清流/濁流
征服者の収奪の跡
先月、寒暖差の激しいペルーを訪れました。
3年前、スペイン南部のセビリアの大聖堂を見学したとき、主祭壇の背景を飾る巨大な黄金のレリーフに、度肝を抜かれました。純金400キログラム以上が使用されていると聞いて「いったい、どこから集めてきたのだろう」と。答えはペルーにありました。
首都リマ市の郊外、プレインカ時代からの大規模神殿パチャカマック遺跡、インカ帝国の首都だったクスコのコリカンチャ宮殿遺跡、いずれも石の壁だけしか残されていません。
「太陽の神殿」や「月の神殿」を飾っていた黄金の装飾品は一切合財(いっさいがっさい)、征服者がはぎとって分け取り、残りはスペインに送ったようです。征服者ピサロはセビリア近くの村の出身でした。
300年間の植民地支配のあと、独立後も白人系の軍政門閥支配が続き、人口の約4割を占める高地インディオの人たちは取り残され、貧しい生活を強いられてきています。
リマ旧市街を見下ろすサンクリストバルの丘や、郊外の遺跡近く、太平洋岸の砂丘地帯には、いわゆる不法占拠地、バリアーダが軒を連ねています。
鉄道網や下水道は未発達。なにより教育は施設も教師も不足、リマでは1日3部授業です。
2011年には大統領選挙があります。こうした貧困問題や高地住民の思いがどう反映されるのか。2年後、ペルー政治の変化が注目されます。
(丘民)
(「しんぶん赤旗」2009.07.10.)
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