(2007年10月10日01:58)
(まじめな話なのに、つい、<(_ _;)>
ふざけた題をつけてしまって申し訳ありません★)(ーー;)
昨日は長井さんの告別式でした。
が、実父を亡くして以来どうも葬儀の場というのが苦手なので欠礼。地元の憲法講座の方を優先しました。
(たぶんその方が長井さんも喜んでくれると思うし。)
で、以下、追悼の読経(?)代わりに、ビルマ(ミャンマー)関連の手元にある切り抜き類を、まとめてアップしてみたいと思います。
(注:長井さんの追悼だけに、長いです☆)d(ーー;)>”
◆コメント◆
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 02:20
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反軍政 僧侶デモ拡大
旧首都 雨の中1500人
ミャンマー【バンコク=時事】
ミャンマーで軍事政権に反発する僧侶のデモが広がりを見せています。治安当局は民主化運動活動家らのデモを徹底弾圧しましたが、敬虔(けいけん)な仏教徒が多い同国で僧侶に強硬手段を取り続けた場合、国民の反発を招くのは必至。燃料費の大幅引き上げと物価上昇で国民の不満は高まっており、対応次第では抗議活動に火が付き、体制が揺らぐ事態も想定されます。
旧首都ヤンゴンでは二十一日、僧侶約千五百人が雨の中、デモ行進し、一般市民約千五百人も合流したといいます。ヤンゴンでのデモ行進は四日連続。燃料費の引き上げなどに抗議する過去一カ月のデモの中では最大規模となりました。
僧侶のデモが始まったのは八月二十八日。同月十九日にガソリン価格などが大幅に引き上げられたのがきっかけでした。
今月五日にはマグエ管区パコクで、治安当局がデモに威嚇発砲。「僧侶の負傷者が出た」「僧侶が死亡した」といったうわさが広がり、デモは反軍政の色合いを強めました。
軍政側は僧侶にけがをさせたことを否定しましたが、僧侶側は翌六日、政府職員をパコクの僧院に数時間閉じ込めるなど反発。宗派を越えた「全国僧侶連盟」も誕生し、各地にデモが拡大しました。
一部の僧侶グループは軍政当局者に対する托鉢(たくはつ)を拒否するなど対決姿勢を強めています。
(『しんぶん赤旗』2007.09.22.)
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(以下、上記記事の隣に掲載された記事/参考まで)
米で黒人数千人デモ
人種差別司法判断に抗議 【ニューヨーク=時事】
米南部ルイジアナ州の町ジーナで二十日、地元の高校で起きた暴力事件をめぐり、黒人生徒だけが訴追されたのは人種差別的な司法判断があったためだとして、数千人が参加して抗議デモが行われました。
現地からの報道によると、参加者は全米各地からバスなどでジーナに集結。黒い服装に身を包み、「公正なくして平和なし」のスローガンを唱えながら、事件の起きた高校に集まりました。
この高校では昨年九月に黒人差別を思い起こさせる出来事があったのをきっかけに、白人生徒と黒人生徒の間で暴力事件が発生。黒人生徒六人が訴追されたのに対し、白人生徒は誰も罪に問われなかったとされます。
デモを主導した黒人運動指導者のジェシー・ジャクソン師は「司法省は沈黙している」と批判、この事件について公聴会を開くよう政府に要求しました。
(『しんぶん赤旗』2007.09.22.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 02:32
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反軍政デモ拡大
僧侶団体、国民に参加訴え 【バンコク=時事】
ミャンマーの旧首都ヤンゴンで二十二日、軍事政権による燃料費の大幅引き上げなどに抗議する僧侶のデモが行われ、一部の僧侶らが自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん宅前をデモ行進しました。
第二の都市マンダレーでは過去二十年で最大となる約一万人規模のデモが発生。僧侶団体は闘争に参加するよう国民に呼び掛けており、軍政は一段と厳しい状況に追い詰められました。
現地からの情報によると、ヤンゴンでのデモは五日連続で、この日は僧侶約二千人が参加。市内を行進したほか、パゴダ(仏塔)で抗議の祈とうを行いました。スー・チーさん宅前のデモ行進は、八月下旬に反軍政でもが始まって以来初めて。
一方、マンダレーでは同日、僧侶約一万人がデモ行進し、市民も行進に加わりました。
反政府デモの規模としてh、民主化要求デモが盛り上がった一九八八年以来最大といいます。
僧侶グループの一部はこれまで、一般市民が僧侶のデモに加わるのを控えるよう訴えていました。しかし、全国僧侶連盟はこの日、軍事独裁体制を完全に終わらせるため、平和闘争に加わるよう国民に訴えました。
(『しんぶん赤旗』2007.09.23.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 02:41
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ミャンマー 2万人デモ
治安当局 スー・チー宅接近阻む
【バンコク=時事】
ミャンマーの旧首都ヤンゴンで二十三日、軍事政権の燃料費引き上げに抗議する僧侶らのデモが行われ、約二万人が参加しました。ヤンゴンでの僧侶のデモは六日連続で、八月中旬に抗議デモが始まって以来、最大規模。一九八八年の民主化要求デモ以降でも最大となりました。
一部の僧侶は自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん宅に接近しようとしましたが、治安当局に阻まれました。
現地からの情報によると、僧侶らは同日午後、シュエダゴン・パゴダから行進を開始。僧侶らは市民に対し行進に加わるよう呼び掛けました。参加者は僧侶、市民各約一万人に膨れ上がり、中心部のスーレー・パゴダを取り囲みました。この日の抗議活動には初めて尼僧も加わりました。
僧侶約二百人がスー・チーさん宅に向かおうとしましたが、治安当局はスー・チーさん宅前の道路を封鎖し、僧侶らの接近を阻止。僧侶らは治安当局と約三十分間交渉した後、読経をして現場を立ち去りました。
僧侶の地下組織「全ビルマ僧侶同盟」は全国の僧侶に対し、徹夜の祈とうを要請。同国北部マンダレーなどではこの日、僧侶らの祈とうが行われ、軍政に抗議の意志を示しました。
(『しんぶん赤旗』2007.09.24.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 02:50
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ヤンゴンで10万人デモ
ミャンマー軍事政権に抗議 【バンコク=時事】
ミャンマー国内では二十四日も、各地で軍事政権の燃料費引き上げに抗議する大規模なデモが行われ、一部情報では、旧首都ヤンゴンの僧侶や市民らのデモには十万人以上が参加しました。ヤンゴンでのこの日のデモは、民主化要求デモが盛り上がった一九八八年以降では最大規模です。
現地からの情報によると、ヤンゴンでのデモは主に二グループが主導し、それぞれ同国を代表する仏塔のシュエダゴン・パゴダを出発。一グループは北部の別のパゴダに、もう一つのグループは市中心部のパゴダまで行進しました。これらのデモには多くの市民や学生が合流しました。
僧侶らは読経しながら行進する傍ら、軍政に対するスローガンを叫ぶのを控えるよう参加者に求めました。しかし、一部の参加者はプラカードを掲げ、政治囚の即時解放や生活状況の改善などを訴えました。
道路の両脇では市民らが拍手をして僧侶らを激励。市民らが道路に沿って「人間の鎖」を作り、僧侶の行動を守る動きもみられました。
僧侶ら約二千人は自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん宅近くの道路を行進しましたが、治安当局との衝突やトラブルはありませんでした。
シンガポール外務省は同日、「事態が平和的に解決することを期待する」との声明を出しました。
(『しんぶん赤旗』2007.09.25.)
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>シンガポール外務省は同日、「事態が平和的に解決することを期待する」との声明を
……そうです……
この数値のあたりで、
これまでの「例」を思い浮かべて、
背筋を冷たいものが走りましたね……★(>_<)★”
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 03:01
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ミャンマー 再び10万人デモ
ヤンゴンで僧侶ら 当局の警告の中
【バンコク=時事】
ミャンマーの旧首都ヤンゴンでは二十五日も燃料費の大幅引き上げなどに抗議する僧侶らの大規模な反政府デモが行われ、一部情報によると、約十万人が参加しました。
軍事政権は僧侶らに宗教以外の活動に関与しないよう繰り返し警告しましたが、僧侶らはこれを無視しました。軍政は「違法行為には対応措置を取る」とも宣言していましたが、参加者の拘束や混乱などはありませんでした。
僧侶ら約三万人と市民ら約七万人は同日午後、同国最大の仏塔、シュエダゴン・パゴダと市中心部のスーレー・パゴダ周辺を往復しました。僧侶らは「民主主義、民主主義」などと唱えながら行進。ヤンゴン市内の国連事務所前では、自宅軟禁が続く民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんの解放を訴えました。
デモには多くの学生も参加し、同国で民主主義や独立を象徴するクジャクが描かれた旗を振って歩きました。
ヤンゴンでの僧侶の大規模デモは十八日から始まり、八日連続。前日同様、二十五日は参加者が約十万人に膨れ上がり、ヤンゴンで民主化要求デモが盛り上がった一九八八年以降では最大規模となりました。
また、この日は同国第二の都市マンダレーや北部カチン州、東部カイン(カレン)州など国内各地で同様のデモが行われました。
軍政当局者は同日、デモに先立ち複数のトラックに分乗してヤンゴン市内を走り回り、拡声器を使ってデモに参加しないよう僧侶や市民に警告しました。
消息筋によると、軍政幹部はこの日、同国中部の新首都ネピドーで反政府デモの対応策を協議する緊急会議を開催しました。
また、少数民族武装組織との闘争が続いているカイン州に展開していた国軍部隊がヤンゴンに移動したといいます。
(『しんぶん赤旗』2007.09.26.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 03:13
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軍政 デモを弾圧
ミャンマー 僧侶3人死亡 【バンコク=時事】
ミャンマー治安当局は二十六日、軍事政権による燃料費の大幅値上げなどに抗議するため、旧首都ヤンゴンの仏塔シュエダゴン・パゴダ周辺部に集まった僧侶や市民を警棒で殴打、七十人以上が負傷しました。AFP通信によると、僧侶三人以上が死亡。治安部隊は約二百人を拘束しました。僧侶らはデモを強行、軍政は威嚇発砲し催涙ガスも使用しました。軍政が実力行使に出たことで、ミャンマー情勢は一気に緊迫しました。
目撃者によると、治安部隊員は警棒で僧侶や市民約千人を殴打。僧侶らはこの後、現場近くから市中心部までデモ行進し、参加者は10万人近くに膨れ上がりました。
道路脇では市民が拍手をして僧侶を激励。治安部隊はこれに対し二十発以上威嚇発砲し、催涙ガス約十発を放ちました。
軍政は二十五日以降、五人以上の集会を行わないよう警告するとともに、大量の治安部隊員をヤンゴン市内に配置。僧侶らは警告を無視して、パゴダ周辺に集まっていました。
軍政は二十四日、僧侶や市民に抗議活動に加わらないよう命じるとともに、二十五日夜にはヤンゴンど同国第二の都市マンダレーに夜間外出禁止令を発令していました。
自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんが率いる国民民主連盟(NLD)は二十六日、「軍政は僧侶をたたくという歴史上取り返しのつかない不法行為を行った」との声明を出しました。
(7面に関連情報)
ミャンマー問題 緊急安保理招集
【ニューヨーク=AFP時事】
国連安保理議長国フランスのクシュネル外相は二十六日、ミャンマー情勢について協議するため、安保理の緊急会合を同日開催することを明らかにしました。
同外相によると、緊急会合を同日午後三時(日本時間二十七日午前四時)から始まる予定です。
(『しんぶん赤旗』2007.09.27.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 03:23
(7面の関連情報・1)
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ミャンマー 非暴力デモ弾圧
抑えられない軍政への怒り 【ハノイ=井上歩】
ミャンマーの僧侶を中心とした反軍事政権デモは日増しに規模が拡大し、二十六日には軍政治安部隊が僧侶や市民、学生などのデモ参加者に対する弾圧に乗り出し、僧侶が死亡という事態になりました。非暴力のデモに武力弾圧を加えた軍政への内外からの批判が強まることは必至です。
デモの発端は、八月十五日にガソリンなど燃料費が大幅に値上げされ、国民生活を圧迫したこと。燃料費値上げに伴って物価も上昇し、先月十九日から値上げに抗議するデモが頻発。自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんが率いる国民民主連盟(NLD)メンバーの拘束も相次ぎました。
五日には中部パコックで燃料費値上げに抗議する僧侶のデモに兵士が威嚇発砲し、拘束の際に僧侶に暴行、負傷させる事件が発生。僧侶たちは同事件に憤慨、軍政に謝罪を要求し、謝罪期限が過ぎた十八日から数千人規模のデモを各地で開始しました。
デモは各都市に広がり、学生や一般市民が支援・合流。二十四日、二十五日には最大都市ヤンゴンで十万人規模にまで膨れ上がりました。
デモの要求は、当初の謝罪要求、燃料費値下げだけでなく、「スー・チーさん解放」「民主化を」が加わり、軍政打倒の声もあがっているといいます。
二十二日にはスー・チーさんの自宅前を通過したデモ隊の僧侶とスー・チーさんが体面し、僧侶が言葉をかけました。
デモは、若手僧侶を中心にした僧侶団体の連合体「全ビルマ僧侶連盟」が主導しているとされます。同連盟は僧侶暴行事件を機に結成されたとされ、国民にデモ参加を呼びかけています。
ミャンマーのニュース関連サイトには、「邪悪な軍事政権追放」を訴える同連盟のものとされる声明も掲載されています。
(『しんぶん赤旗』2007.09.27.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 03:35
(7面の関連情報・2)
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民主化の約束をほごに
ミャンマーでは一九八八年に学生デモと民主化運動が高まり、大規模なゼネストが発生。これに対し国軍が同年九月にクーデターで全権を掌握し、抗議デモの学生、市民に発砲して推定千人を射殺しました。
軍政は総選挙実施・民政移管を公約しましたが、九〇年五月の総選挙でNLDが80%以上の議席を得て圧勝すると、「新憲法制定が政権移譲の前提」として選挙結果の受け入れを拒否しました。
軍政は選挙前の八九年から断続的にNLD書記長のスー・チーさんを自宅軟禁し、現在も二〇〇三年五月以来の軟禁が続いています。スー・チーさんの軟禁と身柄拘束は通算十一年を超えています。
批判を強める国際社会に対して軍政は、二〇〇三年八月に民主化ロードマップを発表し、憲法の基本原則をまとめる「国民会議」の開催、新憲法国民投票、総選挙など実施していくとしてきました。
「国民会議」は長期休会を繰り返し十四年以上を費やして今月三日閉幕しました。しかし合意された憲法基本原則は、軍の指導的役割を保証し、正副大統領三人のうち一人を軍が選出、議会定数の四分の一は軍が任命する、という内容となりました。
ミャンマーの国民には、そもそも軍政が総選挙結果を拒否し、民政移管の約束をほごにしていることに根本的な不満がある上、経済の遅滞や生活環境の悪化、市民、活動家の相次ぐ逮捕・弾圧などで軍政への不満がさらに高まっているとみられます。
「民主化プロセス」の一段階である国民会議閉幕と同時期に、八八年の民主化運動以来最大規模の反軍政運動が高まっているのは、国民の強い不満の現れだととれます。
ミャンマーはおよそ五千万人の人口の約90%が仏教徒で、僧侶は国民の尊敬を受けています。
軍政が二十四日に対抗措置をとるとの警告を出したにもかかわらずその後も僧侶主導の大規模なデモが行われ、軍政と僧侶、市民の対立構造は深まっています。
(井上歩)
(『しんぶん赤旗』2007.09.27.)
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(まじめな話なのに、つい、<(_ _;)>
ふざけた題をつけてしまって申し訳ありません★)(ーー;)
昨日は長井さんの告別式でした。
が、実父を亡くして以来どうも葬儀の場というのが苦手なので欠礼。地元の憲法講座の方を優先しました。
(たぶんその方が長井さんも喜んでくれると思うし。)
で、以下、追悼の読経(?)代わりに、ビルマ(ミャンマー)関連の手元にある切り抜き類を、まとめてアップしてみたいと思います。
(注:長井さんの追悼だけに、長いです☆)d(ーー;)>”
◆コメント◆
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 02:20
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反軍政 僧侶デモ拡大
旧首都 雨の中1500人
ミャンマー【バンコク=時事】
ミャンマーで軍事政権に反発する僧侶のデモが広がりを見せています。治安当局は民主化運動活動家らのデモを徹底弾圧しましたが、敬虔(けいけん)な仏教徒が多い同国で僧侶に強硬手段を取り続けた場合、国民の反発を招くのは必至。燃料費の大幅引き上げと物価上昇で国民の不満は高まっており、対応次第では抗議活動に火が付き、体制が揺らぐ事態も想定されます。
旧首都ヤンゴンでは二十一日、僧侶約千五百人が雨の中、デモ行進し、一般市民約千五百人も合流したといいます。ヤンゴンでのデモ行進は四日連続。燃料費の引き上げなどに抗議する過去一カ月のデモの中では最大規模となりました。
僧侶のデモが始まったのは八月二十八日。同月十九日にガソリン価格などが大幅に引き上げられたのがきっかけでした。
今月五日にはマグエ管区パコクで、治安当局がデモに威嚇発砲。「僧侶の負傷者が出た」「僧侶が死亡した」といったうわさが広がり、デモは反軍政の色合いを強めました。
軍政側は僧侶にけがをさせたことを否定しましたが、僧侶側は翌六日、政府職員をパコクの僧院に数時間閉じ込めるなど反発。宗派を越えた「全国僧侶連盟」も誕生し、各地にデモが拡大しました。
一部の僧侶グループは軍政当局者に対する托鉢(たくはつ)を拒否するなど対決姿勢を強めています。
(『しんぶん赤旗』2007.09.22.)
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(以下、上記記事の隣に掲載された記事/参考まで)
米で黒人数千人デモ
人種差別司法判断に抗議 【ニューヨーク=時事】
米南部ルイジアナ州の町ジーナで二十日、地元の高校で起きた暴力事件をめぐり、黒人生徒だけが訴追されたのは人種差別的な司法判断があったためだとして、数千人が参加して抗議デモが行われました。
現地からの報道によると、参加者は全米各地からバスなどでジーナに集結。黒い服装に身を包み、「公正なくして平和なし」のスローガンを唱えながら、事件の起きた高校に集まりました。
この高校では昨年九月に黒人差別を思い起こさせる出来事があったのをきっかけに、白人生徒と黒人生徒の間で暴力事件が発生。黒人生徒六人が訴追されたのに対し、白人生徒は誰も罪に問われなかったとされます。
デモを主導した黒人運動指導者のジェシー・ジャクソン師は「司法省は沈黙している」と批判、この事件について公聴会を開くよう政府に要求しました。
(『しんぶん赤旗』2007.09.22.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 02:32
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反軍政デモ拡大
僧侶団体、国民に参加訴え 【バンコク=時事】
ミャンマーの旧首都ヤンゴンで二十二日、軍事政権による燃料費の大幅引き上げなどに抗議する僧侶のデモが行われ、一部の僧侶らが自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん宅前をデモ行進しました。
第二の都市マンダレーでは過去二十年で最大となる約一万人規模のデモが発生。僧侶団体は闘争に参加するよう国民に呼び掛けており、軍政は一段と厳しい状況に追い詰められました。
現地からの情報によると、ヤンゴンでのデモは五日連続で、この日は僧侶約二千人が参加。市内を行進したほか、パゴダ(仏塔)で抗議の祈とうを行いました。スー・チーさん宅前のデモ行進は、八月下旬に反軍政でもが始まって以来初めて。
一方、マンダレーでは同日、僧侶約一万人がデモ行進し、市民も行進に加わりました。
反政府デモの規模としてh、民主化要求デモが盛り上がった一九八八年以来最大といいます。
僧侶グループの一部はこれまで、一般市民が僧侶のデモに加わるのを控えるよう訴えていました。しかし、全国僧侶連盟はこの日、軍事独裁体制を完全に終わらせるため、平和闘争に加わるよう国民に訴えました。
(『しんぶん赤旗』2007.09.23.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 02:41
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ミャンマー 2万人デモ
治安当局 スー・チー宅接近阻む
【バンコク=時事】
ミャンマーの旧首都ヤンゴンで二十三日、軍事政権の燃料費引き上げに抗議する僧侶らのデモが行われ、約二万人が参加しました。ヤンゴンでの僧侶のデモは六日連続で、八月中旬に抗議デモが始まって以来、最大規模。一九八八年の民主化要求デモ以降でも最大となりました。
一部の僧侶は自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん宅に接近しようとしましたが、治安当局に阻まれました。
現地からの情報によると、僧侶らは同日午後、シュエダゴン・パゴダから行進を開始。僧侶らは市民に対し行進に加わるよう呼び掛けました。参加者は僧侶、市民各約一万人に膨れ上がり、中心部のスーレー・パゴダを取り囲みました。この日の抗議活動には初めて尼僧も加わりました。
僧侶約二百人がスー・チーさん宅に向かおうとしましたが、治安当局はスー・チーさん宅前の道路を封鎖し、僧侶らの接近を阻止。僧侶らは治安当局と約三十分間交渉した後、読経をして現場を立ち去りました。
僧侶の地下組織「全ビルマ僧侶同盟」は全国の僧侶に対し、徹夜の祈とうを要請。同国北部マンダレーなどではこの日、僧侶らの祈とうが行われ、軍政に抗議の意志を示しました。
(『しんぶん赤旗』2007.09.24.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 02:50
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ヤンゴンで10万人デモ
ミャンマー軍事政権に抗議 【バンコク=時事】
ミャンマー国内では二十四日も、各地で軍事政権の燃料費引き上げに抗議する大規模なデモが行われ、一部情報では、旧首都ヤンゴンの僧侶や市民らのデモには十万人以上が参加しました。ヤンゴンでのこの日のデモは、民主化要求デモが盛り上がった一九八八年以降では最大規模です。
現地からの情報によると、ヤンゴンでのデモは主に二グループが主導し、それぞれ同国を代表する仏塔のシュエダゴン・パゴダを出発。一グループは北部の別のパゴダに、もう一つのグループは市中心部のパゴダまで行進しました。これらのデモには多くの市民や学生が合流しました。
僧侶らは読経しながら行進する傍ら、軍政に対するスローガンを叫ぶのを控えるよう参加者に求めました。しかし、一部の参加者はプラカードを掲げ、政治囚の即時解放や生活状況の改善などを訴えました。
道路の両脇では市民らが拍手をして僧侶らを激励。市民らが道路に沿って「人間の鎖」を作り、僧侶の行動を守る動きもみられました。
僧侶ら約二千人は自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさん宅近くの道路を行進しましたが、治安当局との衝突やトラブルはありませんでした。
シンガポール外務省は同日、「事態が平和的に解決することを期待する」との声明を出しました。
(『しんぶん赤旗』2007.09.25.)
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>シンガポール外務省は同日、「事態が平和的に解決することを期待する」との声明を
……そうです……
この数値のあたりで、
これまでの「例」を思い浮かべて、
背筋を冷たいものが走りましたね……★(>_<)★”
歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 03:01
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ミャンマー 再び10万人デモ
ヤンゴンで僧侶ら 当局の警告の中
【バンコク=時事】
ミャンマーの旧首都ヤンゴンでは二十五日も燃料費の大幅引き上げなどに抗議する僧侶らの大規模な反政府デモが行われ、一部情報によると、約十万人が参加しました。
軍事政権は僧侶らに宗教以外の活動に関与しないよう繰り返し警告しましたが、僧侶らはこれを無視しました。軍政は「違法行為には対応措置を取る」とも宣言していましたが、参加者の拘束や混乱などはありませんでした。
僧侶ら約三万人と市民ら約七万人は同日午後、同国最大の仏塔、シュエダゴン・パゴダと市中心部のスーレー・パゴダ周辺を往復しました。僧侶らは「民主主義、民主主義」などと唱えながら行進。ヤンゴン市内の国連事務所前では、自宅軟禁が続く民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんの解放を訴えました。
デモには多くの学生も参加し、同国で民主主義や独立を象徴するクジャクが描かれた旗を振って歩きました。
ヤンゴンでの僧侶の大規模デモは十八日から始まり、八日連続。前日同様、二十五日は参加者が約十万人に膨れ上がり、ヤンゴンで民主化要求デモが盛り上がった一九八八年以降では最大規模となりました。
また、この日は同国第二の都市マンダレーや北部カチン州、東部カイン(カレン)州など国内各地で同様のデモが行われました。
軍政当局者は同日、デモに先立ち複数のトラックに分乗してヤンゴン市内を走り回り、拡声器を使ってデモに参加しないよう僧侶や市民に警告しました。
消息筋によると、軍政幹部はこの日、同国中部の新首都ネピドーで反政府デモの対応策を協議する緊急会議を開催しました。
また、少数民族武装組織との闘争が続いているカイン州に展開していた国軍部隊がヤンゴンに移動したといいます。
(『しんぶん赤旗』2007.09.26.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 03:13
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軍政 デモを弾圧
ミャンマー 僧侶3人死亡 【バンコク=時事】
ミャンマー治安当局は二十六日、軍事政権による燃料費の大幅値上げなどに抗議するため、旧首都ヤンゴンの仏塔シュエダゴン・パゴダ周辺部に集まった僧侶や市民を警棒で殴打、七十人以上が負傷しました。AFP通信によると、僧侶三人以上が死亡。治安部隊は約二百人を拘束しました。僧侶らはデモを強行、軍政は威嚇発砲し催涙ガスも使用しました。軍政が実力行使に出たことで、ミャンマー情勢は一気に緊迫しました。
目撃者によると、治安部隊員は警棒で僧侶や市民約千人を殴打。僧侶らはこの後、現場近くから市中心部までデモ行進し、参加者は10万人近くに膨れ上がりました。
道路脇では市民が拍手をして僧侶を激励。治安部隊はこれに対し二十発以上威嚇発砲し、催涙ガス約十発を放ちました。
軍政は二十五日以降、五人以上の集会を行わないよう警告するとともに、大量の治安部隊員をヤンゴン市内に配置。僧侶らは警告を無視して、パゴダ周辺に集まっていました。
軍政は二十四日、僧侶や市民に抗議活動に加わらないよう命じるとともに、二十五日夜にはヤンゴンど同国第二の都市マンダレーに夜間外出禁止令を発令していました。
自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんが率いる国民民主連盟(NLD)は二十六日、「軍政は僧侶をたたくという歴史上取り返しのつかない不法行為を行った」との声明を出しました。
(7面に関連情報)
ミャンマー問題 緊急安保理招集
【ニューヨーク=AFP時事】
国連安保理議長国フランスのクシュネル外相は二十六日、ミャンマー情勢について協議するため、安保理の緊急会合を同日開催することを明らかにしました。
同外相によると、緊急会合を同日午後三時(日本時間二十七日午前四時)から始まる予定です。
(『しんぶん赤旗』2007.09.27.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 03:23
(7面の関連情報・1)
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ミャンマー 非暴力デモ弾圧
抑えられない軍政への怒り 【ハノイ=井上歩】
ミャンマーの僧侶を中心とした反軍事政権デモは日増しに規模が拡大し、二十六日には軍政治安部隊が僧侶や市民、学生などのデモ参加者に対する弾圧に乗り出し、僧侶が死亡という事態になりました。非暴力のデモに武力弾圧を加えた軍政への内外からの批判が強まることは必至です。
デモの発端は、八月十五日にガソリンなど燃料費が大幅に値上げされ、国民生活を圧迫したこと。燃料費値上げに伴って物価も上昇し、先月十九日から値上げに抗議するデモが頻発。自宅軟禁中の民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんが率いる国民民主連盟(NLD)メンバーの拘束も相次ぎました。
五日には中部パコックで燃料費値上げに抗議する僧侶のデモに兵士が威嚇発砲し、拘束の際に僧侶に暴行、負傷させる事件が発生。僧侶たちは同事件に憤慨、軍政に謝罪を要求し、謝罪期限が過ぎた十八日から数千人規模のデモを各地で開始しました。
デモは各都市に広がり、学生や一般市民が支援・合流。二十四日、二十五日には最大都市ヤンゴンで十万人規模にまで膨れ上がりました。
デモの要求は、当初の謝罪要求、燃料費値下げだけでなく、「スー・チーさん解放」「民主化を」が加わり、軍政打倒の声もあがっているといいます。
二十二日にはスー・チーさんの自宅前を通過したデモ隊の僧侶とスー・チーさんが体面し、僧侶が言葉をかけました。
デモは、若手僧侶を中心にした僧侶団体の連合体「全ビルマ僧侶連盟」が主導しているとされます。同連盟は僧侶暴行事件を機に結成されたとされ、国民にデモ参加を呼びかけています。
ミャンマーのニュース関連サイトには、「邪悪な軍事政権追放」を訴える同連盟のものとされる声明も掲載されています。
(『しんぶん赤旗』2007.09.27.)
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歌いながら大地を歩く 2007年10月10日 03:35
(7面の関連情報・2)
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民主化の約束をほごに
ミャンマーでは一九八八年に学生デモと民主化運動が高まり、大規模なゼネストが発生。これに対し国軍が同年九月にクーデターで全権を掌握し、抗議デモの学生、市民に発砲して推定千人を射殺しました。
軍政は総選挙実施・民政移管を公約しましたが、九〇年五月の総選挙でNLDが80%以上の議席を得て圧勝すると、「新憲法制定が政権移譲の前提」として選挙結果の受け入れを拒否しました。
軍政は選挙前の八九年から断続的にNLD書記長のスー・チーさんを自宅軟禁し、現在も二〇〇三年五月以来の軟禁が続いています。スー・チーさんの軟禁と身柄拘束は通算十一年を超えています。
批判を強める国際社会に対して軍政は、二〇〇三年八月に民主化ロードマップを発表し、憲法の基本原則をまとめる「国民会議」の開催、新憲法国民投票、総選挙など実施していくとしてきました。
「国民会議」は長期休会を繰り返し十四年以上を費やして今月三日閉幕しました。しかし合意された憲法基本原則は、軍の指導的役割を保証し、正副大統領三人のうち一人を軍が選出、議会定数の四分の一は軍が任命する、という内容となりました。
ミャンマーの国民には、そもそも軍政が総選挙結果を拒否し、民政移管の約束をほごにしていることに根本的な不満がある上、経済の遅滞や生活環境の悪化、市民、活動家の相次ぐ逮捕・弾圧などで軍政への不満がさらに高まっているとみられます。
「民主化プロセス」の一段階である国民会議閉幕と同時期に、八八年の民主化運動以来最大規模の反軍政運動が高まっているのは、国民の強い不満の現れだととれます。
ミャンマーはおよそ五千万人の人口の約90%が仏教徒で、僧侶は国民の尊敬を受けています。
軍政が二十四日に対抗措置をとるとの警告を出したにもかかわらずその後も僧侶主導の大規模なデモが行われ、軍政と僧侶、市民の対立構造は深まっています。
(井上歩)
(『しんぶん赤旗』2007.09.27.)
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