(2007年05月27日07:09)
 
 ……前の日記のフォローと言うか……

>バグダッシュ
>「今の装備で出ろ」と言われたら、出るしかないです。
>それなりの覚悟、できてますよ、俺ら。

いやホント、覚悟、いらないから〜っ!!
 
 (>_『銀河英雄伝説』雌伏篇 第五章「査問会」

 
 もひとつ!
 

『ひとたび防衛ラインが突破され(中略)国家が消滅しても、人間は残る。「国民」ではなく、「人間」が、だ。国家が消滅して最も困るのは、国家に寄生する権力機構中枢の連中であり、彼らを喜ばせるために「人間」が犠牲になる必要など、宇宙の涯(はて)までその理由を探しても見つかるはずがない。』<small>『銀河英雄伝説』雌伏篇 第八章「帰還」

 
 ……って、ことで……………… (^^;)"

例によって「復活のグエン・バン・ヒュー」の
「IF」をでっち上げてたら私が言いたかった
ことにぴったりの名文を見つけてしまったので、

 (^◇^;)>"

「引用」(?)しておきま〜す……☆

 
 長くてごめん。

 でも、
 
生 き て い て く れ 。
死 な な い で く れ 。


私が言いたいのは、たったそれだけの事なんだ。
 

 
そして、
明日はちゃんと「〜誘拐」の続きも書くから、

見捨てないで、今後とも遊んでやってくれ♪

 (  ̄ー ̄)ノ

◆コメント◆

大陸帰り 2007年05月27日 12:29

歌いながら大地を歩くさんの寛大さに甘えて意見書き込ませていただきますが・・・

田中芳樹氏の考え方は、共同体というものを軽視しすぎな気が私はしているんですね。

>「かかっているのはたかだか国家の存亡だ。
>個人の自由と権利にくらべれば」

この発想自体、国家と個人はことの最初から対立する存在であるという前提に立っているものではないでしょうか。エンリケなんとかオリベイラの「個人にとって国家は必要不可欠の意味を持つ」という意見と同じくらい、あるいはそれ以上の偏りを私は感じるのです。個人は自由だから勝手に自由にさせておけば良い、みたいな考え方なんでしょうか?

国家がそれなりに、個人の自由を尊重する考え方に基づいた法の整備なり啓蒙なりをやるからこそ、個人は自由に生きて行けるという考え方はたしかにあります。
実際、村社会による私刑とか貧富の過度の格差とか、国家という存在が縛りをかけたからこそ、個人が解放され自由になってきたという側面があることは、誰も否定できないでしょう。

銀英伝の状況で言えば、そんなに個人の命が大切ならば、なぜわざわざイゼルローンから出てきて救国軍事会議と対決したのか、ということです。それは、国家は、あり方によっては個人の自由をより促進させる存在だとヤンが認識していたからではないのでしょうか?

大陸帰り 2007年05月27日 12:37

全体主義的な異民族に統治されるというのは不幸です。特に日本人のような「海の民」がどことは申しませんが「陸の民」に統治されて幸福であるとはとても思えません。だから

>「今の装備で出ろ」と言われたら、出るしかないです。
>それなりの覚悟、できてますよ、俺ら。

というバグダッシュ大佐さんの覚悟は私はすごく尊敬します。否定するよりも賞賛したい。もちろんその覚悟がないからと言って批判することもできませんけど。

もし次の有事があるとすれば、専守防衛の日本側に、銃後だからと言って安全な状況が存在するとはとても思えません。が、もし生き残ることができたとすれば、誰のおかげで日本が存在することができたのか、後世にはしっかり伝えていきたいと思います。

ちなみに万全な装備などありえないでしょう。
少しでも万全な装備をつけてもらおうと思えば、、、我々はそれこそ九条を放棄せざるを得ないのではないでしょうか。

歌いながら大地を歩く 2007年05月29日 05:11

>田中芳樹氏の考え方は、共同体というものを軽視しすぎな気が私はしているんですね。

 ……あいかわらず、的確すぎるツッコミをありがとうございます、「名誉オーベルシュタイン」元帥閣下……☆ (^◇^;)"

>国家は、あり方によっては個人の自由をより促進させる存在だとヤンが認識していたから

 私が思うに、ヤンが簡単に「国家」という言葉を使って表現しようとしたものには、状況や文脈によって「2種類あった」のではないかと……。

 つまり、「基本的人権の尊重等、民主主義の原則を忠実に守ろうとしている、理想を追求する法治国家たる自由惑星同盟」という理念と、「利権集団の表面的な情報操作(人気取り?)に騙されて腐敗と汚濁と怠惰にまみれた衆愚政治と堕しつつある、もはや歴史的に見て末期症状と言えるのではないかという危惧を抱かせるようなテイタラクの自由惑星同盟」という現実の、2種類です。

 で、戦争嫌いのヤンが、それでも「戦ってでも守ろう」としているのは前者で、「滅びても構わない」扱いをされているのが、後者と……。

 そういうダブル・スタンダードな使い方をされている単語だと思うのですが、どうでしょうか?
 
 で、私個人はと言えば、現在の「日本国」政府のありようは、既に「後者」の扱いに、放り込んでしまっているのですが…… A^−^;)"
 
(だから、「自民党政府」とか「安部内閣」なんぞの存続よりも、バグダッシュの命の方が大事!!……という、単純明快な個人的方程式が成立するわけです。)

>バグダッシュ大佐さんの覚悟は私はすごく尊敬します。否定するよりも賞賛したい。

 うん。私もそのこと自体はとても大事な「気持ち」だと思います。だって、他の誰かが言うのではなく、他ならぬ「バグダッシュ大佐」が言う以上、「それ」は単なる無思慮なカッコ付けとか、浅薄な自己陶酔とかじゃなく、純粋に、現実的に根拠のある(と思われる)危機感に基づいた、「利他的」精神の発露だろうと思うから…………

(もしバグダッシュがその時、守ろうとしているものが、具体的にどこそこの村で現に敵軍の侵攻によって危機にさらされている何百人の命!! とかだったら…… 私自身も「微力を尽くして」バグダッシュ大佐と村人さん達の援護射撃に行きますよ?)

 σ(^^;)" <注:「一応」非暴力主義者ですが☆
 
 
>ちなみに万全な装備などありえないでしょう。
>少しでも万全な装備をつけてもらおうと思えば、、、我々はそれこそ九条を放棄せざるを得ないのではないでしょうか。

 そこが「違うと思う」部分なんですよね。

 「万全な装備などありえない」以上、少しでも仮想敵国より多量の武器弾薬を持ち、少しでも仮想敵国よりも優れた戦闘機や強力な軍艦を持ち……という「軍拡競争」をした挙句に、大艦巨砲主義が極限まで進行してしまって、国費を圧迫し、人民を窮迫させ……という歴史的失敗(※「核兵器」の開発と使用という一大ミステイクを含む※)は、既に人類は沢山経験しているはずです。
 
 で、そこで出て来たのが「憲法九条」(戦争の放棄)という「対案」な、わけですよね?
 
 もちろん、これは歴史的に見てまだ日が浅い?発想なので(……実は「非暴力主義」という考え方それ自体は、釈尊やイエス・キリストやらの時代からありますが、それはさておき……)、違和感や不信感を持つ人が多いのも、仕方がないことだとは思います。

 ただ、別のところの日記で私自身の経験としても書きましたが、

「俺に逆らうなら殴るぞ!」

という露骨な脅しをかけてくるヤクザに対して、

「丸腰で無抵抗の弱者を殴れるほどの
 卑怯者になりたいなら殴ってみろ!!」

という問いかけで応ずる、相手の自尊心を挑発するというか、ある意味では開き直りの極限とも言うべき「非武装・非暴力戦法(攻撃?)」……(笑)……にも、
 
 間違いなく、ある程度の、実効性が……、

 確かに、あります。

(※もちろん、非武装の平民しかいない惑星ヴェスターラントに核爆弾をブチ込んだブラウンシュバイク公や、丸腰の美女ジェシカを銃把で殴り殺したクリスチアン大佐@「スタジアムの惨劇」みたいなケースでは、完全に無力ではありますが……)

 しかしながら、その「ある程度の実効性」……、実は、「相手より少しでも強大な武装を持つことによって攻撃を牽制する」という方法論と、

 ある意味では同じくらいの効力がある

(しかも低コストだ!!)と、

 私は思うのですが……

 その辺りも、
 少しだけでいいので、

 勘案してみて頂けないでしょうか?

大陸帰り 2007年05月29日 23:26

>そういうダブル・スタンダードな使い方をされている単語だと思うのですが、どうでしょうか?

そうでしょうね。
ただ、この二つの分類に関しては、少し考慮すべきことがあります。それは

  (1)必ずしも両立しないわけではないこと。
    つまり衆愚政治的な動きをしていても民主主義の原則に沿っている
    場合があること。今の日本はこれではないですかね。

  (2)「国家」の性質はその二つだけですべて表現できていないこと。
    この考え方は政治的状態の分類だけであり、文化や伝統の護持は
    入らないですよね。銀英伝の世界ですら、フェザーンなどを見ると
    自治政府への忠誠とは別の民族的な感情が存在することが
    見て取れます。
    まして、銀英伝世界の千数百年前である現在の世界では、
    民族がそれぞれ自分達の文化や伝統に従って生きているのであり、
    それを侵害されれば苦痛に感じるのが普通でしょう。
    日本も例外ではありません。つまり国防は、政権だけを守るのでは
    なく、民族を守るという意味があるのです。
    まして民主主義というシステムは、政権交代の仕組を内包している
    システムですから、国防の対象が、政権ではないことは明らかです。
    (なお、民主政体の最大の特徴は「政権交代の仕組を内包している」
      ということであり、ここに言及していないのが
      「銀英伝民主主義」の最大の欠点でしょう)

というわけなので、

>「自民党政府」とか「安部内閣」なんぞの存続よりも、バグダッシュの命の方が大事!!

これはあたりまえです。歌いながら大地を歩くさんのみの個人的方程式ではありません!!
バグダッシュ大佐さんが守ろうとしているのも「自民党政府」とか「安部内閣」であるはずがなく、むしろそのように解釈することは、バグダッシュ大佐さんに対して多少失礼なような気がします。
バグダッシュ大佐さんが欠陥装備のままでも政府の指示に従って守ろうとしているものは、先祖から受け継ぎ、同胞子孫に残そうとしている「日本」そのものなのだと思います。


大陸帰り 2007年05月29日 23:28

>「万全な装備などありえない」以上、……という「軍拡競争」をした挙句に、

それはそのとおりですね。しかし

>そこで出て来たのが「憲法九条」(戦争の放棄)という「対案」

打ち負かした相手に武装させないよう強制すれば、こちら側は軍拡競争から逃れられるというアメリカが考え出した「対案」ですね。でもソ連が現れ、ソ連崩壊後は中国が軍拡を始めており、「憲法九条」による軍拡競争の抑制は失敗したと言って良いのではないでしょうか。

>「丸腰で無抵抗の弱者を殴れるほどの卑怯者になりたいなら
>殴ってみろ!!」 という問いかけで応ずる、相手の自尊心を挑発するというか、
>ある意味では開き直りの極限とも言うべき
>「非武装・非暴力戦法(攻撃?)」……(笑)……にも、
>間違いなく、ある程度の、実効性が……、 確かに、あります。

国際政治では完全に無力と言って良いと思います。ヤクザに対する非暴力は、日本という安全な社会で、しかも警察も法律も機能しているからこそ有効なのです。
国際社会は無政府地帯です。つまり日本やらアメリカやらロシアやら中国やらのたくさんのヤクザが抗争している社会であり、そこで非暴力抵抗などは無意味です。
そしてそもそもマフィアとかヤクザとかいうのは、警察力が無力な時期の人々を守るための自警団が起源となっていることにも留意して下さい。


大陸帰り 2007年05月29日 23:29

私はロシアがチェチェンに侵攻したときのドゥダーエフ大統領の声明を忘れることができません。
「我々はロシアに対し、倫理的に完全なる勝利を収めた」
しばらく後にドゥダーエフ大統領は戦死、チェチェンは無差別テロによる抵抗しかできなくなりました。世界がチェチェンを助けるためにどれだけのことをしているでしょうか?
ロシアにはロシアの言い分があるのかもしれませんが。

チベットは千人に満たない兵隊とわずかな大砲しかなかったため、雲霞のごとき人民解放軍を防ぎきれませんでした。今チベット人は産児制限のもとでの強制妊娠中絶や幼児殺人に苦しんでいるという話が伝えられています。少なくともチベット人の自由が抑制されているだろうことは容易に想像できます。世界がチベットを助けるためにどれだけのことをしているでしょうか?

パキスタンの支援を受けたタリバンはアフガンを席巻し、タジク人・ハザラ人・ウズベク人など異民族に対し、状況を無視して自分達の習慣を押し付ける圧制を行いました。対抗勢力は団結していわゆる北部同盟を結成して抵抗、その統治地域は国土の数%でありながら、全人口の30%ほどのアフガン人が逃げ込みました。北部同盟の軍事指導者マスードはEUで「タリバンは必ずテロの元凶となる。アフガン国内は我々が決着をつけるから、パキスタンの援助を止めさせて欲しい」と演説しましたが、無視されました。
9/11テロにあわせたと思われるテロによってマスードは死にましたが、そこで初めて世界はアフガンの惨状に目を向け、タリバンを押さえにかかりました。EU議長は、マスードの呼びかけを無視したことを公の場で反省しているそうです。
日本では、バーミヤンが包囲されて大勢の人間が餓死しそうになっても誰も関心持ちませんでしたが、バーミヤンの仏像が破壊されたときだけみんな関心持ってましたね(笑

上記のごとく、今の国際社会で非暴力抵抗による問いかけなどやっても、相手の自尊心は何も感じませんし、国際社会でも無視されるだけです。


大陸帰り 2007年05月29日 23:31

武装するというのは高くつくとお考えのようですが、そんなことはありません。

武装抵抗というのは、別に相手より強い武力を持っている必要はまったくないのです。ほんのちょっと、相手を苦労させるだけの力があって、それをちゃんとアピールすれば良い。そういう国には、ちょっとくらいの強国ではなかなか攻め込むことはできません。
仮に攻められても、国際社会である程度重要な存在であり、自らの力で抵抗する意志を世界に示していれば、いざというときに国際社会は助けてくれます。クウェートのように。
しかし国際社会で取るに足らぬ存在となり、自分達で抵抗する気もない国は、国際社会は間違いなく見捨てます。
自ら抵抗する意志は絶対に捨ててはなりません。

第九条の理念は良い。しかし行き過ぎの観はありますね。

集団的自衛権なんかもってのほか、という雰囲気が一部ではあります。
が、どこかに落ちれば間違いなく被害が出るミサイルを打ち落とすのに、日本が地理的に良い位置にあっても日本に落ちるのでなければ打ち落とすことができない、なんて明らかにおかしい。

イラクへの自衛隊派遣だって、別に武力による治安維持をやろうとしているのではないし、現地の人と相談しながらインフラを作っているわけで、その活動は国連からもイラクからも評価されているはずです。


歌いながら大地を歩く 2007年05月30日 02:34  

 非常に勉強になる書き込みをどうも。(^_^;)"

 ……私の乏しい知識では反論が難しいようで、
おもわず説得されてしまいそうになるのですが、
ここはしょうがない、「それがどうした!」と、
開き直って、「それでも地球は回っている」と、
憲法9条擁護にしがみつこうとは思うのですが。
 
       (^◇^;)"
 
>衆愚政治的な動きをしていても民主主義の原則に沿っている場合があること。今の日本はこれではないですかね。

なるほど……。で、ラクをしたいと思って独裁者を求める愚民どもが、多数派を占める日も近い、という話なら、過去にはナポレオンの例があったし、ヤン・タイロンがルドルフの台頭を許した連中をそう評してますし、トリューニヒトなんぞを国家元首に据えていた同盟の連中もみんなそうだし、田中芳樹の別作品『七都市物語』中では、もっと直接的に、そのシーンが描写されてますし……
 たしかに、今の日本の状況は、そうですよね★
 
        ★( ̄^ ̄;)★
 

>まして民主主義というシステムは、政権交代の仕組を内包しているシステムですから、
>(なお、民主政体の最大の特徴は「政権交代の仕組を内包している」ということであり、

 ……あくまでも民主主義の原則を守った枠内での「政権交代」だけだったら、多少の衆愚政治でも、まぁ許せるんですけど…… (^_^;)

 「最低投票率」も設定しないで「憲法変えよう」とかって……、その発想が出て来てしまうこと自体、既に、自由民主党及びその眷属は、民主主義の原則を、捨て去ってるって、思うんですけど……☆

>ここに言及していないのが「銀英伝民主主義」の最大の欠点でしょう)

 あいかわらず鋭すぎる御指摘です閣下!!
         (^^;)”

>国際社会は無政府地帯です。

 ……あぁぁぁ、そこまで断言されてしまうと、
 もう私ごときに反論を展開する余地はないっ★

     |||||(^◇^;)||||

>そもそもマフィアとかヤクザとかいうのは、警察力が無力な時期の人々を守るための自警団が起源となっていることにも留意して下さい。

 う〜ん……☆ ですよねぇ……。

 
>武装抵抗というのは、別に相手より強い武力を持っている必要はまったくないのです。ほんのちょっと、相手を苦労させるだけの力があって、それをちゃんとアピールすれば良い。
>自ら抵抗する意志は絶対に捨ててはなりません
 
 う〜ん……。
 一応私も、「専守防衛」までだったら、現行憲法の「拡大解釈運用」も、一応アリだろうという点に関しては、譲歩しないでもないでもないんですけど……。

>イラクへの自衛隊派遣だって、別に武力による治安維持をやろうとしているのではないし、現地の人と相談しながらインフラを作っているわけで、その活動は国連からもイラクからも評価されているはずです。

 ……「国連からもイラクからも評価」……??
 
    ????(-_-;)????

 ここの所は、日頃接している情報源の方向性(カタヨリ?)が決定的に違うからでしょうね。大前提になっている認識が異なっているので、そもそもそこをすりあわせない限り議論というものが成り立たないわけですが……。

 どちらの情報がどう偏っている(=事実に反している/あるいは意図的に歪曲している)かの判断はここでは置くとして……、
 私が接している情報源においては、共産党系にしろ、アンチ共産党系を中心とした「市民運動」にしろ……、
 イラクにおける自衛隊の行動内容が「イラクからも評価されている」……という風には、受け取れない内容ばかりなのですが……
 (-_-;)"

(気に障ったらごめん!! バグダッシュ大佐!)
 


歌いながら大地を歩く 2007年05月30日 02:52  

 なにはともあれ、
「大陸帰り」さんには、
 ひとつお礼を言いたいのです。 _(_^_)_
 
 チェチェンやチベットや、
 バーミヤンの人々のことに
 言及してくれて、
 
 ありがとう。 _(_^_)_
 
 
 御指摘のとおり、私自身、彼らの危難困窮に際して全く無力な人間ではありますが、けっして無関心な人間であるわけではないのです。何の実効性もないにはしても、少なくとも、常に気に掛けてはいるし、彼らが少しでもマシな状況になるよう、祈る気持ちだけは、忘れたことはない。
 
 そして、懺悔というか、謝罪しますが……、

 今まで、いわゆる「右翼のひと」(=これは私にとっては「国家としての武力&暴力を肯定する立場の、民族主義的論者のヒト」)というのは、そういった、国際的弱者の人達の困窮ぶりとかには、全く関心の無い……、自分たちだけが、ジャイアン的に、強くあって、有利な立場を占めていれば、それで良いという……、考え方のヒトなのかと、思い込んでおりました……。(実際、そういうヒトも多いというのは、認めて頂けるとは思うのですが)。
 
 私自身が気づいていなかった、

 カタヨリと言うか、
 思いこみというか、
 「偏見」というか……。

 気が付かせてくれて、
 本当に、ありがとう。 _(_^_)_
 
 やっぱり、立場や思想が異なる人達と、
 自分から垣根を造ったりしたりせずに、
 あくまでも、共通点を求めて、

 話をする。
 
 これって、大事なことだよね。
 
 
 ……と、いうことで…………。

 やっぱり私は、「武力より無力が強い」
 論者です。
 
(すいませんね、全然説得されてなくて★)

(もちろん、「話せば解る」とか言って、
 あっさりと射殺された某総理の故事も、
 忘れているわけではないですけれども。)

>自ら抵抗する意志は絶対に捨ててはなりません。

 うん。
 
 我が敬愛する師父マハトマ・ガンジーのように。

 非暴力・無抵抗での「不服従」は……。

 断固として、一生続けるよ♪ (  ̄ー ̄)ノ
 


.

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