(090818朝入力)<衆院選、告示日!!
 掲げた理想に共感
 韓国 故廬武絃氏を悼む人々

「あなたが大統領だった間、大韓民国では明らかに、国民が大統領でした」。ソウルで5月29日に行われた故・廬武絃(ノ・ムヒョン)大統領の国民葬で、廬政権の首相だった韓明淑(ハン・ミョンスク)議員が読み上げた弔辞です。
 弔辞を聞きながら、2002年12月19日に廬氏が当選した夜、若い支持者がソウル都心で未明まで繰り広げたお祭り騒ぎの光景がよみがえりました。
「ついに私たちの時代が来た」「私たちがつくりだした大統領」-。市民の声には、政治が自分たちのものになったという喜びがあふれていました。廬氏は「政界での力でなく、国民の支持だけで大統領になった唯一の人」と評されました。
 韓国では1987年からの民主化後も、地縁・人脈で地域別に政党が群雄割拠し、政財界の特権層に左右される政治が続きました。
 こうした政治の打破と「原則と常識が通じる社会」を掲げ、国会議員選挙などで不利な選挙区から立候補し落選し続けた廬氏は有権者の共感を獲得。「パボ(ばか)の廬武絃」の愛称を与えた全国の支持者は自発的に後援会をつくり、「政界の異端児」を大統領に押し上げました。
 ソウルのある外交官が「この国で起こっていることは、一種の市民革命だ」と興奮気味に語ったほどです。
 現実には廬氏の任期中、政治は大きく変わりませんでした。貧富の差も拡大し、国民の支持を喪失。自殺の原因となった家族の不正資金疑惑は、理想を掲げた廬氏にとって致命的な打撃でした。
 廬氏は自身のウェブサイトに「みなさん、私を見捨ててください」と書きました。
 しかし廬氏の死に接し、むしろ自分自身を責めさいなむ人が増えています。旅行代理店で働く女性(39)は「簡単に期待して、簡単に失望した。国民が政治をつくるという主張に共感しながら、彼に投票した後、私は何もしなかった。彼を死に追いやったのは、本当は私たちなのかもしれない」と、自問し続けています。
(面川誠)

(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/ 機関誌
「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
 2009.06.06.)

コメント

霧木里守≒畑楽希有(はたら句きあり)
2009年8月18日7:59

>「原則と常識が通じる社会」を掲げ、
>不利な選挙区から立候補し落選し続けた

 ……日本にも、こういう「パボ」で頑固な、正当、もとい、政党が、ありますね……☆

 今日は国政選挙の「告示日」です。

 みなさん、本当の「政権交代」は、たんなる「政党交代」ではなく、

「政治を根本的に変える」ことが必要なんだ……と、

 よくよく考えてから、

 投票に行って下さいね……!!

最新のコメント

日記内を検索