(091211未明入力)
書架散策
宮崎滔天 著『三十三年の夢』 岩波文庫
古くない滔天の民権思想
私にとって「巻を措(お)く能(あた)わず」という表現が誇大でないのは、宮崎滔天(とうてん)『三十三年の夢』がほとんど唯一の例である。
宮崎滔天が、中国では小中学校の教科書にまで登場し、だれでも知っている数少ない日本人の一人だと聞いたら驚く人も多いのではなかろうか。実際には、中国革命の途上亡くなった(中国人にとっては、日本の坂本竜馬や高杉晋作に相当する)革命の志士たちのほとんど全員と親交を結び、かれらを文字通り心身ともに支えたという事実が中国では良く知られているのである。
この本は単に、自分が大陸浪人として活躍したという自慢話が活写されていて、血沸き肉踊る、というだけではない。否、むしろ失敗と失意の連続が綿々と書き綴(つづ)られているに過ぎないとも言える。しかし、国全体がアジア侵略へと傾斜していく以前には、一旗あげる目的か、大陸侵略の先兵となって手柄を立てるか程度のことを企(たくら)んでいた人たちがほとんどだったにせよ、中にはヨーロッパのアジア侵略に抗して、慾(よく)得を離れて純粋にアジア諸国の独立のために生涯を捧(ささ)げた人たちがいたという事実には迸(ほとばし)るような清々(すがすが)しさを覚える。日本人にもこんなにエネルギーに溢(あふ)れ、初々しかったことがあるのだ。
この何かが狂ってしまったような世にあっては、「西方の覇道の手先となるのか、それとも東方王道の牙城となるのか、それはあなたがた日本国民が選ぶべきことだ」という滔天の親友孫文の言葉が今思い出されるべきである。
「古臭い」と嗤(わら)うなかれ。晩年すでに滔天の民権思想は古いとみなされるようになっていたものだが、それでは問う。その後日本はどういう道を歩むことになったのか。思想に新しいも古いもないではないか。アジア諸国から好意的に見られる滔天をキーワードとして、アジアの希望の星だった時代の原点に立ち戻るべきである、と私は思うのである。
足立 恒雄 (早稲田大学理工学術院数学科教授)
(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/
機関誌「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
2009.09.06.)
コメント