神殿破壊シーン
 教会圧力で削除
 ギリシャ

【パリ=時事】アテネの新アクロポリス博物館で、古代ギリシャのパルテノン神殿の歴史を来館者に紹介する13分間のアニメ映画中、キリスト教徒が神殿の壁を壊す一部のシーンがギリシャ正教会の圧力で削除されたことが分かりました。映像を提供した仏映画界の巨匠、コスタ・ガブラス監督(76)は「容認できない」と怒り心頭です。
 ガブラス監督はギリシャ系で、カンヌ映画祭の最高賞「パルムドール」に輝いた「ミッシング」(1982年)などで知られています。
 AFP通信などによると、同監督が提供したのは、アテネのアクロポリスの丘に建つパルテノン神殿が繰り返し破壊や略奪に遭い、大理石の帯状彫刻の半分が英国へ持ち去られるまでを描いた1分40秒の映像。このうち黒服をまとった東ローマ帝国時代のキリスト教徒がはしごで神殿によじ登り、壁を壊して彫刻を奪うシーンが削られました。
 博物館側は「カットしたのは12秒程度。音声は無傷だ」と弁明していますが、同監督は「教会は神殿破壊の現実を今も認めていない」と批判しています。
 新アクロポリス博物館は今年6月に開館し、連日1万人以上の見学者が訪れています。

(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/ 機関誌
「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
 2009.07.28.)


 わたくしごとだが、むか~し、小学生の頃、キリスト教(新教(プロテスタント))の「日曜学校」に通っていた、というか、テレビ版のほうの『大草原の小さな家』に影響されて通おうと思ったのだが日曜の朝の早起きが苦手ですぐに挫折した、という経験がある。
 そして、中学生の頃には、マザーテレサに弟子入りしたくて、「それにはまず熱心なクリスチャン(カトリック教徒)にならなければ……!!」という、いささか本末転倒した動機で、旧約聖書を読み込んだこともある。
 結論として、私は、「神は絶対なり」とかほざいている一神教にはウサンクサイものしか感じられない……

 という困った事実に直面し、各種宗教関連書を(中学生なりに)読みあさった結果、「絶対的に確かなものなど何もない」と説く「般若心経」の教えに究極の回答?をみつけて、「自称・仏教徒」となった。

 でも、ナザレの石大工イエスという人間の一生に関しては、今でも敬愛している。

 でも、その同じ人物を奉戴している「はず」のバチカンの傲慢が、私には我慢ならない。

 そして、上記引用記事と同様の傲慢身勝手なふるまいは、今も絶えず世界各地で、愚かにも繰り返されているのだけれど……。

(たとえば、「日本は中国やインドに対して良いことをしてやったのだ!」なんてぇ連中ね?)


 ただ。すくなくとも。

「略奪したのは悪いこと」だから、
「そんなことやってません」と、言う……。

 その点だけは、たしかに人類の平均的モラルは進化しているのだ。とも言える。

(^^;)d

 むかしは、

「強いものが略奪しちゃって何が悪い?
 弱いやつが略奪されるのが悪いのだッ!!」みたいな、

 オイオイどこの熱血暴力少年(向け?)マンガだよ……

 ってな文化が一般的であったのだから。

「略奪するのは悪いことです」
「ですから私どもがそんな悪いことをしたはずがないじゃありませんか……」

 そう、うそぶく、輩が。

(「略奪」という単語は、「侵略」とか「強姦」とか「収賄」とか、種々様々な言葉に置き換えることができるが……)


「略奪するのは悪いことです。そして私どもは過去、たしかにその悪いことを行ってしまいました。現在ではそのことを深く真摯に反省し、昔のこととはいえなんと愚かなふるまいをしたのかと、恥じ入っております。
 もう二度とやりませんと真剣に誓い、可能な限りの償いをさせていただきたいと思います。」

 と……。

 そして、加害の事実をけっして忘れまいと、子々孫々まで自戒のことばを伝え続けることこそが。

 新しい、未来人類の標準装備的モラル・スタンダードなのだと……


 はやく、理解し行動して、ほしい。







コメント

最新のコメント

日記内を検索