(旧MIXI日記) 『国の敵』とみなされたら、
2007年6月18日 くたばれ!カイザー(ん)!(2007年06月18日03:09)
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民主化20年の韓国(3)
燃え続けた光州の炎
一九八〇年五月の光州民主化運動がなかったら八七年の六月民主抗争もなかった−−。多くの韓国人がそう評価します。光州の運動が始まった五月一八日はいま、国の記念日の一つです。
独裁を象徴
光州民主化運動の継承と資料収集をしている「5・18記念財団」李洪吉理事長(66)は「『光州』は全斗煥独裁政権の正統性のなさを象徴する決定的な一言だった。光州市民の死体の上に築かれた政権だったからだ」と言います。
李理事長は「収拾対策委員会」のメンバーでした。「たたかいだけでなく、市民による自治共同体という経験も、最近は積極的に継承すべき価値として注目されている」と指摘します。
被服労働者だった張義浩さん(52)は、軍による無差別発砲で左胸に貫通傷を受けながら奇跡的に一命をとりとめました。今も体中の筋肉が硬化する後遺症を抱えています。
「後で知ったのですが、実弟が鎮圧軍のなかにいたそうです。退院してからは、私は警察に監視され続けました。父は不安で仕方がなかったようです。朝鮮戦争を経験していますから。一度『国の敵』とみなされたら『アカ』として殺された時代でした。息子が殺されるかもしれないと本気で恐れたのです」
名誉を回復
民主化の進展のなかで、「暴徒」とされた光州民主化運動参加者は名誉回復を果たします。八八年、全斗煥をはじめ八〇年当時の軍幹部が国会の公聴会に召還され、責任を追及されます。
九〇年に5・18民主化運動補償法が成立。九五年に全斗煥らに対する裁判が始まり、九七年に全は無期懲役の判決を受けます。同年には「五月一八日」が国家記念日に指定されました。
(光州=面川誠)(「しんぶん赤旗」2007.06.15.)
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◆コメント◆
歌いながら大地を歩く 2007年06月18日 03:16
(☆上の引用記事の続き☆)
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光州民主化運動
七九年十月二十六日、独裁を続けた朴正樋熙大統領が暗殺され、全国で民主化要求が高まります。全斗煥ら軍首脳部は八〇年五月十七日に戒厳令を全土に拡大し、韓国南西部・光州市一体に空挺(くうてい)部隊を展開させました。
二十一日、市中心部で軍がデモに無差別銃撃を加え多数が死傷。市民は武装を始め、軍は市外へ一時退却。一方で、市民の各界代表は「収拾対策委員会」をつくり、市内の自治と治安維持にあたりました。
二十七日未明、戒厳軍が市内に突入。市民の犠牲は公式統計で死亡・行方不明二百七人、負傷二千三百九十二人に達しました。民主化運動の中心人物だった金大中氏(のちに大統領)は、光州で「内乱」を企てたとして死刑判決を言い渡されました。(八二年執行停止に)。
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民主化20年の韓国(3)
燃え続けた光州の炎
一九八〇年五月の光州民主化運動がなかったら八七年の六月民主抗争もなかった−−。多くの韓国人がそう評価します。光州の運動が始まった五月一八日はいま、国の記念日の一つです。
独裁を象徴
光州民主化運動の継承と資料収集をしている「5・18記念財団」李洪吉理事長(66)は「『光州』は全斗煥独裁政権の正統性のなさを象徴する決定的な一言だった。光州市民の死体の上に築かれた政権だったからだ」と言います。
李理事長は「収拾対策委員会」のメンバーでした。「たたかいだけでなく、市民による自治共同体という経験も、最近は積極的に継承すべき価値として注目されている」と指摘します。
被服労働者だった張義浩さん(52)は、軍による無差別発砲で左胸に貫通傷を受けながら奇跡的に一命をとりとめました。今も体中の筋肉が硬化する後遺症を抱えています。
「後で知ったのですが、実弟が鎮圧軍のなかにいたそうです。退院してからは、私は警察に監視され続けました。父は不安で仕方がなかったようです。朝鮮戦争を経験していますから。一度『国の敵』とみなされたら『アカ』として殺された時代でした。息子が殺されるかもしれないと本気で恐れたのです」
名誉を回復
民主化の進展のなかで、「暴徒」とされた光州民主化運動参加者は名誉回復を果たします。八八年、全斗煥をはじめ八〇年当時の軍幹部が国会の公聴会に召還され、責任を追及されます。
九〇年に5・18民主化運動補償法が成立。九五年に全斗煥らに対する裁判が始まり、九七年に全は無期懲役の判決を受けます。同年には「五月一八日」が国家記念日に指定されました。
(光州=面川誠)(「しんぶん赤旗」2007.06.15.)
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◆コメント◆
歌いながら大地を歩く 2007年06月18日 03:16
(☆上の引用記事の続き☆)
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光州民主化運動
七九年十月二十六日、独裁を続けた朴正樋熙大統領が暗殺され、全国で民主化要求が高まります。全斗煥ら軍首脳部は八〇年五月十七日に戒厳令を全土に拡大し、韓国南西部・光州市一体に空挺(くうてい)部隊を展開させました。
二十一日、市中心部で軍がデモに無差別銃撃を加え多数が死傷。市民は武装を始め、軍は市外へ一時退却。一方で、市民の各界代表は「収拾対策委員会」をつくり、市内の自治と治安維持にあたりました。
二十七日未明、戒厳軍が市内に突入。市民の犠牲は公式統計で死亡・行方不明二百七人、負傷二千三百九十二人に達しました。民主化運動の中心人物だった金大中氏(のちに大統領)は、光州で「内乱」を企てたとして死刑判決を言い渡されました。(八二年執行停止に)。
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