空は、今日も、青いか? 第八十五回
真の大国までの開会式
(略)まだ全日程の3分の1ほどが終了しただけだが、これまでのところ今回のオリンピック最大見せ場は、やはりあの豪勢な開会式だったと思う。(略)
中国が発明したテクノロジー、火薬や紙や印刷術や羅針盤を讃えるのはいいだろう。だがその方法が依然として集団主義のマスゲームでしかないのに、ぼくはがっかりしてしまった。(略)動きもタイミングもぴたりと同期して、無数の人間が演舞しているというより、ひとつの色鮮やかな生命体のようだった。あれだけの数の男女が登場して、みな整った顔立ちのうえ、ほとんど背の高さが同じだったことには、感心するよりかすかな恐怖を感じたのは、ぼくだけだろうか。
開会式は個人よりも集団が重んじられる東アジア的な発想に貫かれていた。ほんの4,5回まえのオリンピックの入場行進を思いだしてみてほしい。あのころの日本選手団は、軍隊のように列がそろいすぎて、表情もなく不気味だと世界から評されていた。それが今回日本代表はたのしげに手や小旗を振りながら、列もいい感じに崩して入場していた。おとなりの新興大国に個々人の内面から沸きでてくるたのしさのあったのかも自由な表現を求めるのは、まだ時期尚早だったのかもしれない。(略)
あの開会式で、中国が自分たちのおかれた立場をユーモアをもって表現することができたら、もっとおおきな感動を世界中に贈ることができただろう。チベット問題でも、格差社会でも、共産党独裁でもいい。自分たちの抱える問題点をほんのわずかでも認識した出しものがあれば、ぼくの評価はぐんと好意的になったことだろう。
大国であるということは、ただ経済や人口が巨大なだけではなく、自分自身の欠点や問題を認める余裕をもつことでもある。
中国が真の大国になるときを、隣国日本のぼくたちも友人として腕を広げて待ちたいと思う。
(石田衣良(いしだ・いら)『R25』2008.08.22.
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