全国に一時避難所を!!
2009年1月13日 【 反 ★ 貧困 ! ! 】
国・企業が責任果たせ
「派遣村」 仕事・住居求め団結集会
仕事や住居を奪われた非正規労働者らを支援する「年越し派遣村」に集まった人たちは十二日、寝泊りし、生活再建の拠点となっていた体育館などの避難施設の使用期限が切れたため、東京都内の日本青年館に移動しました。十三日にはまた都内の二つの旅館に移ります。
「派遣村」実行委員会は国や企業が責任をはたすよう求め、日本青年館で「村民団結集会」を開きました。(略)
大きなバッグを手にこの日、バスで移動したのは約二百人。このうち百七十三人が生活保護の受給が決まり、加えて八十五人が住居も決まりました。「生活保護が受けられるようになってこれからの見通しがたった。気持ちが明るくなった」(『派遣切り』にあった五十九歳の男性)など喜びの声がきかれる一方、まだ多くの人が仕事や住居を探しており、行政の支援が求められています。
団結集会で「村長」の湯浅誠・NPO法人自立生活サポートセンターもやい事務局長は、「派遣村」に集まったのは貧困状態に追いやられた人のごく一部にすぎないとのべ、全国に一時避難所を設置し、生活保護や緊急小口貸付資金などが受けられるようにすべきだと指摘。企業が社会的責任を果たし、国が「派遣切り」をやめさせ、派遣法を抜本改正するよう求めました。
日本共産党の笠井亮衆院議員は、衆院予算委員会でのやりとりも紹介しながら、「政治災害」であるから政府が責任を持つべきであり、内部留保をためこむ大企業に社会的責任を果たさせようと呼びかけました。派遣法を一九九九年の原則自由化の前に戻すなど抜本改正するべきだと訴えました。民主、社民党の代表も発言し、野党共同で「派遣切り」の状況に対応したいとのべました。
住居探し はかどらず
「早く安定した生活を」
「年越し派遣村」で生活再建を目指す労働者とボランティアらが十二日に東京都新宿区の日本青年館で開いた団結集会では、「早く安定した生活をしたい」という思いがあふれました。
国と東京都が用意した都内四ヵ所の施設などで寝泊りしていた人たちは、同日、施設使用期限が切れたため、うち百七十人が日本青年館に宿泊。住居の確保ができていない人たちは、十三日から「派遣村」が独自に確保した都内の旅館二ヵ所などに移動します。厚労省が用意した宿泊施設は六十一人分でした。
「派遣村」村長の湯浅誠NPO法人自立生活サポートセンターもやい事務局長が、住居のめどが立っている人を集会場で確認すると、約半数でした。
東京・上野で運送の派遣をしていた男性(39)は十三日にアパートに入居します。「派遣村」で相談するまで「若いから生活保護を取れると思っていなかった」と振り返ります。「早く仕事をしたい」と語りました。(略)
五日に東京都千代田区の日比谷公園のテントを撤収した後も、職・住を奪われ、「派遣村」に助けを求めてきた人がいました。
名古屋市のトヨタ子会社を昨年十月に「派遣切り」になった男性(38)は、ネットカフェに暮らし、年明けに上京し、「派遣村」を頼りました。住み込みの仕事を探しましたが、「所持金がないので、賃金の日払い可能なところを希望したが、見つからなかった」と言います。「一日も早く就職したい」と語りました。
湯浅村長は、「派遣村に来た人だけが救われるのではなく、全国に広げるため、体験したみなさんが声をあげてほしい」と呼びかけました。
派遣村に全国から集まった募金四千三百万円のうち、残ったお金は「派遣村活動基金」として、全国の「派遣切り」にあった労働者らの支援にあてることになりました。
(『しんぶん赤旗』2009.01.13.)
>全国から集まった募金四千三百万円
さて、四千三百人が一万円づつカンパしたのか、四万三千人が千円札を一枚づつカンパしたのか……??
いずれにしても、ものすごい参加人数で。
まだまだ、世の中、捨てたもんじゃ、ないなぁ………♪
v(^-^)v
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