(前の記事に続く。)
 水俣病の責任
 加害あいまい

     兵庫・西宮市 OM(主婦 63歳)

 水俣病を引き起こしたチッソの会社を分社化して、その責任をあいまいにしようとしていることに、怒りを覚えます。水俣湾を有機水銀で汚染し、水俣病の患者をつくりだした責任をとっていません。
 7年前、85歳で他界した叔父は、技術労働者としてチッソに定年まで勤めました。水俣で操業していたときも、なんどか爆発事故があり、そのたびに、祖母が安否を問うはがきを出していたのを、子ども心に覚えています。
 社員の命さえ粗末に扱う会社です。戦前は朝鮮半島でコメの収穫を上げるために肥料をつくっていました。現地の人を雇って、一番危険な部署で働かせ、よく事故を起こしたそうです。
 帰りが遅いのを心配したオモニ(お母さん)が会社に来て、「アボジー」(お父さん)とよんで、工場の門をこぶしでたたくのですが、会社は扉を閉めたまま、とりあわなかったそうです。
 自国民の命さえ守らない企業は、侵略した民族にたいしても、ほんとうにひどいことをしています。

(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/ 機関誌
「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
 2009.07.28.)


 槿(むくげ)が咲けば
   神奈川 KS

 夏がくると、庭の槿が咲く
 白や藤いろの花は一日でしぼむので
 日本でははかない花とされているが
 どう致しまして--、翌る日にはまた次のつぼみが開き、成長の速い樹は上へ上へとのびてゆく。

 敗戦後、学童疎開のおともで私は足柄山麓にいたが、朝鮮の人たちが独立のよろこびにもえて引揚げるとき
「故国(くに)へ帰ればこんなもの着るものか!」と
 当時は貴重品だった純綿の浴衣を惜しげもなく投げ出した婦(おんな)を忘れない。
 学校では正しい歴史を学ばなかった私たちは、槿が朝鮮の国花とも知らなかった。
 チマ、チョゴリに着換えたあの人たちが、いまどこにいるのか知るよしもない。
 高校のてっぺんまで日毎に咲きつぐ槿を見上げて、民族のこころを偲(しの)ぶのみである。

(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/ 機関誌
「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
 2009.07.28.)



 私は「絶対的に正しい」ものなんて信じない。まして人間のつくる「組織」なんていうアイマイなものに関しては。

 でも、たしかにここにはいる。それも複数。それぞれが全き「独立した個人」として、互いに無関連に、高い矜持と誇りとモラルを堅持している人たちが……

 と。

 えぇ。日本共産党とか、各地の「九条の会」とかには、日本の加害責任を忘れない、歴史の事実を直視して、未来人類として行動できる、優れた人々が……

 と。

(その割には、同じ日本共産党の機関誌における「チベット問題」の取り扱い方(だけ)には、不信感を刺激されまくるんですけど。ね……★(ーー#)★





 おまけ。



 朝鮮の技を引き継ぎし陶の壺
「伊万里九条の会」演壇に置き


   佐賀県 TH

(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/ 機関誌
「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
 2009.07.28.)

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