなかった』と語り伝えるものの、公然と語ることはタブーでした」。やはり、「お上にたてついた悪人だとの空気が100年以上続いた」(略)
 そうした背景に、庄内地方の特殊な状況があると歴史学の研究者は指摘します。
 戊辰戦争で敗北し賊軍になった庄内藩でしたが、明治維新、太平洋戦争の敗戦・戦後改革という変革期を経た後も、庄内地方では、鶴岡に居残った酒井家(旧藩主)を頂点にした「御家禄派」といわれる旧勢力が没落せずに政治、経済、文化、教育を支配してきたとされ、「歴史の断続性というより連続性に特徴があ」る(略)と。


 史料発掘により
 郷土の誇りへと


 こうした「封建的な残滓(ざんし)」が根をはる困難な条件のなかで、元教員の佐藤治助さん(2007年没)が、一揆参加の子孫宅の祠(ほこら)から「白旗五右衛門一代記」を見付け、小説『ワッパ一揆』をまとめ(三省堂、1975年)、さらに指導者の『森藤右衛門 自由民権の先駆者』(鶴岡書店、2002年)を出版し、先べんをつけたのでした。
 顕彰会などの史料発掘で767人の「義民」の氏名も判明しました。日陰者から郷土の尊敬される者へと歴史は動いたのです。
 「農民は怒りを忘れてはいかん。庄内農業の歴史的な記念碑」(太田榮市・旧藤島町議会議長)、「ワッパ騒動の正統な継承者たらん決意」(佐藤光雄・農民運動庄内農民センター組合長)、「この夏休みの研究課題に『ワッパ騒動』を選んだ小学生も出た。地域づくりに(碑建設運動を)いかしたい」(略)などそれぞれの思いをこめて除幕を迎えます。
 俳人の(略)さん(酒田市)は、「ワッパ碑へ豊年の風 吹きあたる」と詠みました。

(澤田勝雄)
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
 機関誌「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
 2009.09.10.)


>この史実を掘り起こし、「義民」として顕彰する取り組み

 「これの調査」は、わが母方の祖父のライフワーク?のひとつであったはずなのだが……。

 彼の『庄内日報』記者時代の遺稿(新聞掲載記事)群をタイプ(ワープロ)打ちして私家版ミニコミ(コピー本)としてまとめる作業に着手したのは10年以上前なのだが。

 例によって鬱病悪化に伴い中断したまま、この「顕彰碑」にも間に合わず……

 今日に至る☆(--;)★



 ま、いいか……

 そのかんに、庄内、どんどん「セレブ化」してきているからね☆

 (^w^;)”



>約5年にわたる長期闘争で、一人の犠牲者もださずに勝利し、過程では、火付けや打ちこわしもないきわめて組織されたたたかいです。

 参照> 藤沢周平『義民が駆ける』



>農民3000人余が集結した場所に近い鶴岡市水沢地区の

 ……そういえば、祖父の知己であったそうな共産党の水沢市議は、勇退されたらしいなぁ……☆




>元教員の佐藤治助さん(2007年没)

 きゃ~~~っ!! (><;)””

 祖父の「遺稿集」を、心待ちにしていてくださった、祖父と同年代?のかたが、私がぼけぼけしている間に、亡くなっていらっしゃるっっっっっっ★
 ★|||||o(TへT;)o||||★




コメント

霧木里守≒畑楽希有(はたら句きあり)
2010年3月11日3:30

 まったくの余談ですが、この記事と同じ日の同じ面の、すぐ隣に載っているのが「越後妻有トリエンナーレ」(野外美術展)の記事で。
 そのトリエンナーレには、数年前まで我がオンボロ借家の隣に住んでいた知り合いが、たしか「芸術は、爆発だ~っ!」の人の名前の賞をもらったとかの「招待者」待遇で、いいところのブースをもらって、出品しているはずなのでした……



 世間? って、狭い☆(^^;)☆





 

霧木里守≒畑楽希有(はたら句きあり)
2010年3月11日3:33

 もういっこ余談。(^^;)

 ためしにわが祖父の名を「検索」してみたら、いっこも引っかからなかった……☆(--;)★

 やっぱり、頑張って私がHPのひとつも作っておいてあげないと、彼の名前と文章は、歴史から消え去ってしまうのね………………★



(が、がんばらないと????????)

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