(090724未明入力)
 路面にかいた朝鮮独立萬歳
     奈良・吉野町 YT(80歳)

 大和川一つ隔てた大阪市南部に黒煙が上がると私たちは堺郵便局2階の電信室から地下の防空ごうに避難した。1945年7月初めのことだ。
 空襲警報が解除されて電信室に戻り、窓から下を見た私の目に、路面いっぱいに白いチョークで書かれた文字が見えた。
「B29大阪空襲中」
「朝鮮独立萬歳」とあった。
 警報解除とともに数人の警官が乱入、朝鮮人の配達員を全員連行した。数日後、釈放されたが、手や顔に凄惨(せいさん)な暴行・拷問の傷跡を残したまま出勤してきた者もあった。「犯人」は分からぬまま7月9日夜半から10日未明の「堺大空襲」で、詮議(せんぎ)どころでなくなった。
 戦後、いろんな運動で、多くの朝鮮人と交流を重ね、「日韓併合」の歴史や朝鮮人=韓国人の痛苦の暮らしを知った。
 殺される覚悟なしには書けない「朝鮮独立萬歳」の文字を記した激しい心情も、今ならうなずける。
 「堺大空襲」の記録にも残らない出来事だが、少年の私が見た帝国主義日本の恥部と、凛(りん)として民族の誇りを示した無名の崇高な志を、7月になると思い出す。

(日本共産党 http://www.jcp.or.jp/ 機関誌
「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata
 2009.07.02.)

コメント

最新のコメント

日記内を検索